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密命(3)

 翌朝、開門直後に局へ一番乗りしたのはナターシャであった。とても惰眠を貪る気分ではなかったのだ。


 ややしてヴェルムもやってきた。


 それ以上に待つ必要はない。二人は口数少ないまま、連れ立って統括室へと向かった。



 宮殿内は未だ人がまばらである。だが幸いなことに、ミリアは既に出仕していた。机に向かい、頬杖をついて、浮かない顔。ひどくやつれているように見えるのは、光の悪戯ではないだろう。


 ナターシャたちを認めても、意外なことに厳しいものを醸すことがなかった。むしろ、すまなさそうにほほ笑んでいる。


「ごめんなさいね、忙しいところを呼びつけて」

「いいえ。あの、お話とは、どういったものでしょうか。あたしたちへの処分が決まった、とかですか」

「その……そうね、処分とは違うわ。その心配はいらないから、とりあえず、なにも言わずについて来てちょうだい」


 ミリアは焦ったように立ち上がり、足早に部屋を出ていく。


 なんだ、わけがわからない。ナターシャとヴェルムは身振りでそうやりとりしてから、指示に従い、ミリアの背を追った。



 案内されたのは中央棟の一室。六名ほどが収容できる小さな会議室といった部屋で、どこの省局にも属していない。部署を越えた打ち合わせや、人にあまり聞かれたくない相談などの際に使われている。


 解せないのは、同じ類の部屋は、異能対策省がある西棟にもあるのに、わざわざ遠くの部屋を選んだところか。


 いや、それだけではなかった。ナターシャとヴェルムを小部屋に引き入れたミリアは、


「少しここで待っていて。あまり騒がないでくれるとありがたいわ」


 と言い残し、一人部屋を出て行ってしまったのである。


 利用規則に従って、「使用中」の札をドアに表示するのが音で伝わったのち、周囲から人の気配が完全に消えた。


 いよいよ意味がわからない。ナターシャは声量小さくヴェルムへこぼした。無意味に拘束される苛立ちから、不満の愚痴も入り混じる。


 当然ながら彼もまた、理解不能と呆れた風だった。ナターシャの愚痴に対しては、俺に言われても困ると真っ向からつっぱねる。


 黙って待つより他なし。手近の椅子を引いて、腰を下ろした。



 待つだけの時間は長かった。体感だけかと思いきや、廊下に鐘の音が静かに響くのを聞いて、現に「少し」と言えない時が過ぎているのを知らされる。


 ミリアはまだ戻ってこない。何度か廊下に足音が聞こえたが、いずれも通り過ぎるだけだった。

 

 さては、ここに閉じ込めておくことこそ、真の目的なのでは。そんな考えが頭によぎった。ミリア自身は悪知恵を働かすタイプでないが、誰かが圧力をかけてやらせることならありうる。一目に疲れている様子だったのは、その証左では。


 ナターシャは疑心暗鬼に取り憑かれた。出るか、待つか。葛藤が生まれ、自然と腰が浮く。


 だが、躊躇ったことが功を奏した。今しがた廊下を来た足音が、部屋の前で止まったのである。


 一つくらい文句を言ってもいいだろうか。不興の心を顔に映して、開かれる扉を睨んでいた。


 が。向こう側に立つ人影を見たとたん、小言も何もすべてが吹き飛んだ。


 そこに居たのは威風をなびかせた男。東方大陸統治府総裁次長、ブロケード=ロクシア。


 驚き唖然とされるのに眉目ひとつ動かさず、ブロケードは室内に歩んできた。


 そこから一歩引いて、ミリアも静かについてきていた。そっと閉ざしたドアに内から鍵をかけている。


 ブロケードはナターシャとヴェルムに対面するかたちで椅子を引き、泰然と腰を下ろした。負傷した左腕を三角巾で吊っていても、まったく隙や弱さを感じさせない。


 ミリアが斜め後ろに立ったところで、彼はようやく口を開いた。


「時間がない、単刀直入に言うぞ。君たち総監局員に指令だ。明日の昼、総裁が飛空船で大陸へ向かう。そこに同乗し、東方大陸へ渡ってくれ。後のことは現地の者に託してある」


