Case29.夢の続き
公園の遊具にお邪魔して一夜を過ごし、野宿の寒さとつらさを知ってから天界社に連絡してホテルをとってもらえばよかったと思った。
不二も野宿をしたことはなかったので、甘く見すぎたのかもしれない。
虫に刺されたところがひたすらにかゆいので、ひきちぎって再生させる最終手段に出る。カラスが自分を食べるのは気分のいい光景ではなかった。
不二は一度屋敷に戻ってみて、門が堅く閉じられているのに直面してまた撤退した。
汐漓を護るための行為を否定したのだから、菜艶に拒絶されたって当然だ。不二にはどうすることもできない。
汐漓や城華がどう思っているかは関係なく、不二は危険だと判断されている。取りつく島自体はあるかもしれないが、その気にはなれなかった。
元より、殺人に加担するつもりはまったくない。
確かに誰かのために働きたいとは思っているが、それは狂った愛のもとに他人を殺すことではない。
だから、考えるべきことは、汐漓と城華に真実を伝えることだった。汐漓だって、いくら自分のためだと言っていても、あんな無闇な殺戮を許すことはないはずだ。
不二はいったん公園に戻り、ブランコを漕ぎながら考えた。
どうやって菜艶を介さずに汐漓に会うか。菜艶がすでに不二の悪評を流していたら汐漓に接触しても会って二日目の相手より交際相手の菜艶が信用されるだろうし、どうやって、は恐らく一番の難問だ。
菜艶の殺戮を止めるには、彼女が考えを改めるような出来事がなければならない。
いくら考えても、そんなものは出てくる気配がなかった。
かわりに、思考に割り込んで思いがけない客人が現れる。
「もしかして、夢のお姉ちゃん?」
彼女は小さな女の子だった。
友達らしい少女をふたり連れていて、見覚えがある顔だった。
夢、ということは、昨夜のことか。
深夜に見たことだから、夢だと思っているんだろう。そういうことのほうが、都合がいい。
ブランコを止めると、女の子は不二の顔をまじまじと見つめて自分の記憶と照らし合わせているようだった。
「ほんとにそうだよね。夢の中だけど、助けてくれてありがとね」
きっと優しい子なんだろう。笑顔が胸に染みる。
そうだった。不二は、こうして感謝してくれる人がいるから自分を犠牲にしているのだった。忘れかけていたけれど、それはきっと重要なことだ。
女の子は不二の手をにぎり、一緒に行こう、と誘ってくれる。
今の不二には何も浮かばない。だったら、彼女のお誘いに乗ってみて、気分を変えるのも選択肢としてありなんじゃないか。
不二は小さな女の子三人に連れられて、公園を出ていった。
「こっちにはね、私たちの秘密基地があるの」
お礼に案内してくれるという。ちょっと住宅街から外れて、屋敷にほど近い深めの林の中。
そこにある大きな朽ちた倒木の中に、小さないすやお人形さんなどが置かれている。
しかし、秘密基地にはなんと先客がおり、不二と似たような年代のため小さないすに座りきれておらず、お人形さんの前には近未来的なアタッシュケースが置かれていて不似合いだった。
「どうしよう、取られてる」
「じゃあ、わたしが言ってみる」
「いいの? ありがとう、がんばって!」
少女たちの声援を受け、不二は送り出された。
見るからに年上の相手に立ち向かっていくよりかは、不二に手伝ってもらったほうが早い。
まずは、座っている先客に声をかけてみる。
顔がこちらへ向き、不二よりも首輪のほうをじろじろと見られた。そういえば、外すのを忘れていた。
「あなた、まさかタチバナ?」
「タチバナ、って」
「天世リノによって生体隕石手術を受けたでしょう」
いきなりの機密情報漏洩に、不二は後ろで待っている小さな子どもたちを気にしながらも答えた。
「そうですけど、一般人もいるのであんまり公にしないほうがいいと思います」
「……それがわかるってことは、まともな被験者ね。ふにとじょーか、あなたはどっちかしら」
「わたしはふにのほうです、円不二」
「ありがとう。私は十二車小灰。第二期被験者のひとりよ」
偶然だが、とんでもない人物と出会ってしまった。
少女たちの秘密基地を取り返すとかどうとか以前の問題だ。
この近未来的なアタッシュケースも彼女の関連だろう。
それにしても、いままで第二期の先輩なんて会ったことがなかったのに、よくこんなところで出会ったなと思った。
あの女の子を助けていなければ生まれなかった機会だった。
「それで、あなた、汐漓の屋敷に入っていたのではないの?」
「……ええと、お知り合い、ですか」
「そうよ。でも、自分から出てきたの。あんな生活に嫌気が差して」
「だったら。きっと、わたしと一緒です。わたしも、菜艶さんがあそこにいる女の子を殺そうとしたのを止めたからこうなってるんです」
不二は女の子たちを指して言い、女の子と小灰は驚いた顔をした。
前者はいきなり指をさされたことにで、後者は菜艶の殺戮を止めた結果その菜艶によって追い出されたという不二の言い分によってだった。
「あら。私たち、なかなか似た者同士なのね」
「小灰さんはどうして?」
「ずっと、監禁されてたの。焼身なんて大きな火がなきゃできない死に方選んだのがいけなかったわ。あの屋敷に押し込められて、四年。耐えられなくて出てきたの」
