Case26.時間はゆったり
リノへの連絡を終えて城華は端末をポケットにしまいこんだ。
リノには続けて休憩していてもよいと言われている。
現状は汐漓、菜艶ともに全面の信頼を寄せることはできないし、それにここは他人の家だ。休むにも休まらないかもしれない。
できれば不二と交代で休憩と見張りを行いたいところであるのだが、その不二は今この客室にはいない。城華ひとりだ。
この屋敷は広いが、お手洗いはどこにあるのだろうか。
城華の心配はそこだった。
なるべくふたりで行動すべきこの状況で城華がひとりになっているのは、不二がお花を摘みに行きたいといい、そこまでずっと一緒にいるのは恥ずかしかったからである。
いくら生体隕石を埋め込み復活した者は、一度のみならず何度も死んでいるとはいえ、エネルギーは食事に頼っている。生理現象はたいてい残っているのだ。
ただしいくら食べても太ることはないし、食べなくても痩せることはないらしい。
現に、リノはいつもポテトチップスだの油っこいものばかり摂っているのを目にするのだが、あのモデル体型には乱れがみられない。
城華はもともと食が細いのであんなふうには食べられないと思う。たくさん食べるということはずっと無かったのだ。
そのわりに身長は伸びているが、女性としては発育できていない。リノのあの身体が羨ましくもある。城華よりも身長が高くて、胸も整っていて。
なんて考えているうちに、与えられた客室のドアがこんこんとノックされた。
開かれたドアの影からは汐漓が顔を出す。彼女は同年代、だと思うのだが、もうすこし下だと主張しても納得してもらえそうな体型だ。
つまり、服の上からみるに城華ほどではなくとも貧乳なのだった。
失礼します、と言われ、ぼんやりと考えていた城華は顔を向けて彼女のちょっと緊張している表情を見た。
「あ、あの、お菓子を焼いたんです。どう、でしょう……?」
普通、素性もわからない客人にそこまでするか、と思ったのだが、彼女にとってはただの客人ではなく、久しぶりの客人だった。
お腹もすきはじめていた城華は甘えてもいい気分になっている。それに、汐漓の態度は城華のある感情、罪悪感とでもいうべきものを刺激してくる。
断るのはかわいそうだと無意識のうちに思ってしまっていた。
流されず残っていた思考能力が「友達がお手洗いに行っている」と客室に留まる選択をさせようとしてきたが、汐漓にはできるだけあたたかいうちに食べてほしいと言われ、その思考能力も流されていった。
不二はお花畑から戻ってきたときに呼んでくれるらしい。
汐漓に連れられて、ほこりをかぶっていない廊下を辿って、先程菜艶がいた部屋に通された。
そこでは菜艶がおいしそうにアップルパイをほおばっており、机に置かれたお皿にも焼きたてのものが並べられていた。そのうち一切れをすすめられ、素直に口に運ぶ。
単純においしかった。どこか懐かしく、懐古の思いを呼び起こして不思議な気分にさせてくる。
この、きっとなんの変哲もない生地で、なんの変哲もないりんごで、ふつうの愛情が込められた味が心地よくて、城華は大きなため息をついた。
「私たちはあなたたちのことを大切に思ってます。家だと思って安心してくださいね。ここにいるあいだ、私をお姉ちゃんだと思って甘えてくれたっていいんですよ?」
お姉ちゃん。それは城華の知らない存在だった。
うろこにも、不二にも姉妹がいた。けれど、城華にはいない。城華が甘えていい相手はずっといなかったのだ。
いま、汐漓はその相手になってくれようとしている。汐漓は城華よりも見た目でいえば幼いのに、彼女のことが大きく見えた。
招かれるままに城華はソファに座り、汐漓の隣に来る。
そして身体を委ね、髪を撫でる優しい手を感じていた。心が落ち着いていく、気がする。
「髪の毛、お綺麗ですね。よく手入れされているようです。このくるくるは毎朝?」
「……うん。自分でやってるのよ」
「まぁ、すごいじゃないですか。だからこんなにお綺麗なのですね。努力の結晶は美しいものです」
自分のことを認めてくれているみたいで嬉しかった。汐漓に全部預けてしまいたいとすら思える。お姉ちゃん、とはこういうものなのだろうか。
