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危急存亡(2)

 その報せは、ボレットの私邸へ届いたものだったという。別の島に暮らす親類から、「一大事だって大陸の人が知らせてくれたのだけれど、ご存じかしら」との添え書きと共に来た一枚の文書。明るみにでた瞬間にボレットを卒倒させかけた、その一通こそ、エスドアから信徒に向けて発せられた檄文であった。


 あれは宣戦布告だ、終末への火蓋が落ちたのだ、ディニアスに揚々と次第を解説されながら、ナターシャとヴェルムは特命部にやってきた。


 扉を開けば、治安省と中央軍の主要人物は雁首そろえ、激しいやりとりを繰り広げていた。ボレット、ワイテ、ギベルあたりを中心にした、政府内で武闘派の面々。しかし果敢というわけではなく、不安と困惑の色が濃い。


「たかが人魚ひとりのために、ここまでするとは、信じられん! 今からでも、解放してやったらどうにかなるんじゃないか!?」

「それは出来ません。あの娘は、死にましたため」

「なんだって!? ギベル司令、なぜ今まで黙っていた」

「わしが隠せと言ったのだ、そうやっていらん衝突をまねくからねえ。ギベル君を責めんでやってくれ」

「しかし大将。このような事態に――」

「いい加減、建設的な議論をせよ! 決着だというあかい月の季節まで、もう十日も無い! 憂慮すべきは最悪の事態、動機などどうでも良かろう。……ディニアス!」


 ボレットの吼えるような呼びかけに、局長は不敵に口角をつり上げ、芝居がかった風に頭を垂れた。


「その知謀を信じ、問うぞ。仮にエスドアが信徒を率いて押し寄せてきた場合、すべての戦力――おまえの束ねるヴィジラ、特使官、そしてその二人、なおかつ軍すべてだ。それらを総動員することで、政府に勝利をもたらすことは可能だと思うか」

「そうですねえ……」


 妖しい笑みを浮かべた口に手をやり、少し考えるそぶりを見せてから、ディニアスは何かを言おうとした。


 しかしその前に、議場の扉が外より開かれた。予期していない訪問者、一同の目が一斉に向く。


「……これは、ブロケード殿。申し訳ありませぬが、今は非常に重要な議を行っております、お控えいただければ――」

「中枢を攻めるという檄文のことだろう?」

「なぜそれを!?」

「東方のダンザム、レネー、アディマの三都市でバダ・クライカの一斉蜂起があったと急報が来た。これと一緒にな」


 東方総裁次ブロケード=ロクシアは、手にしていた紙を中央の机上に広げ置いた。ざわざわと一堂が覗きこむ中、いのいちばんにボレットが口を割った。


「こちらに届いた物とまったく同じ文面です」

「同様のものが大陸では広くばらまかれていたらしい。だが我々は……ボレット治安統括、特命部でも噂すらつかんでいなかったのか。四方から、もっと早くに伝書が届いてもよさそうなものだが」


 ブロケードは純粋な疑問を浮かべているのに過ぎない。しかし、ボレットは責を問う嫌味と捉えたようで、苦々しく顔をひきつらせた。二人の男の間には、肌を刺す空気が漂う。


 それをお構いなくして、ナターシャは机上に置かれた檄文を覗きこんだ。ディニアスから存在や文面は聞いていたものの、実物を見たわけではなかったからだ。


 ひどく汚い字だ、第一印象はそんなところである。感情の赴くままに激しく筆を運んだ文字列であり、止め跳ねはらいの勢いが並ではない。しかし、その癖のある字ゆえ、異常な気迫を感じられる。


 だが、単なる悪筆だという以上に、ナターシャには感じられるものがあった。心のささくれに触れるなにかが。


 かそけき正体をつかまえようと、黒々と並ぶ文字列を凝視する。ところが、はっきりする前にディニアスの手が文書に伸びてきて、ひらりと遠ざけられてしまったのだった。


「これは特殊なインクで記されています。いいえ、魔力が可視化していると言いかえましょう。さて、伝書部には魔力除去の装置があり、届いた物はそれを通すことになっている。すると何が起こるか、みなさんでもおわかりになりますよね?」


 あっ、と声を漏らしたのは、別にナターシャのみではなかったが。しかし一番理解したのは彼女で違いない。エスドアの使いが残した呪術の残りかすも、同じ装置で消え去った。インクをふき取ったように。


 心当たりと言えば、白紙の伝書もあてはまる。昨日ナターシャも一枚捨てたし、今朝、コープルも緊急事態が記された白紙を受け取ったと。


「なんと巧妙な手を……やはり、内部のことが知り尽くされているというのか」

「その通りですよ、ボレット統括。だからご安心なさい、あなたに落ち度はない。もちろん、統括には意図して事態を隠匿していた由も無い。利がないですからねぇ。……ブロケードさん、あなたの疑問への答えは、こんな風でいかがでしょうか」


