第5話「絡みつく黒波と払いの扇」(前編)
1. 歪んだ気配と、道具の限界
秋が深まり、冷たい風が街を吹き抜ける頃。
千景のもとへ、旧市街の古い木造病院の跡地に関する相談が持ち込まれた。
「解体工事を始めようとした職人たちが、次々と原因不明の体調不良や金縛りに遭っている」
現場へ向かった千景は、解体用の足組みが組まれた暗い病棟の廊下に立っていた。
【独楽】を滑らせると、激しいブレとともに廊下の突き当り——旧小児科病棟を示して止まった。
千景は【龍脈杭】を地面に打ち込み、崩れかけた地場を固定。「ここで向き合おう」と宣言し、神楽鈴を鳴らして童の世界へ足を踏み入れようとした。
しかし——。
――ドサッ……!
神楽鈴を鳴らした瞬間、千景の視界を覆ったのは、これまでの「幼い童の思い出」ではなかった。
病棟の壁や床から、ドロリとした真っ黒な泥のような怨念——長年その土地に積み重なった患者たちの不安、病の苦しみ、残された遺族の負の感情の塊(念)が、津波のように押し寄せてきたのだ。
『痛い……苦しい……来ないで……帰さない……!』
黒い波が、奥に潜む「童の気配」をがんじがらめに縛り上げ、千景の神楽鈴の音をドス黒いノイズで塗りつぶしていく。
千景「くっ……!? 道具で場所を固定しても……童の周りに絡みついた『大人の負の念』が厚すぎて、声を聞くどころじゃない……!」
童自身が害意を持っているわけではない。長年の放置によって、周りの負の感情が泥のように絡みつき、童を「歪んだ怪異」へと変貌させていたのだ。
対話すら拒む黒い波に押され、千景は龍脈杭を引き抜いて撤退を余儀なくされた。
2. 念をほどく【扇】
本家の奥の間。
泥のような念の気配を払えずに衰弱した千景に、おばばが渡したのは、竹の骨に分厚い和紙が張られた、古びた【扇】だった。
千景「おばば……あそこには、童だけじゃない『たくさんの人の苦しみ』が絡みついていました。鈴の音も、届かなくて……」
おばば「そうじゃな。長年放置された土地には、童の心だけでなく、大人の怨念や未練が泥のように付着する。童自身もその毒に呑まれ、本来の姿を失ってしまうのじゃ」
おばばは千景の手の中に扇を乗せた。
おばば「【扇】じゃ。これは敵を攻撃して滅ぼす刃ではない。童に絡みついた不要な念、土地の念を『ほどき、払い清める』ための道具じゃ」
千景「絡まったものを……ほどく……」
おばば「そうじゃ。童を包む黒い泥を扇で優しく払い落としてやらねば、どれだけ神楽鈴を鳴らしても、その子の本当の声には辿り着けんよ」
3. 複合的な現場対応へ
千景は扇を握りしめ、深く頷いた。
独楽で、居場所を読む。
龍脈杭で、現場を繋ぎ止める。
でんでんで、警戒を解く。
扇で、絡みついた念をほどく。
そして、神楽鈴で対話する。
扱う道具が増えるということは、それだけ「複雑で傷の深い案件」と向き合う責任が生じるということだ。
千景「行ってきます、おばば。あの子を……あの黒い泥から助け出さなきゃ」
道具を揃えた千景の前に立ちはだかる、初めての「歪んだ童」。
千景はすべての道具をバッグに詰め込み、再び解体途中の病棟へと向かうのだった。
(第5話・前編 完)




