~幼児編 9~
理乃の母親は見事、本屋の面接に受かり、働く事が決まった。
彼女の面の皮はかなりぶ厚い。
銀行のカウンターレディを経験しているだけのことはある。
その本屋は近所で唯一の商店街の中にある、これまた唯一の本屋だった。
店主の名は葛西正吾。
店の名前は葛西書店という、なんのひねりもない名前であった。
店頭には数種類のガチャが設置され、三台ほどゲーム機が設置されていた。
当時のゲームセンターは非常にガラの悪い人の溜まり場と化しており、子供には敷居が高い。
入ればたちまち怖いお兄さん達にカツアゲされて終わりだ。
UFOキャッチャーなるものもまだ発明されておらず、置いてあるのは脱衣麻雀やパズルゲーム。
人気の格闘ゲームは大抵が怖いお兄さん達の独壇場。
家でのゲーム時間が制限されていたり、家にゲームがない家庭も多かったこの頃は、近所の小学生の子達の遊び場として賑わっていた。
店内は正方形になっており、入り口横にカウンター。
入り口からすぐの通路に雑誌などの棚が並び、真ん中の列には単行本やハードカバー書籍、最奥の列には小説や文具雑貨などが置かれている非常に小さな本屋だった。
だからこそ一人で回せていたというのもあるのだが。
典型的なUR店舗で、二階部分は住宅として使っている。
少々手狭だが、住居に拘りがなく、風呂に入れて寝れて本が読めれば良いという葛西には職場まで一分もかからないお得な物件だった。
店奥には、在庫置き場として裏口の扉から繋がっている小さなプレハブ小屋があり、アルバイトとして入った彼女には、そこを休憩所として使ってくれ、と伝えた。
葛西自身はカウンター奥にある金庫などが置かれている事務所で休憩を取る。
実の所、武田は「面接に受かってもらわないと」とは言ったが、そこは男の縦社会。
学部が違い、たかだか一年ほど同じ大学で過ごしただけでも列記とした縦社会が存在した。
気が長くじわりじわりとにこやかに追い詰めてくる武田に面倒になった葛西が承諾した、という建前だけの面接であったが、彼女が知る由もない。
葛西は武田よりも年下だったが、学生時代からアルバイトで貯蓄した資金やコネを基に起業した。
顔面偏差値は高いのだが、男らしさという雰囲気もなく、中性的で無表情、無愛想という今で言う残念なイケメンである。
ミーハーな彼女はイケメン店長にテンションが上がり、ご満悦だった。
「仲良くなって、不倫とかしちゃったりして…!いやぁん!モテる女は辛いわぁ。ダメよ。私には夫がいるんだから!でもでも美形って良いわよね!!」
と一人楽しく妄想していた。
彼女の顔面偏差値は平均以下で、学生時代に男友達には「並」と言われたりしてきた。
中身も教養もなく、家事や料理は嫌いで売りなんて愛想くらいだという自覚もある。
甘え上手とは良く言われていたが。
それらもあり、身の程は弁えている。
美形と並んでも虚しいだけだ、と。
相手が中性的ならば尚更である。
自分よりも美人な男と並ぶ趣味も度胸も彼女にはなかった。
夫もそこそこ顔は良い。
友人に「釣り合ってねー。どうやって騙したんだ?色気もねーのに」とからかわれる程である。
その夫よりも顔面偏差値が更に高い葛西とは余り並びたくはない。
だが、職場に目の保養があるのは大変満足だった。
「これで優しかったら、乗り換えちゃうのにー。あ。でも私なんか相手にされないか。でも歳上の女の魅力で落とせないかしら…」
彼女の頭の中は有名レディース小説並みに妄想していた。
仕事内容は至って簡単であった。
最初はカウンターで接客するだけである。
レジの扱い方は知っていたし、本屋には良く行く身なので何となくわかる。
発注などは追い追い・・・ということで、問題なく仕事デビューである。
彼女は店で子供達に人気を得た。