 ――指令だって? いきなり現れて、なにを言うんだ。ナターシャは展開に振り落とされそうになっていた。


 総監局に他部署から捜査依頼がくることはままある。しかし、普通は局長を介して指令がくだされるものだ。相談もなしに有無を言わせず顎で使われる、あり得ない。


 ナターシャは隣の同僚へ助けを求めるように視線をやった。


 彼も彼で、斜に構えてブロケードを睨んでいる。脚の上で重ねられた手は、片方が激情を抑え込むように震えていた。


 その反応を見て、ミリアが割って入ってきた。少しばかり厳しめの口ぶりである。


「許可は私が出しました。これは東方統治府からの密命です。謹んで受けなさい」

「局長は? あいつは知ってるの?」

「密命を託す現場に呼んでいない。それで察することはできないか」

「……そういう問題じゃねえだろう、総裁次」


 ヴェルムのどすをきかせた声が、冷ややかに空間を打った。


「今までなにがあろうと、うちの局が東方治安に介入することを拒んできた。ヴィジラの一人すら配備させない。そんなあんたが、直々に俺らへ指令だと? なにを企んでいる」


 ブロケードは翡翠の目を少し細めた。くれぐれも口外するな、と念を押してから、声を潜めて言う。


「レデナ=ノアを守護する有翼人の酋長と会談し、政府人としてかの聖地へ立ち入る許可をもらえ。そして、かの地を調査しろ」


 瞬間、ヴェルムが怒りを爆発させた。ブロケードにつかみかかろうとするのを、ナターシャが慌てて腕にしがみついて止めた。向こうは、ミリアが蒼白な顔で、夫に抱きすがっている。


 それでも一切動じないブロケードに対して、ヴェルムが吼えてかかった。


「貴様は、あの場所が! あれが、どういう場所なのか! 知っているだろう!?」

「当然だ。レデナ=ノアは亜人の聖地、神の降り立つ地、精霊の住処、死者の魂が集い天地へ還る場所」

「知っていて、貴様はァッ……!」

「盟約により、私たち人間はかの地へ近寄ることが許されない。だからこそ、主義に反して君たちに頼ろうとしているのだ、亜人である君たちに。お互いのために穏便な方法をとりたいのだ、わかってくれ」

「穏便にだと? 違うだろう。一度でも聖地を侵せれば、そこからヘルデオムへ侵略できる。どうせ貴様は、そういう腹づもりだろう」

「……それは、まるであいつの考えだな」


 ブロケードは表情を曇らせ、かすかに嘆息した。


「今回は違うと誓おう。ここで言うつもりはなかったが……バダ・クライカ・イオニアンに関することだ」


 ブロケードは出方を伺うように、一旦そこで言葉を区切った。ずっとヴェルムを見据えていた瞳が、一瞬だけ、ナターシャの方を向いた。


「連中が崇めるエスドアが本当に居るのだとしたら、その在所はおそらく聖地レデナ=ノアだ。まだ公にはしていないが、確信するに足りる情報も得ている。邪教が力を蓄え再び戦火をもたらす前に、根源を断たねばならん。世界の命運がかかっていると言ってもよい」


 ――そういうことか。


 正直なところ、なぜ今のタイミングで大陸へ行けなどと言い出したのか、腑に落ちなかった。現在必死にワイテの裏を洗っている、そのことはブロケードも知っているはずなのに、と。


