(七)
サイレンの音が次第に大きくなっていく真夜中。黒木が研究個室から持ち出した本には“分子生物学”と書かれていた。
「『分子生物学』、そしてこの付箋のページにある“クローン研究”、そして、狂気に駆られた羊、麻薬を手に入れるために、金ベルトの腕時計の男を探していた遠山青年、これで君もすべての点と点が一本の線で結びついたんじゃないか?」
「つまり、羊のクローン研究に麻薬を使用していたと、そういうことかい?」
「おそらく品種改良の末に完成した良質羊肉の半永久的生産を目的として、クローン羊の生成を目論み、そのクローン研究に麻薬を利用していたのだろう。少女が真夜中に目にしたのは、試行錯誤のさなか、錯乱状態になってしまい狂気に駆られた羊たちだ。そしてその羊たちは、意思すらも失い、自ら牧場の柵を突き破り、身を海に投じていったのだろう。ただ、今晩は、実験台となり錯乱状態になっていた羊たちが奇しくも、その研究者たる遠山青年へと牙を向け、襲撃し、仲間の仇討と言わんばかりに遠山青年とともに、あの広大な日本海へと身を投じたというわけだ」
「そんなことが…」
それからというもの、僕と黒木の沈黙の時間が続いた。
あのときの、暗闇を時折照らす赤色灯と、崖下からかすかに聞こえてくる波音が、はじめて人の死と向き合っていた僕たちの空虚感を一層助長していたように思える。
そしてまた僕は同時に、この事実、羊たちの無念を活字として、残す必要性に駆られたのである。
「黒木、これは作品として残してよいものだろうか」僕は問いかけた。
「うん」黒木は静かに頷き言葉を続けた。
「『羊の研究』、いや、それだと研究者目線のタイトルになってしまう。羊そのものに目を向けて、『狂う羊』でどうだろう?」
「では、その提案をいただくことにするよ」
狂気的なタイトルに多少戸惑ったものの、僕は黒木の提案を受け入れることにした。
「しかし、今回の件が、俺たちにとって“金ベルトの腕時計の男”を探さねばならない動機付けになったことは間違いない。奴が捕まらない限り、こうした麻薬に端を発した事件が後を絶たないからな」
黒木は空を見上げながら、静かに悟ったのだった。
※昭和五十七年十二月、銀杏玲著『狂う羊』は北城商科大学文芸サークル同人誌に掲載された。




