一年七組松本直美④
長谷川剛は、大学生でありながら持ち前の嗅覚で、すでに様々なブローカーとなっていた。
買い手がいるから、売り物が生まれる。それだけの話だ。
本物のJKユニットのビデオにしても、高値で取引できる当てがあるからこそである。
そして、パパ活という軽いノリの言葉の裏にも、ブローカーは存在する。
長谷川は、その筋から目をつけられる前に、そろそろ足を洗う準備をしていた。
その締めに直美よりも人気のある二人を連れ出した。
「ええっ? なんですか!?」
「パパ活って知ってる? 1回でいいから、やってよ。一緒に食事したり、写真撮ったり。今までのユニット活動と変わらないから」
「でも……」
「パパ活っていっても、せいぜい佐藤くらいのおじさん。それにこれが終わったら、ユニット解散してもいいし」
「いいんですか?」
「だって、二人とも嫌々付き合ってくれてるんでしょ」
二人は相手の写真を見せられ、四十前後の小綺麗な男性であることに、仕方なく承諾した。何よりもうユニットを続けなくていいという条件が強かった。
「はい、二人ともOKです。もうコレで最後ですので、よろしく」
大きい街の新都心にできた、センチュリーホテルのオシャレなラウンジへ連れて来られ、二人は豪華なアフタヌーンティーセットをご馳走になっていた。
今まで入ったことがないような豪華なホテルに、二人の不安は薄らいだ。
もちろんパパ活後、二人は直美から離れていった。
直美はいきなり、ユニットの二人が離れていったので、何が何だかわからなかった。
二人は口には出さないが思っていた。やっと清々したと。
ノウハウはもうわかった。あとは自分たちでやればいい。必要なのはお金などではない。
それに、二人は気づいていた。偶然にしては、出来すぎていた。
付き合い始めた大学生は、ユニットが軌道に乗り忙しくなると、連絡が途絶えがちになった。それも二人とも同じように見計らったように。二人は直美がいたからこそ、よけいに仲良くなっていた。
その頃になると、由良姫にも宇羅彦にもハッキリとわかるほど、一年の教室が並ぶ廊下にはケガレ臭が漂い始めた。
そろそろ、以前宇宙依から聞いていた、最後が近づきつつあった。
由良姫と宇羅彦、芥見の二人とで話し合い、今回の件はまだ柏木浩徳には知らせないと決めた。
「由良、大丈夫か? すれ違うだけで」
宇羅彦は臭いに敏感な由良姫を気遣った。
「うん、お昼も特別室に来なくなったから、平気」
「そっか、ならいいな。先輩には、今回全部終わったら話そう」
「うん、ケンも心配なのか、毎日ついてくるし。大丈夫だよ」
ところが、その気配を浩徳は敏感に察知していた。
以前はこんなことは一度もなかった。
それなのに、由良姫と意識して付き合うようになってから、不思議とこの異様な気を感じるようになっていた。
宇羅彦は約束通り、四組へ行ってきゃやんたちとお昼を食べていた。
そこに同じ七組のラグビー部の岡江貴匡が加わった。
岡江の彼女はきょん、こと伊橋今日子だった。
きゃやんは渡瀬光代といった。
元々、試合になると宇羅彦はラグビー部に出張していた。それも縁だった。
宇羅彦の携帯に連絡が入ってきた。宇宙依からだった。
「今夜、出かけるで」
宇羅彦は由良姫が教室に帰ってきたら伝えた。
その頃、帰りは途中まで一緒に帰っていた由良姫と浩徳は、由良姫の緊張が手に取るよう伝わってきた。
「なんか、あるんやな」
由良姫は頷いた。この人には隠せない、そうわかっていた。
「俺は、待っとる。話すには、それなりの時間も必要や」
浩徳は、ギュッと由良姫を抱きしめた。突然のことに、由良姫の心臓はバクバク鳴った。
「無事帰って来られるよう、守っとる」
家へ帰ると、今夜出るのは深夜過ぎになると万里依から連絡があった。