 だが、バダ・クライカに絡んでいるのなら、異例の命に納得がいく。


 そして、ナターシャは感じていた。レデナ=ノアに居るのは、おそらく、ライゾット=ソラーだ。亜人の聖地にて、亜人の神として復活する。いかにもな演出である。


 ブロケードがそこまで気づいているのかはわからない。口にしないだけですべて悟っているのか、それとも、咎人が自分の親友と知らずに責めようとしているのか。


 もっとも、彼の心情など、今のナターシャにはどうでもよかった。


「あたし、行きます。バダ・クライカを追うのなら、やらせてください」

「もとより君らに任務の拒否はできない。君らが政務官としてここに居る以上、社会のならわしに従うのが当然だ」


 上官命令は絶対、正当な理由なく拒否すれば、処分は免れない。かつ、亜人の尊厳を守るために任を拒絶する、などというのは、人間の政府において正当な理由とはみなされない。


「私からは以上だ。これよりの行動は、ミリアの指示に従ってくれ。健闘を祈る」


 一方的に話を打ち切って、ブロケードは席を立った。


 が、ドアの鍵を開けたところで立ち止まり、浅く振り向いた。


「もう一つ。バダ・クライカの騒ぎにかこつけ、盟約を破りレデナ=ノアに侵入した人間が居る可能性がある。政府の信望に関わることだ、もし発見した場合、亜人たちが騒ぐ前に処罰しろ。どのようなかたちでもよい、今回の責任はすべて私が負う」


 あくまでも可能性の話だが、と念押しして、ブロケードは去っていった。


 入れ替わるようにミリアが言葉を発した。


「じゃあ……私たちも一度総監局に行きましょう。必要な荷物だけ持って、すぐに西港へ出発します。昼前の船に乗らないと、飛空船の離陸に間に合わないから。ああ、ディニアスには詳しい内容は教えないで。私が手を借りたがっている、ということにしてちょうだい。行先も伏せて」


 返事をしたのはナターシャだけだった。


 ヴェルムは椅子に崩れ、うなだれている。目は閉ざされ、息は深く荒く、固く結んだ拳を震わせて。大丈夫か、と声をかけることさえはばかられる気を昇らせていた。



 局に戻ると、真っ先に目に飛び込んできたのが、ふてくされた顔で机に向かうディニアスの正面姿であった。


 仕事が捗っている、というわけではないらしい。右手で羽ペンを回して遊びながら、左手で菓子をつまんで、がりごりと音をさせている。遠目では曇り硝子のように見えるが、飴だろう。そしておそらく、ヴェルムの引き出しから勝手に出して食べているのだ。


 彼の背後にはセレンも控えている。何をするわけでもなく、ただそこに居るという様子だが。


 そして、それを遠巻きに囲むように、三人の監視官が座している。ノートとペンを持ち、なにぞ記録もつけているようだ。


「ディニアス。こちらの用事で、しばらく二人を借りるわ。構わないでしょう」

「駄目だと言ったらやめるんですか? やめないでしょう、省長命令だーとかなんとか言って。勝手にしたらいいじゃないですか」


 ディニアスは厄介を払うように左手をふった。監視官たちが顔をしかめてペンを走らせているが、意に介していない。


 ミリアは溜息をこぼしてから、「準備をして」と言った。


 ナターシャは自分の机に向かった。何を持っていくか。聞くところによると、食料や日用品、その他活動に必要な道具類は、すべて大陸側で得られるよう手配してくれているそうで、手ぶらでも困らない状況だ。だから、個人的にどうしても必要な物だけ持っていけばよい。


 すると、これだ。ナターシャは魔砲まほうの収められた箱を手にした。常識外れな破壊力は、窮地を打破するに心強いから。研究局からの借りものだが、いつまでに返さなければいけないとは決まっていないから、まあよいだろう。


 箱は邪魔なので、適当な布袋に中身を移す。本体に損傷は無い、尾部に輝く緑のアビラストーンもきちんと光を湛えている。ただ、砲弾は二つしかない。戦時に外で打った片方が、あとで探しても見つからなかったのだ。中央軍が陣営を撤収したときに、廃棄物の中へ紛れ込んでしまったのだろう。もはやどうしようもない。


