高貴4
千秋から返事が来た。
「海の件ですが、やっぱり私は行けません。
せっかく誘ってくれたのに、ごめんなさい。」
朝から何度見たかわからない。ため息をついて携帯を閉じる。
隣の席に座っている笹山と目が合った。お互い何も言わない。
今日は、実行委員全体の打ち合わせだ。夏祭りは明日に迫っている。壇上では、やけに張り切った中山が明日の最終的な役割について各担当に確認を取っている。
俺はそれどころじゃないんだけど。
千秋からは朝、登校前に返事が来た。
なんだか嫌な予感はしていたんだ。昨日、やっぱりあいつらを店に来させるんじゃなかった。でも、いきなり断ってくるって、意味がわからねえ。
登校して、千秋の教室に行ってみた。千秋はいなかった。
休み時間も移動教室のついでに寄ってみた。やっぱりいなかった。
たぶん、避けられてる。
また、ため息をついた。なんとなく、隣の笹山に眼をやる。笹山は窓の外を見ていた。
と思ったらこちらを振り返る。
「おまえ、俺の話聞いてた?」
なんだよ。こいつの会話のペースは独特で、たまに唐突なことがある。
「話って、千秋のこと?」
でも、わかってしまうんだな。まあ、こいつと会話らしい会話をしたのって、実行委員の仕事以外では千秋のことくらいだから、わからないほうがおかしいけど。
「そう。お前、あれ、いいの?」
そう言って、窓の外を指差す。
ーー千秋だ。
図書館の裏は非常階段の陰になっていて、周りからは死角だと思われている。でも、西校舎の一番端のこの教室の後ろのほうの席からは見えてしまうって言うのは、生徒会や実行委員関係者の中では結構有名な話だ。
そこに今、千秋が座っている。
ーー泣いてる。
慌てた。何で泣いてるんだ?そうだ、電話。
携帯を持ち直す……と、千秋の横からすっと手が伸びてきた。
階段の影に誰かいる。
直感でわかった。田中だ。
千秋にハンカチを渡している。
嫌な汗が流れる。力が抜けた。携帯が、音を立てて床に落ちる。
半分呆然としながら、携帯をひろう。
ガツン!!
「いってえ……」
罪の無い机を睨みつつ、顔を上げると、教室中が俺を見ていた。
「崎山君?」
中山の声が、今の場面を頭によみがえらせる。
気がついたら立ち上がっていた。
「悪い。ちょっと抜ける」
「え? 抜けるって……。ちょっと、崎山君!」
中山が壇上から慌てて声をかけたけど、無視して教室を出る。廊下に出る瞬間に笹山の顔が目に入った。なんだよ。笑ってんなよ。
廊下を走る。
夏祭り前、準備に忙しい生徒がたくさん残っている。みんな、血相変えて走る俺を何事かと振り返る。
構っている余裕は無かった。
考えてみれば、千秋の気持ちを疑ったことなんて無かった。ずっと、俺たちは同じ気持ちだと思っていた。はっきり聞いたことはなかったけど、お互い理解していると思っていた。
だけど、俺は何か決定的な思い違いをしていたのかもしれない。
廊下を曲がる。足が止まった。
あいつだ。田中が歩いてくるのが見えた。
向こうも俺に気づいて、足を止める。
「千秋は?」
俺の質問に、ちょっと意外そうな顔をする。俺が見ていたとは思っていなかったんだろう。でも、すぐに表情を変えて俺を冷たい瞳で見る。そうだ。たぶん、こいつは本当はこういう奴なんだと思う。千秋や中山の前で見せる。柔和な表情は、たぶん、作られたものだ。
「さあ、帰ったんじゃないですか?」
本当か?
