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冷厳なる面の下(2)

 閃光は人々の目を貫いて、しかしすぐに穏やかさを取り戻す。眩んだ目をこすりながら、みな揃って白光の原点へ視線を向けた。


 巨大な魔力球は影も形も残っていない。そして、エスドアは先と変わらずそこに居た。装飾のほどこされた鎧には傷一つなく、むしろ発光の程度が増して壮麗になっている。


 すっと横に伸ばした腕には重厚な黒い刀身の剣、そちらもぼんやりとした光の残渣を纏っていた。しかし、注目を受ける間に、魔力の光は剣の内へ吸い込まれるようにして消えてしまったのである。


 渾身の一撃を完封してしまった、誰しもが呆気に取られてエスドアを見ていた。セレンですら驚愕をありありと示しているし、あのディニアスも眉目を持ち上げ虚をつかれた顔をしている。ただし、彼はいっそ愉快そうに口角を上げていたが。


 笑っていたのはもう一人。ワイテだ。腰を抜かしへたりこんだまま、引きつった笑みを浮かべている。位置としてはちょうどエスドアの背を望む格好、光弾を斬る様をはっきりと見たのだ。


「いやはや、さすが、さすが……。あぁ、素晴らしいよ」


 との称賛の声はエスドアにも聞こえたに違いない。しかし、そちらには一切の応答を見せず、宮殿屋上へ正面向いたまま。そして剣の切っ先も下手人へと向けた。


「愚かな抵抗はやめなさい、人外の力を持つ我らが同胞たちよ。裁定を下す前に、跪き、許しを乞え」


 いたく高圧的であった。それを頭の中に聞いた人間たちのほとんどは、完全に戦意を失うほどに。ただし向けられた張本人たちが、命令に従う様子はない。セレンは鋭い顔つきを取り戻しているし、ディニアスに至っては、余裕綽々に悪だくみをしているような笑みを浮かべている始末。


 そして、会する中で唯一無二の表情を見せているのがナターシャであった。岩場から身を覗かせて、堂々たるエスドアの佇まいを見た瞬間、彼女の心は途方もない驚愕に塗りつぶされた。


「そんな……うそ」


 目を見開いて凝視するのは、エスドアが持つ剣。その黒い刀身は金属ではなく、硬い石を磨いた質感に見える。勘違いではない、このところ何度も似たものを見ている。アビラ封じの黒石の手枷、あれだ。セレンの魔力球をかき消したあたり、効果も等しいとみてよいだろう。


 封魔の剣、それ自体はよい。問題は――


『研究所で作ったアビラ・ストーンの剣、まだ試験中だけどね。三種類あって、一つがこれと同じ材質の魔封じの剣なの』


 そんなリュウロの解説が自然と呼び起こされた。なおかつ彼女は言っていた、件の剣は大将ワイテに託したと。そこから中央軍司令の誰かに渡されたはずだとも。


 嘘だ、信じられない。たまたま、ほんの偶然に符合しただけでは? ナターシャはまず自らの発想を疑おうとした。しかし、考えるほどに否定できなくなってしまう。推論が正しいとすれば、腑に落ちる部分が多いのだ。バダ・クライカが政府の挙動を仔細に把握していることや、軍関係の物品を利用していたこと、そして今、エスドアの使いが主になりきって弁をふるっていることも。


 だとしたら、ここにいるエスドアは神などではない。虚飾にまみれ治政を愚弄し災禍を招く、大いなる罪人である。


 ナターシャは強く拳を握った。爪が食い込み、じわりと汗も滲む。怒り、悔しさ、呆れ、困惑、正義感――沸き起こる感情の種類は枚挙にいとまがない。ただ強く求めるのは、真実。


