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神の徒(4)

 時は流れて夕刻、中枢に終業を告げる鐘の音が響き渡る。ナターシャは最後の仕事をしていた。伝書部で受け取ってきた書簡をあらためて、急務が無いことを確認してから、局長の机に積んでおく。なぜか白紙が一枚混ざっていたから、それは丸めてごみ箱に投げ捨てた。


 それから終日ぴったりと寄り添っていたセレンを促し、共に宮殿を去る。家へ……いや、その前に、腹ごしらえがしたい。丘を下ってから大通りを真っ直ぐ西へ進み、繁華街へと向かった。


 立ち並ぶ店々はいずれも広く間口を開け、仕事終わりの政務官たちを迎える明かりが煌々と灯されている。食欲を刺激する匂いも満ちあふれ、不思議と心が浮いてくる。ただ、ナターシャたちが選んだのは、そんな大通りから一歩踏み込んだ路地にある、古びた屋内の食堂であった。いつどこからなにゆえに絡まれるかわからない亜人の身では、少しでも人が少ない場の方が気楽なのである。


 また、この店は主も好感が持てる人物でよい。ヴェルムとも時々やってくるのだが、人間となんら変わらぬ対応をしてくれる。たったそれだけのことなのだが、この島では貴重だ。


 先客はカウンターで店主と喋りながら食に興じる女三人組と、一番奥かつ隅のテーブルで背を向けている男の二組のみ、気後れすることも無くナターシャは入店し、目が合った店主に軽く会釈をしてから、中央の卓についた。


「おやっ、今日は赤い旦那とじゃないのか。もしかして新入りの子かい?」

「うちのじゃないけどね。でもその方がいいって思うでしょ」

「おたくはそうだよなあ。で、注文はどうする?」

「いつもの貝のやつとー……セレン、なにか食べたいものある?」

「あっ、いえ、特には」

「そう? じゃあ、なにか適当に二人分お願いします」


 店主は気さくな返事をして、調理場に向かった。料理が出てくるまではしばらくかかる、その間をどう持たせるか、ナターシャは少しだけ困っていた。いかんせん、セレンという娘が掴み切れていない。


 さて、そのセレンだが、なにやら落ち着かないようなそぶりを見せている。


「……どうかした? なにか危険が?」

「いえ、別にそういうわけではないのですが」

「じゃあなんで緊張しているの。護衛っていってもずっと構えてる必要ないし、食事代はあたしが出すし、遠慮なんてしないでいいから」

「……はい」


 とは言うものの、やはり眉を下げ気後れしているようだ。いつもの鉄面皮はどこへやったのか。ナターシャはふふっと静かな笑いをこぼした。


 思えば、セレンとは短くも深い付き合いになっている。おそらくは今後もしばしば顔を合わせることになるだろう。その割には、まだ壁が払拭できていないと言わざるを得ない。すると今の食卓を囲む場は、親交を深めるのにちょうど良いのではないか。ナターシャは前向きに考えた。


 ところが、算段とは常々うまくいかないものなのである。ナターシャが適当に話を振ろうとした矢先、セレンから「後ろに」という呟きが発せられた。危急迫ったという風ではないが、冗談とも取れない。何事かとゆっくり振り返る。


 すると、男――隅の席にいた人物、しかも知り合いだ――が、背後に立っていた。無精髭の青年は、制服の前を全開にし、皺の寄ったシャツを露出させ、一言で言うなればだらしない印象だ。そんな彼の手はナターシャの肩に伸び掛けていたが、先に振り向いたために、大きく空をかいて腰の横に戻っていった。


「ああっ、やっぱりナターシャさんだ」

「なんだ。あんたか」

「僕ですよ。一緒に居るのはお友だちですか? はじめまして、組犯のコープル=アトレインと言います! へへ、かわいい方ですねぇ」

「セレン、無視していいからね。こいつただの女たらしだから」

「承知しました」

「うわ、ひどいなあナターシャさん! 僕はどっちかっていうと純愛主義者ですよ。清く正しく美しいお付き合いを心がけていますとも」

「どこがよ。あたしにだって、散々一方的に付きまとっておいて。しかも亜人だってわかった瞬間に切り捨てて。最低じゃない」


 しかめ面で吐き捨てても、コープルはおどけてみせるのみだった。


 コープルは自分の卓にあった食べかけの皿を抱え、ナターシャたちのテーブルに移って来た。有無は言わせず、さも当然のように隣に座る。


 そんな折、ちょうど店主が料理を三皿持って来た。ナターシャはまっさきに貝の焼き物に手を伸ばしながら、セレンにも遠慮するなと促した。ただ、出来立ての料理は熱い。コープルを無視することに注力しすぎて、そのことを忘れていた。結果、舌を焼いて悶絶する羽目に。