 ブロケードは鼻を冷淡に鳴らすのみで答えた。それで「用件は以上だ」と告げ、部屋を後にしようとする。


 それをディニアスが引き止めた。


「ブロケードさん、来たついでに聞いておゆきなさい。もし、エスドアが亜人を引きつれて出てきたら勝ち目はあるのか、そういう話をしていましたので。私のことはお嫌いでも、そのお話には興味あるでしょう。 バダ・クライカと言えば、ライゾットさんのこともありますからねえ」


 皮肉めいた笑い声に、ブロケードは顔を歪ませた。ただ、話を聞く気はあるようで、黙したままディニアスを見据えていた。


 完全に場の主導権を握りしめた男は、得意気に指一本立て、室内を右往左往しながら、大げさな口ぶりで語りだした。エスドアに勝てるか、ボレットから投げられた問いについて。


「まず、勝つとはいかなることを言うのか、条件を何と定めるかによります。単にエスドアを討ち取ればよいというのなら、できる。あの女を八つ裂きにして戦いを終わらせる、既存の戦力で十分可能ですとも」

「そ、そうか! ならば、苦慮する必要もないではないか」

「ただし、代償としてこの島のすべてが灰燼に帰すでしょう。ここに居る方々で立っていられる可能性があるのは……三人に足りるか足りないか。私個人としては、それでもまったく構わないのですが、あなた方はどうですか? それを政府の勝利だと謳えますか? ちなみに、私は当然生き残る方ですよ」


 議場を沈黙が支配した。誰一人ディニアスと目を合わせようとせず、頭を抱え、あるいは歯噛みして、絶望を味わっている。甚大な犠牲を払ったうえでの辛勝を手放しで喜ぶ、そんなことは公人の矜持が許さない。


 ならば、戦わずして逃げるか。住民を避難させ、バダ・クライカに空にしたこの島を取らせる。中枢の機能が死んでも、四方大陸には総裁府が健在だ。再起をかけ、反攻することは可能だろう。ただ、唯一で絶対の問題として時間が立ちはだかり、実現を不可能としているが。なにせエスドアは明日にでも来たる可能性がある。既にバダ・クライカの手が、この島の中へ届いていることも確実であるゆえ。


「なら、敵を暴れさせる前に退けること、その手段を考えるべきだろう」


 止まっていた時を動かしたのは、ワイテ大将のそんな言葉であった。机に肘をつけ、顎の前で組んだ指をいじりながら、目つきは真摯にヴェルムの方へと向ける。にじませた冷や汗で心境を物語りながら。


「ヴェルム君、どうにか説得して止められないか。赤肌とは亜人たちの頂点にあるような種族なのだろう? 幸か不幸か、エスドアを盲信するのはほぼ亜人だ。だったら、君なら出来るのではないか? 君を慕う君の仲間たちなんだろう? それに、そうだ。君が守るべき、東方の亜人たちなのだ。君とて、無益に争うことなど望まないだろう?」


 突き刺さる重責にヴェルムは押し黙っていた。見開かれた目に映るのは、困惑と、わずかながらの憤慨。


 ぐっと脚の横で拳を握る赤肌の男に向かって、ワイテはさらに畳み掛ける。眉目を下げ、口ぶりも至極苦しげに。


「君一人に命運を託すのは非常に心苦しい。だが、それが最も戦いとは遠い手段だろう。わしとしてはなあ、これ以上、亜人との溝を深めるべきでないと思うんだ。血が流れない方法があるのなら、それが一番だ。わしはね、君の故郷の東方ヘルデオムとも和解できると思っているんだ。それなのに、ここでエスドアからの挑戦に素直に応じて、双方ともに犠牲が出れば、終わりだ。ブロケード君が黙って見ているはずないだろうからねえ」


 ワイテは皮肉に顔をつり上げながら、亜人排斥派の男をちらと見た。挑発ともとれる行為だが、ブロケードは乗らなかった。わずかに緑の目を細めたのみで、何も言わないまま。


 親亜人派の男が、互いのことを慮り、亜人の使者を立てて和解を目指す。うまく運べばこの上ない良策で、外聞もよい作戦だ。しかし、ヴェルムの横で聞いていたナターシャには、脅しをかけて責任を転嫁しているように感じられた。お前が身を切って矢面に立たねば、亜人たちが死ぬのだ、と。だから死に物狂いで説得を成し遂げろ、と。


 状況が状況でなければ、文句の一つもつけていただろう。だが、滅びを強く断定されてしまえば、ワイテの言う通り戦闘回避が賢い選択だと思わざるをえない。ナターシャは、そして場に会するすべての人間が、赤肌の男が是非を出すのを待っていた。


