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第1話 最低な勇者の最期

 勇者レオンが変わったのは、半年前のことだった。


 それまでは、誰よりも優しい男だった。


 魔物に襲われた村があれば真っ先に駆けつけ、報酬を受け取ることさえ嫌がった。怪我人がいれば自分の食事を後回しにしてでも手を貸し、道端で泣いている子供を見つければ、泣き止むまで隣に座っているような男だった。


 剣の腕は確かだったが、それ以上に人柄を慕われていた。 


 そんな男が、ある日を境に別人になった。


「金貨百枚だ。それが払えないなら、俺たちは帰る」


 レオンの言葉に、村長は耳を疑った。


「ひゃ、百枚……でございますか?」


「ああ。魔物の討伐料だ。別に高くはないだろ?」


 村長は困り果てた顔で、背後の村人たちを振り返った。


 小さな農村だった。


 魔物の群れに畑を荒らされ、家畜を奪われ、冬を越すために蓄えていた食料まで失っている。


 金貨百枚など、村の財産をかき集めても到底足りない。


「どうか、もう少しお安くしていただけませんでしょうか。今の我々には、とても……」


「じゃあ諦めるんだな」


 レオンはあっさりと言った。


「魔物に食われるのが嫌なら、金くらい用意しろよ」


「レオン!」


 怒声を上げたのは、仲間の騎士カイルだった。


 大柄な身体に銀の鎧をまとった青年は、レオンの胸ぐらを掴んだ。


「お前、自分が何を言っているのか分かっているのか!」


「分かってるよ。金がなきゃ仕事はしないって話だ」


「この村には子供だっているんだぞ!」


「だから?」


 その一言に、カイルの顔が強張った。


「……お前、本気で言っているのか?」


「何度も言わせんなよ」


 レオンは鬱陶しそうにカイルの手を払いのけた。


「勇者だからって、何でもただでやってもらえると思うなよ」


 村人たちの間に、重苦しい沈黙が落ちた。


 かつて勇者レオンの名は、希望の象徴だった。


 その名を聞くだけで人々は安堵し、子供たちは目を輝かせた。


 だが今、彼らが向ける視線には恐怖と失望しかなかった。


「……もういい」


 カイルが低い声で言った。


「お前がやらないなら、俺がやる」


「勝手にしろ」


 レオンは肩をすくめた。


「ただし、俺の取り分まで勝手に使うなよ」


 カイルは何も答えなかった。


 ただ、かつて親友と呼んだ男を、信じられないものを見るような目で見つめていた。


     ◇


 結局、魔物の討伐は四人で行った。


 レオンは戦闘になると、相変わらず誰よりも強かった。


 先頭に立って魔物を斬り伏せ、群れの長を一撃で仕留めた。


 だが戦いが終わると、彼は真っ先に村長のもとへ向かった。


「さて、約束の報酬は?」


「レオン、いい加減にしてください!」


 治癒術師のミリアが声を上げた。


 小柄で穏やかな少女だった。


 普段は誰に対しても敬語を崩さず、怒ることなど滅多にない。


 そんな彼女が、涙を浮かべていた。


「村の方々がどれほど困っているか、見れば分かるでしょう!」


「だったら、お前が払ってやれば?」


「そういう問題じゃありません!」


「じゃあ、どういう問題だよ」


 ミリアは言葉を詰まらせた。


 レオンは小さく鼻を鳴らすと、村長へ向き直った。


「三日待ってやる。それまでに用意しろ」


 そう言い残し、宿へ向かって歩き出す。


 誰も彼を呼び止めなかった。


 ただ一人、エマを除いて。


「……レオン」


 幼馴染の女剣士が、その背中に声をかけた。


「少し、話せない?」


「何だよ」


「二人で」


 レオンは面倒くさそうに振り返った。


 エマは彼の目を真っ直ぐに見つめていた。


 幼い頃から何度も見てきた瞳だった。


 怒っているときも、悲しいときも、嬉しいときも。