元々口うるさく説教をするのが苦手な事もあり、ゲームやガチャの為に両替にカウンターに来る子供達に「あんまり無駄使いはだめよ~?」と軽く言う程度で和気あいあいと仲良くなっていった。
同じ年頃のお客さんと仲良くなったりと知り合いも増え、暇な時間は好きな本を読んでいて良いとも言われた。
毎日大好きな本に囲まれ、イケメン店長で目の保養をし、娘とは違い懐いてくれる子供達。
自分は子供に嫌われるタイプではないと自信が持てたし、アルバイト前に簡単に家事を済ませ、夕食の準備前に帰宅する。
本屋で顔が売れた彼女は商店街で買い物する際にオマケして貰える様になったりと良い事づくめだった。
毎日が楽しく、明るく過ごす内に笑顔が増え、夫と喧嘩をすることも減った。
娘との接触も少なく、愚痴は減り、精神的な余裕や自信から、彼女自身が本来持っていた魅力も発揮されていった。
彼女は人懐こく、愛想が良く、甘え上手で人間関係の処世術は一際得意だった。
店長は口数が少なくぶっきらぼうで、必要最低限の会話しかないが、嫌われていないのは理解していた。
彼女としては「一応接客業なんだから愛想は良くしないと!私がいないとダメね」と存在意義も見出しつつあった。
実際、書店には予約や取り置きというサービスがあったが、取っ付きにくい葛西に申し出る客は少なく、彼女が働き出してから取り置きの依頼が増えた。
取り置きや事前予約があると発注の時に目安になり、無駄に発注せずに済む。
当時はバーコードで売り上げの把握などは出来ず、本に挟んである栞状の紙で何が売れたかを把握していた。
雑誌は発注数と売れ残りの返却数の誤差で毎回都度修正していた。
慣れるに連れ、発注する時に「この本欲しい」などとお願いする事も増え、店長は文句も言わず発注してくれた。
彼女自身は店で読んでしまう為、購入しないのだが、誰か購入していくので問題はない。
時々、葛西がカウンターにいる時に万引きをしようとする子達がいたが、ことごとくバレていた。
カウンターから直接見えにくい場所には天井に鏡が置かれ、丸見えになっている。
そこで不審な動きをしていれば丸分かりだし、子供の浅はかさ。
不自然に平なお腹や背中。
細い道を輪になって出て行こうとする行動。
バレバレである。
彼女がカウンターにいる時にいつものヤンチャ組が入って来た時、思わず「万引きはダメよ~?」と声を掛けた。
そうしたら男の子達はそんなことしないよ。と言う。
理由を聞くと、万引きに目的があるのではなく、葛西を出し抜くのが目的となっているらしい。
ぼんやりとヤル気がない様子でカウンターに座っていたのにも関わらず、見もしないのに「ソレで一歩でも店の外出るなよ」と釘を刺して来るのだと言う。
それが悔しい半分、楽しい半分となっているらしい。
男の子の楽しみの見つけ方は女の子とは違うな~と思いつつ、万引きはダメ、と注意すると、大人しく声を揃えて良い子の返事をした。
根は良い子達である。
毎日が楽しいと心にも余裕が出て来て、娘に対しても余裕を持った態度で接する事も出来た。
店長と娘が何処と無く似ているのもあり、慣れたのだろう。
本屋で働き出す前と比べると、かなり親子らしい関係を築ける様になっていった。
親子の関係を築いて行くと、娘は手のかからない良い子だった。
幼い子供独特の面倒はみなくてはならないが、暴れるは遊び出す息子の時よりも楽だった。
仕事で疲れていると、夜には肩叩きなどもしてくれる。
力が弱い娘は叩くよりも揉んだり解したりする方が得意らしく、力任せに叩き飽きっぽい息子よりも遥かに気持ちが良かった。
毎週末に会いに行く彼女の実家でも祖父母相手に専ら練習中らしく、確実に上手くなっていき、程よく暖かい子供体温の手が気持ち良かった。
彼女が「あら?私って、幸せなんじゃない?」と思える様になるくらいには毎日楽しい日々を過ごしていた。