 激流に乗りナターシャは立ち上がった。魔砲にはすでに弾が込められており、こうして構えをとれば、後は引鉄をひくのみである。


 ここで撃つのは博打と言ってもいい。距離はそれなりにあるから避けられる可能性はあるし、でなくとも謎の壁に守られていて、鉄球が貫通する確証はない。


 それでも、狙うはエスドアの頭ただ一つ。吹き飛ばせるとは思っていない。ただ、何とかあの兜さえはぎ取れれば。


「エスドアぁッ!」


 名を呼ばわると同時に引鉄を動かした。全身に巡る気が魔砲の中に集約され、後部に取り付けられた翆晶石(すいしょうせき)が強い魔の輝きを見せた。


 感情の爆発を体現したかの音を伴って、砲弾が宙を駆け始めた。猛速度で、真っ直ぐにエスドアの顔面を目指す。


 もちろん黙って撃たれる相手ではない。飛んでくる物体を真っ向から受けとめようとして、封魔剣を横向きに構えた。アビラ・ストーンの光を見て、また魔弾が飛んできたものと思ったようだ。


 しかし、違う。やってきたのは豪速の鉄球だ。気づいた時には衝突直前、回避方法を変える時間は無い。


 剣の腹に鉄球がぶつかり、不協和音を奏でる。剣は衝撃に耐えきれなかったようだ。中ごろから斜めに裂いたように割れ、自由になった先端側が宙にこぼれて落ちた。


 しかし鉄球の軌道は変わり、鈍い音と共に兜の側頭部を掠めるに終わった。

 

 いや、それでも十分だったのか。エスドアは後ろに大きく体勢を崩し、いまや片手と片膝をついている有様だ。


 そこへ二撃目を与えるべく、ナターシャは既に弾を込めていた。もちろん魔力を吸われた負荷は残っていて、手首は痛いし軽いめまいだってするほどだ。しかし、この隙をつかなければ次はあるまい。地の戦闘力が違うのだから。


 だが、邪魔が入る。


「神に何たる不遜を!」


 有翼人の一人が怒りの形相で飛来してくる。靴に取り付けた刃が殺意に閃いている。


 魔砲を構えながらちらと見て、ナターシャは舌打ちした。無視すれば、撃つ動作を終えるころに首が飛ぶだろう。


 ところが、救いの手が差し伸べられた。白い光弾が雨あられのように有翼人へ降り注ぐ。なおかつ発生源は移動して、すぐにナターシャの真横についたのだった。そんな切れ切れの息のまま、セレンは逼迫した声を上げた。


「ナターシャ様、危険です!」

「あなたに比べればッ」


 魔砲の轟音が他の全ての声をかき消した。後退しつつあったエスドア、それでも頭を正確に狙いすまし、鉄球が飛んだ。


 にわかに響いた金属をひっかくような音が、不可視の盾と衝突した音だったのかもしれない。しかし結果として、弾は止まらなかった。わずかに勢いを落としこそすれ、今度は前頭部へ正面から命中したのである。


 兜が歪む。エスドアは勢いよく後ろに吹き飛ばされた。見えない床ではなく、実のある石畳まで落ち、背中から叩きつけられる。身を起こそうとしてはいるが、脳梁が揺さぶられたせいで動きの精彩を欠いている。


 弾はもう一発ある、今すぐ撃てば更なる痛手を追わせられるだろう。だが、ナターシャも限界だった。虚脱感は甚だしく、岩にもたれないと体を支えられない。


 もう一手で詰める、それなのにこのざまだ。苦しげに細めた視界は滲んでいた。白ローブの従者たちが急ぎ主を助け起こす光景、どれだけ目を凝らしてもエスドアの鉄面の下を拝むことはできない。


 その代わり、セレンの顔が視界に飛び込んできた。


「ナターシャ様、しっかり――」

「セレン、お願い。あの男の、兜を、剥ぎ取って」

「……承知しました」


 セレンは即座に動いた。足元の悪さをものともせず坂を駆け、一階の高さほどの崖を難なく飛び降り、一直線にエスドアのもとへ突っ込む。距離が詰まりゆく途中、アビラの壁の直前で石の地面を蹴る瞬間、セレンの足下で橙の光が弾けた。すると、前に飛び出す体に尋常でない加速がついた。


