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第10話「手帳の余白と古い記憶」(後編)

1. 土地の歴史と、一つの答え


役場の地下文書庫。

埃の匂いが立ち込める空間で、千景は古い地域誌をさらに読み進めていた。


昭和10年代の大雨による土砂崩れ。

山間で事故に遭った幼い兄妹のうち、兄は無事に救出されたが、妹は流された泥に巻き込まれ、そのまま帰らぬ人となったと記されていた。


(お兄ちゃんは生きていた……。でも、妹ちゃんはずっとあそこで、お兄ちゃんが迎えに来てくれるのを待ち続けていたんだ)


千景は手帳を開き、前編で書き留めた「からからという音」「石を打ち合わせる動作」の横にペンで線を引いた。


『石を鳴らしていたのは、土砂崩れの直前、兄と二人で河原で遊んでいた時の合図。お兄ちゃんに自分の居場所を教えるための音』


道具の反応や現場の状況だけに頼るのではなく、土地の過去と事実を手帳に集約していく。

千景の中で、絡み合っていた糸が一つに解けていった。


千景「(待たせてごめんね。もう、ちゃんとお兄ちゃんの想いを持っていくから)」


2. 届く呼びかけ


その日の夕刻。

千景は再び、鎮守の森の崩れかけた石社へと向かった。


【独楽】を滑らせて軸のブレから支点を見極め、【龍脈杭】を地面に深く打ち込む。


「ここで向き合おう!」


――ゴンッ……!


地場が静まり返ると同時に、千景は【でんでん】を鳴らし、神楽鈴を手にして境界の奥へと踏み込んだ。


――チリン、チリン。


昭和初期の静寂が広がる空間の隅で、膝を抱えた少女の影が、再び手の中の石を「からから」と鳴らし始める。

少女は千景を見ようともせず、寂しげに呟いた。


少女の影『お兄ちゃん……遅いよ……。からからって鳴らしたら、すぐ見つけてくれるって言ったのに……』


千景は近づき、前編のように焦って鈴を鳴らすことはしなかった。

ゆっくりと膝をつき、少女の目線に合わせると、手帳を開いて静かに語りかけた。


千景「遅くなってごめんね。お兄ちゃんね……あの日、あなたを助けようとして、ずっと探していたんだよ」


少女の影がピクリと反応し、石を打つ手を止めた。


千景「お兄ちゃんは大きくなって、おじいちゃんになってもね、あの河原で拾ったきれいな石をずっと大切に持っていたの。地域誌に写真が残っていたよ。『妹に渡せなかった宝ものだ』って……」


千景は文書庫で見つけた古い写真を思い浮かべながら、優しく言葉を重ねた。

少女が待ち望んでいたのは、千景という異物ではなく、「お兄ちゃんが自分を忘れていなかった」という確証だったのだ。


3. 記録から繋がる昇華


少女の目から、大きな涙の粒がこぼれ落ちた。


少女の影『ほんとう……? お兄ちゃん、私のこと……忘れてなかった……?』


千景「うん。忘れられるわけないよ。ずっと、あなたのことを想ってた」


千景はそっと神楽鈴を振り鳴らした。


――チリン、チリン……。


今度は鈴の音が、弾き返されることなく少女の心へと真っ直ぐ届いていく。

少女が握りしめていた二つの石が柔らかい光を放ち、手の中で可憐な花びらのように解けていった。


少女の影『よかった……。お兄ちゃん、待っててくれて、ありがとう……』


少女は千景に向かって小さくお辞儀をすると、その影は温かなオレンジ色の光となって、鎮守の森の木々の上へと安らかに昇っていった。


社殿の周囲を覆っていた薄暗い気配は消え去り、静かな冬の風だけが吹き抜けていく。


4. 手帳に刻まれる「完成」


現世に戻った千景は、龍脈杭を引き抜き、ゆっくりと息を吐いた。


ポケットから黒い手帳とペンを取り出し、ページを開く。


『鎮守の森の石社。昭和初期の土砂崩れによる兄妹の未練。

道具(独楽・杭・でんでん・鈴)の連携に加え、地域誌の記録による歴史探訪を経て昇華。

……完了』


千景はパタンと手帳を閉じた。


自分が忘れていく記憶の穴を埋めるために使い始めた手帳。

だが今、その手帳は「土地と人の記憶を過去から掘り起こし、童の真実へ辿り着くための、童帰り師としての重要な仕事道具」へと進化していた。


千景は手帳を愛おしそうに鞄へ収めると、役場への帰り道を歩き出した。


(戦うためでも、ただ道具を使うだけでもない。私は、この土地の記憶を記録し、受け止めていくんだ)


童帰り師としての責任を背負い、自分の仕事の形を確立させた遠野千景。

彼女の足取りは、かつてないほど力強く、揺るぎないものとなっていた。


(第10話・後編 完)

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