~幼児編 2~
怯えた顔し、胸の前で組まれた両手は震え、声までも震わせながら、母親は武田に打ち明けた。
「うちの子、変なんです…!お兄ちゃんは普通の良い子なのに」
変と言われた子供は武田の対面に座る母親とは別の椅子にいた。
対面することが苦手な精神状態の人や付き添い人のために、室内には武田用とは別に椅子が二脚置かれている。
武田の対面に一つ。
予備となる椅子は患者用入り口から近い場所に壁に寄せて置かれていた。
その椅子の前に武田に対して正面になる位置で床に座りこみ、座面に頭を乗せて寝ていた。
ふんわりと可愛らしく広がるスカートと姿勢がミスマッチだった。
綺麗に広がる様に座ったのだろうが、花畑や可愛い部屋ならばともかく、無骨な床の上では酷く浮いている。
そして、自分が悪く言われているというのに、顔を上げることもしない。
時折、耳がピクピクと動くのは武田の目の錯覚か。
「変と言うと?」
「家では食べる以外は殆ど寝ているんです。でも、お兄ちゃんと一緒だと悪戯したりして困っていて…。叱ってもお仕置きしても懲りないし、謝りもしません…」
子供は寝ることが仕事、とも言うしそこまで気にしなくても良さそうなものだが。
少なくとも、兄と一緒に遊んでいる時は起きているのだろうし。
一人の時は寝ていて、兄と一緒の時だけ悪戯すると言うことは、発案者は兄の様な気もするが…。
その兄は良い子で、妹は変な子という認識は些か矛盾している。
「お仕置きしても謝らないというのは?」
「悪さをすると、玄関の外に放り出しています。お兄ちゃんはすぐに謝るんですけど、あの子は反省もせずに外でも寝出すんです。おかげで、寒い季節にはブランケットも一緒に放り出します」
「泣いたりはしませんか?」
兄の様に謝るか、泣き出したりはしないのだろうか?
「あの子が泣くのは、お兄ちゃんにゲームで負けた時か、真夜中に寝ている最中に何もない壁を指差して泣く時くらいです…。真夜中の事は朝起きても覚えていないらしくて。気味が悪いんです…!壁に何かいると思います?」
「私には何とも。泣いた後は何を?」
一体、何処のホラー映画だろうか。
「えぇと。起こして、おトイレに行かせて、飲み物をあげて落ち着いてからまた寝かせるんです。時々、夫が膝に抱っこして、食べていたお菓子をあげたりするんですけど、それも覚えていなくて…」
夢遊病の類いだろうか?
「意識ははっきりしてるんですか?」
寝ぼけている可能性もある。
「はい。話し掛けたら返事もしますし」
夢遊病ではなさそうだ。
小さな子は大人よりも毎日のことをそんなに覚えていたりはしない。
「まぁ、小さな子にはあることですから、そんなに気にしなくてもその内なくなるとは思いますが」
「そうなんですか?お兄ちゃんはそんな事しませんけど…」
「個人差もありますから。あと、悪さをした時は怒って放り出すだけだと、何が起こっているのか理解していないだけかもしれません。何が悪いのか、きちんと教えてあげてください」
兄は恐らく、悪いとわかってやっているのだろう。だから怒られた時も謝るが、兄に訳もわからず扇動されているのでは、わからない可能性が高い。
「言葉を聞き取るのが苦手な様ですから、怒って早口で叱ると余計聞き取れないと思います」
周りは気付いていないが、ヒステリーに叫ばれ怒鳴られても、理乃には早口のため、言葉として聞き取れない。つまり、何か知らないが捨てられた。としか認識しておらず、餌の捕獲方法を身につけていない為、無駄なエネルギー消費を避けているだけだった。
「そんな事言われても…。怒っている時にそんなに冷静になれません!」
「善悪の判断がまだ出来ない子供のやる事ですから。余裕を持って接して教えていってあげてください」
母親はとても不服そうな顔をしているが、こればっかりは仕方ないのだ。子育てに忍耐は必須だ。
「…私の言うことなんて聞きません。私にだけ懐いていませんから」
「他の家族には懐いているんですか?」
「はい。夫や兄とは一緒に遊んだりしてます。でも私が遊んであげてもちっとも喜ばないし、公園に連れて行っても遊ぼうともしません。だから公園にはそれ以来行ってません。ママ友関係とか面倒ですし。遊ばないなら行くだけ無駄ですから。それなら家で本を読んでた方がいいですし」
「本を読んであげているんですか?」
「いいえ?あの子はもう持ってる絵本は読めますし。何回も同じ本を繰り返し自分で読んでますから。読み聞かせる必要ありません。私、そういうの苦手ですし」
ツッコミが追い付かない。武田はそう思った。
公園での遊び方を知らない子供に一人で「さぁ、遊んでこい」と言っても、遊び方がわからなければ途方に暮れるだけだろう。
事実としては、遊び方がわからないと言うのもあるが、まず「遊んでこい」と母親は公園に到着しても言わない。「公園に着いたわよ」と言うだけだった。そのため「一人で何処かに行ってはいけない」と言い聞かされていた理乃は母親の側から離れなかっただけである。
母親は公園は遊ぶもの。と教える必要性を忘れ、公園に着いたら勝手に遊びだすものだと思っていたのだ。兄がそうだったので。
兄よりも手が掛からない子。という先入観により、教えなくても大丈夫だと無意識に判断していたのかもしれない。
「旦那さんやお兄ちゃんとの遊び方を真似されたら如何ですか?」
「とんでもない!私には到底無理です!!絶対に嫌です!!」
…そんなに拒否する遊び方をしているのだろうか?
