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第33話 明日を手に入れるために


 牢から抜け出してどれくらいの時間がたったのかは分からない。ウィリアムに導かれるがまま右に左に曲がり、また階段を上って、いくつもの牢を通り過ぎた。もうだいぶん出口に近づいたのではないかと思うころ、ウィリアムは物陰を指さした。リーザは身を滑りこませた。奥に詰めるとウィリアムもしゃがむ。


「ちょっと休憩。それと、これからの話」


 リーザはこくこくと頷き、肩を上下させた。石の壁に背中をつけて、浅く息をする。こんなに走ったのは何日ぶりだろう――――息苦しさにせき込みたくなるのを、何度も耐えた。呼吸の合間、ちらりとウィリアムを見れば、彼も息を乱していたがまだ余裕がありそうだ。どうやら鍛え方が違うらしい。


「それで」


 リーザから話しかけた。


「どうするの、これから」


 ウィリアムは困ったように笑う。


「そんなに心配そうな顔するなよ」

「だって」

「大丈夫だよ。俺が何とかするから、絶対」


 ウィリアムは強く言い切り、いつものように笑ってみせた。リーザは彼の服の裾を握りしめて一度だけ深呼吸をした。信じてるよ、と言えば彼は少し驚いたような顔をするが、嬉しそうに目を細めた。


「ねえ、これからのことも大事だけれど……先に聞いてもいい? ウィルは独房に入れられていたんだよね。どうやって私のところまでこれたの?」


 ウィリアムは反射のように頷いた。


「そう、それ。俺もよく分からねえんだ」

「分からない?」


 リーザは首を傾げた。


「ああ、全然分からない。お前が連れていかれてからすぐ、俺も牢に放り込まれてさあ……しばらくはそこにいたんだ。でも急に変な音がして、それから扉が勝手に開いたんだよ」

「それで?」

「そのまま出てきた。しばらく動き回ってるうちに俺の剣も見つかって、そのあとお前のいるところに着いた。よく分からねえけどまあいいかって」


 リーザは俯いて、少し考える。


「ねえ、変なこと聞くけれど……ウィルが倒そうとした見張りの彼女、茶髪だったよね?」

「ああ。近くで見たから間違いない」

「そう――――エヴァ・クワイエルなんかじゃなかったよね?」


 ウィリアムは不思議そうな顔で頷いた。


「何言ってんだよ、どこも似ていなかっただろ。大体あの女の顔なんて誰とも見間違えられねえよ……」


 そうだよねとリーザは呟いた。おかしなことを言っていると自分でも分かっていた。それでもあの香りは――――。


 リーザはますます混乱してしまった。少なくともウィリアムのことはあの見張りが関係しているが目的はさっぱりだ。考えれば考えるほど深みにはまっていきそうなので、とりあえず端に置いておくことにした。


 リーザは長く伸びた髪を後ろに流す。首にべたべたとまとわりつくのを何度か梳いているとウィリアムが髪紐を差し出してくる。よく見ればリーザがいつも身につけていたものだった。どこで落としたのかと思っていたが彼が拾ってくれていたらしい。リーザは少し笑って受け取り、後ろできつく結んだ。


「ああ、そうだ。これからの話だったよね。何か策があったりするの?」

「まあ一応な。このまま上まで行くのはいいとして、問題はそれからなんだよ」


 門番が何人もいるから、と苦々しく言う。


「それで考えたんだけど、門番たちは俺が引き付ける。その間にリーザは逃げろ」

「……それだけ?」

「それだけ」


 リーザは肘で小突いた。ウィリアムは痛い、と声をあげる。


「何するんだよ」

「ウィル一人を置いていけないし、そもそも私だけじゃどうにもならないよ」

「それなら心配すんな。俺はもう負けたりしないし、逃げ道もちゃんと見つけてある」


 リーザは、逃げ道、と呟いた。


「南門の近くに大きな木があるだろ?」

「うん」

「あのあたりの塀、壊れてるんだ」


 ウィリアムは床に石で絵を描いた。ここが門で、ここが木で、茂みがあって、このあたりの塀が崩れていて――――リーザは相槌を打つ。そして案外現実的な話だと思った。


「つまり私は、茂みに飛び込めばいいのね?」


 ウィリアムが頷いた。


「上手くいけば敵もリーザを見失うと思う。塀が崩れてるっていってもよく見なきゃ分からないくらい小さい穴だからついでに時間も稼げる。城塞を出たら南に走れ。森があるから、そこでも茂みを行くんだ。いいな?」   


 分かったと返せば、ウィリアムが立ち上がった。それを見てリーザも床に手をつき腰を上げた。二人はまた走り始める。


 時々見回りの兵と出くわしたが、ウィリアムは闇にまぎれてすべて倒してしまった。鞘に差したままの剣でも殴られればひとたまりもない。一声すらあげさせない一撃にはリーザも呆然としてしまう。


 昔からウィリアムはとても強かったし、きっと才能だってあったのだろうけれど────彼をここまで成長させてしまったのは、やはりこの過酷で苛烈な数年間だ。リーザはやるせなさでいっぱいになった。


