第25話 脱出と解放前夜(by 霧島 瑠香)
「——さん。——霧島さん!」
その声と私を揺する振動で目が覚める。
「良かった!霧島さん!」
抱き着いて、私の胸へ顔を埋めて来る小鳥遊さん。
天井はここ3ヶ月、嫌と言う程見続けた資料室の物。
——私は私と、泣きついて来る小鳥遊さんが落ち着ける為、その背中を撫でながら、思考を回す。
(あれは夢――?)
或いは魔力やストレスによる精神異常か。
分からない。分からないが――。
「——ご心配おかけして申し訳ありませんが。今は時間がありません」
外の騒めきから察するに、まだ事は収まっていない筈だ。
小窓から零れる月明かりで、未だ真夜中にある事も分かる。
少なくとも、もう一度再挑戦する時間ぐらいは残って居そうだった。
私は少し落ち着き始めた小鳥遊さんの肩を両腕で支えて引き離し、そのグチャグチャな顔を見る。
「予定通り私達は、この混乱に乗じて校舎から抜け出さないといけませんから」
ここまでは既定路線だ。
しかし、問題は抜け出した後。
このキャンパスから脱出しようとしている集団に合流しなければいけないと言う予言。
これは違う。本当は私達だけで個別に逃げる筈だった。
当然だ。集団は大きくなれば大きくなる程、人間トラブルが多くなるし、逃げ足も遅く、魔物に目を付けられる可能性も高くなるのだから。
――しかし、そうしなければいけないと言う確信があった。
そう。私はあの現象を自身のスキルに依るものだと結論付けたのだ。
——しかし、その事は小鳥遊さんには黙って置く。
それに、私自身、まだ完全に信じ切れた訳では無いし、説明が出来ない以上、彼女に話した所で混乱を生むだけだからだ。
「——これで顔を拭いて下さい」
私は掻っ攫って来た内の一枚の、綺麗なハンカチを彼女に渡す。
「あり、がと――」
受け取ったハンカチでそのグチャグチャな顔を拭き、鼻をかむ小鳥遊さん。
「——もう一度準備が出来たら行きましょうか」
「はい――」
彼女は私が倒れた原因を深くは聞いてこなかった。
彼女自身、私が原因を理解しているか、或いは説明できない物だと判断したのかもしれない。
そうして彼女の準備が整うのを待ちつつ。
私は予言を基に脱出経路を見直す。
「——準備、出来ました」
まだ目元は赤いままだったが。表情を整え直した彼女が呟く。
「では、改めて向かいましょうか」
「待ってください!私が――!私が、開けます」
そう言って前へ割り込んで来て、扉の隙間から向こうの様子を窺いながら、ゆっくりと開けて先に外へと出てくれる小鳥遊さん。
「——大丈夫です」
「ありがとうございます」
私はその気遣いに感謝して、部屋を出るが、やはりここから先は、"勘"の利く私が先を行かなければならない。
申し訳なさそうな。心配そうな顔をする小鳥遊さんの頭に手を置いて、笑顔で宥めつつ。脇を通り抜けて、自然な足取りで先頭へと立つ私。
「——それじゃぁ、しっかりとついて来て下さいね?」
「……はい」
申し訳なさそうに。しかし、覚悟を決め直したのか真剣に呟く彼女。
そんな彼女を見て、私も気を張り直す。
「——こっちです」
この辺りは窓に面した廊下が続く為、特に魔物達の襲撃が多く。
今も窓が割られたままになっており、何処から襲われるか分からない為、殆ど人が寄り付く事は無いが。
特に今は脱走者の後を追って人が出ているのか、道が選びたい放題だった。
「——人が来ます」
しかし、それも下層付近に辿り着くまでで。
「ここからはこのロープで行きます」
「はい」
私は目星をつけていたポイントに持って来ていたロープを結び。窓の外にいつも通り人の目が無い事を確認してから垂らして行く。
遠くでは騒がしい声と怒気と悪意に満ちた魔力が発せられていた。
——尤も、予言によれば、私たちが向かおうとする方向には“都合良く”人足が遠のき、最悪視界に捉えられたとしても“たまたま”“運良く”相手は此方の存在に気付かずに、通り過ぎて行く筈なのだが。
それを実際に試すのは流石にリスクが大き過ぎた。
「先に降ります。最悪飛び降りても受け止めますから、緊急時は遠慮しないで下さい」
「はい」
実際そうできる程に私の身体能力は上がっていたし。
これも打ち合わせ済みの、最終確認に過ぎない声掛けだった。
「——行きましょうか」
「はい」
無事に地上へ降りた私達は建物の影や暗闇を利用し、敷地内を進む。
私は兎も角、小鳥遊さんに至っては数カ月ぶりの土の感触だろう。
——まぁ、そんな事、気にして居る余裕も無いだろうが。