「えーと…お二人はどんな遊び方を?」
「お兄ちゃんとは、お兄ちゃんがゲームしているのを横でじっと見ているか、たまーに、一緒に遊んだりしていますけど、負けたら泣くし、お兄ちゃんが手加減してあげて勝たせても怒って泣き出します。あの子が得意なゲームには興味がないそうです。私はゲームとかしないので、同じ事は出来ません。何より、何しても泣くか怒り出すなんて面倒な事はしたくありません」
確かに面倒なタイプだ。女の子は難しいとは聞くが、こうゆう意味だったのか?
「では、旦那さんのやり方では?」
大人と同じ遊び方ならば母親も出来るだろう。
「もっと無理です!!!」
そんなに!?
「えーと…どんな遊びを?」
「取っ組み合いしてますね。あの子は噛み付いたり引っ掻いたりです。夫は毎回傷だらけになってますね。爪が薄いみたいでお風呂に入るとかなり沁みると言ってました。絶対真似したくないです。というか無理です」
「なぜそんな遊び方を?」
小さな女の子と遊ぶには、不似合いな気がするんだが。
お兄ちゃんとしている方がまだ納得出来るが、その場合は最早喧嘩だ。
「確か…夫があの子にちょっかいをかけて…それで取っ組み合いが始まるって感じです」
それは遊んでるとは言わない…。
怒って報復しているだけのような気がするのだが、何やら彼女は不思議に思っていないらしい。家族単位で普通というルールがあるとは言うが、こんなルールがある家庭があることにビックリした。
「ちょっかいとは?」
「そうですね…。色々ありますけど。一番多いのは、あの子の視界に入る場所で手を床に着けてカサカサと左右に振り続けるんです。しばらくすると、止めようと捕まえに手を伸ばして来ます。それでもカサカサやり続けると、飛びかかって行きますね」
それは確実に遊んでるのではなく、怒っているのでは…。
「色々と仰いましたが、他には?」
「夫があの子に対してキチガイとか、未熟児とかバカにすると飛びかかって行きますね。意味はわからないみたいですけど、バカにされているのはわかるみたいで」
冗談としても言っちゃいけないような単語があった気がするのだが。それは普通に怒るんじゃ。
「普通に遊ぼうと声を掛けないんですか?その反応は怒ってません?」
ちょっかいの掛け方が小さな男の子が好きな女の子に意地悪するのと同レベルな気がするのだが。
「夫は不器用なタイプなんです。私に優しい言葉を掛けてくれたり、プレゼントとかもしてくれませんし。怒ってると仰いましたが、あの子は怒ったりしませんよ。泣くか泣いて怒る以外の感情表現は一切ありません。泣いてないので怒ってはいないと思います」
もう、何処からどう突っ込めば良いのだろうか?女性の話し方は特有だと言うが、自分がお付き合いをしている女性はこんなハチャメチャな話し方はしないんだが…。
つまり、簡潔にまとめると、家族の誰もが碌なコミュニケーションを取っておらず、そのために言語に接する機会が少なく、情操教育もままならず、感情面の成長に著しく影響し、怒ったら飛びかかって黙らせようと力業で来るが、見事に父親に負けている、と。しかもそれが頻繁にあり、怒る以外の感情表現をする機会がない。
聞いているだけでストレスが溜まりそうな環境だ。
明らかに、父親と兄にも懐いているとは言えない気がする。
いや。待て。母親と遊んでも喜ばない、と言っていた。そこに賭けよう。喜ぶという感情表現の仕方を知らないだけかもしれない。
…嬉しかったら表現方法なんて知らなくてもわかりそうなものだが。
「えーと。奥さんはどのように遊んでるんですか?」
「あぁ。それですか?理乃、いらっしゃい」
椅子で寝ていた子供を呼んだ。
何故子供との遊び方の説明をするのに呼ぶ必要があるのだろうか。
言葉で説明しにくい動作的な遊びなのか。
言葉を聞き取る事を苦手とする子供との遊び方としては妥当な方法かもしれない。
言葉を聞き取るという練習にはならないが。
寝ていると思っていた子供はとても寝起きとは思えない顔つき、足取りで母親の元へと歩いて行った。
背筋が伸びていて凛とした歩き方だ。
体重移動が上手いのか、足音すらしない。
促されるまま、母親に背を向け、武田に対面するように立たされている。
何の遊びをするのだろうか?
