仮の祝言
由良姫は驚いて宇羅彦に駆け寄った。
「ウーちゃん!」
宇羅彦は携帯を由良姫から取り上げた。
「もしもし、全然つながらんやないですか! これはなんですか?」
「ちょっと待てや、宇羅彦。かけとったんは由良姫や。それに俺も聞きたいことがある」
我央は、電話が宇羅彦と変わったことを確認しつつ、もう一人の存在を認識した。電話は無言になる。
「先輩、この人はこの件には関係ない。前から話しとる叔父なんです」
浩徳は思い出した。以前事あるごとに一族中ただ一人、宇羅彦だけが庇っていた、最初の二つ紋。
「そうか、悪かった。由良姫が必死にかけとったで、つい」
浩徳は携帯を宇羅彦に渡した。我央はそのやり取りを電話の向こうで聞いていた。そして、宇羅彦へと変わったのを確認し続けた。
「昨夜未明、不穏分子による襲撃を受けました。その者たちは、ほとんど片付けられていました。御子姫殿は怪我の手当てを受けられたのち、ここを出立されました」
「どういうことや? 結界を放っていくわけがない」
「ウーちゃん、どうしたん? お母さんは無事やったの?」
我央は宇羅彦の問いに答えた。
「はい、しかし、結界を張り続けることは不可能と申されました」
「結界が無理……」
──つまりは、それほどの怪我ということか。
由良姫が苛立ち始める。大きな声で、携帯の向こうから騒ぐ。
「門の中には入れんの?」
「里の中には入れるなと、御子姫殿からのご命令です」
「我央さん、異形衆は? 今ここにいるのって、みんな神守っすよね?」
「異形衆の皆様も、御子姫殿も深手を負われていました。お止めしましたが、異形衆の戦船に乗られて隠れ里へ行くと旅立たれました。贄は終わりだと、申されていらっしゃいました」
「贄は終わり……」
「もしもし、本家には襲撃の痕跡が生々しく残っています。それだけは由良姫さんに見せるなときつく申しつかりました。どうにかうまくお伝えしていただけませんか」
我央の話はそこで終わった。
我央の口ぶりでは、御子姫がいた居室は血痕が相当残っているのだろう。空気には血生臭さが残っている。
異形衆を全員引き連れて、隠れ里へ死出の旅路というわけだろうか。
──親父、叔父貴、長殿もか。
そういえば鴉の羽は落ちてはいるが、白鴉の姿が見えない。
由良姫が説明しないと、門を乗り越え中へ飛び込みかねない勢いだ。宇羅彦は、由良姫と浩徳と一緒に車に戻った。
「説明する。けど、由良。約束しろ。このまま俺と一緒に家に帰ると」
「ヒロくんは?」
「もちろん、一緒に帰ってもらう。バイクはあとで配送してもらうよう頼む」
宇羅彦の様子から、ただ事ではないことが見て取れる。浩徳は由良姫の隣に座ると、助手席に座ってうつむく宇羅彦を見つめていた。
「母さんはもう戻らん。会うことも叶わん」
「どういうこと!?」
「豪鬼とも剛拳とも、長殿も、異形衆のみんな、もう隠れ里へ旅立った」
「隠れ里の場所は?」
眴は首を振った。
「そこは誰も知らんし、母さんは隠す名人や」
「でも、生きてるんやろ?」
「結界がもう張り続けられへん。もう無理やって、旅立った。いま、かろうじて結界保たれてとるんは、大勢の二つ紋が呼ばれて補強しとるだけや。長くは持たん」
「それって、結界が崩壊するってこと?」
「そうや」
門の中では、大人数の二つ紋が今にも崩壊しそうな結界を、必死に守っていた。
「お母さんは、隠れ里で怪我を治すんやろ。そのために隠れるんやろ?」
「そうや。せやから邪魔しに行ったらあかんのや」
「みんなついてっとるで、大丈夫やね」
「治療も受けた、言うてはったで。我央さん」
「お母さん、この前会うたばっかやで、うちに黙って行ったんやね」
「そうかもしらんな」
「わかった……」
由良姫の声が震える。本当はわかっている。でも、受け入れることは、現実になる。
「うちな、西の大社向かう前、ヒロくんと寄ったんよ。そうそう、眴ちゃんにお手紙もらっとった。帰りに、ヒロくんのおじいちゃんおばあちゃんとこ寄って。手紙渡さんと」
「急ぐんか?」
「うん、結界が壊れるんやったら、早うせんといかん」
平気そうに喋り続けていた由良姫だが、突然嗚咽を漏らしながら泣き出した。それを浩徳は黙って抱きしめていた。
途中、大海の浩徳の祖父母宅に寄ると、浩徳は直筆の御子姫からの文を渡した。祖父母は対岸の様子の急変に気づいていた。