「千秋と何話してた?」
「篠野さんに、直接訊けばいいんじゃないですか?」
取り付く島も無い。
ため息をついて、踵を返す。自分で探したほうが早そうだ。
そんな俺の背中に、田中は声をかける。
「そんな血相変えて。大事なら、何でちゃんとしないんですか? なんか後ろ暗いことでもあるんですか? そうやって、適当なことしているせいで、いろんな人傷つけてるってわかってるんですか?」
思わず振り返る。
「お前……」
「篠野さん、本当に家に帰りました。電話してみたらいいと思います」
俺の言葉をさえぎると、早口でそう言って、踵を返す。少しバツが悪そうなその顔。あいつ、千秋のことを心配しているわけじゃないんだ。いや、千秋のことも心配しているけど、もっとずっと……。それは普段隠しているけど、思わず出てしまった。だから、あんな顔……。
そんなことより、今は千秋だ。携帯を取り出して、千秋の携帯にかける。
朝から、何回もかけてる。でもずっと電源が落ちてる。まあいいや。かかるまで、かけよう。
発信しながら、下駄箱に向かう。
プップップ・・・かちゃ。
足が止まる。ーーかかった。
「お前! いまどこにいる!」
気がついたら、怒鳴っていた。
「こ、高貴?」
千秋の驚いたような声が聞こえる。
明らかに、動揺している千秋に今いる場所を何とか聞き出すと。そこにいるように言う。ダッシュで靴を履き替えて、そのまま帰り道を走った。
商店街に入ってすぐ左にある小さい公園。
その入り口で千秋は所在無さげに立っていた。
俺の顔を見て、少しおびえた表情を見せる。自覚してる。俺、今、すげー機嫌悪い顔してる。
俺が近づいていくと、俺から目をそらした。
そして、ものすごい勢いでしゃべり始めた。どもってるし。
「ご、ごめんね。高貴。あの、海はやっぱり行く。日程が決まったら教えて。なるべくほかの人の予定に合わせるから。そうだよね、あの、今更行かないとか言って、人数が変わっちゃうのは困るよね。もう、日にち無いんだし。でも、あの、誰が行くかとか、私聞いてなくて、その、ちょっと場違いだったら嫌だなとか、ちょっと思っちゃったんだよね。……誰が行くか聞いていい? あ、でも、誰が行くんでも、頑張って私も行く。高貴が私のこと考えて誘ってくれたんだってわかってるし、あの……」
しゃべりながらどんどんうつむいていく千秋。
しかし、まったく、何を言っているのかわからない。
「お前、何の話してるの?」
思わず声を上げてしまい、その声にやっと顔を上げた千秋。
「何って、海の話。今朝断っちゃったでしょ」
海、海。そう、海。今朝断られたのは。
「海って……、そっか、毎年恒例の海水浴だと思ってたのか」
中学時代。俺は、毎年仲間を募って海水浴に出かけていた。そういえば、千秋も連れて行ったことあったな。でも、まさかデートとは思っていなかったとは……。
デートを断ってきたわけじゃなかったのか。
そう思うと足から力が抜けて、思わずしゃがみこんだ。
しゃがみこんだまま、考える。
まず、俺の誘いをデートだと思っていない。
次に、俺と中山のことを何か誤解している。様子がおかしくなったのは、昨日からだし、笹山の意味深発言を踏まえると、これは間違いない。
要するに、こいつは、俺の気持ちを理解していないってことか。
はあ、笹山の言うとおりだってわけだ。
俺ってそんなにわかりづらいかな。
しかたない。ここで決めなきゃ男じゃないだろ。
俺は立ち上がると、びっくりした顔で見ている千秋に言った。
「千秋が好きだ。付き合おう」
は?
絶対思ってる。絶対、は?って思ってる。千秋はぽかんを口をあけて、俺の顔を見ている。
「え? 中山先輩は? 付き合ってるんじゃないの?」
……ため息が出る。
「やっぱり。その噂知ってるんだ。デマだよデマ。何回か一緒に帰っただけでこれだからな。生徒会副会長と夏祭り実行委員長が一緒に帰って、そんなにおかしいか」
「キスしてたのは? ……無理やりされたの?」
「キス? 誰が?」
「高貴と中山先輩」
「いつ?」
「昨日」
「どこで?」
「高貴の家の前」
「してねーよ」
「でも、してたよ。見たもの。中山先輩から一方的にかもしれないけど……」
昨日の中山を思い出す。あの表情も。あいつ、確信犯だな。
俺のため息を聞いて、萎縮してしまった千秋が怖がらないように、できるだけ冷静に話す。