ここからは死角も限られ、塀と言うには高すぎる壁の外に出る経路も限られてくる。
学生達の楽園が学生達にとっての地獄となり、私達を守ってくれていた壁が障害となる日が来るのだから、皮肉には一生困らない世界になったものだ。と自嘲気味に笑う。
——さて、ここからが本番――。と言うか、先程の予言が確かな物なのか、確かめられる段階に入った。
これから行こうとしている地点の途中。
壁沿いに行けば、その壁が脱走者の能力によって壊されている筈なのだ。
勿論、壁近くに生えた木を利用すると言う、別の脱出手段も用意してあったが。そこまで行く間に壊れている壁が発見できたなら、そこを通るに越した事はなかった。
そして、壁の破壊が確かな物なら、その先で休んでいるであろう避難者の集団に合流する。
小鳥遊さんに伝えれば反対するかもしれないが、これは私の中で決定事項だった。
「——壊れてるわね」
そして案の定破壊されていた壁。その向こうからは、校舎の上階から見下ろす事しか無かった、破壊され尽くした住宅街が。現実が。等身大のまま、いつも通りの日常を映す目線で覗いていて。
——怒号にも似た混乱が広がるキャンパス内を背後に。
悲しい程に綺麗な満月だけが照らす、全てが死に絶えた様な静寂が包む、静かな夜。
全てが予言通りだった。
「…………」
辺りに気配がない事を確認して、隠れて移動していた物陰から、姿を見せる。
幾ら建物の影になっていて、門前で怪物が暴れていたとしても。こう言った怪しげな場所に、これだけ大きな穴をぶち開けておいて、逃亡者を探している連中の目に触れていないのは、幸運にしたって可笑しな話なのだが。
「——予言ですか?」
「そうよ。さっき私が倒れたのはその予言が急に頭に走ったせい」
「なるほど――」
「——私は予言に沿って、この先に居る避難民の集団に合流しようと思うのですが、貴方はどうしますか?」
「——霧島さんがそうするのであれば、ついて行きます」
「——ありがと」
私は胸を撫で下ろす様に呟いて気付く。
どうやら彼女の存在は、そこに居てくれるだけで私の心を支えてくれる様なモノになっていたらしい。
「道中は魔物と追手に注意して――。と言っても、予言通りなら、集団に合流するまで、その手の相手には雑魚以外に出会わない筈だけど……。
どちらかと言えば崩れる足場や、足元で突き出てる鉄筋、倒れて来る建物に警戒した方が良いかもしれないわ」
「分かりました。足元に気を付けつつ、家屋には近寄らないようにします」
「そうね。そう言う方針で宜しくね」
そうして歩き始めた、見慣れた筈の、見慣れない住宅街。
この調子じゃ、私の借りていたおんぼろアパートなど跡形も無さそうだ。
「っと、気を付けて。そこ、一見普通の道路に見えるけど、下の土が破裂した水道管の水で流されて、抉れてるわ」
「それも予言ですか?」
「それは――、感覚が研ぎ澄まされたせい――?それとも第六感かしら――?いや、スキルのせいかも――?
正直その辺り良く分からないのよね。ただ、私にはそう“見える”わ」
「なるほど」
「それに貴方だって、この暗闇の中、月明かりだけで問題無く動ける様になっているじゃない」
「確かに。言われてみればそうですね――。なるほど、これが新人類の可能性と言う訳ですか――」
等と、適当な会話を交わしつつ、私達は足を進め——————。
「——このゴキブリも魔物なんですかね?」
襲って来たのを返り討ちにした、人ほどのサイズの大ゴキブリを観察しながら呟く小鳥遊さん。
因みに襲われて、咄嗟に倒した私は、それでも直視しない様に距離を取っている。
「そうね。まぁ、大きさは兎も角、原形は保っているし、新人類と同じ枠組みなのかも」
「新ゴキブリ種って事ですか?」
「——言って見ただけよ。それに、何か種って言われると、そこかしこで繁殖して居そうで嫌だわ」
「そうですか――?こんなに美味しそ――。あれ――?ちょっと待ってください。私今何て言いそうになりました――?」
「そう言うのが好きなのかとばかり――。違うの?」
「いえ。ゴキブリなんかは嫌いだったはずですが――。何故でしょう。今は普通に良い食材にしか見えません。それに、この良く発達した顎――。今のナイフよりも切れ味も魔力の通りも良さそう――」
そう言って、まじまじとひっくり返ったゴキブリを見詰める小鳥遊さん。
「…………」
結局彼女はその牙を引き抜いて、布で包んで鞄へしまっていた。
――残りの残骸がどうなったのか、私は確認して居ないが、きっとその場に置いて来てくれている筈なので何の心配も無い――。……無い筈だ。
