Case27.脈動
おやつのアップルパイを食べたのち、城華がリノと連絡を取って、続けて調査を行うよう言われた、といった。
天界社での生活に慣れていたから、すこし寂しくなるところはあるけれど、その天界社も自宅から離れて住むことになったのだから。
リノの指令でもあったし、不二には文句はなかった。
汐漓は優しい人だ。城華がすっかりなついているのだから、そうに違いない。
まるで、もっと幼かったころの不二の妹のことを思い出す。お姉ちゃん、お姉ちゃんとくっついてまわるのだ。
微笑ましくもあり、城華の素直じゃないところも含めて好きだった不二は不満でもあった。せっかくあんなに可愛いのに、と。
菜艶は不思議な人物だ。汐漓のことが好き、なんだろうが、それ以外のことが伝わってこないし、彼女は伝えようとしていない。
彼女自身には得体の知れないやつという印象が募るばかりだ。
そんな菜艶が出歩くのを見かけ、彼女のことを尾行しようと思ったのは夜が深まってからのことだった。
ただの散歩だったならそれでいいし、見回りや人助けなら不二にだって手伝える。
ただ、何かしら危険な行為に及んでいたなら止めようとする。同年代の少女がひとりで外を出歩いていれば、それが危険なことだとはすぐにわかる。
菜艶の後を追って街へ繰り出し、何かしらの陰に隠れながら進んでいく。
菜艶の目的地はわからなかった。住宅街は静まり返っていて、人はぜんぜんみられない。酔っぱらいのひとりも、だ。
それもそうだった。この街にはやたらと事故、事件による行方不明や人死にが多い。多すぎる。ストレセントの仕業が事故として処理されているからだ。
そんな街で深夜まで呑むような命知らずはそうそういない。
誰に会いに行くでもなく、どこを目的地とするでもなく、ただ菜艶は歩いていった。
不二はすこし眠気を覚える。大きなあくびが出て、声を抑え、ずんずん進んでいく菜艶に追い付くように進む。
すると、ある家の前で立ち止まっていた。
何をするかと思うと、ドアノブを壊して扉をこじあけており、とても他人の家に入る態度ではなかった。あれは侵入だ。
目的地がないように思えたのも、侵入する家を品定めしていたからではないか。
不二も追いかけて忍び込ませてもらい、気づかれぬように靴を懐へ隠し、土足のままで大きな足音を立てている菜艶を探した。
一階に気配はなにもなく、二階にいるんだろう。恐らく、ここの住人もみな二階で眠っている。
家の住人はどうやら、まだまだ若い夫婦と一人娘との三人暮らしみたいだ。引っ越してきたばかりなのだろう、整理しきっていない段ボール入りの荷物もあった。
軋まない階段を踏み、上りきったすぐそこにある扉が開け放たれている子供部屋に着くと、その中に菜艶の存在とすやすや眠る女の子をみとめ、ようすを見た。
菜艶が何かしようとしている。
菜艶が手に持っているものが、月光に照らされて青白く見えた。あれは、カッターナイフだ。少女の首筋へ向け、そっと裂こうとしている。
不二は思わずワイヤーを飛ばしカッターナイフにぶつけて弾き飛ばし、菜艶に存在を知らせてしまった。突然の妨害に驚く菜艶のもとへ駆け、まず足を払い、バランスを崩したところで窓を割り路上へ放り投げた。
割れる音で住人の少女が飛び起きてしまい、不二は慌てて菜艶に続いて窓から退室した。
着地にはなんとか成功し、衝撃で入った骨のひびも問題なく再生する。問題は、目の前に立っている殺人未遂の現行犯だった。
「何を、しようとしてたの」
「仕方ないんだぜ? しおりんを護るのには必要なことさ」
「幼い子供を殺すことが?」
「そう。いずれストレセントになるかもしれない。だったら。最初から殺してしまえばいい」
菜艶の語るふざけた言葉に、不二は拳を強く握った。
「狂ってる。人類の平和のために人類を滅亡させるのか」
「違うよ。汐漓のために人類を滅亡させる。あの子と私のほかはどうだっていい。それで、あの子の笑顔が護れるんだ。そのために何人だって手にかけてきた」
話は通じないだろう。彼女の言葉は本気だ。正気ではなくとも、きっと心の底から汐漓のために人を滅ぼそうとしている。