「キスなんかしてない。襟元にごみがついているって言われて、取ってもらっただけ。でも、中山は千秋のこと、ものすごい意識していたから、キスしてるように見えるように、わざとやったのかもな。……それで、海断ったのか?」
「うん」
「デートだと思ってなかったのに?」
「え?」
びっくりした顔で俺を見る。そんなに驚くなよ。本当に、疑ってもいなかったみたいだな。目をくるくる回して混乱している姿に、思わず笑ってしまった。
「じゃあ、話を整理しよう。俺も落ち着きたいし。千秋は、俺と中山が付き合ってると思っていた。まず、それは無い。俺は、昔から千秋一筋だし。中学のころは、なんとなく暗黙の了解で千秋に近付く奴もいなかったから良かったけど、高校に入ってからは、俺と千秋の関係を知らない奴も増えたから、俺はそろそろはっきりお前と付き合いたい。お前こそ、田中ってやつと付き合ってるのか?」
聞いておきながら、多分違うだろうなと思う。あいつが想っているのは、千秋じゃない。さっきはっきり感じた。あの表情。でも、やっぱりここははっきりさせておかないと。
「は? 田中君? 何で?」
「図書館の裏の階段のところで、いちゃついてたから」
わざと意地悪く言ってやる。千秋が真っ赤になって叫んだ。
「違うよ! 高貴が中山先輩とキスしたから、相談に乗ってもらってたんだよ!」
いい答えだ。
にやっとした俺を見て、千秋がはっとした顔になる。
「なるほどね。そういうことか。じゃあ、問題ないよな。俺はお前が好き、お前も俺が好き。二人は付き合って、初デートは海! 了解?」
千秋が、いろいろ叫んでいるけど、気にならない。
やっぱり、俺の考えは間違ってなかった。千秋も同じ気持ちだった。
そう思うと、力がわいてくる。
目を回しながら、あたふたしている千秋も、愛おしくてたまらない。
思わず肩を抱き寄せる。パニックに陥っている千秋は抵抗らしい抵抗も見せない。普段、道端でこんなことしたら、怒るんだろうなあ。
と、ポケットの携帯が震えた。
笹山だ……。
『どうだ。はっきりさせたか? 名残惜しいのはわかるが、適当なところで戻って来い。本番は明日だぞ』
笹山は、どこまでも笹山だ。力が抜ける。
「やべえ。委員会途中で抜け出してきたからな。そろそろ戻るわ。じゃあ、明日。また、連絡するから」
なんだか急に照れくさくなって、千秋を残して、学校に戻る。
夕日に照らされた頬がやけに熱かった。
「花火でーす。まだの人はこっちで、お願いしまーす」
夏祭り、最後のキャンプファイヤー。配った花火をみんなで行う。打ち上げとかじゃなくて小さい家庭用のやつ。思い思いの場所で祭りを締めくくる。
しゃがんで花火を用意していると、手元に影が落ちてきた。
「何とか成功だな。お疲れ。副会長さん」
笹山だ。両手に持ったスポーツドリンクをひとつ渡してくれる。そのまま、俺の横に座り込んで、もうひとつのキャップを空けると、ごくごく飲み始めた。
「俺さ、実行委員やって良かったわ。なんかいろいろ。いろんな意味で楽しかった」
はあっと言って、飲み終わると、地面を見つめたまま、おもむろにそんなことを言い出した。
顔を上げて、俺を見る。にやっとして、また口を開いた。
「代わるよ。さっきから時計気にしすぎ。俺が一人身の寂しさを味わいながら、じっくり配っとくよ。呪いつきで」
「お前……。お前って……」
「ん?」
「ホント、いい奴だな。早く幸せになれよ」
「な!」
俺は、笑った。始めて見た、笹山が素で驚くの。
「さんきゅ」
ひとしきり笑った後、腰を上げる。笹山に礼を言うと、千秋を探しに出かけた。
今日は、忙しくて全く千秋とは過ごせなかった。わかってたことだけど。その分、最後のキャンプファイヤーは一緒に過ごそうって、昨日約束した。
千秋からの最後の返事には、うれしいことが書いてあった。俺がずっと聞きたかった言葉。
でも、それじゃ足りない。
直接聞きたい。千秋の口から直接聞きたいんだ。
きっと、真っ赤になって、口ごもって、なかなか言えないだろう。
でもいいよ。夜は長いから。
見つけた。
キャンプファイヤーをやる校庭の隅。友達から離れて、一人目立たないように木の影に立っている。
手には、携帯。俺からの連絡を待っているんだろう。
でも大丈夫。俺はそんなもの無くたって、お前を見つけられるんだ。
自然と、駆け出した俺。
足音に気づいて顔を上げた、お前。
夏は、これからだ。
なんとか土曜日中に完結です。お読みいただきありがとうございました。