第34話 またどこかで
土を固めて作られた地下通路に足音だけがかすかに響いている。三人は言葉らしい言葉を交わさなかった。ただ黙々と足を進めていた。
それでも行く先がほのかに明るいのを見たときは誰かが息を吐いた。自分だったかもしれないし、自分ではなかったかもしれない。それぞれが別れを思っていた。
リーザは目を伏せる。これからどうすればいいのかは知っている。知っているけれど進めなくて、思わず足を引いてしまう。
あそこに、あの出口にたどり着いてしまったら、もう――――。
「リーザ」
それを見ていたウィリアムがたしなめた。
「だって、だって――――」
続きなんて出てくるはずがなかった。あの場所に行きつくことは二人との別れを意味しているのだ。誰かが言ったわけではない。それでも誰もが分かっていることだった。
こんなところでお別れなんて、そんなの――――。リーザはぎゅっと両手を握りしめて2人の顔を見回した。
「……ねえ、このままみんなで逃げられるんじゃない?」
迷いながらも口にする。その言葉に勝算がないわけではなかった。
「だって、あの見張りはたぶん私たちの敵じゃないと思うの。牢破りから時間も経っていないし、まだ兵の全員が脱獄を知っているわけじゃないはずでしょう? だったら囮なんてそもそも必要が――――」
「いいえ、それはなりません」
メイは悲し気に目を細めながらもきっぱりと言い切った。ウィリアムは視線を逸らす。一瞬沈黙の時間があり、メイはゆっくりと続けた。
「確かに兵全員に通達が行くまでに時間はかかるでしょう。ですがそれも知れたものです。三人まとまっていては、いざというとき囮の意味がありません。……万が一を考えるなら、やはりここで別行動をとるほうが安全です」
「………そう」
リーザは一度だけ頷いた。
「わかった」
リーザの声は冷静そのものだったが、動揺を押し隠していることは簡単にわかったから、ウィリアムは笑った。
「大丈夫、大丈夫だから」
彼はいつだってそう言う。誰かを安心させるために放たれるその言葉は、きっと彼の優しさなのだ。
リーザは無意識に彼の手首を掴んでいた。けれどその手が少し震えていたことに気が付いて思わず視線を上げると、彼は目尻を下げた。どうしようもなさそうな顔をするのが寂しくて、リーザはぎゅっと力を込める。離さないとでも言いたげなそれに、彼は黙って腕を引いた。
「あ――――」
足がついていかなくて上半身から倒れていく。ウィリアムが柔らかく受け止めた。
「リーザ、ごめん」
ぎゅっと抱きしめられる。少しだけでいいからと彼は言った。いつまでだっていいと返したくて、けれど言えないから腕を回した。ほのかに温かい。彼の顔は見えなかった。
「……困らせるかもしれないけど、俺は、ずっとずっとおまえを愛してる。だからこんなところで終わらせたくない。絶対に」
ウィリアムの腕に力がこもる。
「リーザに会えて本当によかった。人生で一番幸せだった」
「……私だってウィルに会えてよかった」
「本当に?」
「本当よ」
「そっか。それが聞けただけでも良かった」
リーザは自分から身を引いた。そして彼の瞳を見つめた。濡れたような黒色だった。
「ウィルは私の最高の騎士よ――――いつだって信じていたし、これからだって信じてる」
リーザはにこりと笑う。ウィルも笑おうとしたが、目は静かにうるんでいた。
リーザはメイの方に視線をやった。微笑みながら見つめているだけの彼女に向かって両手を広げると、彼女は目を細めた。
「私もよろしいのですか」
「もちろん」
メイは迷うことなく足を踏み出し、リーザの身体に手を伸ばした。二度目の抱擁は優しいものだった。リーザは目を閉じる。
「何を言えばいいのかわからないの」
メイははい、と返す。
「私たちは、ずっと一緒だったよね」
「ええ」
「……ずっと一緒だったのに、全然足りない」
メイはまた、はい、と返した。その声は少しかすれていた。
「私も足りません。もっともっと、あなたのそばにいたかった。あなたが幸せになるのを見ていたかった――――」
メイの声が優しい。答えたら泣いてしまいそうで、彼女の服をぎゅうっと引っ張った――――きっと皺になってしまうだろうと思いながら。メイはリーザの髪を撫でた。
「離れたくありません」
「うん」
「でも仕方がないのです。今の私たちにはこれしかできません」
「うん」
「どうか逃げて、生きてください」
「……うん」
「そして――――いつか会いましょう。私たちは必ずあなたに会いに行きます。約束します」
約束、とリーザは繰り返した。目の端から涙が零れ落ちた。
「だからどうか、ご無事で」
それが別れの挨拶だと知っていたリーザは彼女を離した。そして目元を強く拭うと、にこりと笑ってみせた。
「約束よ――――きっと、またどこかで」
その言葉が最後だった。ウィリアムが片手で合図を送り、メイが飛び出した。彼もその後に続いた。正門の方へと走っていく。二人の背中が小さくなっていった。どれだけ目をこらしても闇にまぎれてしまって見えない。
リーザの身代わりとなったあの二人は、どこかで身を隠し、いざというときは兵たちを引き付ける手はずだ。
リーザはうなだれた。二人の体温が、抱きしめる腕の力が、手のひらの温かさが忘れられない。泣いている暇などなかった。遠くから笛の音が響くのを聞いて、リーザは一人南門へと走り出した。