どうやら。汐漓と菜艶には、初めて会ったときからは想像できない闇が潜んでいるらしかった。
小灰と不二はどちらもあの屋敷に用事があった。だとすれば、同じタチバナだ。協力できるのではないだろうか。そう考えた不二が切り出そうとした。
「あの、小灰さん」
「ねぇ、不二さん」
ほぼ同時に、同じことを話そうとしていた。
互いに相手と協力できれば菜艶と汐漓の問題に太刀打ちできると考えていたのだろう。一緒に思わずこぼれた笑みを響かせ、握手をした。
それから待っていてくれた女の子たちと話をし、小灰は自分の友達で、みんなと遊びたくて秘密基地にいたんだと説明すると全員喜んでくれた。
小灰と不二は秘密基地で女の子たちの遊びに付き合い、夕方になると公園まで送った。
「行きましょう。私には生体隕石を倒す術がある」
「え……?」
「天世リノと同じよ。あんなふうに剥がせるものを手にいれたの」
リノがオヴィラトにやってみせたこと。きれいに生体隕石を分離させる技。
思い出したくはないが、あれと同じことができるという。
ならば、菜艶を死体に戻す……殺すつもりでいるのとも同じだった。
「屋敷にはわたしの城華がいます。ですから、なるべく使わずに」
「そう、ね。まず話をしてからよ」
ふたりで門の前に立つ。こうも大きいと、家の者を呼ぶのにも困る。
試しに門を揺さぶろうとするが、小灰に止められた。
「菜艶が来たほうが面倒だわ。普通に忍び込みましょ」
「いや、忍び込むって普通じゃない……」
「私が脱走の時に使った裂け目があるの。それを使いましょう」
小灰に引かれて進んでいくと、確かに塀に裂け目があった。庭に繋がっているらしい。
ここから忍び込み、城華に接触、汐漓を呼んでもらう。
作戦は決まった。小灰の先導で、不二はほふく前進で塀の向こうを目指した。
途中で小灰が進むのをやめた。そのまま進んでいたから靴に手がぶつかってやっと気づく。なにがあったのかと聞く前に、小灰はまた動き出した。
「お帰りなさい」
塀を抜けると、そこにはふたりの少女がいた。湊河汐漓と、彼女に抱きつく宿場城華だった。
「この子が教えてくれたんですよ。ふたりが来るって」
城華の髪がそっと撫でられ、彼女は嬉しそうな顔をする。不二はちょっと苛立った。わたしの城華だぞ、と嫉妬の気持ちがある。
しかしこの侵入を予測されるのは盲点だった。
リノは小灰が屋敷に赴くことを知っていたのだから、見つかって当然だ。
元より汐漓と城華のふたりに接触するつもりでいたからいいものの、菜艶がいたらと思うと冷や汗が出る。それは、小灰も同じであるらしかった。
「せっかく帰ってきてくれたんですもの、いままでどおり、一緒に暮らしましょう。ね?」
微笑んでくれる汐漓は確かに魅力的な誘惑だった。彼女に甘えて暮らせるし、ストレセントと戦う必要もないんだろう。
だが、不二はそれを振り払う。甘えていい相手は円家の長女に向けてだけだ。ストレセントと戦わなければ、不二はこうして生かされている意味がない。汐漓の誘惑には負けず、ただ睨んだ。
小灰は違った。ふらりと汐漓のほうへ寄っていく。汐漓が嬉しそうに笑って、小灰を迎えた。ふたりが抱き合い、そして。
「ただいま……でも、さようなら」
その瞬間、鮮やかな赤が緑の庭に飛び込んできた。
きれいだった汐漓の髪には炎がついており、よろける彼女は信じられない目で自分についた炎を見て、すこし遅れて叫びだす。
不二も城華も呆気に取られていたが、小灰もすでに服に燃え移って炎に包まれていた。
小灰の肩、そこに埋め込まれた生体隕石が光を放ち、衣装を再構成していく。
同時に城華も吸入器を使用した。苦しむ城華と、燃え盛る小灰と、火はなんとか消えたものの悲鳴をあげる汐漓。
不二は今すぐにでも逃げ出したい。恨みの色が濃すぎるこの光景は、生死をくぐり抜けてなお残酷だった。
「お姉ちゃんをいじめないで……!」
城華と小灰が変身を終え、互いに飛びかかってぶつかり合った。
待てという暇もなく、城華の胸が殴り付けられ彼女の身体は吹き飛ばされていく。
小灰が持っていたアタッシュケースを開き、生体隕石らしい大きな塊を取り出した。
あんな大きさは普通のストレセント退治ではお目にかかれないし、発光のパターンも異なっている気がした。あれが、X型なんだろう。
あれを使えば、タチバナを死体に戻すことができる。小灰は真っ先に城華のほうへ歩もうとする。
「待って、だめぇっ!」
「止めないで。これは汐漓への罰よ」
「城華は関係ない、あの子はわたしの……!」
城華は一度、オヴィラトによって生体隕石をこわされた。
あの時の孤独感を覚えている。城華がいなくなれば心に穴があくことを、不二は知っている。
小灰を止めようとしているうちに、城華が起き上がった。
不二は小灰を止めなければならなかったから、彼女がしようとしていることが見えなかった。
邪魔をする不二に熱中する小灰もまた、不二しか視界になかった。
城華が放ったのは毒の矢であった。それも、神経毒の成分をふくんでいる。ふたりの身体が貫かれ、特に四肢が動かなくなってしまう。芝の上に倒れ、転がった。
それっきり、ふたりは庭にほうっておかれた。
そのうちにX型隕石は城華に奪われて、声を出すこともできないまま、このあと屋敷を訪れる誰かに動かされるまで、ずっと歯をくいしばっていた。