——————。
「キャンパスの外は大物が多くて食い出がありますね」
そう言って何回目かの襲撃者。今回は大ネズミを撃破して。
「それにしても、同じ様な種類で大きさに見えても、力とか速度とか、全然違いますね――。美味しそうに感じる部位や、美味しさの量――?も違いますし」
そう言って、血に濡れながら、淡々と肉を解体して行く小鳥遊さん。
「その美味しさって言うのは、多分、私の感じている魔力濃度と似たような物なのでしょうね」
「かも知れないですね――。この能力を極めて行けば、霧島さん見たく、察知能力とかも付くんですかね――?」
「どうでしょう――。ただ、予言?によると、その人の得意を突き詰めて行った方が良い様な事を言われた気がします。
——ただ、突き詰めていっても、魂の格が上がれば、ある程度は最低の能力値も自動で上がって行く様なので、その内、私と同じ様な事は出来る様になるとは思いますよ」
「なるほど――。色々出来る様に成るのは難しいんですね」
「難しいと言うか、無駄にリソースを割いてしまって――。ゲームで言う所の、全部のステータスに1ずつ振って行ったら、何でもできるけど、同レベル帯のモンスターにも苦戦して、貰える経験値が増えなくなって行って、他の特化した仲間達に置いて行かれる感覚ですかね?」
と、例えて置いて、今更になって、小鳥遊さんにゲームの話題が通じるのか不安になる。
「あ~。なるほど。何となく分かる気がします。
RPGでたまにいますよね、そう言うキャラ。
最初は回復に攻撃と重宝しますけど、結局特化したキャラが途中から現れ始めて、そっちの方が使い勝手良くて、段々とメインパーティーから省かれて行って。
控えでレベルも上がらないので、そのまま最終ボスまで宿屋とかで待機して居るだけの悲しい存在と成り果てちゃうキャラ」
「そ、そんな感じです」
思っていた以上にちゃんと伝わってホッとする。
今まではあまり深い会話をしてこなかったが、これからはこういう話題を振って行くのも良いのかもしれないと思ったり、思わなかったり。
——もしかして、こういうのが友達と言うのだろうか。
(友達——)
ふひひっ。なんだかむず痒い響きだ。
でも、悪くない。——勿論拒否されたり否定されたら悲しいので口には出さないが。
——————。
「——集団への近付き方なのですが」
「予言によれば、何食わぬ顔で入って行けば誰も気付かない筈よ。
全員が全員、私たちの存在を見ても、初めからいたかも?とか、誰かが呼んだんだろう。位にしか考えないみたい」
「なるほど。それは“都合が良い”ですね」
「えぇ。気味が悪いくらいにね——。
もし、上手く合流できたら、出来るだけ目立たない様に、世界がこうなる以前の私達を装って、お互いに距離をとりましょう」
とそこで彼女の表情が曇る。
「——それに最悪止められたとしても、ここ三ヶ月間、私達の存在はキャンパス内で確認されていない筈だから、あの騒動の直後に外へ逃げ出して、今まで住宅街で暮らしていた第三勢力としての接触も可能な筈だし——」
話題を変えて反応を探りつつ。
「尤も、その場合は予言の信憑性が薄れたって事になるから、言葉だけ交わして集団には合流しないつもりだけど——。
その時は暫く二人で生き延びる事になりそうだから、宜しくね?」
「はいっ!」
そうならない予感はしていても、結局は彼女の望みそうな言葉で機嫌を取ってしまう自分に、ちょっと嫌悪感。
人間関係と呼ぶには単純すぎる。彼女と私、たった二人だけの関係性を維持するだけでこれだけ疲弊してしまうのだから、私が常人並みの社会人生活を送れる様になるのは、もっと先の話らしい。
——尤も、私達の知る社会はもう残ってはいないのだけれど。
それでも、新しく形成される社会に於いても、社会性が一種の“力”となるのは事実だろう。
そんな物を気にしなくて良いのは。
他者の振るう力に怯えなくて良いのは、過去も未来も、圧倒的強者だけだ。
——そして、明朝。予言通りに行けば私はその強者と相見え、正式にその庇護下へと身を落とす事となる。
強く、優しく、私の全ての不安を。最悪の未来を消し去ってくれる存在。
私が望む態度さえ見せれば、それを口実に、小鳥遊さんでさえ、簡単に庇護下に置いてくれるであろう、私にも、友好的な新人類にも甘々な存在。
そんな存在に求められ、庇護下に置かれ、支配されると考えただけで——。
(ふへへっ……)
後ろを歩く小鳥遊さんに表情を悟らせない様にするので、精一杯だった。