 もう正門が近いというところで、角に人影がある。シルエットからして食事運びの下女だ。ウィリアムは剣を握りなおした。リーザは止めようとしたけれど、その腕を下ろし黙って彼を行かせた。


「――――っ!」


 ウィリアムが音もなく躍り出る。人影ははっと振り返り、そして両手を上げた。


「待って――――!」


 女の声が響く。ウィリアムはピタリと動きを止める。剣は腹のあたりで寸止めにされていた。ウィリアムは動揺したように足を引いて、女は顔を覆っていたフードに手をかけた。


「ずっと……ずっとお待ちしておりました」


 物陰から顔を出していたリーザは、思わず駆け寄った。


「メイ!」


 名前を呼ばれたメイはにこりと微笑む。少し離れていただけなのにその笑みにすら参ってしまうほどで、リーザは彼女を強く抱きしめた。骨が軋みそうなくらいに力をこめれば、メイは苦しいですと困ったように笑った。それでも腕を回したまま力を抜かない。


「ねえ、どうして?」


 リーザは声を震わせた。


「どうして来てくれたの?」


 メイはリーザの背中をあやすように叩いた。


「私はリーザ様が大好きだからですよ」


 そんなの知ってる、とリーザは呟く。


「私だってメイが大好きよ。だからこんな危ないことしちゃ駄目なのに――――」


 ――――それでも嬉しくて、嬉しくて、しかたがなかったのだ。彼女の肩に顔をうずめてぐりぐりと額を押し付けた。メイはくすぐったそうに赤茶色の髪を揺らした。


「私はいつだってリーザ様の力になりたい。あなたが幸せなら、私も幸せですから」


その言葉だって何度も聞いた。何度も聞いていたはずなのに、どうしてこんなにも幸福なんだろう。リーザは目元にぐっと力を込めた。


「どうしよう、泣いてしまいそう」

「ええ、私も。あなたがご無事でよかった。私、ずっとそればかりを願っていました」


 ぐっと肩を押されて、リーザは顔をあげた。メイが寂しそうに眉を下げていた。いつまでもこうしていたかったのに、もう時間がない。体温が離れていく。


「さあ、行きましょう」


 今日を生き延びるために────。

 リーザはたった一度だけ頷いた。







 メイに言われて、リーザはメイと服を取り換えた。下女に成りすましたリーザは、フードを深くかぶって顔を隠す。前がよく見えなくて、先導するメイの足首を見ながらついていく。


「あっ」

「っと」


 土を掘っただけの通路はでこぼことしている。足元の段差につまづき倒れていく身体を、ウィリアムが引っ張り起こした。


「ごめん、ありがとう」


 囁き声にメイが振り返った。


「あともう少しです」


 メイは膝をつき、四つん這いの姿勢になった。急に天井が低くなって、そうでもしなければ通れない。リーザも同じようにする。手のひらに小石が刺さってチクチクと痛んだ。


 しばらくするとまた天井が高くなり、ようやく立ち上がれたウィリアムは、なあと呼びかけた。


「さっきから上がったり下がったりだけど、この道、本当に地上まで繋がってるのか?」


 メイはこくりと頷いた。


「ええ。そう聞いています」

「誰に?」

「ディラック様です」

「は?」

「ですから、ディラック様です」


 ぽかんとしているウィリアムに、メイはもう一度同じ言葉を繰り返した。ウィリアムは土の壁を叩いた。天井から砂がパラパラと落ちてきて目に入る。ウィリアムは目尻をこすった。


「いや聞こえてるよ! そうじゃなくて、本当にそうじゃなくて、なんでここで管理人が出てくるんだって話!」


 静かにとメイは視線だけで制する。ウィリアムは慌てて口元を覆った。


「それは私がお手紙を出したからです。正規の方法は取れませんでしたが……あの方にすべてをお伝えしました。その上でこの牢のつくりを調べてくださって、どこからどのようにして侵入するか、ディラック様が指示をくださいました。これからのこともです」

「まさか……メイさんがあの時俺に“暴れて人目をひけ”って言ったのは」

「ディラック様からの指示です」

「じゃ、じゃあなんで最初から説明してくれなかったんだよ」

「細かいことをお伝えしなかったのは時間がなかったからと……ウィリアム様は真実を知ればうっかり顔に出してしまうでしょう」

「う……確かに……」


 それじゃあ、とウィリアムは言った。


「あいつは来てるのか」


 ウィリアムの声は自然と上ずっていた。


 彼の短い問いに、ずっと黙り込んでいたリーザはピクリと指を動かした。息が止まっていることに気が付いてゆっくりと吐き出す。爪先まで固まっていた身体に熱を巡らせながらリーザは期待した。ほのかな期待だった。


 リーザが唇を開きかけたとき、メイは大きく頷いた。


「きっと、もう、近くまで」


 曖昧なのに確信しているようなその言葉にリーザは言葉も出なかった。


「本当に?」


 絞りだせたのはたったそれだけだ。メイはまた頷いた。


「ええ、本当です。ですから急ぎましょう。夜が明けてしまう――――」


 メイは苦々しい顔で道の先を見つめた。リーザもウィリアムも視線を這わせて、そして歩き出した。



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