メリーと特別な人
「縄を解いてどうするの?」
「お父さんを迎えに行きます」
「あんたの父さんは町でしょう?門は閉ざされているわ」
「お父さんを迎えに行きます!」
「頭を冷やしなさいメリー。確かにあんたなら門どころかどんな壁でも超えるだろうけど、どうしてフィリップがわざわざ来て説明したか考えて。
あんたが壁を超えた所から盗賊が入って来たらどうするの?宿が襲われたら?
カルロとダニエルを守るつもりはないわけ?」
「じゃぁどうしてレイラさんががここにいるの?エメリヒさんは今日町に行ってないよね?レイラさんが一人でここに来たのは、お医者さんのエメリヒさんが呼ばれたからでしょう!」
街道で襲われた誰かが、怪我を負ったまま村に知らせたに違いない。
兄妹二人暮らしのエメリヒは、夜に家を空ける時は必ずレイラを宿に預ける。
それに、
「フィリップさんは、お母さんに『キャリーのそばにいてやってくれ』って。
それって、それって」
「静かにしていると思ったら。あんたが耳が良いのを忘れていたわ」
半ば呆れた口調をしたレイラだが、笑ってはいない。
幼馴染ではあるけれど、メリーの多芸は数が多すぎて、単純に身体機能が高いことを忘れてしまうのだ。
両肘を縛られたままの少女と、夜着のまま仁王立ちで睨みつける少女。
そして少女達の怒鳴り合いに、立ち去るわけにもいかず、中腰のまま固まってしまった客の男達。
大人しくしろと怒鳴るレイラの言い分は正しい。なんなら、二人は部屋へ戻り、レプス商会の男達に夜通し見張りを頼んで欲しいほどに、夜盗はやっかいだ。自分達が逃げるために火をかけるような奴らだ。娘二人を残して出て行く大人達もどうかと思うが、それだけレプス商会を信頼してくれているのだろう。
そして、常連である彼らはメリーが父親に溺愛されている事、キャリーの名に反応した事から師匠と慕う彼女の旦那に何かがあったらしき事も、わかる。
「ま、まぁ、縄はともかくっすね、一晩中立って待つわけにもいかないし、どうにか座ってお話しを、」
「そうね、手だけじゃ不安だわ。椅子に足も縛りつけないと。手伝ってくださる?」
涙目のメリーと、目だけ真顔で口元だけ笑顔のレイラ。
一歩前に出たはずのユーシェは、二歩下がった。
(誰か姐さん達起こして来い俺達には無理だ)
(一度寝た姐さんを起こせるわけないだろ!)
(無理っす。俺にはどっちも無理っす!)
男達が囁き合い押し付け合いをする前で、少女達は別の方向で言い合いをする。
「門番さんの詰所まで行かせて下さい」
「嫌よあそこは虫が出るわ」
「一人で行きます」
「あらじゃぁ私はカルロとダニエルとお留守番ね。一緒のベッドで寝るわよ」
「すぐ戻ります!」
「お風呂まだなのよね。二人を起こして一緒に入ってもらおうっと」
言葉の内容はちっとも止めてはいないのに、悔しそうに地団駄を踏むメリー。
「もういいです!」
持っていた壺を頭に乗せると、繋がれたまま両手を伸ばして天井から伸びた縄を掴み、身体を浮かせた。
「ちょっと、」
浮かせた足で机を蹴り、反動を使って勢いをつけブランコのようにレイラに向う。
「きゃぁ!」「わぁ!」「メリーさん!」
身構えたレイラの腕にはいつの間にか壺が戻り、メリーは振り子のように揺れながらも、何をどうしたのか足を縄に引っ掛けて、するすると天井の梁へと登ってしまった。
「降りて来なさいメリー!」
「いやです!」
「生足を見せてはしたない!」
「全部は見えてません!チラリは男のロマンだから事故物件扱いなのです!」
「わけわかんないわよ!誰が言ったの!」
「村長です!」
「あのアホがぁ!」
縄をつたって登る時、そして梁にまたがり縄を解こうとする今、チラリどころかがっつりと、まくれたスカートの奥、白い太ももが見えてしまい、
男達は慌てて顔を伏せた。一人以外。
テオバルト・クラッセンは目を逸らした仲間の頭に手を置き、ぐっと下に力を込めて強制的に屈ませると、背中に足をかけて飛び、天井の梁にぶら下がった。
「メリーさん、それは逆だ。手に傷がついてしまう」
