⑤
「今日陽菜ちゃん来なかったね。絶対来ると思ったんだけどなぁ。てか元カレも来ないしなぁ。」
「マスター、不安を煽らないでください。」
午前1時、バーホワイトにて。
そろそろ閉店時刻を迎えている店内で、圭は無表情のままグラスを布巾で拭いていた。
昨日は陽菜と元彼がデートをする日であった。
圭はその予定を聞いてからずっと不安が消えなかったが、自分はただの陽菜の同居人だからと思いながら一人苛々していた。
ーまだデート中なのだろうか。
時々携帯の画面を見たが、陽菜からの連絡は来なかった。
陽菜の元カレはあれから毎日バーに現れ、会う度に彼の人柄に圭も取り込まれてしまいそうになった。
あんな超優良物件の元カレからまたプロポーズされた陽菜は心が揺らいでいるのに違いないだろう。
圭は嫌な予感が頭をよぎり、仕事にもなかなか集中できなかった。
「あとさ、隼人に返事はしたの?」
「まだです。」
「そろそろ決めなよ。新しいバーテンダーの育成もあるからさ。」
そんな圭には今、これからの人生に大きく関わるだろう悩みがあった。
それにもそろそろ決着をつけないといけないのに、恋も中途半端な状態でなかなか踏ん切りがつけられなかった。
「あと今いるお客さん帰ったら、今日は家に帰りな。圭。」
「ありがとうございます。マスター。」
いつも適当な雇われマスターに世話を焼けると圭も内心思っていたが、今日だけは空気を読んでくれたマスターに感謝した。
そして30分後仕事を終えると、圭は急ぎを切らしてバイクを走り陽菜のアパートに帰って行った。
アパートに着くと、外からリビングの電気がついてることに圭は少し安堵した。
そして玄関を開け、陽菜と自分の靴しかないことを確認するとまた安心して一呼吸ついた。
「ただいま、はるちゃん。」
「あ、おかえり。圭。」
陽菜はリビングのソファーの上に丸まり居眠りをかいていて、圭の姿を見ると目を擦って起き上がった。
そんな陽菜の前に圭は身体の力を抜けたように倒れ込み、陽菜を優しく抱きしめた。
「帰ってくきてくれて良かった。」
「圭…。」
「ずっと不安だったんだ。」
圭はつい弱音を吐いてしまったのを、陽菜は胸の中に抱きとめて優しく髪を撫でた。
「私も会いたかった。話があるの。」
「俺も。今日外が暖かくてさ、星も綺麗で。少しドライブに行かない?」
「いいね、行く。」
そして陽菜は圭のバイクの後ろに乗り、二人は人混みの少ない道路を通り、夜景スポットといわれる小山にたどり着いた。
もう夜更け近い時間で人はおらず、陽菜と圭はベンチに隣り合わせに座った。
「綺麗。初めてこんなに綺麗な夜景見たかも。」
「俺も。」
見上げた夜空は幾万の星が煌めいていた。
隣には大好きな人がいて、陽菜はこの幸せな瞬間を目に焼けつけながら言った。
「ねぇ圭。私たち、一緒に暮らすようになった日のこと覚えてる?」
「うん。初めて会った日のことだったよね。茜さんが仕事で失敗したはるちゃんを励ましにうちのバーに来て。でも匠さんに呼ばれた茜さんが先に帰っちゃって、はるちゃん泥酔して。俺バイクで送って行ったんだよね。」
「そしたらバイクの揺れで、圭の背中に吐いちゃったんだよね。本当に私の人生の汚点だよ。」
「でもそのおかげでその日俺が泊まることになって、一緒に暮らすきっかけになったよね。俺、はるちゃんに会えて本当に良かったよ。」
昔話をした二人はつい照れてしまい、共に顔を赤くしていた。
陽菜はその顔を隠すように、圭の胸に顔を埋めて呟いた。
「私、圭のこと好き。大好き。これからもずっと一緒にいて欲しい。」
「はるちゃん、俺もはるちゃんのこと大好きだよ。だけど…。」
「ん?」
陽菜は圭の不穏な空気に顔を上げると、眉をひそめて俯く圭の顔があった。
「俺、もうずっとははるちゃんのそばにいられないんだ。冬になる前に、隣県に引っ越そうと思ってる。」
「え…。」
陽菜は想いが通じ合った喜びよりも、圭の予想外の言葉に呆然としていた。
そして圭は隣県に引っ越す理由を陽菜に話始めた。
圭は二年前からバーホワイトで働いていたが、その時に隼人というバーテンダーがいた。
隼人は圭にバーテンダーの教育をすると、家庭の事情で妻の実家である隣県に引っ越して行った。
そんな隼人が先月バーホワイトに来て、圭に言ったのであった。
ーまた調理師として働かないかと。
隼人はバーテンダーから転身し、小さなフレンチレストランで調理師をしていた。
その店がリニューアルするに伴い、調理師を募集してるようだった。
隼人は圭の夢を知っていて、料理長も人柄が良く圭と一緒に仕事がしたいと歓迎しているようだった。
圭の夢を叶えるには絶好の機会だった。
しかし陽菜と別れてしまうことに圭はずっと戸惑い、返事を躊躇っていたのだった。
「俺はずっとはるちゃんと一緒にいたい。でも居心地の良い場所にいたら、何も変わらないと思って。俺も徹さんのように夢を叶えてカッコいい人間になりたいと思ったんだ。」
「そっか。私、圭の夢を一番に応援するよ。圭と離れるのは寂しいけれど、私なら大丈夫だから。」
陽菜はそう言って頑張って笑おうとしたが、無意識のうちに目に涙が溢れていた。
そんな陽菜に気付いた圭は陽菜を強く抱きしめ、二人は夜明けまでお互いの熱を感じながら寂しさを誤魔化していた。




