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密命(2)

 中枢宮殿のあるエバーダン大島に帰り着いたのは、翌日の夕方であった。急ぎ足で丘の下へたどり着いたころには、終業を告げる鐘が頭の上に響いてきた。


 坂を大勢の人間が下って来る。その流れに逆らって、二人は進んだ。


 すれ違う人々の顔はきちんと確かめる。報告を上げる相手とすれ違いになることを避けるためだ。


 局長には諸々報告がある。賞金がかけられていることは、治安省統括ボレットに相談するつもりだ。完全にワイテ親派だから、どこまで対策をしてくれるかわからないが、声を上げないよりましだろう。


 それから、忌々しいことだが、ワイテにも捜査状況を告知する義務がある。まだ降参したわけじゃない、次は諸島東部を管轄する軍司令クレイドのもとへ聞き込みに行く、との旨もしかと伝えるつもりだ。


 坂路ではいずれにも会えないまま、頂上へたどり着いた。大理石の宮殿は、今日も見た目荘厳に佇んでいる。


 開け放たれた外門の両脇で、帯剣した警備官が目を光らせている。ぎろりと攻撃的に睨まれたが、誰に対してもそうだから気にすることではない。


 外門をくぐってから内門、つまり玄関に至るまでの前庭も、警備が巡回している。また、二点を結ぶ中間地点には、異能監視官ヴィジラも立っており、仮面の顔を左右させて道行く人を牽制していた。警戒は万全を期している。


 と、ヴィジラが急に玄関の方へ歩き出した。白い長衣の裾が妖しげに翻る。その隙間から、ちらりと足が見えた。女だ。


 どうしたのかと行く手を見やると、そこには馴染みのある人物が居た。原色づかいの衣装が目に眩しい、黒に紫と白の混ざったヘンテコな髪色の男。総監局長、ディニアスだ。いやに不機嫌だが、それは左右と後ろを生真面目そうな監査官に固められているせいだろう。