きゃんきゃんと騒ぎながら暴れ、縄を解こうとして、余計に締め付けているメリーの手元にだけテオバルトは注目していた。
「ほら、赤くなっている。ちょっと待って」
メリーの場所まで腕を伸ばしながらひょいひょいと近づくと、腕の力だけで身体を持ち上げてメリーの隣に座り、
まずはスカートの乱れを直してから
「ほら、結び目の最後はこっちだから、力を入れる方向が逆」
と、説明を始めたテオバルト。
興奮していたメリーも、「結び目?」と素直に聞いてしまった。
「…レプス商会さん、なにアレ」
「いやなんか、すんません」
縄を解かれたメリーは、濡らした布で患部を丁寧に拭われ、塗り薬を丹念に塗り込まれ中だ。
「あの男には薬の成分を説明する以外の事をして欲しいのだけど。大人しくしろとか、外の危険をだとか」
「すんません。あいつ口下手なんすよ。あと今日酒入ってて、えー。多分目の前の事しか見えてませんね」
「でしょうね」
呆れ果てた顔で見上げるレイラと仲間たちの頭上では、
真剣な顔でメリーの両手に包帯を巻く男の姿。
ちなみに血など一滴も垂れていない。
縄にこすれて赤くはなったが、怪我とするには大袈裟だ。テオバルトも近くに寄ってしっかり見た上で、塗り薬は患部のみに、それ以外は保湿成分のあるクリームを塗っていた。
明日のメリーの両手はツヤツヤに違いない。
「でもほら、メリーちゃんは人が説明する時は静かに聞いちゃう子だから、大人しくなってるっすよ。
おい、テオ!そのままメリーちゃんに
外に出るのは危険だって説明するっすよ!」
「…テオ、さん」
「あ、バカ」
再び、メリーの大きな瞳に涙が溢れた。
「テ、テオさん、師匠がっ、怪我したかもっ、お母さんがキャリーさんのお家に、門番さんのコート、血がついてたっ」
涙をはらはらと流しながら胸ぐらを掴んですがりつくメリー。
「…俺、まずい事言ったすか?」
「…あの子のお師匠はテオさんって名前なだけよ。うん。まずいわね」
「やべ」
不安と、焦りとで混乱して泣きじゃくるメリーに巻き込まれたテオバルトは、
頭を撫で、涙を拭い、背中を撫で、涙を拭い、懐から赤ん坊用の鈴の鳴る玩具を振り出した。
それでもメリーの涙は止まらない。
「テオバルト!正気を保て!お前のことじゃないからな、料理の師匠のテオさんって人のことだからな!」
「テオバルト!呼吸を諦めるな!
とりあえずメリーちゃんを下に降ろせ!」
「メリー、せめて目を逸らしてあげて。あんたのその目は心臓に悪いわ」
テオバルトの心臓、肋骨をぶち破る勢いで暴れております。
しゃくりあげ、すすり泣きながら彼女が切々と訴える「テオ師匠」が自分ではないことぐらいわかっている。
だが、至近距離で見上げる瞳が、ラピスラズリのように深く青く輝く瞳から溢れる涙が、テオバルトの心臓だけでなく肺を締め付けて捻じりあげるのだ。
「…ぐっ」
「舌を噛むなテオバルト!歯だ歯を食いしばれ!」
「…うっうっ、お父さん、お父さぁん!うわぁぁん!」
「きゃぁ!」「危ない!」
テオバルトの胸ぐらを掴んだまま暴れたので二人は梁の上で大きくバランスを崩し、身体が落下、
「うわぁぁん」
…せず。二人とも足を梁に絡ませ、ぶら下がった状態のまま。メリーは泣きじゃくり、テオバルトは片手でメリーのスカートを抑え、残る手でまだオロオロと涙を拭いている。
「なんで落ちないのよ!」
「俺に言われても!」
落下予測地点に集まった男達の頭上で、上下逆さまのまま暴れるメリー。
背の高い者が靴を抜いで机に登り、メリーの肩を押さえようとするが、
そこはメリー、やっぱりメリー。
鍛えた柔軟な身体を使って仰け反り、
ぐにん。くにん。かすりもさせず。
「なんすか、あの背筋は!」
「私に言わないでよ!」
だが頭を下にしたまま暴れるのは危険である。椅子や机を端に避け、男達はまだ話が通じそうな男に怒鳴った。
「テオ!嬢ちゃんごと落ちて来い!」
「わ、わかった」
「邪魔しないで下さい!」
背筋が強いなら腹筋も強い。テオバルトの腕をすり抜け、上半身を持ち上げると、あっという間に梁にぶら下がり
