証明不可(2)
おほん、とワイテがわざとらしい咳払いをした。ナターシャを見る目は冷たく、厳しい。
「さて、ナターシャ君。要するにきみは、いやディニアス君も含めてきみたちは、冤罪をつくろうとしたわけだ。こうやって公衆の面前でそれっぽーく責め立てれば、混乱する内に身に覚えのない罪も認めてしまうと思ったのかね。大勢の前で事実を作ってしまえば勝ちだと。それが総監局の捜査手法と言うのなら……大問題だ。これまでもそうやってきたのではないかと、疑わざるを得なくなる」
同意の声が方々より上がる。常々あった総監局への不信感、異端者への差別意識、そういったものが表出した形だ。かなり汚い亜人蔑視の言葉までも投げつけられる。ヴェルムが色めき立つワイテ親衛隊を抑えつけながら目で威嚇するも、止まる様子はない。
ただ、ナターシャにはろくに聞こえていなかった。流れを変えなければ、だがどうやって、手札は皆無だ。胸中は焦り一色、汗を垂れ流し目を泳がせていた。
こうも強気に言い切られると、大将は本当に無罪なのではないかという気がしてしまう。そうする内に、過日のギベルが自分やボレットを欺くために渾身の演技をしたとか、ディニアスが自分を捨て駒にするため嘘をついたとか、何もかもが疑わしく思えてきた。
心が折れそうになる。しかし。
――馬鹿ね、あたし。誰も信用できないなら、自分を信じるしかないじゃない。
そう思うことで、辛うじて居直った。
「冤罪を作ろうとしたなんてとんでもない、それこそ言いがかりです。あたしは、確固たる根拠をもって、あなたを罪人と判断しました」
「その根拠が到底信用できぬものじゃないか。それもこれも、どうせディニアス君の差し金なんだろう? 不思議だねぇ、どうして君は彼のいうことを鵜呑みにできる。こうは考えられないか? ディニアス君こそが本物のバダ・クライカの黒幕であり、わしを失脚させることで治安体制を崩壊させようと画策している、と。どうだ、否定できるかね」
「それは……」
否定に足る論拠はある。が、言えない。それはつまりディニアスのしでかしたことを暴露すること、最も恐れている付け入る隙を与える行為そのものだ。
濁していると、ワイテがほらみたことかと鼻で笑った。
「ともかく、わしは無い罪を認めるようなことはせん。どうしてもわしを黒幕にしたてたいのなら、誰もが唸る物証を持って来たまえ、話はそれからだ。そのまま駄々をこねたって、君が信頼をなくすだけだよ。……信頼って大事なんだよ、ナターシャ君。失くしてしまうと、何を言っても信じてもらえなくなるからね」
ワイテはにたりと笑った。意味深長で怖気もする笑みだ、高みから弱者を見下す愉悦がにじみ出たような。
それを見てナターシャは直感した。持論は間違っていない、この男は大罪人だ。善人ぶったこの笑みは、世論が味方することで勝利を確信した悪魔の笑みだ。
だが、わかったところでどうしようもないのだが。場は完全にワイテの手のひらの上、ナターシャも含め誰もがいいように転がされ操られるばかり。現に大将はまたころりと表情を変え、敗者にチャンスを与える懐の広い人間を演じ始めたのだ。
「どうしても納得できないなら、簡単だ、今からわしの家を調べにこればいい。いいや、わしはどこかに監禁されていようか。その間に思う存分、好きな方法で徹底的に調べなさい。何日かかっても構わないよ」
「なんですって」
「わしとしても疑われたままでは落ち着かんからね。証拠が欲しいのだろう? 君が言うことが正しければ、わしがバダ・クライカの黒幕として手を回していた痕跡がどこかに残っているはずだ。例えばエスドアの使いとやらとわしとの間でやり取りした文書とか、信者たちからの上納品とかね。ほら、ナターシャ君。わしのことを縛り上げて、どこかの部屋に閉じ込めて、気が済むまで家も中枢も軍も捜査して回りなさい。ほれ、こんな好機二度と来ないよ」
そこまでは鷹揚に語っていたワイテが、にわかに口調を厳しくした。
「だが……それで何も出てこなかったら、相応の責任は取ってくれるよね? 冤罪を着せようとしただけでなく、こんなに大勢の前で罪人扱いしてわしの名を傷つけてくれたのだから、当然のことだ。まあ、わしが何もしなくても、世間が君を許しはしないだろうがね」
情けをかけたように見せながら、その実は処刑宣告だ。ナターシャはそう受け取った。
ワイテがここまで強気で居られるのは、決定的な証拠は目に見えるかたちで存在しないからだろう。例えば彼自身が例示したエスドアの使いとのやりとりにしたって、彼女が幻術を使い、果てには他人の聴覚も支配してみせた現実がある。その力をもってすれば、一切の痕跡を残さないで密な連絡を取り合うことは可能だ。そんな風に他者を狡猾に利用し自分の手は一切汚さないで来たのだろう、こうやって疑いが向いた時に潔白を主張できるように。