 彼女はいつも、レオンの目を見て話した。


「……分かったよ」


 二人は村外れの丘へ向かった。


     ◇


「覚えてる?」


 丘の上で、エマが口を開いた。


「私たちが村を出た日のこと」


「さあな」


「レオン、言ったよね。困っている人を助けられる勇者になりたいって」


 レオンは答えなかった。


「私は、そんなあなたが好きだった」


 風が吹いた。


 エマの栗色の髪が、静かに揺れる。


「別に、完璧な勇者でいてほしいわけじゃないの。疲れたなら休んでいいし、嫌なことがあったなら話してほしい」


「……」


「でも、今のあなたはおかしいよ」


 エマは一歩近づいた。


「ねえ、何かあったんでしょう?」


「何もねえよ」


「嘘」


「何でそう言い切れるんだ?」


「幼馴染だから」


 迷いのない返答だった。


「あなたが無理して笑ってるときくらい、分かるよ」


 レオンは彼女を見た。


 しばらく、二人の間に沈黙が流れた。


 やがて彼は、呆れたように笑った。


「……買いかぶりすぎだろ」


「レオン?」


「昔は昔だ。いつまでもガキの頃と同じだと思うなよ」


「そんな……」


「俺だって、金も欲しけりゃ楽もしたい。勇者って肩書きがあれば、それなりにいい暮らしができるんだ。利用しない手はないだろ?」


 エマは俯いた。


「……本気なの?」


「何が?」


「それが、今のあなたの本音なの?」


「ああ」


 エマは唇を噛んだ。


 それでも、彼女は首を横に振った。


「……私は、信じない」


 レオンの眉がわずかに動いた。


「あなたがそんな人になったなんて、信じないから」


「勝手にしろよ」


 レオンは背を向けた。


「そのうち嫌でも分かるさ」


     ◇


 それからも、レオンの振る舞いは変わらなかった。


 むしろ、日を追うごとに酷くなっていった。


 宿では一番高い部屋を要求し、仲間には狭い相部屋を押し付けた。


 酒場では酔客と揉め事を起こし、謝罪するどころか相手を挑発した。


 魔物の討伐報酬は当然のように自分のものとし、仲間たちにはわずかな金しか渡さなかった。


 カイルは何度も衝突した。


 ミリアは何度も説得した。


 エマは、そのたびに二人の間に入った。


 最初は、旅の疲れが原因なのだと思っていた。


 次に、何か重大な悩みを抱えているのだと考えた。


 それでも、レオンは何も話さなかった。


 ある日、街道で魔物に襲われた馬車を見つけた。


 馬車の脇には、十歳ほどの少年が倒れていた。


 腹部を深く傷つけられ、意識も朦朧としている。


「ひどい……!」


 ミリアはすぐに駆け寄った。


 治癒魔法を使おうとしたが、直前の戦闘で魔力を消耗していた。


 傷口を塞ぐことはできても、完全に治すには足りない。


「レオンさん、お願いです。少しだけここで休ませてください。魔力が戻れば、きっと助けられます!」


「放っておけ」


 冷たい声だった。


 ミリアは顔を上げた。


「……え?」


「そんな奴に構ってる暇はねえ。先を急ぐぞ」


「でも、この子は……!」


「死ぬなら運が悪かったってことだろ」


 ミリアの表情が凍りついた。


 カイルがレオンへ詰め寄る。


「お前、今何て言った?」


「聞こえなかったのか?」


「ふざけるな!」


 カイルの拳がレオンの頬を打った。


 鈍い音が響く。


 レオンはよろめいたが、反撃しなかった。


 ただ、口元の血を親指で拭った。


「……気が済んだか?」


「お前は……!」


「カイルさん、やめてください!」


 ミリアが二人の間に入った。


 彼女は少年の傷を応急処置し、街道を通りかかった商人に近くの町まで運んでもらえるよう頼んだ。


 商人は快く引き受けた。


 少年を乗せた馬車が走り去る。