 そして、ヴェルムが意志を吐き出した。ひどく冷ややかに。


「もう遅い。俺にそれだけの力があるのなら、俺は今頃こんなところには居ないさ。悪いが、あなたの望みは叶えてやれん」

「だがヴェルム君、ほんとうにそれでいいのか。このままでは大勢死ぬんだぞ。わしらも、亜人の――」

「横槍すいませんが、大将、赤肌殿はまったく正しい。あなたは彼らの信仰心を舐めている。神の声で突き進んでいる信者に、神以外の声など届きません。言葉で止められるとしたら、唯一エスドアのみ。あれが出てきて『やめろ』と言わない限り、命令通り死ぬまで戦う。神の勅令で死ねるのは、栄誉なことですから。そういうことでしょう、赤肌殿。もしあなたが向こうにいたなら、きっとそうする」

「違いねえ」


 局長からの援護に、ヴェルムはわずかに口角を上げた。


 一方、ワイテは苦悩を露わに口を閉ざした。ついでに目も閉じ、脳を絞るように頭を掌で抱く。戦わなければ政府が死ぬ、戦っても中枢は死ぬ、始めから詰んでいる選択肢を選ばなければいけない重圧が、肩にのしかかっているのが見えるよう。


 大将が黙ると、他の治安省関係者も閉口する。この場の最高責任者たるボレットですら唇を噛み、そしてワイテに縋るような目を向けている。


 静かなる混乱、それを打開しようと口火を切ったのは、本来部外者であるはずのブロケードだった。場を見据える深い憂いを秘めた緑の目は、しかし冷たくもある。


「ディニアス、貴様の言うのは、あくまでも最悪の場合なのだろう」

「最悪? まさか。エスドアが出てきた、という場合のみです。もっと不利な 事態などいくらでも。例えば、エスドアにつられて我が神が――」

「そちらはどうでもよい。エスドアが来ない可能性をなぜ考えないのだ」

「まあ、あり得ないとは言えないでしょう。なんでもそうです。ただ今回は、ここまでやって出てこなかったら、幻滅もいいところですけど」


 ふん、と拗ねたような鼻息が一つ。ただ、それは居合わせる者にとっては、希望の報せである。どれだけ小さな確率でも、ゼロでないならば十分だ。


 特にワイテが威風を取り戻すのは早かった。しゃきりと上げられた面は真剣そのもの、眼には強い決意が灯り、軍人の長に足りる凄みを醸している。それで一同を見渡せば、部屋が緊張感に包まれた。誰かが生唾を飲み込む音が際立つほどに。 


「では、正面より迎え討とう。わしとて世界を支える軍の大将だ、討つべき敵を前にして逃げたりはできない。私情は捨て、善戦を誓う。いかなる手を使ってでもこの島を守り、勝利を掴む道を模索するとも。……さっきの策は撤回だ。やらせてくれボレット君、戦わせてくれ。わしの、いや我々政府の誇りと威信のためにな」


 饒舌で堂々たる語り口だった。緊張とはまた別種の沈黙が、聞き手を支配した。


 バダ・クライカとの争いの指揮権はボレットにある。その彼は、一周回って笑みすらも浮かべていた。双眸には純朴な光をたたえ、なおかつ、静かに闘志の火をも燃やしている。


 ボレットは机に両手をつき、勢いよく立ち上がった。その見た目としての威容は、間違いなく総指揮に相応しいもの。続く強い言葉も、また同様に。


「一同、戦いに備えるぞ! これはイオニアンすべての命運を握る聖戦、負けは許されぬ! 我々政府の矜持にかけ、この戦をもって邪教を滅すと心せよ!」


 反論する声はなく、事実、下の者たちもその気になっている。はじめの弱腰さは誰にもない。勝利を盲信するかの風を吹かせている。


 その波に乗っていないのは三人のみ。


 ブロケードは、己が投げた一石の着地点を、表情を動かさずに見守った。そしてそのまま、もう用がないとばかりに、静かに議場を去っていった。


 ヴェルムは終始浮かない顔を解いていない。少し下げられた瞼の奥には、諦めに似た覚悟の色がある。


 そしてナターシャはといえば。非常な疎外感を覚えていた。戦う戦わないの話であれば、自分に出来ることはない。そもそも総監とは異能事件の調査官、戦争にかり出されるものではなかろうに。

 

 ――どうしてこんなことになってしまった、どうしてあたしはここに居なければいけない。そんな不平不満を心の中で呟けば、顔にもしっかり現れた。


 ただ幸か不幸か、作戦会議に移行しつつある面々には、ナターシャのことを気にかけるものなど居なかった。

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