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冷厳なる面の下(1)

 エスドアの降臨した高度は中枢の屋上と同じくらいだった。そこから目に見えない階段を下るように勇ましく足を進め、ゆっくりと地上へ接近してくる。半歩後ろから二人の使いも付き従っている。


 上方より迫る白光の鎧騎士、その威圧感ははなはだしい。恐怖にかられた一部の治安兵たちが、牽制すべく矢をつがえた。


「や、やめんか! 下手に刺激してはいかん!」


 ワイテが慌てて叫んだ。確かにエスドアたちは戦闘姿勢を取っているわけではない。一切を見せない面の下で何を考えているのか不明だが、雰囲気からして直ちに襲い掛かって来るということはなさそうだ。であれば気を損ねることを避けるのは采配として悪くない。


 だが、統率が乱れているのは事実。数本が先走って射出され、風を切る音を伴い斜め上方に居るエスドアのもとへ飛んでいった。


 エスドアはその場で立ち止まり、やってくる凶刃を無機質に見据えた。ただ首をひねったのみで、それ以上は何もしない。


 それだけだった。それなのに、矢は全てへし折れたのである。距離にしてエスドアが手を伸ばせば届くほど、その位置に見えざる壁があって防がれたように。弾かれた矢のなれ果ては、音を立てて地面に降り注いだ。


 射手に動揺が走った。そして、次を撃つ手は無かった。一部は反撃を覚悟して震えていたが、特に何かが起こることも無かった。


 エスドアは無を貫いたまま再び歩を進めた。入り江を越え、色めく亜人たちの頭上を横切り、橋のたもとより少し進んだ位置に到達する。ちょうどワイテの本陣と亜人たちの集団の中間だ。ただし、まだ二階の高さほどに浮かんだままだ。


 その場でエスドアは止まった。周りに静止を告げるよう、手を前に出す。そのまま武器を構え警戒を示す人間たちを見て、今にも駆けつけようとする亜人たちを見て。そして。


「みな武器を降ろせ。静まり、我が声を聞け」


 その声は頭の中に直接反響した。誰しもがそうなのだろう、不思議そうにあたりを見渡したり、頭や耳を押さえて恐々としていたりする者が少なくない。


 ナターシャも頭に手をやり眉目を寄せていた。声が聞こえる、それと同時に非常な不快感を覚えた。脳の中に異物が入り込んだ感覚、じわじわとした痛みすらある。


「これは……あいつの仕業か」


 苦々しくエスドアの使いを見る。ナターシャの居る位置からは斜めより後姿を見下ろすかたち、フードの下は見えない。だが、二人の内どちらかが、過日に襲って来た女と同一であることは間違いなかった。なぜなら、声が同じだから。


 そう、今喋っているのはエスドアの使いなのだ。あの夜の記憶は鮮明だ、声質も調子も同一だと断定できる。だが、彼女がエスドアの言葉を代弁している理由はわからない。


 その事実に気づき、わずかながら訝しんでいるのはナターシャのみ。他はエスドア自身が語り聞かせてきていると思い込んでいる。バダ・クライカの亜人たちは、主神を仰いで恭しくひざまづいている。それどころか、人間の軍中にすらエスドアの威風にあてられ膝を折る者が見受けられた。


 一同、息を呑んで神託を待っている。エスドアの使いが主の顔を見て小さく頷いた、その衣擦れの音が脳内に届く。


 エスドアは注目を一身に浴びながら亜人たちの方へ向き直り、一歩前へ鉄靴を出した。そして言葉を与える。響き渡る音声は先ほどと同じ人のもの。


「この戦いは我が望んだものではない。同志よ、今は退きなさい」


 亜人たちは激しく動揺した。周りと顔を見合わせ、彼らの言葉で困惑を交わしている。参集した主からの全てを無に帰すような発言、どよめいているのは人間たちも同じだった。


 エスドアはほのかに光る籠手を前に出し、人々を諫めながら続ける。


「我が言葉を聞け。この会戦は仕組まれた罠なのだ。戦いが続けば双方に多大なる血が流れる。我エスドアはそれを望まない。我が同志よ、今は一度退き、更なる力を蓄えよう。イオニアンは永遠なり、絶対の勝機まで待とう」


