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地下世界にて(1)

 通路は延々と続いていた。幅は無理すれば二人並べるほど、高さはヴェルムの頭がつっかえないぎりぎり、そんな狭苦しい土の道を、セレンが灯す小さな明かりを頼みにひた進む。


 しかし、終わりが見えないことに不安を覚えていた。下手すれば城壁を越えているのではないかと思うくらい長く歩いているのに、ゆるく湾曲したり、さらに深く下っていたりする以外の変化がないのだ。


 見切りをつけて引き上げるべきなのだろう。だが、誰もそう言い出さなかった。ほぼ一定間隔で現れる光蔓が、それを手入れする人の存在を匂わせているために。


 やがて、なんの前触れもなく、セレンが声を発した。


「前方からなにかが来ます」


 おそらく彼女は魔力を感じ取ったのだろう。しかし警告に足を止めれば、自分たち以外が土を踏む響きが行く手にあることを、ナターシャとヴェルムも確かに理解できた。


「一人ってことはなさそうだな」

「はい。異なる魔力が二種混じっています、絶対数はもう少し多いかと」

「話の通じる相手かしら」

「試してみるか? 嬢ちゃん、光を消してくれ。それと、逃げる用意はしておけよ」


 言い切るやいなや、明かりが消される。暗闇に目が慣れるのに時間を要した。その間、じっと立ったまま相手方の接近を待つ。


 若干の距離を残し、向こうも見知らぬ存在の気配に気づいたらしい。足を止め、なにぞ相談し合っているざわめきが届く。小声だからはっきりと聞こえないが、どことなく緊迫に満ちていた。


 そこへヴェルムから声をかけた。ヘルデオムの言語であり、ナターシャたちには内容がわからない。


 だが、それで囁き合いがぴたと止まり、向こう側から距離を寄せてくる。


 警戒心あらわに身構えて現れたのは、三人の地溝の民と一人の有翼人で混成した集団だった。闇の中わずかに浮かぶ輪郭を見る限り、先日の戦で見たような武装はしていない。それでも鉈や鍬のような、凶器になり得る道具を各々携行している。油断は禁物だろう。


 ヴェルムが友好的に語りかける。名乗りを上げたり、敵対する意志がないことを言い聞かせたりしているのは、言葉が通じないながらにも空気感から伝わった。


 対する亜人たちも、いくつか言葉を返して来たり、仲間内でやりとりし合ったり。そうやって会話を続けると、いつしか態度が氷解していた。


 やがて有翼人の男がなにかを言った時、ヴェルムの側が困惑した色を見せた。


「どうしたの?」

「いや……歓待の席を設けるから、一緒に来てくれって言われたんだが」

「それは危険な気がする」

「だが断るのも良くはない。こういう形式的なものを重んじるんだ。友好を深める場を拒絶した場合、最悪敵対する意志と見なされる。今後のことを思うと、ここで溝を作るのはまずいだろう」


 レデナ=ノアに立ち入るために、当地を守る有翼人の酋長と会見の場をもたなければならない。聖地に押し入るという無理を通すことになるのだ、せめてはじめの心証は良くしておかなければ、穏便に物事を進めることなど不可能だ。


 そうこうしている間にも、有翼人の男が友好的な声音で誘いをかけて来る。地溝の民が二人、こちらの背中側へ無理やり回り込んで背中を押し始めた。


 もはや諦めるしかなさそうだ。なされるがままに、亜人たちと道を共にした。



 前後から挟まれた状態で洞窟を行く。ながらにナターシャとセレンは、ヴェルムから知り得た情報の提供を受けていた。


 ここはやはりダンザムの外にある地溝の民の集落へ続く地下通路で、町に残された墓所を秘密裡に参るために築かれたものだという。出会った亜人たちも、先人の弔いと通路の手入れに来た途中だった。


 そしてそれよりももっと重要なことがわかった。


「こいつらはバダ・クライカ・イオニアン、エスドアの忠臣だと称した。いま向かっている先も、信徒たちの集会所だそうだ」

「それって……まずいじゃない!」

「早まるな。ワイテのじじいや、あァ、裏でこそこそやってる人間連中とは関わりが無い、純粋に神の到来を信じているだけのやつらだ。なにを信仰しようが、それは自由だろう」

「それはそうだけど、バダ・クライカが集団としてやってきたことは許されるべきことじゃないわ。たとえ教義に振り回されているのだとしても、人を殺したり町を襲ったりしていいはずない」

