戦きわまり、そして(4)
「何やってるんですかナターシャさん、早く!」
先行するコープルに急かされ、ナターシャは宮殿屋上から目を離し、坂を再び駆け下り始めた。大将の本営から要請を受け、上にあった救命物資を運んでいるところである。
「……あの子もひどい怪我してた」
「そりゃあんだけ亜人が来てたんですよ。無傷で居られるわけないですって。他人のこと心配してる場合でもないですし。雲行き怪しいっすよ」
島の中央まで戦火が及びつつある。有翼人の奇襲はセレンの奮闘で被害を最小限に出来たが、東西の本隊が上がって来たら、どうなるかはわからない。
コープルもクロスボウを持ち出していた。所属問わず健康な者は全員武器を持ち、抗戦の用意をしておけ。つい先ほどワイテから通達があったのだ。遠目に浮かぶ姿は貫禄を保ったままだが、内心は藁にでも縋りたいほど追い込まれているのかもしれない。
麓に着く。ナターシャの持って来た道具箱は、衛生兵に預けられた。中身は医療道具や痛み止めなど、まず重傷者の手当てに使うそうだ。自分も手伝おうと言ったが、断られた。
代わりに民間人の誘導を手伝ってほしいと頼まれた。陣中に留まるより、宮殿に逃げ込んでもらったほうが安全だろうから、と。確かに、先ほどから有翼人の空襲も途絶えている。上に登るなら今が好機だ。
コープルと共に陣内を移動して、各所に散らばる避難民を集める。そそうして、ちょうど西の縁近くを通った時だった。前面で戦列を組んでいた防衛隊が色めきだった。
間髪入れずに、大将ワイテの叫び声が轟いた。
「いかん! 皆、伏せよ!」
ナターシャも反射的にその場で身を屈めた。
やや後、辺りに勢いよく水を撒きつけた音が響いた。武装した軍員が転倒した気配も。かがり火がいくつか消え、辺りに闇がにじむ。その中で波が引いていくさざめきが背景に流れていた。
波打ち際でもないのにこのような音は不自然だ。つまり、異能の襲撃。ナターシャはさっと立ち上がり、前線が見えるところまで進み出た。本陣内にヴィジラは居ない。場合よっては、自分が魔砲を撃つことが唯一の対抗力になり得る、と。
崩れた隊列の向こう、三十歩ほどの距離を開けたところに、敵影を発見した。石畳に巨大な水溜りをつくり、その真ん中に立っている。いささかくたびれた風ではあるが、三白眼がゆるく弧を描いているあたり、現況を楽しんでいるらしい。
ひどく嫌な感じがする男だ。薄暗がりに目を凝らしながら、ナターシャは思った。その手は既に、腰にぶら下がる魔砲へ伸ばされている。
そこへコープルが追いついてきた。そして相手の男の顔を確認するなり、すっとんきょうな声を上げた。
「あっ、あいつ! ナターシャさん、あれがシュドンです! 人相書き見ましたから、間違いない」
「水を操るアビラ、謎は解けたじゃない。やっぱり溺れずに生き延びて、バダ・クライカの一味として暗躍してたのよ」
真相は見えた。ただ、今は逮捕だ聴取だと続ける状況でない。生きるか死ぬかの戦争なのだから。
最前に並ぶ兵は身の丈近くある盾を構え、シュドンの次手に備えていた。しかし、なかなかそれがこない。ただ遊ぶようにその場で水を跳ねさせていて、動きがほとんど読めない。
膠着する空気の中、ワイテが静かに盾隊を押し分け前へと進み出た。防御力もある立派な軍装を纏い堂々と歩くさまは、平素にない威圧を放っている。陣中の人間たちにも緊張が伝わり、あたりは静まり返った。
白髪の大将が姿を現した途端、シュドンはご機嫌に口笛を吹いた。そのまま水を跳ねさせながら、ゆっくり歩を進め距離を詰める。彼の足取りと共に、水溜りも移動していた。
「よぉ久しぶりだなあ、会いたかったぜジジイ。戦争ごっこは楽しいか? お望み通り、暴れに来てやったぞ」
「今すぐ消えぬか。死人が現世に立つとは何事だ」
「うるせえよ。やっぱりてめえらがむかつくんだ。憂さ晴らしくらいさせろ。綺麗なねーちゃんもいるしなあ」
シュドンが下品な笑みに顔を歪め、視線の先を変えた。狙い定めたのは、冷たくも熱い目をして佇む地上の人魚。
ワイテが彼の意図に気づき、陣内の方へ振り向いて、切羽詰まった声を張り上げた。
「戦えぬ者は急ぎ上へ逃げよ! ナターシャ君、きみもだ。早く逃げなさい! 早く!」
ナターシャはシュドンを睨んだまま、魔砲に弾を装填しているところであった。だが、最高指揮官から名指しで命令されてしまっては、逆らうわけにいかない。その上コープルにも腕を引かれる。悔しいが、従おう。
そして敵に背を向けたところで、再び人工的な水流が治安隊に襲い来る。今度は居並ぶ盾の足下をすくうように。アビラで補強された水が、ワイテたちを一気になぎ倒した。