 ミリアはレオンを見つめた。


「……昔のレオンさんなら」


 声が震えていた。


「絶対に、あの子を見捨てたりしませんでした」


「そうかもな」


「どうして……どうして、そんなに変わってしまったんですか……?」


 レオンは答えなかった。


 ミリアは涙を拭った。


「私、もう……あなたを信じられません」


 それきり、彼女はレオンに話しかけなくなった。


     ◇


 決定的な出来事が起きたのは、それから数日後だった。


 宿の一室。


 エマは荷物をひっくり返していた。


「……ない」


 鞄の中を探す。


 寝台の下を覗く。


 衣服を一枚ずつ確かめる。


「ない……どうして……」


 彼女が探していたのは、一振りの剣だった。


 幼い頃に亡くした父親の形見。


 長年使い続けてきたため、刃には小さな傷が増えていた。


 それでもエマは、何より大切にしていた。


 旅に出る前、父の墓前で誓ったのだ。


 この剣と一緒に、必ず無事に帰ってくると。


「何探してんだ?」


 扉のところにレオンが立っていた。


「レオン、私の剣知らない?」


「ああ、あれか」


 彼はあっさり答えた。


「売ったぞ」


 エマは動きを止めた。


「……え?」


「古いわりに、結構いい値段になったぜ」


 何を言われたのか、すぐには理解できなかった。


「……冗談、だよね?」


「何で?」


「あれ、お父さんの……」


「知ってるよ」


 レオンは笑った。


「だから何だ? もう死んでるんだろ?」


 乾いた音が響いた。


 エマが、レオンの頬を叩いていた。


 彼女の手が震えていた。


「……最低」


 レオンは何も言わない。


「あなたが……あなたが、そんなことするなんて……!」


「たかが剣一本だろ」


「たかが……?」


 エマの目から涙が溢れた。


「あれが私にとって、どれだけ大切なものだったか……!」


「新しい剣でも買えばいいじゃねえか」


「そういう問題じゃない!」


 エマは叫んだ。


「あなたなら、分かってくれると思ってた!」


 レオンは肩をすくめた。


「残念だったな」


 その一言で、何かが切れた。


 エマは涙を拭うこともせず、彼を睨みつけた。


「……もういい」


 レオンは黙っていた。


「もう、あなたのことなんて信じない」


「そうかよ」


「……大嫌い」


 その声は、ひどく小さかった。


 レオンは笑った。


「今さら気づいたのか?」


 エマは何も言わず、部屋を飛び出した。


     ◇


 翌朝。


 三人はレオンのもとを訪れた。


 カイルが代表して口を開いた。


「俺たちは、ここでお前と別れる」


「へえ」


 レオンは寝台に腰掛けたまま答えた。


「好きにすれば?」


「最後まで、その態度か」


「他に何を期待してんだよ」


 カイルは拳を握りしめた。


「……俺は、お前を親友だと思っていた」


「そいつはどうも」


「背中を預けられる男だと、信じていた」


 レオンは欠伸をした。


「昔の話だろ」


 カイルは目を閉じた。


 そして、静かに告げた。


「……もう二度と、お前と肩を並べて戦うことはない」


 ミリアは俯いたままだった。


「レオンさん……」


「何だよ」


「私、ずっと……何か理由があるんだと思っていました」


「……」


「でも、もう……分からなくなってしまいました」


 彼女は小さく頭を下げた。


「今まで、お世話になりました」


 最後にエマが口を開いた。


「……レオン」


「何だ?」


「本当に、これでいいの?」


 レオンは笑った。


「何が?」


「私たち、ずっと一緒だったじゃない」


「だから?」


「……何でもない」


 エマは首を振った。


「さようなら」


「ああ」


 レオンは手をひらひらと振った。