「ナターシャ落ち着け、あんまり怒るな。言葉が通じねえんだから、違う風に受け取られるぞ」


 現に前を行く二人が怪訝そうに振り返っている。濃い影に塗られた顔で、表情をうかがえないから恐ろしい。


 ヴェルムが彼らの言葉を繰り、場をとりなす。それでひとまずはことなく済んだ。亜人たちは納得したような返事をすると、進行方向へむきなおった。


 しかし物分かりがよいものである。赤肌はヘルデオムの亜人すべての頭領役、その評は本物ということか。それにしても初対面の、しかも敵対する政府人の格好をした相手を、自分たちの隠れ家に案内して歓待しようとするものだ。


 その気持ちを、今度は感情的にならないようにヴェルムに伝えたところ、少しだけ申し訳なさそうな返答があった。


「おまえらがそれぞれ人魚族であること、普通の人間でないことは説明した。同胞であると示せば、いきなり危害を加えられる心配がない。一番安全だ」

「そういう繋がりをなにより尊ぶってやつ?」

「あァ、そうだ。でなけりゃ、もうとっくに頭かち割られてるだろうよ。政府の服着てんだぞ、こっちは」


 今のところ、後ろに居る地溝の民が隙だらけの背中を狙ってくる気配はない。そのつもりならいつでも叩き切れるだろうに。


 なるほど、大人しくしてさえいれば、悪いことにはならなさそうだ。ナターシャはそう理解して地下を行く。



 ずっと狭かった通路が、急激に広く高く変化した。広場に出たといった雰囲気だ。楕円形の大部屋、壁には別の横穴が複数ある。


 空間の中央付近に、光蔓で彩られた鐘台が据え付けてあった。前に居た地溝の民の男がそれに駆け寄って、力を込め鐘を鳴らす。不定なリズムだったのは、仲間であることを示す合言葉みたいなものだろう。


 ややして、横穴から次々と亜人が現れた。武器防具を身に付けている警備と言った者から、半裸のだらしない格好の者までさまざまだ。男女の別はないが、若年層が圧倒的に多い。人影の大多数は背が低めの地溝の民だが、ちらほらと有翼人のすらりとした形が混ざっている。


 だが彼らはみな珍しい客を見物に来た野次馬と言った様子だ。ここまで随行していた三人も、各々散って、やや興奮気味で観衆たちに事情を説明している。


 鐘を鳴らした男のもとへは、ここの長だろうか、他より貫禄のある地溝の民が、二人の側近を連れてやってきた。


 そこでしめやかなやり取りをした後、こんどは長だけが来訪者の方へと向かって来た。残りは足早に一番奥の通路へと駆けこんでいく。


 堂々と歩み寄ってきた地溝の民の長は、ヴェルムの正面に立つと恭しく礼をした。


「遠くより、よく来た。同胞らよ」

「政府の公用語が使えるのか」

「少し話し、聞く。人間の、動きを、知るため」


 ゆっくりとしてたどたどしい口ぶりだが、意思疎通に不足はなさそうだ。


「いま、歓迎の席を、準備している」

「そんな丁寧にしてくれなくて結構なんだが」

「駄目だ。赤肌が来て、なにもしないは、違う。新しき同胞も、祝わなければ」


 長はナターシャとセレンを交互に見た。ほのかな明かりに浮かぶ眼は、頑固な意志をそのまま形にしたようなもの。こちらがなんと言おうと、引きずってでも宴の席に放り込むつもりに違いない。


 付いてこいと長が歩き出す。言われるがまま背を追って、最奥の通路へと向かった。


 先ほどの通路より少し天井が低いため、ヴェルムはやや前かがみになって進む。長が申し訳なさそうに説明するには、普段は地溝の民とせいぜい有翼人しか出入りしないため、その必要最小限にしか高さをつくっていないと。


 ヴェルムはそれを聞いて笑った。


「この程度ならましだ。一般的な地溝の民の集落よりだいぶ広いじゃないか」

「ここは、我ら、バダ・クライカ・イオニアンの、最前線。その時が来たら、ここに同胞集い、聖戦へ赴くため」

「あァ、なるほどな……」


 ヴェルムは笑みを苦いものに変じさせた。長がちらと振り返ってそれを見たようだが、彼の図体に隠されていたナターシャの露骨なしかめ面を見られるよりましだろう。ひとまず気を損ねることはなかった。


 それから一つ物置になっている小部屋を通り越し、さらにその先にある広めの一室まで導かれた。


 壁には今までより濃く光蔓が張り巡らされており、これまで来たところと比較するとかなり明るい。感覚的には双月の夜道と等しい。


 部屋中央には四角い敷物がしかれていて、その上に脚の短い石の長机が一台あった。幅も広く、向こうとこちらで向き合って座るものと一目瞭然。実際に三対三で磁器の杯が用意してあった。ただしその大きさは、両手で持つ椀ほどある。