 セレンには見えていたのだ、あの不可視の壁の正体は緻密かつ激しい魔力の流動であると。実際に固い物体があるわけではなく、触れた物を外方向へ弾く運動力が働いているのだ。


 だから、その流れに負けない勢いをつけて飛びこめば通過できる。服や髪が多少引きちぎられたが、無事に着地した。


 エスドアたちとの距離は十歩。セレンは足のばねを最大限に活用し、一気に眼前に踏み込んだ。同時に数十の白光弾を浮かべ、放つ。


 エスドアが折れた黒剣を前にして、半数近くを吸収した。残りは上下左右に逸れ、幾多の閃光を残して過ぎ去った。ダメージは無い。


 だが、それで良いのだ。今のセレンの目的はエスドアを葬ることではない。魔弾はただの目くらまし、後ろに回る道を確保するための布石だ。


 がら空きの背に、馬の尾のごとく垂れさがる兜の房。セレンは手を伸ばしてそれを掴み、なおかつ肩へしがみ付いた。振り落とされないよう肘で食らいつきながら、房を引っ張り兜の口に手をねじ込み、強引にエスドアの兜を脱がせる。


 取った。その手ごたえを感じたところで振り落とされた。房を握り込んだ兜も一緒についてきて、乾いた金属の音を響かせた。


 辺りは水を打ったように静まり返った。銀の兜の下より現れた尊顔は、神とは段違いに知れた人物のものであったのだ。


 ナターシャも崖の縁まで歩み出て、それが見慣れた男であることを確認した。こぼれて額に張り付く金色の前髪は、いつもならきっちり上げて整えているだろう。そしてこんな時でも、眉間には深々と皺が刻まれている。あれは癖なのだ、糞真面目で厳格なこの男の。


「……ギベル司令、あんたか。あんたが、バダ・クライカの首謀者だったのか!」


 ナターシャは叫んだ。震える手を握りしめ、悲痛に。


 そしてギベルは、いつにまして冷厳とした顔つきで崖上を見据えた。慌て取り繕う様子もなければ、怒り狂う気配もない。無、である。


 代わりに、近くに居たワイテがひどい動揺を見せていた。全身から血の気が引き、足元をふらつかせ尻餅をつく。そこをヴェルムに抱きかかえられるようにされながら、なおもギベルに向かって縋り付くように手を伸ばした。からからの口で、言葉もかける。


「ギベル君、違う、そうだ、勘違いなのだろう? きみはエスドアのふりをして、この無益な争いに終止符を打とうとしたのだ。そうだな? そういう作戦だ。そうだと、言ってくれ」


 頼む、と繰り返される願望は、エスドアの使いの術にひかかり、すべての人に知らしめられる。一応、理にはかなっている。ギベルが嘘でも首を縦に振れば、事実と化してしまうだろう、中央軍全体にそんな気配が漂っていた。


 そこでナターシャは希望を打ち砕くべく、腹の底から吼えて断じた。


「いいえ、ありえない! そこに居る白い服のエスドアの使いとやらは、バダ・クライカを名乗りあたしを襲った女だ。ギベル司令が真人間であるのなら、一緒に居る道理はない!」


 それが轟いた直後、エスドアの使いの舌打ちが聞こえた。すっと襟の合わせへ手を差し込み、禍々しい紋様が記された札を取り出した。不穏な気配にナターシャも一歩たじろいだ。


 が、エスドアの使いの手をギベルが掴んだ。そして札ごと自分の胸元へ引き寄せる。目線はずっとナターシャを向いたままだ。


 そして拡声の札を通して、居合わせるすべてに宣告した。


「そうだ、私だ。このギベル=フージェクロがバダ・クライカ・イオニアンの核となっていたこと、相違ない」


 と。


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