「じいちゃん、ばあちゃん。電話でも言ったけど、このまま車に乗って一緒に行ってほしいんや」
「それが御子姫殿の気持ちなら、従うしかあらへんな」
浩徳の祖父母はわかっていたように、準備していたものだけ持って車に乗り込んだ。
一路、車は浩徳の家へ寄った。
前に住んでいた団地から、大きな川を越した県境向こうの一軒家に移っていた。
そこで、出迎えた母親へ御子姫からの文を渡す。祖父母が降りると、浩徳は由良姫たちと一緒にそのまま車に乗っていった。
家にやっと到着すると、垰が眴に耳打ちする。
「狐の様子がおかしい。おまえの部屋に運んで、いつも寝とるとこへ寝かせておいた」
眴は急いで部屋へと戻る。そして御子姫からの文を読む。そこには、婚姻の許しが綴られていた。着物は送ってあるので着させてやってほしいとあった。
「ケン、まだ大丈夫ですか? これから着物を着せますから、少しだけ待ってて下さいね」
ケンの出迎えがないのを訝しんだ由良姫は、ケンが急に調子が悪くなったことを聞かされる。それを一緒に聞いた浩徳が、急に心配し始める。
「一気に寒くなってきたからなあ」
すると眴が2階から由良姫と浩徳を呼んだ。何事かと部屋へ行くと、ケンが珍しくベッドの上で寝ていた。
「さて、由良姫と柏木くんには着ていただきたい着物がありましてね。御子姫殿から前以て届いてて大切に保管していたんです」
衣桁には御子姫が着たであろう白無垢が、もうひとつの衣桁には奏司が着た紋付袴が掛けられていた。
「なにこれ。なんで?」
由良姫の気持ちが揺れる。あの時寄った時に、御子姫は冗談交じりに、祝言をと言っていた。
「随分と前に、届いていましたよ。文の中に書かれていました。着てみますか?」
「着ようや。由良姫、写真も撮ろう」
「こんな時に!?」
「こんな時だからこそや」
眴は着せ慣れている紋付袴がから着せていった。浩徳は一旦部屋の外へ出た。そこには宇羅彦がいた。
「何しとるんや」
「御子姫殿に祝言の姿だけでも見せたくてな」
「どういうことや」
「これは内緒なんや。絶対由良姫には内緒な」
浩徳は宇羅彦にだけは、狐のケンが御子姫の意識とシンクロしていることを話した。
「ほんまか?」
「せやから、見せてやりたいんやケンに祝言を」
「眴ちゃん、髪の毛がこんなんでもええのん?」
「綿帽子のことですか? ちゃんとちょうどいい位置になるよう調節できる道具が今はあるんですよ。ショートカットでも、前髪を整えたら可愛いですよ」
由良姫は白無垢を着せられて、綿帽子を被った。カチューシャ状の、帽子をちょうどよく支えるヘアアイテムがある。
部屋から出てきた由良姫に、浩徳が無言で見惚れていた。
「なに? 変?」
「いや、多分その反対なんちゃう?」
宇羅彦が代弁する。浩徳が頷く。
階下まで降りてくると、2人はテーブル用のイスに並んで腰かけた。そこへ宇羅彦が狐のケンを抱きかかえて連れてきた。ソファにそっとケンを下ろす。ケンは身を起こして由良姫と浩徳を見つめた。
「ケン……ッ」
一声鳴くと、ソファに腹這いで寝転んだまま、前足に頭を乗せ由良姫たちを見つめ続けていた。
──私が十八、奏司が十六。
由良姫が十七、浩徳が十八。
──これで良しとしよう。欲張るほど時はない。
ケンは宇羅彦を見つめた。宇羅彦は視線に気がついた。携帯の中の光代の写真を見せた。ケンはフウッと一息ついた。
その日から、狐のケンはうつらうつらと目を閉じたまま眠る日が増えた。食も細くなり、一日中、眴の部屋から出てくることもなく、いつもの場所で静かに眠る。
宇羅彦の脳裏には、ケンが息を引き取ったら、それは母御子姫の死を意味すると刻まれた。
御子姫が残していった結界は、神守の若い二つ紋だけでなく、全国から引退した輪響紋衆が集まり結界に気を送り続けた。
老いた者たちの中には、ここで事切れて構わないという覚悟があった。
若い二つ紋が犠牲になることはないと、多くの輪紋響紋衆が全国から集まってきた。
若かりし頃、ここで結界の向こうで戦をしていた者たちだった。もう子供達も独り立ちし、孫の顔も見た。思い残すことはない。その人数は日に日に増えるばかりであった。
神守我央は奔走していた。東都にいたかと思えば西都から結界の様子を見にきた。
そうして、徐々に我央は影へと近づいていく。御子姫を邪魔に思っていた影へ。




