Case38.血染めに薫る
避難所にいて、ふたりの自殺者の戦いを最後まで見届けた者がいた。
他の者はみな自らの生命が脅かされると知って逃げることを選んだが、命を獲るか獲られるか自体は彼女にとっては慣れた駆け引きであった。
今まで過ごしてきた日常はそうであったし、そんな日常に巻き込んでしまった少女がいて、その後悔が彼女に死に場所を求めさせているのも手伝っていた。
奇抜な衣装で武器を扱う、まるでアニメの変身ヒロインのような少女たちはいまふたりで話していて、逃げた相手を追う手段を探しているといったところか。
話の断片を聞く限りではそうだ。それが、話しかける口実になるだろうか。意を決して、ふたりへと近寄っていく。
「あのバケモノのことを追っているのね?」
ふたりとも一斉に振り向いて、さらに小さい方は目をまるくし、彼女の名をちいさく呟いた。
「……ミノカ。久しぶり」
「えぇ、久しぶりね和紙。死んだと思ってたのに生きてて、しかもこんなことをしてたのね」
大きい方が小さい声で和紙にミノカのことを尋ねているのが聞こえる。今度は、そちらへ向けて話をする。
「私はミノカ、というの。はじめまして。和紙の名付け親、ってとこかしら」
「って、えぇ!? 和紙のって、たしか……」
やっぱり、和紙はミノカが暗殺稼業を営んでいたことを言いふらしていたらしい。
大層驚かれたのは、きっとこんなところで会うなんて思ってなかったんだろう。ミノカだって思っていなかった。
和紙が生きているとさえ思っていなかった。
名付け親といったが、正直それは微妙なところだった。覚えられやすくするために、語呂というか、韻を踏みたかったのは確かにある。
そのほかはすこし意味をこめただけだ。出産したことはないのでそこまでいとおしくて大切に名付ける感覚はわからないが、由来はある。
とにかく、今は再会を喜んでいるような状況ではない。
「あのバケモノ、倒せるのよね?」
「……おそらくは」
「オーケー、信じるわよ。あいつはあなたたちの言っていたとおり、あの香水に釣られている。とんでもない嗅覚よね。ま、こいつを使えばいいって話よ」
ミノカは、幾重にもビニールなどで覆ってやることで嗅ぎ付けられないための応急処置を施している件の香水を取り出した。
「それって……!」
「この商品、この地区じゃあもうほとんど壊されてしまっているのよね。でも私は高級な香水とかはいいもの。あいつを倒すために使うのなら、差し上げるわ」
ふたりの少女はありがたく鍵となるだろう袋を受け取った。ミノカの興味が役に立った瞬間だったろう。
「それと。あいつは何がしたいのかしらね。もしかして、これつけた女に嫉妬でもしてるのかしら。発生源が人の感情なら、そういうとこから生まれたとか?」
ミノカは先程拾った、慌てて逃げ出したときに天界社の人が落としていったであろうデータを盗み見して得た知識を確認する。
和紙たちが戦っているのはあのような怪物であるだなんて、ミノカ自身も受け入れられるものではない。
しかし、現場で起こっていることを見た。なら、事を収めるために協力は惜しまないべきだ。
それに、自分が育てた少女が騙されているようならミノカも騙されるもののはず。彼女が信じているのならミノカも信じられるだろう。
和紙と大きい方の少女が相談し、ミノカも協力してほしい、ということになった。
大きい方の彼女も自己紹介をし、水戸倉うろこと言うことを知り、いまの和紙の友人であるとも知った。
彼女に友人ができていることにほっとしつつ、ミノカは気を引き締める。
「私はいったん天界社に戻る。すぐに帰ってくるはずだから、待ってて」
誰かにメールで連絡をつけたらしく、和紙はそう言い出した。
あのバケモノに太刀打ちするための策に繋がるのなら、ミノカに止める権利はない。
うろことふたりっきりになったら、和紙がいては聞けないことも聞ける。うろこもまた和紙を送り出し、ふたりで適当な壁に寄りかかった。
「……なぁ、あんた、殺し屋なんだよな」
「元殺し屋よ。それに、私だって死んだことになってる」
自分は用済みになったのか、刺客たちがミノカを消しに来たのだ。ミノカはあろうことか、和紙を残して逃げ出してしまった。
和紙とはそれ以来会っていない。あいつらに捕まれば殺されるだろうに、それならと自ら手首を切ったのだろうか。
「なるほど、ね。それで、素性を隠してここで生活してると」
うろこはミノカの話を聞いて、じゃあ自殺してからの、タチバナというらしい仕事をはじめてからの和紙の話を聞いた。
覚えのある事件と似た内容の被害が話のなかでの街に出ていて、もしかするともしかするのではないかと思える。
そして、うろこは和紙が可愛くて、気配りのできる子だと和紙のことを評した。
ミノカには、その気配りの心当たりがある。自分と同じ世界のことを知りたいとせがみ彼女にすこし教えたことだった。
「人間の変化には気付け、気付いたら対応を変えろ」、なんて。ミノカが何度言っただろう。
些細な用事に応じられてこその殺し屋であって、鈍くさいのにできるわけがないんだ、だから常に警戒の網は張り巡らせておけ、と。