どうするのだ、調べなくていいのか、と穏やかな面持ちで詰め寄ってくるワイテ。それを前にナターシャは歯噛みした。狩人になったはずが一転、自分が喰われる側に追い込まれた。ワイテの提案は見え透いた罠、しかし拒否すればその時点で負けを認めたと同義、大衆から侮蔑が向けられる結末もワイテの思う壺だろう。
――じゃあ、どうすればいいの。どうしたらよかったんだ。ワイテが黒だと断定して、それからどうするつもりだったんだ、局長は。
そして、それは前触れもなくやってきた。ホール正面奥の廊下より、甲高い女性の絶叫が轟いた。その後から、男女入り混じった戸惑いの声が、悲鳴が、嗚咽が。それらの発生源は波のようにホールへと寄せてくる。
誰もが現状を一旦忘れ、異変の方を次々振り返った。
そして、廊下より襲来するものを視認した途端、玄関ホールが戦時に負けぬ狂乱に落ちた。ナターシャも、ワイテも、蒼白な顔で愕然と同じものを見ている。
嵐の主、薄闇からゆっくりと現れたその人は、総監局局長ディニアスであった。ただ、纏う衣服も、髪も顔も、赤黒い液体で染め上げられていた。表情はなく、眼のみが赤の中にぎらぎらと浮いている。
そして彼が歩いた後には、血の雫が延々と落ちていた。今も足取りに合わせ床に赤い花が咲く。振りまく大元は、だらりと降ろした手の先で揺れる人の頭大のもの、いいや、人の頭そのものだ。金色の前髪をかき上げるようにわしづかみにされ、暗い金の瞳は光失くし虚空を眺めている。首の中ほどで美しいほど真っ直ぐに切断された頭、その持ち主の名はよく知られていた。元中央軍司令、ギベル=フージェクロ。
ディニアスは一直線にワイテにむかって邁進してきた。進路にあったものは、彼が近づくと独りでに道をあける。唯一どかなかったナターシャは、空いている方の手で横に突き飛ばして押しのけた。
そして、口をぱくつかせたじろぐワイテへ向かって、抑揚のない声で問うた。
「ライゾット=ソラーの首はどこにある」
「そっ、そんなこと、わしが知ってるわけないだろう! ライゾット君が死んだとき、わしは家に居ったのだ。外でどんなことがあったかなど、わしは全然知らん! いや、その前に、言うことが色々あるだろうが! それは、どういうつもりだ。なぜギベル君を殺した!」
「咎人を処刑するに特別な理由など必要ない。我が神が創りし世にありながら我が神を否定すること、それは何より重い大いなる罪。死で償えるとは思うなかれ」
強い断定の口調、見開かれた目は据わっている。ただ立っているだけなのに、見る者に生理的嫌悪と得体の知れない恐怖を引き起こさせる気を放っていた。
直視されるワイテは言葉を失っていた。捕食者に狙われる小動物のように身を縮ませて、ぎこちない足取りで後退する。
それで逃げられるはずはない。ディニアスも歩調を合わせ等間隔を保ち、威圧的に追ってくる。血染めの表情は微塵も動かず、ただし口のみは戒めの詞を流し続けていた。
「バダ・クライカ・イオニアンは真に神を抱いていると聞く。ならば、ギベル=フージェクロは蘇ってくるだろうとも。神であるならばそれくらい可能だ。それくらいのこともできなくて、何が神か。彼の死を嘆くことはない、空しく嘆く暇あらば、恩賞を賜ることを請い願え、あなた方が抱く真なる神とやらに。……これもお返ししますから、ご活用ください」
まるで花束でも投げるような所作で、ディニアスはギベルの首をワイテの足下へ投げ捨てた。ごろりと転がった頭は、こわばった顔面を上にして止まった。やつれて落ちくぼんだ目は、見ようによっては恨めしい影満ちている風でもあった。
ここでワイテの我慢は限界を迎えたらしい。真っ青な顔のまま、震える腕を上げてディニアスを真っ直ぐ指さし、大声で騒いだ。
「こっ、こいつを急ぎ捕えよ! 危険だ、狂っている! それに、約定違反だ、勝手に事件の参考人を殺した、重罪だ! これ以上許してはならん、捕まえろ!」
だが、大将が頼みにした親衛隊たちは、彼以上の恐慌状態に陥っており、腰は砕けあられもない悲鳴をも上げて散り散りとなっていた。
ワイテは白髪を振り乱しながら周りを見渡す。すると目に飛び込んでくるのは、引きつつも我を保ったまま立っている赤肌の大男の姿だった。ヴェルムは己が上長を凝視している。天啓を得たり、とワイテは笑みを浮かべた。
「あぁ、そうだ、ヴェルム君。君の出番だよ、異能の犯罪を取り締まるのが――」
「赤肌殿。ナターシャさんと一緒に、局に戻って下さい。間もなく始業の鐘が鳴る。日中空っぽにしておくなと統括からお達しがありました。私は色々と外でやることがあるので、お願いします」
「……わかった」
ぶっきらぼうに答えると、ヴェルムはすぐに動いた。混乱極まり自失状態にあるナターシャを脇に抱え上げ、足早に玄関ホールを突っ切り去る。後ろからワイテが「裏切り者、恩知らずめ!」などと喚いているのも無視だ。
他に邪魔立てする者も皆無だった。ホールに居る人間たちは、もはやナターシャに関心を持っていない。あまりにも苛烈な情景に、先にあった口喧嘩のことなど消し飛ばされてしまったのだ。ある意味、ディニアスによって切り開かれた退路として過言でなかった。




