第1話 白原家(by 白原 守)
清原市
それが俺、高卒、無職20歳。白原 守 が住んでいる土地の名前だった。
背には切り立った崖も多い、鬼頭山が聳え立ち。
山から溢れだす湧水で出来た 清水川と、その土砂が作りだした肥沃な平野が農業生産を支えている片田舎。
——と言うのは、田園風景広がる山側だけの話で。
俺の住んでいる住宅街。清原駅に比較的近い地域は、大地主である清原家の力もあり、大いに発展していた。
まぁ、見る人によっては、田舎にしては、と言う但し書きが付く程度ではあるかもしれないが。
それでも、住宅街を抜け、駅を越えれば、そこにはオフィス街が広がっているし、駅を中心に住宅街とオフィス街とを繋ぐ清原商店街は大学を含む学区の影響もあり盛況だ。
住宅街を抜けて山側に進めば田園風景も見えて来るが、こちらもこちらで学区――清原グループ傘下の大学や高校、地域ボランティアや活動体験レベルでは小中から保育園まで連携して、こちらはこちらで盛り上がっている。
当然そう言った商品や盛り上がりは商店街等にも流れる訳で。
そこも含めて、オフィス街までを上手く回すのが、農学から経済学部までを持つ、清原大学の実習らしい。
そんな地元住民なら、学力が足りている限り絶対に通うであろう清原大学に俺が通わなかったのは、早く社会に出たかったからだ。
社会に出れば変わると思った。
こんな俺でも、働いて居れば受け入れて貰えると思っていた。
——でも、そうじゃなかった。
俺は、曲がった事が嫌いだった。
今ならそれが偽善だと言う事も、現実も、周りの迷惑も顧みず、正義感を振り回すだけのガキの様な行動だった事も分かる。
人間は社会性の動物だ。まして俺は何の力も持たない一般人。更に当時で言えば自分の尻も拭けないガキだった。——いや、それは今も同じか。
兎も角、俺は事ある毎に、その正義感を振り回して周りと衝突した。
幼稚園保育園では先生が間に入って許された。
小学校では誰も間に入ってくれなくて浮いた。
中学生でも、派閥や、いじめに介入したりして完全にこけた。
高校では流石に学んで――それでも苛立ちが抑えられなくて、汚い所が見えない様に、皆と距離を置いて、勉学に励んだ。
それでも勿論、過去の事で突っかかられたり、嫌でも教室などでそう言う事が目に入ってしまう事はあったが。最小限の介入で我慢した。我慢できるレベルの介入で我慢した。
学校は苦しかった。小中高と面子も大して変わらない。環境が変わらない。
大学に上がっても、それは同じだろうと思った。
だったら一層の事、社会に出てしまおうと考えた。
社会に出れば、働けば、居場所を変えれば、こんな俺でも欲してくれる会社が、受け入れてくれる居場所が場所があるのではないか。そう考えていた。
——あると思うか?気に入らない事を見て癇癪を起すような、こんな社会性以前の問題を抱える、ガキの様な人間を受け入れてくれる場所が。
結果は火を見るより明らかだった。
俺は不正を前に、社内虐めを前に、腐った上司や、押しの弱い同僚に仕事を押し付けてサボっている社員を見て、問題を起こしそうになった。
起こす前に、こんな問題児な俺をいつも庇ってくれる母さん達の事を思い出して、これ以上迷惑を掛けられないと思って辞めた。
——いや。それすらも逃げる為の口実だったんだろう。なんせ、俺は今、こうやって、無職として両親に迷惑を掛け続けているんだから。
次を探してすらいない。完全に糸が切れてしまった。
それが俺が俺に用意した、あまりにも雑な言い訳だった。
病院にも行った。鬱と人間不信から来る対人恐怖症だと言われた。
だから何だ?働かなければ、金が無ければ、人に認めて貰わなければ人は社会で生きて行けない。
両親に迷惑を掛けたくない。なのに働けない。じゃあどうする?
一人暮らしでもして、無理なら生活保護の申請でもしてみたらどうだ?
何故生活保護を拒む?社会に迷惑を掛けるから?じゃぁ両親になら掛け続けても良いのか?
