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証明不可(1)

 太い柱に支えられた高い天井に、革靴が床を叩く音がざわざわと反響する。ナターシャが息を切らせて飛びこんだ玄関ホールは、官僚たちを迎えている真っただ中であった。


 まずは立ち止まり、全体をまんべんなく見通す。対象がどこかに……居た。入口からすぐのところで、厳めしい親衛隊を率いたワイテが、こともあろうかヴェルムを捕まえて会話に興じているではないか。頭一つ飛び抜けて大柄な同僚の表情は遠目からでもうかがえ、その限りでは彼はいささか困っているようだ。ただ、悪い空気ではない。ワイテたちの所作からするに、和やかな雰囲気だ。通りすがる人々も大将に挨拶をし、返す方も朗らかに応じている。


 それを踏まえた上で、ナターシャはもう一度、今度は柱の影や吹き抜けた二階の廊下まで隅々を見渡した。そして、この空間に局長がいないことを確かめる。どうやら先回りしてしまったらしい。


 まあ、良い。ナターシャは目標に焦点を合わせ、深呼吸一つ。心が凪いだところで、まずは同輩の名を叫んだ。


「ヴェルム! そいつを……大将を捕まえて! 絶対に逃がさないように!」


 高く力強い声は雑踏の中でもよく通った。ヴェルムが驚いたようにナターシャへ振り向き、それから言葉の意味を理解すると、今度は唖然としワイテへ向く。ワイテの方も鏡で合わせたように動き、果てには当惑した様子でヴェルムを見上げていた。


 なんだどうした、吃驚きっきょうと好奇が渦巻く中心を、ナターシャは毅然と胸を張り歩んで行く。ワイテを取り巻く親衛隊が警戒心をむき出しにする。だが、政府の身内同士であるためか、はたまた繊弱な女は威嚇すれば止まると舐めてかかったか、強引に取り押さえようとはしてこなかった。


 数多の観客に見守られながら、ナターシャはワイテの真正面に立った。背筋を伸ばし高圧的に大将を視線で射る。


 ワイテは一歩たじろいで、気持ちヴェルムの影に寄り添うように立ち位置を変えた。白い眉を下げ、所在なげに胸の前へ両手をもたげ、心からうろたえているような気配を醸しつつ、言った。


「あぁナターシャ君、一体どうしたんだね。そんなに怖い顔をしては、せっかくの美人が台無しじゃあないか。なんで怒っているのかよくわからないが……わしに話というなら、向こうの談話室で聞こうかね。何の話か知らないが、深刻な話なのだろう? こんな衆目の前では、君としても気が引けるだろう」

「いいえ、ここで。あたしのほうは、むしろ公にしたいことなので」

「……まぁ、君がそう言うなら構わないがねぇ」


 ワイテは頭をかきながら、じゃじゃ馬娘に振り回されているかのかのため息をついた。渋い顔つきだが、逃げ隠れする気配はない。ナターシャが何を問いに来たか察しがついていないだけか、それとも、本当にやましいことが無いのか。どちらかで大きく事情が変わって来るが、今さらしょうがない。堰は切ってしまった、流れを止めることは不可能だ。単刀直入にナターシャは切り込む。


「バダ・クライカ・イオニアンのことで、お話があります」

「ふむ、どうしたんだね。戦いの処理中に、何かおかしなことがあったのかな」

「いいえ、それ以前のこと……半節ほど前に、あたしがエスドアの使いを名乗る女に襲われたことは、お聞き及びですか?」

「ああ、ああ。聞いているとも、夜帰宅するところを狙われたそうじゃないか。なんでも、従属を求められて断ったら、命を取られそうになったとか。とんでもない真似をする連中だよ、まったく」

「……襲撃の理由はご存知ですか」

「ふーむ、どうだったかねぇ、あー……確かボレット君は……あぁそうだ、怨恨だと言っていた。君たちがあんまり活躍するものだから、疎ましく思われていると」

「それはボレット統括の推測です。あの夜あたしのところに来たエスドアの使いの本当の目的は、あたしを殺して不老不死となること。人魚の血肉に秘められた力についての伝承、大将もご存知ですよね?」