 他ならぬ神から撤退が呼びかけられ、しかし亜人たちは未だ煮え切らない空気を醸していた。地溝の民が悔しさを地面にぶつけ、鱗人に至っては不平不満を高々と漏らしている。


 その中から弱った有翼人が一人飛び出してきた。翼腕を重たげに羽ばたかせながら、エスドアたちの前へ飛んでいき、器用に身を折り懇願する。拡声の力は近くであれば当人外へも影響するらしい、彼の悲痛な声も人々の脳へと伝わってきた。


「神よ、我々は死を決して参りました。敵の心臓の上に立つ今、戦果を挙げずに退くことは出来ませぬ。例え罠であったとしても、戦わせてください」

「なりません。我が信奉者を見殺しにすることはできない。既に我らが不利なのは事実。今は退き、その身を癒しなさい。我らバダ・クライカ・イオニアン、この手に世界を取り戻す時は必ず来る。その時まで、生きよ」

「……ご厚恩、感謝します。我らの力不足でかような自体を招いたこと、まこと申し訳ありません」

「謝する必要はない。その程の心があるならば、我が命に従いなさい」

「仰せのままに」


 返答とは裏腹に、有翼人は唇を噛み悔しげだ。その未練を断ち切るように大きく翼をはためかせた後、彼は仲間のもとに戻っていった。


 亜人たちは既に武器を降ろしている。教団において神の言うことは絶対だ、その上玉座を前にしての撤退は自分たち信徒への情ゆえに。明白にされた以上、意に反する理由がない。


 ただ問題がある。退くに退けないのだ。亜人たちは水を渡る長い橋上に居て、前方は政府軍の本営が道を塞いでいる。そして後ろにも、東部街区から集まって来た防衛隊たちが、横に広く隊列を展開して退路を閉ざしていた。特に先頭で騎馬するブロケードは、一切気を許す素振りを見せない。今なお鋭く尖らせた目でエスドアを睨んでいる。


 エスドアもブロケードへ一瞥くれた。しかし何ともなしのまま、マントを翻して西へと向き直った。鉄面の奥にある視線は、真っ直ぐにワイテを貫いている。そして声もした。


「人間たちの指導者はあなただな」


 示された大将が返答をしないうちに、エスドアたちは足を進めていた。歩きながら徐々に高度を下げて、本陣を取り囲む兵たちの頭の上を通過して、ちょうど陣の中心で地に足つけた。陣中の群衆が自然と輪になった、その中央へ。


 エスドアと二人の使いは黙したままだ。取り囲む人の垣根を越えてワイテがやってくるのを待っていた。


 いそいそと現れた大将は、しかし胸を張り威厳を湛えていた。剣を手にした近衛が三人、全方位への警戒心をむき出しにして張り付いている。ただしワイテ自身は武器を一切身につけていない。


 表情も場違いな程に友好的な笑顔だ。ただし作り物であるとは、普段のワイテと接する者には察しがつく。それだけの不自然さと緊張感もはらんでいた。それで大仰に身振り手振りをつけながら、エスドアの手が届くほどにまで歩み寄る。