 ヴィジラも総監局の所属だ。急ぎお耳に入れたいことが、と局長に接近するのも不思議でない。ディニアス側も足を止めた。


「なあ、ナターシャ」

「なによ」

「あいつこの前、『ヴィジラは全滅した』って言ってたよな。俺の記憶違いじゃあないよな……?」


 言われてみれば、確かに。ワイテの身辺捜査をするのに人手は必要かと聞いた流れで、ディニアスはそう漏らしていた。


 不在の内に新しい人員を準備したのだろうか。いいや、それより高い確率で考えられるのは――肌を冷たいものが走った。


「局長!」


 ナターシャもヴェルムも同時に走り出した。全速力だとヴェルムの方が少し速い。


 それでも、白服がディニアスのところへ到達するほうが速そうだ。向こうも脚速をみるみる早めているし、一方で局長は立ったまま動かない。


 仮面の者が袖口の奥で、隠していたナイフを握る。鋭く細い刀身は、切るにも刺すにも有効だ。


 凶器を目にして、ディニアスを取り巻いていた監査官たちが、悲鳴を上げて我先に逃げ出す。


 狙われる当人だけが動かない。ゆったりと佇んで待っている。防御や反撃をする構えではない、力を抜いて、かすかにほほ笑んでいる。


 凶刃が届くまで、残り三歩。


 刹那、上方よりの奇襲。白き高速の光弾が、下手人の行く手を遮るように降りかかる。地面に着弾すると、閃光と砂埃を起こす。


 無数の弾幕を前にして、ヴィジラの装いをした女が反射で飛びすさった。その背を追っていた二人も、光にやられた目を覆う。


 その隙に宮殿の屋上から、砂埃の最中に人が飛んだ。ディニアスの眼前、彼に背を見せる向きで、片膝をつき着地する。普通ならば骨が折れる高さ、しかし彼女は平然と立った。


 身を盾にして主を守りながら、ぎらりと冷たい視線で襲撃者を貫く。彼女の名は、セレン=ルーティニー。


 邪魔者が入ったと悟るや、仮面の女が狂乱した叫び声を上げた。意味の無い喚き声の中に、


「司令の仇! 死ね!」


 と織り交ぜて、再びナイフを構えて、正面から突進してくる。


 セレンがその手を捕まえた。相手の手首を強くひねり、締める。


 同時に、空けた左手を手刀のごとく形作り、殺気ばらんで腕を引く。狙っているのは、相手の頚。


「セレン、殺すな。聞きたいことがある」

「かしこまりました」


 応じるとともに殺気を消し、左手は普通に首を掴む。そのまま締めて、気を失わせる方向へ。


 ところが。もがく白服に赤い花が咲いた。一つは腰の右後ろ、もう一つは、心臓のあたり。花弁の中心には、いずれも矢が突き立っている。


 一度びくんと身を反らし、女の抵抗が止んだ。セレンが掴んでいた手を放すと、ぐんにゃりと地面に崩れ落ち、それきり動かない。


 あらゆる目が一斉に矢のきたりし方角へ向いた。


 二人の警備隊員が、構えていたクロスボウを下ろすところだった。人を殺めた興奮からか、肩を弾ませ息をしている。


 その二人の背を叩く女もいた。


「ほら言っただろ。よく狙って撃ちゃ当たるんだ。それでちゃんと当てれば、敵は死ぬ。簡単だろ、覚えときな」


 剛毅に笑いながら言う女は、中央軍司令マグナポーラ=グリーシー。彼女はそのまま警備たちを押しのけ、仕留めた女のもとへと歩んでいく。


 その横から、ナターシャが問いかけた。


「なんであんたがここに居るのよ」

「大将に呼び出されたんだ。忙しい時にまったく面倒だと思ってきたら、これだ。本当におまえらは厄介ばかり招きやがる」


 マグナポーラは鼻で笑った。


 そして、次はディニアスに向けて言った。


「感謝しろよ? 助けてやったんだ。別にてめえが刺されてから始末つけてもよかったんだがな」

「恩の押しつけはみっともないですよ。それに、助けられたなどと。あなたが何もしなくても、私は死ななかったでしょう。ねえ、セレン」


 セレンは先よりも激しい敵意をむき出しにして、マグナポーラを睨みつけていた。主の手前でなければ、手を出していたに違いない。


 マグナポーラはうんざりだと言った風に舌打ちしてから、死体の隣にしゃがみこんだ。そして、仮面をはぎ取る。


 暴かれた下手人は、精悍な顔立ちの女だった。


 かつ、知らぬ顔でもなかった。あの戦いの夜、ギベルに従っていた二人の片割れだ。術師ではなく、セレンに深手を負わせた方である。


「キサナ=オリーズ、ギベルの副官だ。ギベルがとっ捕まってから行方がわからなくなっていたが……まさか仇討ちなぞ企んでいたとはね。こうなって当然だ、無茶するやつめ」


 嘲るように言って、マグナポーラは遠巻きに見ていた警備たちを呼びつけた。片づけておけ、と。自分はこのままワイテのもとへ行くとも宣言した。


 ナターシャは、先んじて宮殿に入っていくマグナポーラの背を見て考えていた。あれは、どっちだ、と。考えようによっては、暗殺に失敗した者を粛清したように感じられる。


 わからないが、用心に越したことはない。再度心に釘を刺し、ナターシャは改めて局長へ向き直った。伝えたいことは山ほどあるし、今の事態をどう見るかも訊ねたい。


 ところが。彼はさっさと外門の方へ歩いて行くではないか。


「局長!」

「気分が悪いので帰ります。なにか報告があるのなら明日にするか、いつものように書置きでも残しておいてください」

「待ちなさいよ、大変なことになってるわ。あたしたち賞金がかけられてて、命狙われてて」

「いまさらそんなことで慌てる必要ないでしょう。死と隣あわせなのは、今に始まったことでもなし」


 ディニアスはそう言い捨てて、去っていった。セレンがその後ろに続く。さらにそのあとに、監査官たちがおっかなびっくり追いすがる。


 入れ替わるように警備の応援部隊が現場にやってきた。その内ひとりに、邪魔だと言わんばかりに肩をぶつけられた。まるきり気にしていない態度をみるに、事故であったようだが、不快である。


「ナターシャ、局に行こうぜ。話にいくのは、ここが片づくまで待った方がいいだろう」


 ヴェルムの言う通りだ。玄関先で起こった殺人未遂は、まもなくボレットも知るところになるだろう。そんな時に別件の陳情を持ち込んでも、適当にあしらわれてしまう可能性がある。二つはバダ・クライカのもとに繋がるから、いつかのようにこじつけで「死んだ女が賞金をかけて暗殺者を手配していた」と結ばれかねない。


 ワイテのもとへ行くなど、論外だ。火に油を注ぐ真似はしたくない。喧嘩っ早いマグナポーラが同席するなら、なおのこと。


 ナターシャはヴェルムと連れだって、帰路につく人の動きに逆らい、宮殿の中へ入っていった。



 鍵を開けて、自分たちの巣へと入る。外から妙な虫を連れ込んでいないことは確認済みだ。


 夕暮れの静かな闇がかかる部屋には、しかしわずかに違和感を覚えた。


 よく見ると、椅子の配置だとか、机の上の様子だとか、最後に見た時と大きく変わっている。監査官をはじめ、他所の人間が出入りしたせいだろう。特に、机上に散乱していた書類が綺麗に重ねられたり、積もっていた埃が払われたりしているのが印象的だ。見かねた誰かが掃除したのか、それともあのディニアスにやらせたか。


 ただ、少し落ちつかない。顔を見合わせてその思いを共有してから、各々の席へついた。


 椅子に座ると、疲れが全身にのしかかってくる。倦怠感を払いのけるべく、ナターシャは天井を仰ぎ、腕を目一杯のばした。


 そこから視線を下ろしたときに気づいた。机の上に、書簡紙を半分に切ったメモが置いてある。ご丁寧に重しを乗せて、飛んでいかないようにしてあった。


『戻り次第、私のもとへ来てください。お話があります。ミリア=ロクシア』


 踏み潰された蛙のような声が漏れた。省統括から直々に、しかも理由を伏せての招聘。よからぬ気配が肌にしみる。


 顔を上げると、向かいに座る男も、渋い顔をしてこちらを見ていた。指先でつまみあげているのは、ナターシャとまったく同じ内容の通知書。


「……明日でいいかしらね」

「あァ、そうだな。今日はもう鐘も鳴ったんだ」

「この島で過ごす最後の夜、ってとこね。どうしよっかな」

「そう悲観するなよ。厳重注意ってぐらいじゃないか? 俺たちより先に、局長の首が飛んでなきゃおかしい」


 ――それで済むならいいけれども、きっとそんな単純な話ではない。ナターシャの胸騒ぎはおさまるを知らなかった。

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