「ナターシャさん、ちょっと聞いてもいいですか?」

「……なによ。見ての通り、熱いの苦手なの」

「いいえ、そんな話じゃなくて」


 と言ったコープルの声は、いやに真剣味を帯びている。ナターシャは訝しみながら彼の方に顔を向けた。声だけではない、顔も真に迫っていた。


 そして、小さな声で言った。


「死んだ人間を生きかえらせることができる、そんなアビラはあるんでしょうか」


 ひく、とナターシャのこめかみが震えた。普段なら、とんだ妄言を、という単なる嘲りで終わるだろう。しかし、今は。蘇り、転じて不死。ひかかるものがある。


 はやる気持ちを抑えて、まずは質問への返答をした。


「居ないはずだし、居るってのも聞いたこと無い。時間や空間を操るとか、命を創り出すとか、そういうのは神の領分だから、人の使い手には不可能。あたしはそうやって習ったわよ」


 総監局に赴任した直後にヴェルムから教わったことだ。念のため確認を、とセレンに視線を送ったら、こちらが何を言う前に彼女はこくりとうなずいた。口がもぐもぐ動いたまでも、目と耳はしかと話を聞いているらしい。


 それでもコープルは絶対なのかと念押ししてくる。ナターシャはやや答えに詰まった。無いものを無いと証明することなどできない、そうであろうと信じる以外に他ないのだ。


 強いて論拠を別に挙げるならば、昼間に目を通したルクノラムの聖典だろう。世界を創造し、生命を生み出したがゆえ、ルクノールは神となった。他に人間の運命を操るを許されたのは、魂の輪廻を司る第三使徒エイチェルのみ。真偽はさておき、其の者らが神と讃えられるのは、人間にできない所業をなすからこそ。


 人が使うアビラでは、世界のことわりまでを覆すことはできない。再度断言すれば、今度はコープルも納得したようだ。


「やっぱりそうですよね。そんなこと出来るやつがいたら、とっくに世界を支配していなきゃおかしい。だけど……参った。逆に言えば、生き返ってきた奴の後ろには、本物の神がついてるってことじゃないですか」

「待って。あんた、何調べてるの」


 尋ねながらも、ナターシャの中にはすでに確信めいた予想があった。このタイミングで、この状況で、神云々という話がバダ・クライカ・イオニアンと無関係なわけあるまい。自分が襲われた話とも符号があるのだ。


 ただ、コープルは断言するを渋った。単に嫌だからではなさそうだ。彼の目線は店の入り口に向かった。ちょうど扉が開いて、新しい客が入ってくるところであった。計八人、狭い店内が一気に賑やかになる。いっそ窮屈なほどに。


「いい感じに冷めたと思うんで、先に食べちゃったらどうっすかね。僕、待ちますよ」

「そうさせてもらうわ」


 言外に込められた「場所を変えよう」の意図を察し、ナターシャは食事に戻った。気がつけば、料理は四分の三ほどまでに減っている。かつ、もくもくと食べ続けるセレンの手は止まる気配がない。こちらも急いだほうがよさそうだ。



 食堂を出てから、一歩先を進むコープルに付いて、埠頭の近くまで来ていた。繁華街に比べればずっと静かだが、治安隊含む人影は絶えない。


 ちょっとした公園になっている一角で足を止める。円形の花壇の前に、ちょうど三人座れる長椅子が。コープルはいの一番に真ん中へ陣取り、二人も座るように促してくる。ナターシャは渋々従った。 


「まあ、さっきの続きなんですけど」

「ちょっと待って。人が結構いるんだけど、ここでいいの?」

「あまりに人が居ないところで話してたら、やばい事やりとりしてるって言ってるようなもんじゃないですか。これくらいの方が自然でしょう? はたから見たら、美女二人口説いてるだけ」


 コープルはからから笑いながら、調子に乗って肩に手を回してくる。それを丁寧にほどいて押し返しながら、ナターシャは了解を示した。確かに、あの食堂よりは開放的で、人との距離も近くない。周りに隠れる場所もないから、不審者の接近にも気が回る。言われてみれば悪くない場所だ。


 黒影となり並ぶ大きな船たちをぼんやりみやりながら、コープルは小さな音で語った。


「この前の騒動の後から、ボレット統括の指示でバダ・クライカの金の流れを探ってるんです。色々たどってたら、東のニーザ島を拠点に犯罪組織が動いてるのがわかって。うちの長が直々現地へ探りを入れに行ったら、頭の人物も判明した。だけど……そいつは一年前に死んだはずの奴だった」