 さらに現在も左右の横穴から一人用の卓を運び入れ、両脇に並べている。主賓以外で同席したい者が自分で持って来ているようだ。すでに気の早いものが何組も陣取っていて、談笑しながらこちらを見ていた。


 なにげなく天上を見あげると、人ひとりがくぐれるような穴が開いていた。そこから生まれる空気の流れもかすかに感じられる。有翼人が出入りすることもなんとかできそうではあるが、おそらく空気穴として設けているのだろう。


 長に促され、長机の手前側に座る。ヴェルムが中央で、ナターシャが右手、セレンが左手に。


「少し、待て。楽に」


 長はそう言い残し、一旦部屋を離れた。


 ややして側近を伴って戻って来る。有翼人と地溝の民がそれぞれだ。彼らも長を中央にして座についた。


 そして空間がふっと静かになった。すでに二十人近く集まっている一般観衆が、みな長の言葉を待って口を閉ざしたのだ。


「改めて。よく来た、外の同胞たち。我ら、バダ・クライカ・イオニアン、帰参を、歓迎する」


 ナターシャたちに伝わるように言ってから、長は同じことを亜人の言葉で繰り返した。


「少しだが、酒を用意する。同時に、杯を交換する方法、提案する。よいか」


 なんのことだ、とナターシャは疑問符を浮かべた。


 そこへヴェルムがすぐさま注釈を加えた。


換杯かんはいの儀。少し飲んだ酒を、対面の相手と交換するんだ。お互いの誠意の証明になる。例えば相手の杯に毒なんか盛ろうものなら、ここで自滅するってわけだ」


 その通りだと長も首を縦に振っている。


 なるほど、それで安全が保証されるならば。ナターシャも受諾の意を示した。


 長が横穴の方へ合図を送る。すると、巨大な水差しを抱えた地溝の民の娘が入ってきた。愛想を振りまきながら、酒を注いで回る。もともと大きな器に、なみなみと。


 この濁った酒には見覚えがある。ナターシャは少し気後れした。


「さっきあんたが飲んでたやつよね、これ……」

「多少はこっちの方が穏やかだろうが、まあ、これ飲み干したらひっくり返るだろうな。おまえたちは一口ずつで大丈夫だ、残す分には問題ない」


 それならなんとか持つだろう。ナターシャは意を決して、器に手を添えた。


 向こうの長が、彼らの言葉で何かを発せながら、自分の杯を一度高く掲げ、口をつける。側近たちやヴェルムも後に続く。ナターシャとセレンも見よう見まねで同じ動きをした。


 一口喉に流しこんで、一旦杯を机上に置く。それを対面する相手の方へ押しやって、向こうから来たものを換わりに受け取り、今度はそこから酒を少しだけすする。


 そして置いた杯は中身を半分程に減らしていた。もっとも、ほとんど相手が飲んだものだが。ナターシャは合わせて二口だけ。それでも全身がかっかと火照るし、意味もなく気分が高揚してくる。


 ちらと隣を見れば、ヴェルムが杯を干していた。これには亜人たちも驚嘆したようで、どよめき、歓声があちこちから上がる。水差しを抱えた給仕の娘が慌てて走ってきていた。


「めでたいな、グリド。すぐに肴も来る、さらに、祝おう」

「さらになにを祝うと?」

「我らが敵、ライゾットが、死んだ」

「……ああ。死んだぜ」

「エスドア様より、天誅がくだされた」

「その通りだ」

「これ以上に、祝えること、無い」

「そうだな」


 ヴェルムが淡々と言葉を返すのを、ナターシャは手に汗かいて聞いていた。


 それは嘘だ。ライゾットは生きている。おまえたちはライゾットに騙されて、無い神への信心を利用されている。そう宣告してやりたかった。目を覚ませ、と。


 だが、できなかった。熟考の末やめた方がいいと結論付けたわけではない。言葉を発せようとした手前に異変が起こったのだ。


 体が鉄のように重い。視界が歪み、かすむ。意図せず瞼が落ちてくる。睡魔だ。抗いがたい眠気がナターシャの心身を支配した。思わず体勢を崩し、敷物の上に肘をつく。


 しかしおかしい、直前まで意識がはっきりしていたのに、ここまで唐突に落ちるだろうか。確かに強い酒だったが、二口で酩酊するほど下戸ではない。


 ――まさか。


 薄れる意識で対面方向を睨み上げた。無体を晒すナターシャを前にしても、長を始め亜人たちはうろたえるようすがない。まるで、始めからそうなることを知っていたように。


 その姿もあっという間に霧散した。別の誰かが倒れる音、ヴェルムが怒鳴る声、数多のざわめき、鈍器が石を叩く響き、そんな音はもう少し後まで聞こえていたが、すべて遠くのことのよう。


 そしてそのまま、ナターシャは無の時空へ陥ったのだった。

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