「あぁ、そなたがエスドアか。いやはや想像よりずっと立派なお姿だねえ、神と呼ばわるにふさわしい。……それで、そちらの要求はなんだね?」

「我がバダ・クライカ・イオニアンの同胞を帰す。この島より離脱する船を用意せよ」

「断れば、どうなるかね」

「代わりに命をもらい受けるのみだ。あなたも、あなたの部下たちも、この島の全ての。しかし、こちらはそれを望まない。そちらはどうだ」


 エスドアは銀嶺のごとく立ち、やや背が低いワイテを見下ろして問うた。例のごとく、問答は島中に知れ渡っている。


 対する中央軍の総指揮長は。髭をいじるように手をやり、悩まし気に目を細めた。静寂の間を作って、それからようやく答える。ふっと不敵に笑んで。


「わしも同じ意見だねえ。そもそもわし個人はそう望んでおったのだ、戦いが回避できるのならそれが一番よい、互いに無駄な犠牲を払わずにすむからね。さて、どうだ。みなもそうではないか? これ以上はもう戦いたくない、それが本音ではないか? 肯定しても怒りはせんよ。わしももう……かなり厳しいと思っているのだ」


 自分の声も筒抜けなのを利用して、ワイテは飄々と笑った。


 すると周りの軍員たちが同調する。自分たちも死にたくはない、その本音を漏らす。大将が狙った通り、戦闘回避の気運が広まった。


 満場一致で停戦を望むならば。ワイテは人間を代表して、エスドアに握手を求めようとした。


 ……いや、満場一致ではなったのだ。少なくとも一人、会談をひどく不興に見下している男が居る。注目外である宮殿の屋上ゆえ誰も気づいていないが、彼の二色の目は溶岩をも凍らせられるほど冷え切っていた。 


 そして彼は和睦の時を前にして、ただ一つ命じた。


「セレン。あれを消し飛ばせ」


 答えるより先にセレンは行動に出た。胸の前に白い弾を一つ、両手で掲げるように浮かべ、それへ持てる魔力を注ぎ込む。光の弾はみるみる膨張し、同時に輝きを増していく。


 異変を察知して下の陣中がさざ波を立てた。エスドアもそのしもべも、そしてワイテもその側近も、突如として生まれた恒星を見上げる。


 誰が、何を。それに気づいたワイテが全身をわななかせながら叫んだ。


「やっ、やめろ、ディニアス君! やめさせろ! 良きかたちに落ち着いたのだ! これ以上ひっかきまわすでない!」


 ひっくり返った声もそのまま届いた。だが、我道を行く男はやめないし、やめさせない。際限なく光は膨れ上がっていき、今や屋上の二人の姿は完全に隠されてしまっている。明るさのあまり、丘の近辺のみ昼夜が逆転してしまったかのようになっていた。


 そんなエネルギーの塊を投げつけられれば、被害は的一つで済むはずがない。中央軍の本陣は敵味方の別なく消滅するだろう。


 守備隊が陣の守りを放棄して逃げ出す。西へ東へ、あるいは丘の上へ、散り散りに。もはや大将すらも腰を抜かしてしまった。なおかつ、彼を引きずる近衛も姿を消している。


 坂を駆けあがって来る人々を見て、ナターシャも焦りを覚えた。ひとまず岩の影に逃げ込んで、この上なく身を縮めてやりすごす。上に行く気になれなかったのは、歯止めがきかなくなったセレンの苛烈さをよく知っているから。火元に近づくのも危険だ。


 陣の西側で手ぐすね引いていたシュドンらも、必死で逃げ来る治安隊につられ、こけつまろびつ後退を始めた。東の亜人たちもまた同様、橋の東、ブロケードと接触するぎりぎりまで詰めて黒山と化した。


 ただエスドアのみが動じなかった。使いは二人ともうろたえた素振りを見せていたから、それを手ぶりのみで下がらせる。それで自分は、冷たい面でまっすぐとセレンを見据えていた。


 穏やかな光を湛えるたくましい足が前に出された。一歩、二歩、空中に足をかけ、恒星の方角へ昇っていく。ながらに帯びていた剣二本の片割れを掴み、黒鉄の柄に右手をかけた。


 エスドアが腕を引き剣を抜く。それと、セレンが魔法球を放つのとが同時であった。


 白は高速の弾、その性状は人を飲み込むほどに巨大化しても変わらない。避ける猶予を一切与えず、エスドアの眼前へ迫り、その厳めしい甲冑姿を煌々と照らした。


 そして。光が氾濫した。

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