夜は静まり返っていた。
リビングでは、ここ数週間、同じような言い争いが繰り返されていた。
金のこと。帰宅時間のこと。互いの態度のこと。どれも些細で、どれも本質を避けている。
その夜は、寝室のドアが閉まっていた。その前で、直美は廊下に立ち尽くしていた。声は抑えられ、怒鳴り声はない。だが低く、張りつめた音が続いている。
「これ、どういうことだ」
父の声は乾いていた。テーブルに叩きつけられた明細書が、床に滑る音がした。
「あなたこそ、何様なの」
母の声は、震えているが崩れない。冷たく刺さる音だった。
「俺は家を守ってきた」
「守った? 何を?」
一瞬、沈黙が落ちる。向き合っていても、視線はすれ違う。
「あなたは外で好きにしてたでしょう」
「おまえだって……」
言いかけて止まるが、次には辛辣な事実が続く。互いに、言葉を選ばない。それでも核心は外し続ける。ぶつからない、避けている。なぜならそこにあるのは、長年のすれ違いの積み重ねだから。
寝室の空気が重くなる。二人の呼吸が荒くなり、吐き出す息が、重く濁る。その濁りに、混じっているのは本心そのものだった。
互いの声に含まれていた、細かな澱が、言葉の端からこぼれ落ち、宙に浮く。
直美は、廊下で息を止めた。部屋の中で、二人の声が、同時に重なる。
「もういい」
どちらの言葉かわからない。
次の瞬間だった。互いを罵るはずだった口が、不自然な角度で開く。目は見開かれたまま、焦点を失う。吐き出した息が、相手に降り注ぐ。
モドキは一斉に集まる。夫に。妻に。そして、二人の境界に。
向き合っているのに、最後まで噛み合わなかった二人は、その瞬間だけ、完全に同じ方向を向いた。
残ったのは、口を大きく開いたままの二つの影。その隙間を埋めるように、黒いものが流れ込む。互いに腕を伸ばしあっている。まるで今にも掴み合わんとする、指の形。隠してきた感情の形。
軋む音がする。骨ではない。形の歪む音。二人だった輪郭が、ゆっくりと曖昧になる。それは抱擁ではない。ただの融合。モドキが二人を包み込む。
寝室の外で、直美の喉がひくりと鳴った。その時、室内から、声が響く。
その声のようなものが合図だった。直美の中に巣食っていたモドキが、一斉に吐き出され一体化しようとする二人へ向かっていった。
その臭いは、寝室の外にいる直美にも、たまらないものだった。
直美宅の外では、今か今かと車の中で、由良姫と宇羅彦が待機していた。
「そろそろや。寝室のドアの前に女の子がおる。あの子や」
「ゴツい家やなあ、塀の鉄柵、気ィつけや」
由良姫と宇羅彦の身体能力は凄まじい。十メートルくらいなら軽く跳躍できる。
ベランダから中の様子を伺うと、由良姫の顔が臭いで軽く歪んだ。
中では、夫と優美は口を大きく開けた状態でケガレ化が進んでいた。
気枯れ一歩手前の両親の体からは一斉に、直美に向かってモドキが向かっていった。
ベランダから部屋へ入った由良姫と宇羅彦は、今まさにケガレになろうとしていたものに術を放った。その光に反応したモドキが、二人に向かって飛びかかってきた。
直美は一瞬正気に返り、寝室のドアの隙間から中の様子が見えた。
同級生、それも鬱陶しくて仕方のない、藤吉由良姫と宇羅彦がいた。
ケガレになった両親は、直美に向かって叫んだ。
「直美、助けてーっっ!! 殺されるーっっ!!」
ケガレは、人の言葉を真似て、ハッキリと喋っていた。
由良姫と宇羅彦は、その様子を信じ難い面持ちで見ていた。
もう一発放たねば、祓い切れないというタイミングでの出来事だった。
「人殺しーっっっ!!!」
直美があらん限りの大声で叫んだ。
その瞬間に、由良姫と宇羅彦は術を放ち、ケガレを祓っていた。
部屋には、直美の「人殺し」と叫んだ残響だけが残った。
それは、もう誰の声でもなかった。