くるりと一回転で、着地。
待ち構えていた男達には、テオバルトがそのまま落ちた。
「痛い!」「メリーを捕まえて!」
「邪魔です!」
店内障害物競走のゴングが鳴らされた。
机をくぐり、椅子を飛び越えるメリー。
行く手を阻もうと両手を開いた男は、メリーの涙目に石化。股をくぐられて阻止失敗。後続の仲間に殴られて戦線離脱。
宿の扉からの脱出を狙うと見せかけて、華麗にターン。
厨房裏の出口を目的に定め、さらに加速するメリーは現在1位。
追うユーシェ2位。3位のレイラはあえての妨害を選び、メリーに向かって投げ輪を放つ。
が、寸前でメリーが屈んだために、机の上の花瓶などを守っていた2人が代わりに縄で締め付けられた。
「ちっ、テオさん!立ち上がって両手両足開け!」
レイラの命令に思わず立ち上がるゴール前の最終障害。チーム行商人いちの大男。
「っ!」
身体能力に優れ、動体視力も獣並みのメリーは、条件反射で大男=お父さんと同じシルエット=抱きついて良い対象とし、勢いそのままにジャンプしてしがみついてしまった。
だが、バカ親子が積み重ねて来た呼吸を行商人テオバルトが知るはずもなく、小柄とはいえ全速力でのタックルを受け止めるのが精一杯の青年は、
背後にあった柱に思い切り後頭部を打ち付けた。
ゴス。
ちょっと人が発するには嫌過ぎる鈍い音が響く。
「うわぁ」「あ~ぁ」
さすがのメリーも、しがみついた対象から響いた音に正気に返り、恐る恐る見上げると、
テオバルトは顔をしかめる事もなく、穏やかな眼差しでメリーの背中を優しくポンッポンと叩き、
「…メリーさん。夜道は、足元が見えなくて、危ないから。朝、一緒に門番のところへ…」
残念。最後まで言えずに白目を向いて意識を失った。
「あ~ぁ。けが人増やしちゃって」
「さよなら友よ。お前の勇姿は忘れないっす」
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__「それでも、意識を失ったテオさんは姉さんを離さなかったんだ。でもまぁまぁ流血していたから、止血するために仕方なくそのまま二人を転がして治療してたよ。姉さんが正気に戻ったのはその頃だから、押し倒されたってのは語弊があるよね」
カルロ君、詳しい補足はありがたいのですが、あの時寝ていたんじゃ?
「あの騒ぎで寝てるわけないよ。階段からレプス商会の姐さん達と生暖かい目でちゃんと見守ってたよ!」
生暖かい?生暖かい?
「父さん達が知らなかったのは無理もないよ。あの日からずっと大変だったし…姉さんも、僕らの前では気丈に振舞ってはいたけどね」
…キャリーさんの旦那様、テオ師匠のお葬式までレプス商会の方々は残って下さいました。
お父さんは怪我で町から出られず、
お母さんは倒れてしまったキャリーさんの看病で宿の仕事が出来なかった中、
困った時はお互い様と弟君達の面倒を見てくれたり、どうせ当分村を出れないからと商品である食材を安く売ってくれて。
…あの時は村中が騒ぎになって、泣いている場合じゃなかったけれど、
耐えられなくなった時には必ずテオさんが近くに居てくれました。
厩にいても、木の上でも。
「屋根の上にも迎えに行ってたよね」
はい。特に何か会話を交わすでもなく、ただ気の済むまで泣かせてくれた後は手を引いて宿まで連れ帰ってくれました。
とてもご迷惑をおかけしてしまって、
何度も謝ろうとしたのですが…
「あぁ、メリーがどうしてテオさんを行商人さんと呼ぶのか、やっとわかったわ。それまでは普通に呼んでたけれど、あの頃からだったわね」
__俺のことは、行商人さんと呼ぶといいよ。君にとってのテオさんは一人だけだろうから。
それは、とても失礼な事です。それまでは普通にテオさんとお呼びしていたのに、今さら他人のようになんてと言ったら、「他人じゃなくて、特別だと思うようにするから大丈夫」と。
そう言われて初めて、行商人さんが、
テオさんが私の中で「特別」な場所にすとんっと、収まってしまったのです。




