神在月
穏やかな寝息が重なる。朝の目覚めは、安心感で始まった。
禊をし身支度を整える。心地よい程度の緊張感が、身を引きしめた。
「朝メシ、どうする?」
「うん、スープとかなら」
2人は下へ降りていく。食堂へ行くと、飲み物、スープ類、サラダ、パンかご飯か、あとは数品おかず類が並ぶ。
由良姫はオレンジジュース、ポタージュにポテサラを食べた。少ないがそれでも、まったく食べられなかったことを思えば、大した進歩だった。
「いっぱい食べるね」
「これでも少ないほう。やっぱ、緊張しとるわ」
由良姫の瞳から、不安が顔を覗かせる。
「大丈夫や」
浩徳がニッコリ笑いかけると、由良姫も笑って頷いた。
一の大鳥居をくぐると、少し空気感が変わった。二の鳥居をくぐり松並木の参道を歩きはじめると、もうそこから気が呑まれそうだった。
「由良姫、大丈夫か?」
「うん、ヒロくん、見える。三の鳥居に……」
浩徳は由良姫が言おうとすることがわかった。三の鳥居の手前に手水場がある。再度、身支度を整えると由良姫たちは鳥居へと赴いた。
鳥居をくぐると、本来なら大勢の参拝者がいて人の気配がするのだが、それが一切なくなった。
薄い霧のような中に、スッと一筋の道が見える。そこを守護者である浩徳が、後ろを振り返りつつ進んでいく。
由良姫には、声にならない囁きがあちらこちらから聞こえてくる。
突然、霧のようなものが途切れ、見上げれば御社の前に出ていた。
由良姫と浩徳は並び立ち、言葉を待った。
気がつけば、拝殿を抜け、奥の御本殿まで来ていた。ここは本来入ることは叶わない。
そして、頭の上から降るように、遠くから呼びかけられるように、声のようなものが聞こえてくる。
「よう、参られた。真白の神、御出でませい」
由良姫の体が一気に変容する。白い髪、紅の瞳。足元を見れば、薄く宙に浮いている。その後ろに浩徳は跪き、控えた。
由良姫──真白神は、神議りの場に呼ばれた。
「その依り代は……」
「何か……私の一存では不都合か」
由良姫は振り返ると、浩徳を見た。
「守護者、祭祀の礼と柏手を」
すると一気に由良姫は、真白神へとなった。
「真白神、やっと会えました」
「時が迫っています」
「常世の大河が口を開けます」
「戦いの時です」
「大津神とともに」
「承知」
神の声らしき囁きが、由良姫の頭上をかすめていく。
同時に、由良姫の目の前には信じられない光景が広がる。
母御子姫が張る結界に亀裂が生じる。里が何者かに襲われる。
由良姫の意識の方が、押しのけて出てこようとする。
「この者にとっては大事」
「神在月ののちに」
「神議りは」
「議った」
「良しとしよう」
「良しとしよう」
「戦いに」
「承知」
「時が満ちる」
「ああ、とうとう」
「議りは終わった」
遠く意識の向こうの声は、穏やかなようで不穏だった。
「守護者、礼と柏手を。鎮めよ」
浩徳は聞こえた通り、礼と柏手を打ち、唱え言葉を発する。
由良姫が、浮いていたところから落ちてくる。それを浩徳はしっかりと抱きとめた。気がつけば、2人は御社の前で立ち尽くしていた。
「由良姫……」
「大丈夫」
「何があった?」
「あとで話す。ヒロくん、今はここから下がろう」
2人は礼をして三の鳥居から外へ出た。
由良姫は参道を戻りながら、ぼんやりと靄がかかったような記憶を紐解く。
「そうや、見えた! 結界に亀裂が入って、常世の大河が口を開けるの見た!」
「大勢のボソボソと囁く声が聞こえた。終わったって言っとった」
「うちらに会うのは終わったんや。早よ、帰ろう。その前に宇羅彦に電話して」
由良姫は携帯で宇羅彦を呼び出した。
「おまえなあ、こっちは授業中やったんやで」
「ウーちゃん、大変や。神さんの儀式に呼ばれた。お母さんの結界が壊れる!!」
「どういうことや!?」
「見えたんや、里が襲われる。お母さんが……」
そこまで言うと、由良姫は急に口が重くなった。言葉を発しようとするのに、誰かに止められているような感覚だった。
「離れよう、歩ける?」
「うん、体は大丈夫。急に声が出てこなくなった。ウーちゃんに、話せてない」
「未来に関わることは話せないんやないか?」