「知り合いだったの?」

「犯罪者です。東方大陸で人身売買してた連中で、亜人も絡んでたから総監も出張ってるはずなんですけど」

「知らないわ。あたし来る前のことだもの。ヴェルムや局長からも、それっぽいことは聞いたことない」

「終わったはずの事件ですからね。結局は、東の現地治安局が拘束して、グレーゴンの収容所送りにした。でも、その移送中に、乗ってた船が事故って沈没したんです。海原の真ん中で、通りかかる船も無し。運よく生き残れたのは片手で足りるほどで、あとは犯人も軍人もみんな海の底。一応、付近も探してみたけれど、死体がいくつか流れ着いただけ」


 ため息混じりにコープルは手を開いた。


「バダ・クライカが死者を生きかえらせているのだとしたら、とんでもないことになりますよ」

「それは無いと思うけど」

「でも、実際に起こってしまった。裏を返せば、やつらの後ろには本当にエスドアが居るってことじゃないですか」

「違う。バダ・クライカに不老不死をもたらす力は無いわ」


 それができるのであれば、エスドアの使いが襲ってくることもなかっただろう。こればかりは断言できる。


 それに加えて、コープルの懸念を否定する道にも気づいていた。


「それってさ、犯人の遺体は出たの?」

「いいえ。鮫の餌じゃないっすかね」

「じゃあ生きてたんじゃない? 裏社会のやつなら、隠れるのも得意でしょ」

「いやいやいや、海の真ん中だったんですよ!? とても泳げるような距離じゃ……あ」

「人魚なら余裕、今のあたしでも生き延びるくらいならなんとか。だったら、似たような力をつかうアビリスタならどうにかできるでしょ。そいつがどうだったかは知らないけどさ」

「……力は枷で封じてたはず」

「事故の衝撃で壊れたとか。あれ、どうにかすれば割れるみたいだし」

「まさか!」

「死人が蘇って来るよりは可能性あると思うけど?」


 ナターシャはそっけなく言った。死体があるのならともかく、無いのなら予想がつく。ただ、魔封じの枷を過信していれば気づけなかっただろうが。


 コープルは唇を噛み、膝の上で組んだ手を弄り、ながらく思考にふけっていた。が、やがて彼の中で折り合いがついたのだろう、にわかに凛々しい面持ちになり言った。


「その線で進めてみようと思います。もう少し掘り返さないと……」

「そいつが黒幕なの?」

「という風でもないんですが……。明日の朝には次報がくると思うので、詳しいことはまた」


 コープルは苦い笑みを浮かべた。


 話が済んだところで、彼は慌ただしく去っていった。別件で人に会う予定があるらしい。詳しくは聞いても口を割らなかった。


 長椅子に座ったまま夜風に吹かれて、ナターシャもぐっと伸びをする。自分の抱えていることに直接的な成果はないが、バダ・クライカに対する調べが進んでいるとわかっただけでも儲けものだろう。特命部に対する信頼が少しだけ取り戻された。


「さ、あたしたちも帰りましょうか。……セレン?」


 気づけばセレンは既に立ち上がっており、背後の方角の空をじっと見上げている。月星を見ているとは思えない、険しい顔つきで。


 ナターシャも視線を追った。闇に瞬く星々の中、一点だけ一回り大きな白いものがある。――いや、違う。気づいて、絶句した。


 空高くにあるのは白い人影、風に衣があおられているのか、わずかに輪郭が揺らめいて見える。足下まで届くローブを着た姿、心に当たるのはエスドアの使い。ただし幸か不幸か、今宵はナターシャには関心を持っていないらしい。こちらに向いているのは背、方角的に中枢を見下ろしている格好だ。


 どうかしようにも、ここからでは手出ししようがない。しかめ面で立ち尽くすナターシャに、セレンが危機迫った声をかけた。


「ディニアス様に」

「だめよ、あいつどこに居るかわかんないし……あっ、消えた」


 それは蝋燭の炎を吹き消したようであった。いまや影も形も無い、付近を飛んでいるなども無い。


 心底気に食わない、とナターシャは思った。十中八九、バダ・クライカは単なる人の犯罪組織だ。神話を立証できないことを良しとしてエスドアを騙り、信心を利用し亜人をけしかけ暴威を成す、自らの名で立つ勇気も無い矮小な人の。


 ふと捨てたメモのことを思い出した。きっかけは、名前を聞いたからである。


「あいつの手紙……個であって個ではないって、そういうこと?」


 ルクノラム教に言うエスドアは個を指す名、しかし、バダ・クライカにとってのエスドアは概念のようなもので、個の形をとり存在するものではない。言い換えれば、バダ・クライカ・イオニアンという組織自体が「大いなる罪人(エスドア)」である、と。何も知らない末端たちだけは心から主神を信仰し、虚構のエスドアに付き従う構図だ。


 エスドアの正体見たり。ナターシャは白い人が消えた空を睨みつけた。



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