「ああ、人魚を喰らえば不老不死になれるという話だろう。ディニアス君が喋っていたよね。しかし……大丈夫かね、こんなところで大声で話して。これだけ大勢いると、中に欲を出して馬鹿をする者が紛れていないとも限らんよ。ほれ、そこの若いのも、滅多なことを考えるんじゃないよ」


 ワイテの視線はナターシャの右肩を越え、斜め後方へ向かった。途端、その先に居た二人の若い男たちが肩を跳ねさせ、ひそひそと行っていた会話を中断し、「とんでもない」と顔に書きつつ手振りで潔白を示す。


 一方ワイテの後ろでは、ヴェルムがひどく苦い顔でこちらを見ていた。大将と同意見なのだろう。


 同僚に一度、大丈夫だ、と目配せし、ナターシャは心配だと危険だと嘯く狸爺を再度睨みつけなおした。


「ひどい伝承だと思いませんか。信じる方もどうかしている。エスドアの使い、いいえ、バダ・クライカ・イオニアンの黒幕は信じて、あなたの言うように馬鹿をしたみたいですけど」

「ああ、ああ、君の言う通りだ。どこで知ったかはわからんが、さぞ魅力的な話だったのだろう。普通の人なら嘘だと決めつけるところだ」

「ええ、欲に目がくらんだ者しかひかからないような、馬鹿げた伝説です。……ただ、それに関し一つだけ、大将に謝らないといけないことがあるんですよ」

「うん? なんだね」

「うちの局長が話してくれたその話なんですけど、全部、あいつの作り話だったんですって。人魚と不死を繋ぐ伝承なんて、この世のどこにも存在しない」


 ワイテが喉をつまらせた。元々丸みのある目をさらにまん丸に見開き、頬のあたりを引くつかせている。己が罠にかけられたこと、瞬時に察したようだ。


 そこへナターシャはあえて説明を重ねた。一層強く声を張りけたたましく、聞かせるのはワイテ一人にではないからだ。


「だから、この話を知っているのは局長とあたしと大将、あなただけなんです。あいつに聞かされる以外、知る術がないんですから。それなのに、どうしてエスドアの使いは知っていたのでしょうか。誰の命令であの女は襲撃に出たのでしょうか」

「……ディニアス君から聞いたことを、わしがギベル君にうっかり話してしまった。信頼していたからね。それがまさかこんなことになるとは――」

「ギベル司令はあの夜のことは何も知らなかったわよ。ボレット統括と一緒に、本気であたしの身を案じていた。どうして狙われたと執拗に聞いてきた。あれは演技ではないはずよ。彼が扇動したなら、あたしが無知で隙だらけのまま居た方が都合がいい、あんな風に無理して引き出す必要がない」


 しんとホールが静まり返った。ぎりぎりとワイテが歯を食いしばる音がよく聞こえた気がする。ナターシャは一切の遠慮なく、決めの一投を叩きつけた。


「バダ・クライカ・イオニアンの黒幕はギベルじゃない、ワイテ大将、あなただ!」


 この広間に会した全員の視線が、ナターシャが指さす男のもとへ注がれていた。それを浴びるワイテは体の横で両の拳を握り、顔を真っ赤に染め、震えていた。


「無礼な! 言いがかりにもほどがある! 事実無根、証拠がどこにあるというのだ!」

「あなたしか知り得ない事実を、バダ・クライカの主が知っていた。これが証拠でなくて、なんだと言うわけ」

「そんなもの妄想、いや、君たちがわしを陥れるために仕組んだ陰謀だ。エスドアの使いが君を狙った理由、それは君しか聞いていないこと、いくらでも嘘がつけるじゃないか。ディニアス君が嘘ついたといったことが嘘なのかもしれない。どっちにしろ、君たち二人でいくらでも都合よく作り上げられる話だろう。わしを馬鹿にするのもたいがいにしろ!」


 びしと指を突きつけながら、ワイテは怒り狂って喚き散らす。普段の人好きのする面影は皆無で、見るをすくませる恐ろしい剣幕だ。なおかつ勢いづけて捲し立てる様は、誰からの横槍も許さない。