由良姫はすぐにでも、御子姫の元へ向かいたかった。
宇羅彦は妙なところで電話が切れたので、どうなっているか大那に連絡した。
「親父たち、今朝こっち出立した。どうかした?」
「いや、由良姫から電話あったんやけど、切れた。たしかに、里が襲われるって言った」
「行くんか? 虎雅と話して行くよ」
「誰? 宇羅彦?」
虎雅が教室から出てきた。大那から電話を借りると話し始めた。
「昨日、東都から来た神守が話しとった。神守の中に不穏なグループみたいなのができてるって。我央さんが対策室から一掃して、なぜかそいつらのターゲットが御子姫殿だっていう話」
「わかった。じゃあ、またな」
宇羅彦は折り返し、万里依に電話した。宇宙依と一緒に里の様子を視てくれるよう頼んだ。そして自分は、急用だと勝手に早退していった。
母親のいる里が襲撃される。由良姫からの途切れ途切れの言葉。
予定では今日、神在月で大社へ行ったはずだ。きっと何かあったのだろう。それで急いで、とにかくわかってることだけ報せてきたのだ。
家に帰ると、いつもはいるはずの黒鴉が一羽もいない。
「どうしたんですか、こんな時間に帰ってきて」
眴はちょうど垰と農業試験場へ行くところだった。
「母さんの、里が襲撃される。由良姫から電話があった」
万里依が宇宙依を連れて、慌ててやってきた。
「大変や、千里眼が邪魔されとる。こんなことをするんはアイツだけや!」
「相当な人数だ。中にケガレの触媒がおる。皆、武器を携帯しとる。それもサプレッサー付きのアサルトライフルみたいや。サプレッサー付きのフルオートマシンガンまで持っとる。専用の装甲車に乗っとる」
「どうして、そんな!?」
宇羅彦は我央に電話する。何度かけ直しても出ない。
宇宙依が突然、ごめんと言ったまま黙り込んだ。
その頃、由良姫と浩徳は大急ぎで、バイクで御子姫の元へ向かっていた。
浩徳の背に掴まりながら、由良姫は必死に思い出そうとしていた。結界に亀裂が入って、その前に大勢の黒ずくめの集団に里が襲撃されていた。母をかばって異形衆が血を流していた。
風がバンバンとメットのシールドに当たる。早く、早くと気が急くばかりだった。ただ、見せられた? 見えたのは夜間だった。
──今夜なら間に合うだろう。だがもし、もしも!!
前日、西都では異様な光景が幾度となく目撃されていた。山間からどこに潜んでいたかと言う数の鴉が山向こうへと飛んでいった。
その光景を見た唱は一瞬で理解した。
里が危ない。
すぐに言葉に連絡する。西都周辺に住んでいる響紋衆を集めると、揃って里へと向かう算段をした。
里の周辺は、立入禁止区域ということもあり、人はほとんどいない。見回りのパトカーはケガレ対策室からの派遣とわかると去っていった。
監視カメラを全部落とす。電灯を破壊すれば一気に真っ暗闇だ。
影がいくつも、次々と高い塀を越え里へとなだれ込んでいく。その影めがけて鴉の群れが襲いかかる。それだけではない。次々とどこから来たのか、野犬の群れが牙を剥く。
「うわあああっ!!」
若い男の声で、叫びが上がる。
「御子姫だ!! 御子姫を探せ!!」
女の声で指示が飛ぶ。そうこうするうちに、女に異変が訪れる。御子姫を追って、里の最深部、常世の大河との結界の近くまで来ると、突然女は苦しみだした。
部下が駆けつける。女は気枯れを起こしていた。それに反応するように、大河の穢が暴れる。
部下たちは、揺れ動く結界にぶち当たる穢の気に呑まれていく。
女は必死に部下に叫びつづける。
「御子姫は屋敷の中だ!! 屋敷を探せ!!」
部下たちは銃を乱射する。部下にもまた異変が生じはじめる。
部下たちはまるで古の穢のようになり、御子姫を探し回りながら、声のする方へ吸い寄せられて行く。
結界の向こう側から、地獄の底から響いてくるような声が聞こえてくる。
──おお、おおおおおお、おおおっっ!!!!!
気枯れを起こしケガレになっていく、二つ紋の部下たちを、己もケガレへと成り果てた神守玲は見ていた。
「全員、集合せよ!! 全員、結界に集まれ!!」
玲はひとり、またひとり、とケガレと化した部下をのみ込んでいく。大きなケガレの塊が出来上がりつつあった。




