後篇
建国歴千年ちょうどのその年。
その国の第二王子が、王の子どもではないと暴かれた。第二王子を取り上げた妻も、王妃の侍女も、みながそう証言した。
王をたばかり、王族を騙った罪で、第二王子もその母親も処刑された。最後までその処刑に反対した王は、その指揮をとる第一王子を罵倒した。
「貴様、王太子でありながら何故こんなことを企んだ! こんなことをしなくても王位を得られただろう、どうして私達をこんな目に遭わせる!?」
「どうして? おかしなことを仰る、父上。俺があなた達が母上を毒殺したことを知らなかったとでも?」
貧しい民から王妃と第二王子のために税金を搾り取り、湯水のように使って贅沢をしていた王は、その首をさらされてその生涯を終えた。
それでもこの国は平和。なぜなら、魔女がいるから。
■
革命が起こったと聞いたのは、年の始めだった。
魔女と呼ばれる彼女は、今日も王子が降りてこない階段を見る。
(もう一年以上、おいでにならない……)
あの日髪に飾ってもらった鈴蘭は、とっくに枯れてしまった。
あの優しい王子はどうしているだろう。母親をなくし、居場所なくしたひとりぼっちの王子様。いつも強がっているが、それは精一杯の虚勢だ。そのくせ誇り高く、涙一つ見せようとしない。
今もどこかで何か無茶をしているのではないかと、心配でたまらなかった。
あの王子様は、こうと決めたら譲らない。かまどとを作った時も、一人でやりきると言って聞かなかった。
(……おかしなことね。あの王子様なら、私を解放してくれるかと思っただけだったのに……)
戒めるように視線を落とす。
もう期待はすまい。千年裏切られ続けているのだから。
でも自分を魔女と忌み嫌わず、地下のこんな場所に通い続け、かまどに火を灯してくれたのは彼だけ。それを思うと、胸がうずく。
「……いけないわ。私は……」
「私は、なんだ?」
こつりと階段から、靴音が聞こえた。はっと顔を上げる。
「王子様……!」
革命だなんだと世情がせわしなかったせいで、地下は以前ほど手入れが行き届いていない。食事こそ途絶えることはなかったが、蝋燭がたった一つしか灯されていなかった。そのせいで王子の足下しか見えない。
でもその足が、一歩一歩近づいてくるのは見える。心弾むはずの光景に、ふと違和感を覚えた。
「父上を処刑した。今日からこの国の王は、俺だ」
笑みを含むような声に、血のにおい。
がしゃんと音がして、鉄格子を王子が握る。いつも絨毯に座っている魔女は、いつの間にかその背を見上げていることに気づいた。
座る自分と鉄格子に立つ彼の目線の高さが同じだったのは、ほんのつい最近のことだった気がするのに。
「……父上を、殺した? あなたが? 何故そんなことを」
「そんなことは大した問題じゃないだろう? 俺が今、この牢を開けられるということが気にならないのか?」
ごくりと、ひそかに喉が鳴った。
この国の王は、先王からこの牢の鍵を継承する。この牢の鍵はその血に宿るまじないだ。同時に、王は真実を知る。
(でもこの王子様なら、私を)
「逃がさない、聖女様」
ほんの少し、わずかにさした希望を、王子が断ち切った。
息を呑んでいる間に、王子が身をかがめ、自分と目線の高さを合わせる。
「英雄王に力を貸し、魔女を打ち倒したあと、女神の化身である君は天に帰るはずだった。だがそれを英雄王が拒み、この檻に閉じ込めた。もちろん、砂漠すら緑の地に変える女神の力を惜しんで」
その顔が、蝋燭の火に照らされる。
黒髪に、黒曜石の瞳。幼さはもうどこにもない、精悍な青年の顔。
「逃れても捕まえられるよう、英雄王はあなたを魔女だと広めた。お優しいことに、君はできたばかりの国を案じてそれを受け入れた。君の力がなくなればこの国の豊かさは失われる。それを畏れて、代々王がこの記憶と一緒に鍵を持ち、君を閉じ込め続けた。それがこの国の真実だ」
鉄格子をつかんだ手を引っ込めようとして、つかまれる。その手が熱い。
ぞっとした。
「は、はなし……!」
「君は俺に名前を教えなかった。それは名前を知られれば、ここに永遠に縛られてしまうと知っているからだったんだな」
責めるような口調に、震える声で反論する。
「あ、あなただって名前を仰らなかったじゃないですか!」
「そうだな。名前を知られたら、鍵を奪われてしまう。だから魔女に名前を名乗らずにいられた王子が、王になれる。君が幼い僕に名前を名乗らせようとしたのは、自由になるためだった。そうだろう?」
自嘲めいた口調と、冷たい瞳。それを負けじとにらみ返す。
そうだ、自分たちはそんな関係。わかっていた。
なのにどうして自分は、この王子がいつか名前を教えてくれるなんて思っていたのだろう。
どうして今更、そんなことが悲しく、悔しいのだろう。
「――私をここから出さないとお決めになったのなら、もう用はないでしょう。帰って下さい!」
「代々の王は馬鹿だと思わないか。鍵などかけずとも、君をここにとどめる方法はある。穢された女神は、もう天に帰れない」
「……どういう……?」
かしゃんと、千年開かなかった牢が開く音がした。
鉄格子が、大人一人が通れる大きさの分だけ、切り取られたように消失する。
鍵があいた。千年、申し訳ないと涙を流しながら、生かしてやるだけありがたいと思えと罵倒しながら、代々の王が決して開かなかった檻が。
信じられない思いでそれを見つめる。
王子が踏み越えたその一歩にわきあがったのは――希望でも喜びでもなく、恐怖だった。
「俺の妻として、生きていけばいい」
あとずさった。逃げなければいけない。もう彼は幼く震える王子ではないのだ。
人間に穢されたら、もう天には戻れない。あの愛も憎しみもない楽園に帰れない。
そう、今なら魔法を使って王子を殺せばいいのだ。そう思うのに、動けない。
「……君を、花畑につれていってやりたかった」
黒い瞳にうつる苦悩に心がしびれて、指一本動かせない。
「でももう、できない……! 君を帰すなんて」
「王子、様……」
「俺を、一人にしないでくれ」
その願いは、女神が叶えてはいけないもの。
女神は誰か一人を愛してはいけない。父親を殺した青年に、祝福を与えることもできない。
可哀想に、この王子様はまたひとりぼっち。
(でも魔女なら、かなえられる)
英雄王に羽根をもがれた時、憐れだと思った。魔女とさげずまれ、利用され、それでも人間を愛する女神だったのに。
(彼を殺せないなら、私は)
ああ、いつから自分は魔女になってしまったのだろう。
顔を覆ってすすり泣く。王子の指が一瞬だけ震えたけれど、それだけだった。
その国には魔女がいる。千年たった今も、王様にとらわれた魔女がいる。
読んでくださって有り難う御座いました。