「せいぜい元気でな」


 三人は部屋を出ていった。


 誰も振り返らなかった。


 それが、勇者レオンと仲間たちの最後の別れとなった。


     ◇


 それから二十三日後。


 王国に、一つの知らせが届いた。


 魔王討伐。


 長年、人類を脅かし続けた魔王が、ついに滅ぼされたのだ。


 知らせを聞いた人々は歓喜した。


 街では鐘が鳴り響き、酒場では見知らぬ者同士が肩を組んだ。


 しかし、その喜びは長く続かなかった。


 続報が届いたからだ。


 魔王城の玉座の間で、勇者レオンの遺体が発見された。


 魔王もまた、聖剣に胸を貫かれて絶命していた。


 激戦の末、勇者と魔王は相打ちになったと判断された。


 レオンの身体には無数の傷が残されていた。


 折れた肋骨。


 裂けた肩。


 深く抉られた脇腹。


 それでも彼は、最後まで剣を握っていたという。


 王国は、レオンを救国の英雄として讃えることを決めた。


 盛大な国葬が執り行われた。


 王都の広場には、数え切れないほどの人々が集まった。


 かつてレオンを罵倒した者も、その死を悼んだ。


 世界を救った勇者。


 その功績だけは、誰にも否定できなかったからだ。


     ◇


「……本当に、死んだんだな」


 葬儀のあと、カイルが呟いた。


 三人は王都の外れにある小さな酒場に集まっていた。


 かつて四人で何度も訪れた店だった。


 テーブルには、酒が四つ並んでいた。


 カイルが無意識に四人分を注文してしまったのだ。


「……馬鹿な奴だ」


 カイルは杯を見つめた。


「一人で魔王城に乗り込むなんてよ」


 ミリアは俯いていた。


「……私たちが、最後まで一緒にいたら……」


「やめろ」


 カイルが遮った。


「あいつが俺たちを追い出したんだ。俺たちのせいじゃない」


「……はい」


 そう答えながらも、ミリアの目には涙が浮かんでいた。


 エマは何も言わなかった。


 ただ、空いた一つの席を見つめていた。


 昔、レオンはいつもそこに座っていた。


 誰よりもよく食べ、誰よりもよく笑った。


 ミリアの料理が焦げれば大袈裟に騒ぎ、カイルが酔えば背負って宿まで運んだ。


 エマが疲れて眠ってしまったときには、自分の上着をそっと掛けてくれた。


 そんな男だった。


 少なくとも、昔は。


「……ねえ」


 エマが口を開いた。


「私、あの人のこと……最後は本当に嫌いだった」


 カイルもミリアも、何も言わなかった。


「でも……」


 エマは唇を噛んだ。


「死んでほしいなんて、一度も思わなかった」


 ぽたり、と涙が落ちた。


「……どうして、死んじゃうのよ」


 返事をする者はいなかった。


 四つ目の杯には、誰も手を伸ばさなかった。


     ◇


 数日後。


 カイルのもとに、一通の手紙が届いた。


 差出人は、以前訪れた小さな農村の村長だった。


 レオンが金貨百枚を要求した、あの村である。


 手紙には、魔王討伐への感謝とともに、奇妙な一文が記されていた。


『勇者レオン様にも、どうか感謝の言葉をお伝えください。あの方のおかげで、私どもは無事に冬を越すことができました』


 カイルは眉をひそめた。


「……何を言ってるんだ?」


 レオンは、あの村から金を奪おうとした男だ。


 感謝されるようなことなど、何一つしていない。


 少なくとも、カイルの知る限りでは。


 彼は手紙を読み返した。


 そして、あることに気づいた。


 村長は、レオンが死んだことをまだ知らないらしい。


 カイルはしばらく考えたあと、手紙を握りしめて立ち上がった。


「……確かめるか」


 それが、すべての真実へとつながる最初の一歩だった。

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