だったら、人のため働く不二の前では敵になることが決まっている。殺人を許せるわけはなく、顔見知りならなおさらだった。
不二が攻撃の視線を向けると、菜艶はざんねんそうにして、それでも手を差し伸べてくる。
「しおりんってば、城華って子のこと気に入ってるみたいだから。あの子が泣くと、きっとしおりんは困るんだ。だから、きみひとりなら、生かしてあげてもいいのに」
不二はすぐに答えた。
口頭ではなく、彼女の掌へ向けてワイヤーを射出し貫くことでだ。連続殺人犯を相手に、躊躇はしていられない。
不二はワイヤーを巻きとり、自らの首をへし折りながら勢いを利用した体当たりで菜艶を吹っ飛ばし、その掌を千切った。
変身を終え、自分の体勢を整えると菜艶は自分の裂けた手をひらひらさせていた。
「ちょっぴり予想外だったぜ、それ。まさか、きみもだなんて」
無傷の手を使って、菜艶は何かを取り出した。注射器が二本、だろうか。
いったい何をするのか。この時、不二はすでにわかっているはずだった。
きみもと言われた理由。注射器の中身。菜艶の瞳孔がひらきっぱなしである理由。
次の瞬間、そのみっつは繋がった。
注射器は菜艶の首に刺され、中身が二本ともすべて体内に流し込まれていく。
明らかに、ただのクスリであってもやっていい方法なわけがなかった。
数分もせずに菜艶は気持ち良さそうな目をして、びくびくと痙攣しながら身体を大きく逸って倒れると白目をむき動かなくなった。
不二が呆気にとられているうちにさらなる変化がはじまる。首のあたりが光を放った直後、菜艶の胸には大輪の花が咲く。
その華やかな姿の裏では動かない菜艶に根がはりめぐらされていき、それらで新たに衣装が作られた。
いままでのボーイッシュな服装とはうってかわって誘惑を象徴する薄く透ける布や極端に少ない。踊り子やそういった夜の仕事を彷彿とさせるものへと変わっていくのだ。
肌の注射痕をなぞるように根が這い、頬には食い込んでいる。
派手な格好は静まり返った街には不釣り合いで、やっと身体の自由を取り戻した菜艶は踏みつけられた花が同じ場所へ戻るように体勢を戻し、大きく息を吐いた。
「久しぶりだぜ、こういうの。それじゃ、一緒にキメようぜ」
違法薬物の過剰摂取により、紫波菜艶はいま死んだ。
そして死んだまま変身を遂げた。あれは生体隕石によるものだ。
オーバードーズを死因とするタチバナ、それが菜艶の正体だったのだ。
瞳孔が開いているのはドラッグが原因で、ふだんから死なない範囲でも使っているんだろう。
不二がなにもしていないうちから菜艶が動いた。
注射器を投げつけ、不二まで快楽と堕落の渦へ誘おうとしている。
中身がそういうものだと知っている不二はワイヤーを操って払い落とし、菜艶本人もまた攻撃の対象とした。
菜艶は身体が傷つけば治りが遅いのか、まだ裂けている手で受け止めようとして治りかけがすべてだいなしとなり、肉が弾けた。
それでさえも恍惚の表情で片付け、不二のほうへ近寄ってくる。
心底、気味が悪かったし怖かった。薬物だなんて自分には関係のない世界だとずっと思っていたのに、ここで出くわしてしまった。
向き合うほかに選択肢はない。ないのなら、選択肢のなかでの最善を尽くすしかなかった。
菜艶よりも先に接近してしまい、そこで攻撃する。腹部への渾身の拳だ。
逆に腕を捕まってしまってもワイヤーで追い払い、突き刺しにいく。
菜艶は動かずに指を鳴らし、舗装された道路から多量の草を出現させ、視界が遮られた。
ワイヤーが草の壁を突破することはかまわず、草の壁がいつの間にか消えていたころには同様に菜艶の姿もなかった。
菜艶とああして激突すれば、きっと汐漓も菜艶も不二を受け入れはしないだろう。なかったことにしての帰還はできない。
城華には悪いが、不二とは別行動となる。
しかたなく、ふらりと歩いて適当な森か林かで眠って夜を乗り越えようと思い歩き出した。
この夜久しぶりに、ベッドでもなく葉っぱのふとんで、城華がどこにもいない一夜を過ごすこととなった。