「見てください。この子の洋服、私の手作りなんですよ。他にもいっぱいあるんです。後、この髪型も私がしたんです。時間掛かったんですよ。腕が疲れちゃいました」
ヒラヒラとしたレースがふんだんに使われているワンピースとふわりと緩やかなウェーブを描く長い髪は頭のサイドの所で少し取った髪が編み込みの三つ編みに結われ、後頭部の真ん中で合流し、レースのリボンで結われていた。前髪はストレートなことから、このウェーブはアイロンでもあてたのだろう。確かに時間が掛かりそうだ。
「この子を連れて歩くと、通りすがりの人が見て行くんです。気分良いんですよ。お店でオマケとかしてもらえますし」
母親はベラベラと聞いていない事まで話しているが…。
それは一緒に遊んでいるのではなく、その子で遊んでいるのだ。
そういうのが好きな子なら喜ぶだろうが…この子の様子を見る限りとても好きとは思えないのだが。
母親だけが話し、残り二名が無言の時、ふと母親の手が子供の頭に伸びた。すると、ビクン!と肩を震わせ、腕で頭を庇う仕草をする子供。
この反応は普段から暴力を振るわれている人間が無意識にする行動だ。
幼児虐待をしているのかもしれない。念の為、児童センターに連絡を入れる事も考えながら、見守った。
叩かれない事に気付いたのだろう、あんなに凛とした真っ直ぐだった瞳は恐る恐る視線を母親に向けた。
「あら。リボンが解け掛かってるわ。ストレートな髪はダメね。ウェーブを掛けたのにすぐ解けちゃうんだから。ホラ、直すから後ろ向きなさい」
子供は後ろに振り向いていた姿勢を元に戻した。
終わったのだろう。戻って良いという指示が出され、大人しく先程と全く同じ大勢に戻った。
良く躾がされた犬がハウスと言われた様な雰囲気だ。
「大抵はあんな感じで遊んでます。と言っても、暇な日とか、出掛ける日だけですけどね。全く喜ばないんですよ。あんなに苦労したのに。ほんと、可愛くないんです」
母親は大変不服そうに吐き捨てた。
「保育園に通い出したら毎朝大変そうですね」
子供の待遇については、ちょっと慎重に行う必要がありそうだ。
「保育園に通い出したらしませんよ。朝は忙しいですし。今はあの子が起きるのが朝の忙しいのが落ち着いてからですから。遊ぶ余裕もありますし」
「そうですか。保育園は問題なさそうですね」
母親と二人きりの時間を少しでも減らす為にも保育園に通った方が良いだろう。
「とんでもない!みっともなくて通わせられません!それもあってココに来たんですから」
「というと?」
「知能検査していただけます?夫が言う様に、あの子、絶対頭オカシイので」
なるほど。身体検査で異常がなかったので、知能を疑ったと言うことか。
だが、今聞いた限りでは、子供の成長が遅いのは恐らく環境の問題だろう。
先程近くで見たが、あの年頃で食べて寝ているのが殆ど、という生活サイクルでは考えられないほど痩せていた。
身体検査で栄養失調が出なかった事が異常なほどには。
「具体的に聞かせていただけますか?」
自分の子供に対して「絶対頭オカシイ」と断言するとは余程の事だろう。しかも「みっともなくて」と来た。
「食事の仕方が動物なんです。まだお箸は使えないので、スプーンやフォークを持たせているんですけど、お皿じゃなくて顔を皿に近付けて犬食いするんです。スプーンは掻き込む為だけに使いますし、フォークは刺す事はしますが、握り持ちです」
今のファンシーな服装からは想像出来ない野性味溢れる食べ方の様だ。
「食べ方を教えたりはしないんですか?」
「無理です。食事中に教え様とすると引っ掻いて来ます。夫が後ろから抱っこして持ち方とかを直そうとするんですけど、頑として聞きません」
食べるのに夢中なのだろうか?
邪魔されるのが嫌な程、空腹状態なのか、子供の体型を考えるとどうしてもそんな気がしてしまうのだが。
「食事以外の時間で使い方を教えたりは?」
「してませんよ?そんな時間ありませんし。私だって趣味の時間とか持ちたいですもん。主婦や育児に休暇はないんですよ?夫がいない時間くらいは自由に過ごしたっていいじゃないですか」
…自由時間を少しは子供に割こうとは考えないのだろうか。
「私、躾とか出来ないんですよね。イライラしちゃうし、わからないので」
そんな自信満々に断言出来るほど子育てに向いていないなら、何故子供を望んだのか。
まぁ、考えず可愛いから。欲しいから。という理由で子供を産む人間は山程いるが、この女性もそうなのだろうか?
「なので、知能検査っていうのやってもらえません?預ける所も変わって来ますし」
どうやら、母親の中では知能障害が決定されているらしい。
武田としては、母親の方を検査したい気分だった。




