亜人が居た町(4)
空には白と紅の二つの月が輝いている。それに加えて大きな通りには点々と光源石の街灯が設置されているため、ずいぶんと明るい夜だ。
ナターシャは教わった道順でルースの酒場とやらへ向かっていた。が、これがなかなか宿から遠い。途中にもいくつか営業中の酒場があったから、自分がちょっと飲むならそちらで済ませるだろう。
理由を考えるとしたら、やはり人目か。夜警の数は、昼間の巡察隊よりも多いように見受けられる。警戒も強い。武器を持っているのが災いして、ナターシャも何度か「こんな時間になにをしている」と呼び止められた。
涼やかな風に吹かれてしばらく、ようやくたどり着いたルースの酒場は、意外や開放的な間口であった。外からでも店内の状況が一目でわかる。
さほど大きな店ではない、二十人も入れば席がほぼ埋まりそうだ。現在、左手奥のテーブルには、酔いつぶれて眠っている一般客が。そして、右手の壁に沿ってあるカウンターの中頃に、探していた相手が居た。
ヴェルムは大きな錫のジョッキを手に、店主の女――彼女の名がルースである――と談笑している。政府側からのお達し通り、制服は着用している。ただ羽織るだけにして、前は地肌を晒しているが。
その隣、手前側にセレンも居た。そして、真っ先にナターシャの到来に気づいたのが彼女だった。
セレンが振り向いたことで、店主とヴェルムの目もこちらを向く。
途端、ヴェルムが渋い顔をした。
そういう顔をしたいのはこちらだ。ナターシャは拗ねた気分をありあり表にし、遠慮なくヴェルムの隣へ迫った。
「ずるいじゃない、あたしだけ仲間外れにして。声かけてよ」
先に寝たのは自分だが、さておき。
ヴェルムはさも面倒くさいと言いたげに、堂々とため息を吐いた。
「俺はもともと一人で飲むつもりだった。そうしたら、嬢ちゃんが勝手についてきたんだ」
「おひとりにするわけにはいきませんので」
大真面目にセレンが言った。彼女は彼女で小ぶりの器に入った飲み物を出してもらっている。
着席したナターシャにも、主人であるルースが笑いかけてきた。外見はナターシャよりも年嵩、三十半ばといったところか。
「あなたは何にする?」
「彼と同じのを、もう少しすくない量で」
「フフッ、それはやめておいた方がいいかも。かなり強いわよ、あれ」
すっとヴェルムが自分のジョッキを渡してきた。試しに飲んでみろ、と。
やや重量がある器をナターシャは両手でつかんで、まずは中身を目で確かめた。いやに濁った酒だ。中央諸島では見かけないものである。
さて、ナターシャは下戸ではなく、たまにヴェルムと飲みに行った時には、酒豪の彼に付き合ってそこそこ強い酒をたしなむこともあった。だからまあ、言うほどのことじゃないだろうと、楽観的な気持ちで一口相伴にあずかった。
しかし甘かった。舌に触れた瞬間に、熱のような酒気が突き刺さる。喉に流せば通ったところが焼けるよう。かっと頭に血が昇り、くらりと視界が傾いた。中央の酒場でここまでの代物を出しているところはない。
ヴェルムが喉の奥で笑いながら、ジョッキを取り戻した。
「強烈だろ? ここのは特にそうだ、昔からな」
「もとの製法が酒豪揃いのヘルデオムから伝わったものだから。普通の人が飲むときは、水で割ったりするものなのよ。あちらの子にもそうやって出してあるわ」
「じゃあ、あたしもそれでお願いします」
了解、とルースは人好きのする笑みを一層咲かせて、慣れた手つきで樽から酒と水とを汲み、セレンと同じ大きさの水割りを作った。
受け取って早々に具合を確かめる。なるほど、酒気がほどよく緩和され、ほんのり甘みのある味わいがよくわかるようになった。それでも、中央諸島の酒に比べるとやや強めの部類だ。
