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人を殺める人の形(3)

 有翼人は暗色の目を真っ直ぐナターシャに向けたまま黙して返答を待っている。他の男たちは仲間なのかただの取引相手なのか、現状ではわからないが、彼らも対話に割入ってくる真似はしない。片方は店主の前に席を移し、もう片方は円卓の会話を鑑賞するため周囲うろついている。


 ナターシャは燃える心を抑圧し平然面を繕って、やんわりとした笑みを浮かべ、まずは瀬踏みにかかった。


「一昨日、教会に仕掛けたのはあなたでしょ。あれは独断なの?」

「違う。エスドア様の、御心に従って。我ら、バダ・クライカ・イオニアンなり」

「……そうね」


 およそ想像はついていたものの、理解しがたい返答であった。ゆえに適当な相槌をしてしまったが、逆に余計なことを言わないで済んだため、相手の態度も変えさせずに終わった。


 と、近くをうろついていたいかり肩の男が、不意にナターシャを横から覗きこんで声をかけて来た。


「おまえ人魚って言ったな、女」

「ええ、そうよ」

「ふーん」


 それきり男は再び口を閉ざして歩き回る。ながらに何かを悟ったような顔つきで首を縦に振っていた。


 ナターシャはさして気に留めなかった。人魚族に地上でまみえるのは珍しいから、畏怖と好奇を向けられるにはもう慣れた。そんな些事に突っかかっていられる状況でもない。


 さて要領を得ない問いかけに気をもむのは相手も同じらしい。有翼人の男は机の上で組んだままの指でリズムを刻みながら、目を細めてナターシャに問いかけて来る。


「聞きたいのはそれだけか? 違うのだろう」

「ま、そうね。じゃあ、お望み通り本題」


 ナターシャの顔から笑みが消えた。寒色の瞳による視線は鋭く研いだ氷の刃のように相手を貫く。有翼人の男は余計な身動きを止め、少しだけ顎を引き、三白眼をもって睨みに応えてきた。


 一気に冷えて締まる空気。ここまで来た以上、婉曲は不要だ。


「あんた、『人魚の夢』って知ってる? どういうものかわかる? いえ、知らないわけないわよね、そこにあるんだもの」


 示すのは言葉だけで、視線はただひたすら真っ直ぐ前を見据える。外野の男のいずれかが、ひゅうとふざけた口笛を吹いたが、微塵の意識すら向ける気にならない。狙い定めた標的の一挙一動を見逃さないために。


 有翼人の男はナターシャの詰問に対して明確に眉目を上げ、数瞬の間、机上の袋に目を落とす仕種も見せた。これでは罪を認めているようなもの。


 しかし、彼はふんと蔑むような鼻息を漏らすと、平坦な口調で言ってのけた。


「そんなことか」

「そんなこと!?」


 ナターシャはくすぶらせていた炎を一気に爆ぜさせた。両手でテーブルを打ち、前のめりになって男に噛みつく。


「あんたね、これ飲んだらどうなるか知ってんの!? 吹けば飛ぶようなちっぽけな量で、人ひとり殺せるのよ!?」

「知ってる」

「じゃあ、なぜ! 金のため? 人殺しのため!?」

「お前は同胞ではない」

「ええ、そうよ! あたしは人を守る政府の一員だ。だからこれは法に則った尋問よ、質問に答えなさい!」

「我らバダ・クライカ・イオニアン。真なる神エスドア様のため、自分は資金を集め、人間を駆逐する歯車となる」


 なんら悪びれない口調で淡々と答える、その様にナターシャはさらに激した。


「金のために人を殺す!? そんな非道を許して何が真の神だ! ふざけるな、ふざけんじゃないわよ!」


 勢いのままにナターシャは机上の袋を一つひっつかみ、床に向かって中身をぶちまけた。がん、ごん、と鈍く重い音がいくつも連なるのを、有翼人の男をにらんだままに聞いていた。


 その最中、わずかに残っていた理性が、証拠を確保しろと訴えかけて来た。音から察するに砂状の「夢」が瓶詰になっているのだろう、一瓶でも確保してしまえば犯罪の証として十分すぎる。


 そう思って手を伸ばしかけたのだが。


「嘘……なにこれ……」


 床に散乱した物は瓶詰ではなかった。乳白に青みを加えた色の、手のひら大の結晶体。紛れも無い「人魚の夢」である。ただし、砂浜に流れ着く残渣などではなく、海底で生まれたままの原石の方だ。


 ナターシャは床を見つめたまま凍り付いていた。


 普通は波に揉まれた「夢」が地上に流れ着くが、稀に底引きの漁網や岩礁の合間、人がほとんど寄り付かない荒波の浜辺などで、大きな結晶体が見つかることもある。この場合、人魚族が意図的に設置したものであることがほとんどだ。


 その意図を強いて表現するなら、人間が狂気で死ぬ姿を娯楽とするためとなる。確かに人魚族は地上を軽蔑しているが、ゆえに積極的に干渉することも少ない。だから悪意ではなく純粋な享楽が原動力の行動、人間が笑いを求めて喜劇を鑑賞するのと同じ感覚である。この感性がナターシャにはまったく理解できなくて、吐き気をもよおす醜悪さをも感じる。が、それは今の疑念とは別問題である。


 原結晶が存在する自体でなく、異常なのは数の方。この床に落ちた「夢」だけで十個は軽く超えている。人魚の気まぐれで発生するだけの物体をこれだけ一所に集める、少々無理がある話だ。すなわち通常でない入手手段をバダ・クライカが有しているという証に他ならない。


