⑧ 日記の続き
その後は、車輪の無い不思議な乗り物に乗せられて、我々は光り輝く街の、クリスタルで出来た城に案内された。
城内の部屋も美しい色に満ちて輝いていた。
我々はそこで"マスター・ウアジェト"と呼ばれる人物に出会った。
マスターは私にこう言った。
「少将の事は、今まで陰ながら見守って来ました。ですから我々は、貴方が真っ直ぐな気持ちを持った、良い人物である事を知っています。」
やはりそれは、北欧訛りの英語だった。
「我々は今まで地上の出来事には、極力干渉しないようにして来ました。しかし遂に貴方たちは、一線を越えてしまいましたね。」
「何の事でしょうか?」
「広島と長崎に落とした原爆の件です。」
私は二の句が継げなかった。
「アレは、ニンゲンが扱うべきではないチカラです。少なくとも、あの使い方は良くありません。我々は、貴方たちの中の権力者に当たる者に、接触をし、説得を試みて来ました。」
「……。」
「しかし、残念ながら状況は悪化するばかりです。核兵器の開発をやめるどころか、今や世界中に広まりつつあります。この先であなた方を待つ未来は、第二次世界大戦よりも、遥かに悲惨なものになるでしょう。」
私には、返す言葉も無かった。
「……ですから貴方を通じて、再び権力者に……ルーズベルトからバトンを渡されたトルーマンに、伝えて欲しいのです。核兵器の開発をやめるようにと。」
それを伝えるために、マスターは私を、地下世界に招待したのだと言っていた。
話が終ると、我々は元の機体に帰され、そのまままた、不思議なチカラによって、上空に戻されたのである。
後は無事に、ベースキャンプまで戻る事が出来た。
本国に帰ると、私はすぐに、この体験を大統領に報告したが、7時間後に彼から出され出され解答は、全ての記録は部外秘とし、この件に関しては、今後一切他言無用との事だった。
私は愛国者である。
例え少将と言えども、国家に遣える一平卒に過ぎない。
だからそのまま、貝のように口をつぐむ事とした。
しかし、今になって思う。
黙って居たのは間違いだったと。
だからこの日記に、あの日の事を記しておこう。
1957年3月10日
リチャード・イヴリン・バード海軍少将
因みに、この日記は、彼の死後30年近くたってから、1996年に見つかったそうである。