「あいつがああなるのもわかるかもな、あんた、他人に厳しそうだ」
「自分にもよ」
和紙が戻ってくるまでは、うろこと話していた。
なるほど、彼女であれば自分よりもずっと、和紙自身も一緒にいて楽しいだろう。
それに、先程連絡をしていたように師匠になってくれる人物もいるんだろう。
ミノカは安心した。自分が母親ごっこをする必要は、もうないのだ。
「遅くなった、ごめん」
「ん、おお、お疲れ。リノ社長か」
「うん、切断の極意を教わりなおした。今からリベンジする」
見たところかなり泥臭い訓練が行われているらしい。しかも極意だ。
ミノカより熱血スパルタ系なのだろうか。和紙にはどっちが合っているのだろう。
「よし、作戦はなんだ?」
「ない。正面突破」
そういうと、和紙はせっかく包んでおいた香水を出し、さらに封まで開け、自分にふりかけた。
強いが上品な香りが、普段の和紙に似合わず漂っている。
けれど、きっとこれは成長の匂いだ。不意討ちにばかり囚われていては、殺せるものも殺せまい。
案の定地中からはあの古代ミミズが再び現れ、和紙のほうを狙った。
瓶はきっちりと持っている。逃げ回る最中にはうろこが自分の頭を吹っ飛ばして脳みそを撒き散らしたと思うと再生して衣装を変えており、和紙もまた自分の手首を切って衣装を再構成していた。
ふたりとも異次元の住人だ。ミノカは後ろに下がって、ふたりの戦闘を見届ける。
まず銃撃。うろこがいつの間にか大量の銃火器を出現させていて、一斉砲火が行われる。
が、効いていない。これは前と同じであり、しかも和紙は追われていて攻撃に移れない。
香水の瓶が問題だ。あれが狙われているのだから。しかし、和紙は考えているらしい。
古代ミミズは長い体を持ってこそいても、限界がある。
数十メートルもあればじゅうぶんだろうが、和紙に追い付こうというのなら不十分だ。
屋外へと飛び出し、ぐるりと一周、それどころか何周もしていく。
付かず離れずを意識しているのか距離が変わらぬままで、やがて数週もすると古代ミミズの尾の先が見え、ミノカは和紙へと合図の空砲を撃った。
すぐに伝わったのか、和紙は香水の瓶を適当な場所に放り捨て、目標の気をひいた。
ストレセントとしては満足していてもすでに穴からは遠く、胴体のぶんもある。瓶は囮でいい。
そして尾の先にはうろこの集中砲撃が行われ、すこし焦げ付き、そして和紙は口の先にある突起へ飛び乗った。
ストレセントが大きく暴れ、その環の体をくねらせて暴れ始める。
「……変化には気付け。香水に反応するのなら、感覚器官がある。そして、それがこれ。こうして暴れているのが証拠!」
必死にしがみつきながらも、和紙はそう叫んだ。
そして手にしたナイフを握りしめ、精神を集中。思いっきり、殺意をこめて振り下ろした。
「切断の極意……重要なのは殺す気だ」
古代ミミズの頭部が切り裂かれ、赤黒い血がどろりと出ようとする。が、和紙は一度傷をつけたことで緩んだのか振り払われてしまう。
血を振り撒きつつもストレセントの逃げようとするのを、うろこが多くの兵器で無理やり穴をふさいで留めている。彼女からは、あたしが止めるからなんとかしろ、というアイコンタクトが届いている。
ちょうどミノカのほうへ飛んできた和紙を受け止めて、浅くはない傷を追ったストレセントを共に見た。
「見えるわよね、あそこ」
「……私が切ったとこ、膨らんでる」
「えぇ。あれは弱点よ。撃ち抜くの」
ふたりで拳銃を握り、構えた。和紙に迷いはない。
これで役に立てているのだから、自分は戦っていく。そう、ミノカに強く伝える手であった。
「ふふっ、じゃあ行きましょうか」
「うん。合図はみっつで」
きっとこれが終わったら、もうミノカは和紙とは協力する機会はない。
それは関係ない事実だが、それはとても嬉しかった。
殺しの道をねじ曲げて自分へ向けて、自らを突き抜けたその道は悪を貫く。
歪んではいても、間違いなくそれは正義の味方だ。
「……さん。にぃ。いち」
ゼロ。口にするまでもなく引き金にかけた指に力をかけ、放たれる銃弾の反動を感じた。
銃弾はあやまたず膨らんでいる場所に当たり、ストレセントの動きはそれで止まった。
だめ押しに、うろこが銃弾を叩き込む。
膨らみはめちゃくちゃに押され、簡単に破裂。
内容物をすべて散らし、すべてが消え去ることでストレセントはいなくなった。
最後には、いつもとは発光パターンの違う生体隕石が転がって、和紙が拾い上げて終わった。
「これ、もしかしてX型?」
「かもな。とにかく持ち帰ろうぜ」
うろこが和紙を連れていこうとして、しかし和紙は立ち止まった。そして、ミノカに向かって。
「またね、ミノカ」
そうとだけ言って、ふたりの血染めの少女たちは去っていく。
いや、彼女たちから離れていくのはミノカのほうだ。ミノカがふつうの日常へ帰り、和紙たちは非日常の中を歩き続ける。
ふと吹いた風が運んだ香りは、鉄と、硝煙と、ほんのちょっとの上品な香水。
こんなものよく嗅いでいたはずなのに、今日のミノカには新鮮に思えたのだった。