と、つまみの小皿も出てくる。ルースいわく、オリーブの塩漬けだと。ダンザムより南西の沿岸部から運ばれてくるものらしい。
「人魚さんのお口に合うかはわからないけれど、食べてみてよ」
「ちょっ……どうしてあたしが人魚だって」
「さっきヴェルムさんに聞いたから。もう一人、人魚の同僚と一緒に来ているんだって」
「ヴェルム、あんた、なに気軽に言ってるわけ!? 無駄に騒ぎの種まくの、やめなさいって」
「総監局から来ているって時点で手遅れだ。ただの人間じゃないってのを言ってるのと同じだぜ」
ナターシャは閉口した。確かに、た。政府内では周知のことであるし、噂話として住民に広まっている可能性も高い。現にルースが控えめにうなずいている。
それを見て、ふと思った。
「ルースさんは、あたしたちのこと怖いって思わないんですか」
「ええ。子どもの頃は普通に居たものだし。それに……」
ルースはテーブル席の様子をちらりとみやって、それからヴェルムにも目配せする。彼は答えるように軽く顎をしゃくった。
そしてルースは、口の前に人差し指を立てながら言う。
「私は混血なの。母方の祖父が赤肌の民で」
えっ、と思ってルースの外見を改めた。しかし肌の色も人並みで、特段体格がいいわけでもない。むしろ小柄なくらいだ。
ナターシャの思いを察して、ヴェルムが静かに横槍を入れた。
「俺は母親の方と知り合いだったんだが、あの人はもう少し俺たちよりだったぜ。肌は赤みがあるし、がたいもよかった。血が薄くなりゃ、人間に寄ってくのもしょうがないわな」
「そういうものなの」
「少なくともこの辺りじゃあ珍しくもない。亜人の血を引いていても、外見も特異な能力も持たず、普通の人間として暮らしている。今でもな」
「政府的にはそれは許せるわけ?」
「『人ならざる力を持つ者は人にあらず』だからな、連中は。流れている血がどうであれ、自分たちと同じ姿かたちで、自分たちに反抗さえしなければすべて同族とみなすんだろうよ。俺には理解しかねるがな」
ヴェルムは苦虫をかみつぶした口をすすぐかの面持ちで、ジョッキをあおった。
一方、ナターシャには納得ができてしまった。自分も人魚にあるべき力を持っていないために、疎外された過去がある。人間も亜人も関係なく、それが集団の性なのだ。たまたまわかりやすく人間対亜人の構図になっているだけで、人間同士でもささいな好き嫌いで優遇冷遇を決めたり、美醜や家柄の違いで相手を見下したり、そんなことはいくらでもある話だ。
おそらくヘルデオムの亜人たちも同じだ。本当に血の繋がりを至上として例外がないのであれば、混血の者が多く居るダンザムに攻撃をしかけなどするものか。そして混血の者たちも、出自を隠し人間としてダンザムに暮らし続けるなどするものか。
あるいは、亜人の血族主義とは、単にヴェルム自身がこうであれと掲げる理想論なのだろうか。
ナターシャは隣の大男を横目で見ながら、自分も酒をなめた。
「ねえ、ヴェルム」
「なんだ」
「あんたさ、どうして政府に入ったの。あんたの性格なら、こっちに残って亜人たちの陣頭指揮でもしてそうなのに」
ヴェルムは重みのあるうめき声を漏らし、ジョッキを置いた。少しうつむき気味で、なおかつ目を細める。
ややの間、そして。
「当時、政府は異能戦力……ヴィジラの増強をはかっていた。そこへヘルデオムからも人員を送り込むことになった。理由は政府に対して全面対立する意志がないことを示すのが第一。もう一つは、政府の内側から情勢を変えるために」
「あんたが活躍すれば、亜人の印象がよくなるからってこと?」