それに、生活保護は税金だ。俺達が保険として払った税金を、保険が必要になった時に請求するだけの話だ。それを拒むべき理由はなハズだ。
それもしない。今更プライドが邪魔をしている。
生活保護を貰った時の世間体を気にしてる。今更、保つだけの世間体なんて無い癖に。
俺は俺を守る為に必死だ。
百万の俺の行動を肯定する言葉が湧いて出て来て、それを正義漢の俺が潰して行く。
無限に続く自分との殺し合い。頭が可笑しくなりそうだった。
それでも家の手伝いだけはした。
買い物も行ったし、料理だって、洗濯物だって、ゴミ出しだってなんでもした。
家族の空気が悪くならない様に、全力で平静も装った。
母さんが「そんなに気にしなくて良いのよ?なんせ私、専業主婦だし!」と、何処かズレているながらも、明るく朗らかで、こちらを元気付けようと、優しい声を掛けてくれる。
そんな母さんは人の少ない漁村で育ったせいか少し天然が入っていて。
天然で、優しく、明るく、朗らかで。
父さんはそんな母さんと職場である市役所で出会い、熾烈な男同士の争奪戦の末、見事に母のハートを勝ち取ったんだと。学校でも社会でも上手く行かず燻っている俺の気を紛らわせる様に、下らなく笑える様なのろけ話を何度も聞かせてくれた。
父さんは初め、年齢に見合わずの恋に燃え。燃えた上で、アタックしていた本人でも引かれるんじゃないかと思うぐらいのアタックを玉砕覚悟で続けていたそうなのだが、鈍感な母にはそれぐらいが丁度良かったらしく。
特にその中でも、二人きりの夜の食事の後に、膝を付いて赤いバラの花束を渡した際の「わぁ、うれしいわ!」からの、次の日からも職場で何事も無かったかの様に接してくる母さんの話には俺も笑わされた。
なんでも母さんは、本当にただの、仲の良い友人からの贈り物だと思っていたそうで。父さんを除く他の男達が撃沈した理由も分かった気がした。
それで俺が生まれたって訳。
「ふっ」
久しぶりに笑った気がする。
気分が良い。これが寛解ってやつかもしれない。
恐怖と怠惰と言い訳に塗れた体も今なら動かせそうだ。
なら今の内に、計画とも言えない杜撰な作戦を実行に移そう。
名付けて、死んだ後の事なんて知ったこっちゃ無い作戦。
人の目が怖い。人の悪意が怖い。何よりも大切な自分の心が傷付けられるのが怖い。
人と関われない。働けない。生活保護なども他人の目が気になって申請出来ない。俺の事なんて、誰も見て無いって分かってるのに。
でも、このまま両親に迷惑をかけ続けるのは嫌だ。それは両親の為なんかじゃない。自分で自分の心をこれ以上傷付けるのに耐えられないだけだ。
だから今日、俺は死ぬ。
あの鬼頭山の中ならバレずに死ぬにはもってこいだろう。
遺書代わりに、外で、誰も俺を知らない地で生きて行きたい旨の内容の手紙を残して。そこに、便りが無いのは元気な印的な一文を添えて。
それっぽく、数日生きられそうな缶詰か何かを、母さんたちに分かる様に台所からかっぱらって、服なども含めて、大きなボストンバックに詰めて持ち出して。
意地でも生きて行くぞと言う気概を演出して。
これなら、もしかすれば、両親も本当に何処かで俺が生きているって、思ってくれるかもしれない。
普段、俺は表面上、両親の心労も考えて、深刻そうな雰囲気は出していないし。本当に心機一転、旅立ったと思ってくれるかもしれない。
「ま、旅立つには変わりないか」
我ながら中々の皮肉に、嘲笑が零れる。
気付かれても気付かれなくても、両親の心には傷を残してしまうだろう。
でも、そんなのは今更だ。結局俺は俺の心を守りたいだけ。
あれだけ振り翳していた正義感も、自分の中の価値観を否定する人間を攻撃して、自身の可愛い可愛い心を必死に守っていただけ。
寛解かどうかは分からないが、今の浮ついた気持ちなら、両親共、俺の旅立つ先には気付かず、何処かで楽しくやっていると、居なくなった俺の話を笑顔でしていてくれるんじゃないかと言う、都合の良い妄想まで浮かんでくる。
そう。都合の良い妄想だ。俺はそうやって、自分の心を守る為に何時だって現実と向き合う事から逃げて来た。
だったら最後まで逃げ切ってやろうじゃないか。
決行は今夜。
二人も、住宅街も寝静まった深夜。
鍵は持って行かない。死んだ後に誰かに拾われて身元を特定されたり、悪用されたら、二人に申し訳が立たないからだ。
一応、外からドアガードを出来る様、紐などの道具も持って出るし、この町の治安なら問題無いとは思うので、翌朝まで鍵が開けっ放しになってしまうのは見逃して欲しい。
「今夜か――」
長かった。本当に長かった。でも、本当に今日で。今夜で終わりだ。
良い思い出ばかりでは無いが、それでも両親と暮らしたこれまでの思い出はとても温かいもので。
その分、それを裏切るのかと思うと胸が苦しくなって。
そして、何を今更と、何度目かも分からない開き直りをする。
そうやって感慨に浸っていると。
グルルルルルルゥ!
グギャギャギャギャギャッ!!
ダン!
パリン!
俺の部屋。二階の窓の外。休日の閑静な住宅街に似つかわしくない騒音が響き渡る。
キャァァ!
誰かっ!
何よこれっ!
それは人の叫び声を生んでさらに広がって行き。
「ッ!!」
窓に近づく前に、ガラス戸に何かが突っ込んできた。
「……カラスか?」
黒い鳥の様なモノは相当な速度で突っ込んで来たのか、金属メッシュの入ったガラス窓に張り付いてピクリとも動かず。
次第に重力に引かれ、窓ガラスに血糊をべったりと付けながら、下へと滑り落ちて行く。
ドタドタドタ!
階段を誰かが駆け上る音。
「ねぇ!守!起きてる?!」
いつも穏やかな母さんが血相を変え、扉もノックせずに飛び込んで来て。
それだけで異常を察するには十分だった。
「外が大変な事にっ!」
パリン!!
一階からだった。
「ウォォォッ!」
父さんの声。
「アナタッ!」
何が起きているのかは分からない。
分からないが、ただ事では無い事も、ガラスを割る様な侵入者が一階に要る事も察せた。
母さんが父さんを心配して焦っている事も理解出来た。
咄嗟に伸ばした手が、まだスカスカなボストンバックに触れる。
悩んでいる暇は無い。その中に筋トレ用のダンベルを突っ込んで。
「ごめん!母さん!ちょっとどいてっ!」
母さんと扉との隙間を摺り抜けて一階へと駆け下りる。
「父さん!」
「守?!」
ガラスの割れたリビング。
そこには咄嗟に近くにあった大きめのお盆を手に取ったのであろう父と、オオカミの様な獣が対峙していた。