不二やうろこの妹が羨ましくて、自分にもこんな存在がいたなら、あんなふうな死を決意することもない人生を送っていたのかもしれない。
汐漓はいままでは控えめであったが、城華が身を委ねているからか積極的に触れてくる気がする。首や鎖骨、脚と続き、唇にまで触れようとしてきた。
城華はその瞬間にひとつの感情が冷たいまま浮かび上がるのを感じ、それに従って自らの唇を重ねようとまでしていた汐漓を止めた。
「だめよ。いくらお姉ちゃんでも、そこは不二のものなのよ」
「……あら。ふたりがそんな関係だったなんて。お姉ちゃんは残念です」
ファーストキスは親族には渡せない。
城華の唇はまだ誰のものとも重ねられたことがなく、その純潔を奪っていくのは不二だと決めていた。
だから、汐漓とキスはできない。いくら残念がっていたって、そこは譲れないところだった。
「だったら。髪の香りを嗅がせていただけませんか?近頃、菜艶のものにしか触れられていなくて」
そのくらいならかまわない。お姉ちゃんなんだから。
「えぇ、いいわ」
「ありがとうございます、かわいい妹さん」
城華が苦労して毎朝くるくる巻いているツインテールの片方が手にとられ、そっと鼻に近づけられた。ちょっと、くすぐったかった。
香りがそうして迎え入れられ、汐漓は満足そうな顔をすると城華の髪を離し、長い息を吐いた。
「ありがとうございました……! ふふ、参考にさせていただきますね」
「参考って、何の?」
「髪のお手入れですよ。元々はそういうお仕事を目指していて。女の子の髪を、きれいにするの、とっても好きなんですよ。女の子の美しさの一端を担うんですから、これほどに光栄な仕事はほかにはなくてですね」
「しおりーん、熱入りすぎ。妹ちゃん困ってるぜ?」
菜艶が口をはさみ、語りだしかけた汐漓は静かになった。
元々は、ということはもう目指していないことを指している。こんなに情熱があるのに、あきらめなくてはならない理由でもあったのだろうか。
城華はすこし考えた。けれど、ぜんぶ汐漓に撫でられるとなんでもよくなる程度のことだった。
そうしているうちに、この部屋には残ったひとりがやってくる。不二だ。
いくらお姉ちゃんに甘えているのが楽で心地よくともこんなところは不二には見せられない。急いで起き上がって、しゃんとなるように座り直した。
「あら、不二さんも来てくれたんですね。ささ、アップルパイをどうぞ。私がつくったんですよ?」
「あぁ、ありがとうございます。いただきます」
城華が汐漓の隣にいるのを見て、不二は空いていた菜艶の横に座った。そうして、もらったアップルパイに口をつける。
「……おいしい。おふくろの味、みたいな雰囲気ですね」
「ありがとうございます。おふくろ、というには年が足りませんし、ここはお姉ちゃんとでも」
「申し訳ないんですが、わたしの姉はただ一人なので……彼女をなかったことには、できません」
「そう、ですか」
汐漓の行為を受け入れない不二がわからなかった。どうして、あんなに心地いいことをしたがらなかったんだろう。城華に遠慮しているのだろうか。
城華だって、不二には幸せになってもらいたいと思う。
「いいの? しおりんのふとももは至上のまくらなんだぜ?」
「だったら、わたしは城華のふとももがいい」
きっぱりと、不二は答えた。城華はぼーっとした意識の中で自分の頬が熱くなるのを感じて、両手で頬をさわってみた。
やっぱり、熱かった。
「ならしおりんはいっしょにお風呂入ってくれるもんね! しおりんはBカップ!」
「城華だって添い寝もだし、これからお風呂にも一緒に入る。城華はAカップ」
「ふぅん? うちのしおりんに対抗しようってーの?」
「わたしにとっての城華が、あなたにとっての汐漓さん。判定するまでもなくオンリーワンでナンバーワン」
「……へぇ、いいこと言うじゃん。気にいったぜ、握手だ」
手はがっちりと握られていて、彼女を持つものどうしでなにかしら通じあっているらしい。
こうして不二と菜艶に謎の友情が芽生えはじめるころ、向かいに座っている汐漓と城華はふたりの言い合いにどちらも真っ赤になって固まっているのであった。