「おおむねそうだ。ただ、族長からはもっと大きく、ヘルデオムの代表として政府に物言い、政治を動かすことを任じられたよ。この上ない栄誉だった」
ふっとヴェルムは自嘲した。
「まあ、おまえも知っている通り、まったく上手くいかなかったわけだ。ヴィジラ自体の扱いが妙なことになって、亜人の立場を変えるどころか、自分の状況すら悪くなっていくばかり。全部で五人が中央に入ったが、俺一人しか残っていない。もうどうしようもない状態だ。……もし、ディニアスの野郎があと三年早く現れてくれていたら、ここまで落ちてはいなかったかもしれん。時々そう思って、悔しくなる」
終わりの方はセレンに目を向けて言っていた。彼女はしかと目線を寄越し、きっちり聞いているようだった。だが、なにとて感想を述べることはしない。
結局ヴェルムが独白を続ける形となった。
「俺は何一つできなかった。それだけならまだしも、最悪のかたちで帰って来ることになったのさ。俺が一番あいつらのことを尊重してやらなきゃならんはずなのに、これだ」
言い捨てて、自棄になったように酒を呑む。長く、長く。
勢いよくジョッキを叩きつけたら、その後こぼれたのは、深い溜息だった。弱ったように眉を下げ、ナターシャを見ている。
「だめだな。今日明日だけでも色々全部忘れようって、こうやって飲んだくれに来たはずだったんだが」
「それは邪魔したわね」
「まあ、何となくこうなる気はしてた。おまえじゃなくても、誰かしら絡んでくるだろうって」
「おひとりにはできませんので」
「あァ、もう、わかった」
両側から言われてお手上げといった様子。大の男がふてくされているのが異様におかしくて、ナターシャは失笑した。ついでに背中をはたいて、茶化す。
「逃げずに現実みなさいって、天からの思し召しなのよ、きっと」
「……酔ってんなあ、おまえ」
ヴェルムが呆れた笑みを浮かべた。
束の間の歓談を終え酒場を離れたのち、一行の足は宿へは向かわなかった。少し寄りたいところがある、とヴェルムが言い出したのだ。
涼やかな夜風に酔いを適度に冷まされながらたどり着いたのは、一際古びた家屋が並ぶ一角の路地裏だった。
自分たちの他に人はおらず、家々は寝静まっている。特に目につく建造物もなく、砂にまみれた敷石が続くのみ。
その何も無い道にヴェルムがしゃがみこんだ。際立って大きな石をじっと見つめ、そして縁に溜まった砂を軽くかき出す。
「そういうものが出てきたという話はなかったと、ルースのやつが言っていたのが本当なら……」
ぶつくさと言いながら、指に渾身の力を込めて石を持ち上げた。砂を噛む音と共に、ゆっくりと敷石が上にずれ、そして、外れた。
下から出てきたのは空洞。いや、地下への入り口だ。石を切った階段が闇の中へ続いている。
「なに、これ」
「昔の地下墓地への入り口だ。使ったのは最初期だけで、後はこうやって蓋してあったもんだから、政府の連中に見つからずにすんだみたいだ。知られていたら、まあ滅茶苦茶にされていただろうからな」
つまるところ、忘れ去られた死者に祈りを捧げるためにここに来た。なるほど、ヴェルムらしい。
ナターシャとセレンが先に階段を数歩降り、最後にヴェルムが入る。そして万が一にも露見しないように、内側から石蓋をずらした。
辺りが完全な暗闇に閉ざされた。と思いきや、進み行く先に、点々と小さな光が散っているのが浮かんできた。
それはさながら星々のよう。暗さに目が慣れきたら、正体が植物であるとわかったが。細い蔓に付く小さな葉、それがうすぼんやりとした光を放っている。