 それともう一つ。ナターシャは上着の胸ポケットを押さえた。固い物が手に当たることを確認する。


 人魚の夢のかけらだ。あの日以来、さまざまな念のこもったお守りとして、肌身離さず持っている。バダ・クライカとの最終決戦へ望むに、万一にも忘れていくわけにはいかない。


 あとはせいぜい、気持ち程度の金くらいか。ナターシャの旅支度は以上で終わった。


 おずおずと向かいの席を見る。ヴェルムもまた、引き出しから二、三ものを取り出して、それで終わりらしい。所在なげに机へ手を置き立っている。相変わらず、思いつめたような表情だ。


 その横顔を、ディニアスも怪訝に見つめていた。


「赤肌殿、大丈夫ですか? ずいぶん具合が悪いようですが」

「……ほっとけ」

「そうですか。まあ、あなたの魂はあなたのものだ、お好きなようにすればよい。生きるも、死ぬも……」


 そこまで言って、ディニアスは切れ長の目を半分ほど伏せた。ペンを持った手を口元へやり、なにやら考えているようだ。


 ややして、彼は首を真後ろに倒して、逆さにセレンを見上げた。


「セレン。おまえも一緒にお行きなさい。やはりその方が良い」


 えっ、と一同が似た顔をした。あのセレンですら、困惑を示している。


 特にミリアのうろたえぶりは明らかだった。無理もない、ブロケードの意図から外れたイレギュラーが絡んでこようとしているのだ。いかに防ぐか、采配が問われる。


 ディニアスは首の位置を元に戻すと、ミリアに笑みを向けた。人差し指を立て、得意気に動機を講釈する。


「実はですね、統括。どこかの誰かが私たちの首に賞金をかけたようでして、命を狙われているんですよ、三人ともが。この島に居る内は大丈夫でしょうけど、一歩外に出たらどこで襲われるか。赤肌殿も盤石の状態とは思えませんし、ナターシャさんなんて簡単に死にますよ。それは私としてもちょっと困るので。いいですよね? 統括」

「それは……いいえ、あなた、なにか企んでるでしょ」

「いえ、別に。よかれと思って提案しているだけです。ま、嫌と言っても行かせますが。特使官は省とは関係なく私の指揮下にある部隊、あなたにどうこう言われる筋合いは無い。というか、あなたの身を守ることにもなるでしょ? この二人と一緒に居たら、あなただって殺されるかも。そう思いません?」


 早口でまくしたてて、反論する余地を与えない。そしてとどめに、命の危機をちらつかせる始末。脅迫と言っても頷ける。


 ミリアはたやすく折れた。殺されるかも、と提示された時点で、彼女の顔からは血の気が失せていたのである。ならばしょうがない、しかたないと自己に弁明しながら頷いていた。


 ナターシャとしても、セレンが同行することに異論はなく、むしろ喜ばしいことだ。異邦の地へ踏み込むのに、味方は多い方がありがたい。


 ただ、気がかりなのは。


「あんたは、大丈夫なの。一人で」

「手足は多ければ多い方が便利だから置いているだけで、必要なわけではない。一人なら一人で十分」


 ふんと鼻を冷ややかに鳴らした。


 それから、不敵に笑んだ。


「私は死にませんよ。私を殺せるのは、我が神、ルクノールのみ。あんな連中にくれてやる命はない」


 自信に満ちた男に、これ以上なにを言ってもしかたないだろう。一抹の不安を覚えつつも、ナターシャは会話を止めた。


 準備は完了だ。いざ、大陸へ。局長へ向けた背に、朗らかな声がかかる。


「では。皆さま、また、お会いしましょう」


 もとよりそのつもりだ 。ナターシャは黙って頷いて、旅路へ強く踏み出したのだった。

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