「だいたい、ギベル君は自分が黒幕だと自白したのだぞ! みな聞いた事実だ。しかも暴いたのは他ならぬ君だろう、ナターシャ君。それなのに、ここで突然わしを責めるとは……なんだ、ギベル君が嘘をついて罪を被ったとでも? そんなの死ぬも同然なのに、わしがそうやって強制させたと? 君の目にはそんな風に見えたのか!?」

「ギベルは一転、黙秘している。あなたが余計なことを口走らないように口止めを――」

「またそうやって妄想を露呈するだけか! どうなっているのだね、君の脳味噌は。……あぁ、まあ、いい。そう思うなら、監視の者らに聞いてみなさい。わしが、どんな風にギベル君に接していたか、つぶさに語ってくれるとも」


 そこまで言い捨ててから、ふっとワイテは表情を曇らせた。胸の前で上向きに開いた手のひらに、悲し気な視線を落とす。


「わしは、この手で、ギベル君を笞打ち(ちうち)にしたのだ。あれが剛情だから、仕方なく。わしはな、あれを自分の息子のようにかわいがっていた。それなのに、この手で……あんなに酷く、打ち据えねばならなかったのだ」


 痛々しい声で己が悲運を訴える。ついには手のひらで顔を覆った。


 憐憫を誘う姿に煽られて、取り巻きの親衛隊がナターシャへの批判を噴出させた。大将はギベル司令に裏切られたのだ、それなのにとんでもない仕打ちだ。晒し者にして楽しいか。卑怯者め。そんな言葉のみならず、行動に激情を乗せ、拳を振り上げ飛びかかってきた男もいた。ヴェルムが後ろから羽交い絞めにしたから事なきを得た者の、似たような憎々しい表情を浮かべている者は、周囲に少なくない。


 不味い空気だと、ナターシャは唇を噛んでいた。切れる手札が無い。誰の目にも明らかな物的証拠、それを持ち合わせていないのだ。だから罪を決定づけるには自白を促すしかなく、逃げ場のない衆目の前を選んで追い詰めたつもりだったが……どうやらワイテも、こちらの腹の内を読み切っている。だから証拠を出せと煽ってきたわけだろう。


 ナターシャの手がまとまらない内に、ワイテが動いた。ふっと悲しげな面を上げ、声のトーンもしょぼくれたように作り、しかし不自然なまでに声量を上げて、独壇場を演じ続ける。 


「だが、わしは疑われて当然だ。ギベル君とは密接につながりがあったわけだし、昔から亜人たちが好きだと隠していないからね。バダ・クライカが政府の内情を深く知っていることも説明がつく、政府きっての古株であるしね。特に治安の関係はわしが握っていると言ってもいいくらいだ、情報流出も、もみ消しも、自由自在。本気でやろうと思えば、できるかもしれない」

「そうよ。あなたぐらいの権威がなければ、ああも大規模な犯罪を誤魔化し続けるなんてできない」

「確かにそうだ。君の感想は間違ってはいないよ、ナターシャ君。ただねぇ……」


 ワイテは嘲弄めかして口角をうっすら上げた。


「残念だが、そう考えたのは君が初めてではないのだ。バダ・クライカ・イオニアンが世に現れた直後、わしには真っ先に容疑がかけられた。その時に何から何まで徹底的に捜査されて、わしは無罪放免になっているのだよ」

「なっ……」

「四年、五年前だったかな? それも他ならぬ総監局長の手によってだ。もっとも、前任のだがね。公式の記録が局に残っているはずだが、その様子では確認すらしていないようだが。疑うのなら今すぐ見てらっしゃい。……なあヴェルム君、どうだ、わしは嘘を言っておるかね? わしの潔白を示す資料、あるだろう」


 ワイテの誘導に従って、ナターシャは愕然とヴェルムを見た。彼は表情を苦々しく歪めながらも、小さく頷いて肯定を示す。その後、唇で「すまん、ナターシャ」と紡いだ。


 さらには、確かにかような騒動が過去にあったと囁く声が、周囲の野次馬の中からも複数聞こえる始末。


 ナターシャは真っ白になって立ち尽くしていた。ワイテが盾にする過去の捜査の結果自体はいまだ疑っている。だが、実たる証があるとなしで不利なのはどちらか、考えるまでもない常識だ。


 急くがあまりにしくじった、駆け引きを大きく間違えた、悟った瞬間、世界が暗くなった。

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