水の動きはそれで止まない。四方から吸い寄せられるようにワイテのもとに集まり、彼の体をシュドンの足下まで引きずりだした。しまいには頭をすっぽり覆う水球へと変じる。
息が出来ない。ワイテはどうにか小さな海を外そうともがく。しかし液体、人間の手ではつかめない。苦し気に溺れゆくさまを、シュドンがわざわざ目の前にしゃがみこんで観察している。このおかげで治安隊が矢を射ることを躊躇した。大将に致命傷を与えてしまうかもしれない、と。
「シュドン!」
突如として野太い声が地を揺らした。発生源は石畳を西へ向かった方向。
シュドンがうろたえた様子と共に、後ろへ振り返った。が、同時にその横っ面へ拳大の木端が激突した。不安定な姿勢の上に平衡感覚が揺さぶられれば、思い切り尻餅をついてしかるべし。
首を押さえながら、シュドンは血走った目で下手人を睨んだ。暗がりに浮かぶ、赤色の人影を。
「しつけえな、おまえは! 野郎は引っ込んでろ」
「逃げたのはてめえの方だ。殺す気じゃなかったのか、あァ?」
ヴェルムはわざとらしく煽り立てた。ひどく破れた上着の前を開け放ち、筋骨隆々とした胸と腹を晒している。どす黒く染まった腕の止血帯はそのまま、他にも真新しい傷が多々あるが、気迫はまったく衰えていない。
石畳を蹴り、水の鞭を受けながら突っ込み、そして回し蹴り。シュドンの体が大きく飛んだ。
追撃はさておき、ヴェルムは激しく咳きこんでいるワイテをかばうように立った。水球は操り手の気が逸れた瞬間に、重力に従って崩れ去っており、戻って来る気配もない。
「ヴェルム君、すまない、助かったよ……。港町の方は」
「マグナポーラが来たから任せてきた。敵も半分には減らせたはず。あと少し、ここで踏ん張ってください」
「ありがたい話だが……ナコラから着くには、早すぎないかね」
「海を凍らせて自分だけ先に走って来やがった。やっぱり大馬鹿ですぜ、あの女」
情報を共有しながらワイテを本営の中まで退かせた。隊員たちにも安堵が広がり、にわかに士気が高揚する。大将の指示を受けた弓隊が、狙いをシュドンに定め、一斉に矢を放った。
攻防が逆転する。単独で先行していたのも仇となった。シュドンはとっさに急所を防御しつつ、流水の幕を展開して矢の方向を逸らした。それでも何本かが命中し、着実に身を削る。
斉射が止んだタイミングでヴェルムが攻勢に出た。さらに後ろからは軍兵たちも突撃を計る。一を他で袋叩き、異能に対抗するには真っ当な手段である。
しかし、シュドンへ届く前に、西の方から俊足の影が上がって来た。ふっと沸いて出たようにヴェルムの前に立ちはだかり、しかし瞬間的に背後へ回り込み、隙だらけの背中に膝蹴りを食らわせる。
倒れる程のダメージは無いし、格闘戦なら俄然ヴェルムに優位だ。しかし当人が落ち着いて応戦する様とは別に、治安隊には動揺が走っていた。目の前に突然人が現れた驚きで、足が止まっている。
そこへ地鳴りが。今度は何だとうろたえる部隊の足下が、何の前触れもなしで勢いよく隆起した。まるで鯨の潮吹きのごとく高くつき上がり、地盤や石畳の破片そして幾人かの身体もが宙に舞って、その後地へと降り注いだ。
シュドンが歓声を上げた。そんな彼が振り返る方向では、スキンヘッドの男が拳を地面に突き立てていた。よく見れば、そこから隆起点に向かって、細い地割れが走っている。
「いいぞいいぞ。次はあのジジイの足下にぶちかましてやれ! 全滅だ!」
「おかしらも的になってないで、働いてくれや」
シュドンは機嫌よく返事をして、辺りに散らばっている水を足下に集め始めた。
終結する異能者たちを前にして、本営は戦々恐々としていた。ワイテが隊列を整え徹底防御をしろと指示するも、実働する部下たちは逃げ出さないでやっとという様相。弓引き剣振るう勇気は挫かれている。ヴェルムがなお奮闘するも、敵も手練れ、三対一を完封する余裕はない。
さらに悪いことに、東側からも亜人たちが迫っているとの情報が転がり込んできた。まだ今は橋の向こう、本営からは見えない距離に居る。だが、あいにく守備が薄くなっている、手の届くところに来たるのも時間の問題だ。
危機的状況をナターシャとコープルが登坂の足を止めて見下ろしていた。
「これ、まずいっすよ。下の連中、心が折れてる。次また一発もらったら、立て直せませんって」
それは軍略に明るくないナターシャですら一目でわかることだった。流れを変える何かが要る。たった一石でも、あるいは一矢でも。
ナターシャはコープルの肩に手を置いた。ぐっと顔を近づけ、きつく言い含める。
「あんた、それ一発くらい当てれるわよね。いいえ、当てなさいよ」