地下に暮らす地溝の民が照明として使うものだ。ヴェルムがそう解説してくれた。目の前に居る人の顔すらはっきり見えない程度の明るさだが、彼らにはこのくらい弱い光でないと耐えられないのだとも。
おぼろげな光を頼みにし、ゆっくりと地下に降りた。予想以上に深い、空気がどんどん冷えていく。
やがて開けた場所に出た。壁を這う蔦が一際多く、さらには小部屋を支える四本の柱が、光る彫像としてそびえ立っている。神秘的な風景だ。
そして部屋の中央には、大きな石碑があった。
ヴェルムが足早に近寄って、ひざまづく。そして目を伏せ、いつかも聞いた死者への弔いの言葉を捧げた。バダ・クライカ・イオニアン、その語をまじえた東方亜人の祈りを。
詞が尽きた後、ヴェルムはゆっくりと瞼を上げた。
「すまんな、こんなことに付き合わせて」
「いいえ。こっちから押しかけたようなものだし、これくらい」
ナターシャは肩をすくめた。
だが、ヴェルムはもうこちらを見ていなかった。立ち上がった流れで、小部屋をぐるりと見回している。どこか怪訝な面持ちだ。
「どうしたの?」
「いや……何十年と放置されてきたわりには、えらく小奇麗だと思ってな」
「密閉されていたからじゃない? 風も吹きこまないんだし、汚れたり壊れたりする要素がないわ」
「だが蔦は伸び放題になるか、枯れるかになるはずだろう。なんでこうも具合のいいところで維持されている」
確かに。壁から床に、柱から天井に、自然に任せればそうなってもいいはずだが、なっていない。部屋と階段部分で明確に差がつけられているのにも、恣意的なものを感じる。
それに、ずっと密室だった割には空気が淀んでいない。多少温度は低いが、外で循環する空気に居る時と同じ感覚だ。
――まさか。
ナターシャもある疑いを胸に、四方を見回す。だが、自分たちが降りてきた階段以外に、どこかへ抜ける道はないようだが。
その傍らで、セレンが小さな魔法球を取り出した。握りこぶしよりも小さな光弾を掌上に浮かせている。それだけでも小部屋を照らすのには十分だった。
やはり四方とも、よく磨かれた石の壁に取り囲まれている。床もだ。恐ろしいほどに美しい平滑面、石を自由自在に切りだすことが地溝の民の技能らしい。
三人ともが視覚を研ぎ澄ます。そして一番にあっと声を出したのが、セレンだった。
「あそこの壁が、切り取られているようです」
指示された向かって右側の壁面に注視する。
なるほど、石表面の模様が一部ずれて浮き出ているようだ。非常にかすかな違和感、光蔓だけでは永久に見つからなかっただろう。
急いでそこへ駆け寄り、ヴェルムが壁を力を込めて押した。
すると、扉のような四角い板が、意外や軽い音を立てて向こうへ倒れた。よく見ると石の部分は非常に薄く、厚みがあるのは裏に板が張られているためだった。
「なんてこった、こんな細工ができるのは……」
ヴェルムは苦々しい顔をして、目の前に現れた洞窟を見据えた。
墓所とは明らかに違う、土を掘っただけの通路。点々と光蔓が植わっていること以外、先にはなにも見えない。深い深い闇だ。
さあ、どうする。選択肢は三つ。このまま進むか、戻って政所に知らせるか、なにも見なかったことにするか。
「どうするよ、ナターシャ。行ってみるか?」
「少しだけならいいんじゃない。危なそうなら、あとあまりにも深そうなら引き返す。報告するかどうかは、なにがあるか次第かしら」
「嬢ちゃんは」
「お二人に同行するよう命じられてますので」
「あァ、そうか。じゃあ決まりだな」
ヴェルムを先頭に、何が潜むかわからない地下世界へと踏み出した。
その直前、ナターシャは魔砲の所在を確かめた。念のため、と持って来たのは正解のようだ。ただ、結果的に無用の長物となることを祈りたい。