「……頑張ります」
生唾を飲み込むコープルの袖を引っ張り、ナターシャは坂路から飛び出した。草に覆われた荒い大地を下り、崖の縁に立つ。ちょうど正面位置でヴェルムが三者を食い止めている。一番派手な攻撃のスキンヘッドを仕留めようとしているが、残りの二人に邪魔をされて上手く行かないようだ。
コープルがほとんど伏せるようにしゃがみこみ、クロスボウに矢をつがえ、深呼吸を共に引き金へ手を置く。その隣でナターシャは石ころを一つ拾った。当たれば痛いが、ノックアウトには達しないだろう、そんな小ぶりで投げやすい石である。
そしてナターシャは大きく振りかぶって石を投げた。狙ったのはスキンヘッド、一番動きが緩慢だったのである。
見事に頭へ命中した。やはり大したダメージにはならない。が、男は舌打ちをして丘の上を睨んできた。拳を振り上げ、足の動きがその場で止まる。
その瞬間にコープルが撃った。ひゅんと一直線に飛び出した矢は、男の左目へ見事に刺さった。太く濁った悲痛な咆哮が、口から押し出されるように流れ出す。
コープルが弾かれたように立ち上がって、天高く拳を掲げた。
「よっしゃ! 意外とあたるもんですね!」
「騒いでないで、次……いや、なし、逃げっ!」
連れの手を引っ張り、慌てて上へ。スキンヘッドが目を押さえながらも、拳を振り下ろしたのだ。
先ほどまで二人が居た地盤が吹き出す。その衝撃に巻き込まれ、勢いよく前へと倒れ込んだ。コープルの腹の下でごきりという音が響き、クロスボウが折れた。ついでに手首もひねったようで、痛みを逃がす声を漏らしている。
ナターシャは軽く手の甲を擦りむいた程度で済んだ。背後に降り注ぐ岩々が目隠しとなったか、これ以上の追撃も飛んでこない。
下は。わずかながら治安隊が威勢を取り戻した気配がする。ワイテがここぞとばかりに声を張り上げ、攻撃を指揮しているのも届いた。
「コープル、あんた大丈夫?」
「生きてます。けど、右手やっちゃいました」
「だったら先に上に行ってて。あたしは、もう一発ぶちこんでくから」
口をあんぐりさせるコープルに背を向け、ナターシャは岩の陰まで斜面を滑り降りた。敵の死角に隠れ、魔砲の発射準備を整える。呼吸も深く、心を静め集中力を呼び覚ます。
その上方を数多の光弾が通り過ぎた。それらは陣の東方へと飛び、橋のたもとに突き刺さって砂埃を上げた。
眩い光の雨に阻まれ、東より来ていた亜人たちが橋の上で足を止めた。それ以上に踏み出そうとすれば、すぐさまセレンの光弾が降り注ぐため、進みようがなくなったのだ。
立ち往生する十数の亜人たちの後方には、ブロケードが率いる一個小隊も迫っている。
戦いの混沌は中央部にて極まりつつあった。誰しもが勝機をつかみ取ろうと狙う。ナターシャもまた一つの楔を打ち込むべく、勇み足で岩場の前へと躍り出た。
が。睨みを聞かせた瞬間、なぜか全身が粟立った。生理的な嫌悪、しかしそれは眼下の戦場へ対するものではない。魔鞄を握る手に変な汗が滲む。
にわかに視界が暗く閉ざされていく。霧だ、黒い霧が一帯に立ち込めてきたのだ。新手のアビラによるものか。――いいや違う、これはただの異能者ではない。ナターシャは肌身で知っていた。そっと左手の甲に右手をやる。
緊迫に鼓を打つ心臓を押さえつけ、その場で動かずに待つ。視界はゼロ、下手に足を出せば崖から落ちるはめになるかもしれない。
下方からは敵味方の別ない困惑が沸き起こっていた。ワイテが「落ち着け」と必死で叫んでいる。
ややして、霧が流れ始めた。まるで羽虫の群が飛び立ったかのよう。一方向へ向かって収束し、風景は徐々に元へ戻りゆく。逃げ惑っていた人々は、今度は呆気にとられたように佇んで、霧の向かう先を目で追った。
それは頭上高く。そして入り江の上空。大きな光の塊が浮かんでいた。いいや、居た。三つの人影がある。
夜空を傘に並ぶ三者。小柄な両側は白いローブをひらめかせ、フードの奥に覗く目でこちらを見おろしている。
その二人に挟まれて佇む長身の人は、古を思わせる白銀の甲冑を纏っている。鎧自体が光を放っていて、流麗かつ神秘な印象だ。しかし、二本の剣を腰に帯び、白きマントを背にした立ち姿は威圧的でもある。
長い房付きの兜は顔の全面を覆う型。下々をどんな表情をして見ているかは知れない。そもそもどんな顔立ちをした、どんな人物であるのかも見えない。
ただ、正体を察して畏敬を抱いた人は少なくない。かの鎧姿は宗教画に描かれる者とまるで同じだから。
「エスドア……」
島の総てが息をのみ、空に降り立った神話の人を仰いでいた。吹き荒ぶ風の音を感じながら。