 例えば、人魚族がバダ・クライカ・イオニアンに加担し、積極的に「夢」を提供しているなど。人間を憎む人魚が明確な悪意を持ち、狂気なる「夢」で地上を侵略し始めている。ナターシャはまずその線に思い至り、なおかつかなり有力と感じ、背筋に走る怖気に震えた。


 ――とにかく、今は証拠を。


 ナターシャは動揺を抑えきれない浅い息遣いのまま、椅子に着したままでそろそろと床の「夢」に手を伸ばす。証拠だ、有翼人の罪だけではなく、闇の中に人魚の影があることを示すために。人魚の存在、まだ誰も気づいていない真相への足がかり、大事にしなければ。


 そんな混乱の渦に囚われた結果、ナターシャは周りの現実が意識に入っていなかった。有翼人がふんぞり返って余裕の笑みを見せていることも、いつの間にか酒場の中にに人間が増えているのも、四方から敵意が向けられていることにも、あらゆる状況の変化にまったく気づけなかった。

 

 だから、


「ナターシャ様ぁっ!」


 そんな鬼気迫ったセレンの叫びが耳に届いて初めて、己の失態を自覚することになった。


「は、ッ、あァッ……!」


 セレンが椅子もろともにナターシャを床に引き倒した。受け身もとれないままだから、しこたま体を打ち付けて激しい痛みが走る。しかし、飛んできたナイフに頭を貫かれるよりはずっと良かっただろう。


 直後ナターシャが居た空間を切り裂いたナイフが、鋭い閃きを持ったまま床に突き刺さった。間髪いれずにセレンがそれを抜き、来た方角へと飛ばし返した。


 ナターシャは必死に直線を目で追う。と、先に居るのはなんと酒場の店主。舌打ちと共に彼はしゃがみこみ、ナイフの切っ先は棚にあった酒瓶を弾いた。血しぶきの代わりに、ガラス片と強い酒気が飛び散った。


 強引に現実に引き戻された結果、ようやく窮地が把握できた。最初から居てカウンターに移動していた男は、そのままその場で威嚇するように指を鳴らしている。加えて新顔が三人居る。入口を塞ぐ筋肉質の男が一人と、カウンター内、店の奥に繋がる戸の前に二人。片方は剣で武装して、もう片方は異能(アビリスタ)らしく、手のひらの上で火球を弄んでいる。


 敵は五人、違う、七人だ。一瞬の判断ミスがあった隙に有翼人がまず動いた。強風を起こし、テーブルをひっくり返す。厚い天板が、床に倒れ込むナターシャを押しつぶさんと迫ってくる。


 対したのはセレンだった。ナターシャをかばうように前に躍り出て、テーブルに向って渾身の蹴りを入れた。逆方向の力が拮抗しテーブルの転倒が止まり、やがて向こう側へと倒れ始めた。


 が、すぐ傍に敵がもう一人居る。いかり肩の男、彼が吼えると共に、異能で創り出した鎖付きの巨大鉄球を振り回した。下から掬い上げられたそれは頑丈なテーブルを打ち砕き、そのまま勢いを落とさずセレンに襲い掛かる。


 死角からの攻め手で防御姿勢を取る間もなかった。セレンは剛の一撃をもろにみぞおちに喰らい、後方に激しく吹き飛ばされた。肢体で椅子や机を薙ぎながら壁に激突、それから静まり返って動きがない。


「セレン!」


 ナターシャは蒼白な顔で叫び、彼女に駆け寄ろうとした。しかし敵方にはそれを見過ごしてくれるような情はなく、追撃に来たいかり肩の男に蹴り倒され、そのまま首を鎖で押さえつけられる。


 喉を締め付けられ息が苦しい。必死にもがき男を払いのけ鎖を外そうとしても、屈強な男相手に敵うはずもない。苦悶に顔を歪めた無駄な抵抗を、男はあざ笑っていた。


 かかる力は生かさず殺さずの絶妙な加減で留められていた。非常に苦しいが、呼吸が止まることはない。ナターシャは血がよどみ鈍る頭で、これは拷問だ、と感じた。


 苦悶に喘ぐナターシャに男はぐっと顔を近づけて、どすを利かせた声で聞いてくる。


「てめえ、治安隊じゃねえよな。昼間っからうろちょろと、どこの手先だ」

「あたしは、異能対策省の、総合監視局のものだ。おまえたちの悪事は、見たぞ……ッ」


 虚勢を張ればすぐに気道が押さえつけられる。ナターシャの声は最後ただのうめきとなり消えた。


 生殺与奪を握られたこの状況、打開する術が思いつかない。こうも圧倒的な力の差で追いこまれた後では小細工を弄すこともできない。絶体絶命だ。


 と、その時、別の方角からどよめきが上がった。音の主は店内扉の前に居た二人組、互いに驚き顔を見合わせ、一つ二つ示しあってから、同時に店主へと向き直った。


「なあおい! 総合監視局ってよ、そいつら昨日の奴らの仲間じゃねえかよ! あれさえ適当にやりすごせばどうにかなるっていうから物はカマコリーから全部引き揚げて来たんだぞ!?」

「話が違うじゃないか、どうなってるサッチャーロの旦那。まさか裏切りやがったか?」

「知るか! こっちだってあんたらの方に言われるがままだ。直接聞けよ、別にたかが女のふたり――」


 内輪揉めの言葉は轟音により妨げられた。すべての視線が一斉に発生源を向く。


 気が付けば窓近くで折り重なるようにして鉄球の男と有翼人とが倒れ悶えていた。壁は大きく広くひび割れ陥没し、衝撃の激しさを物語っている。


 一体何が。一番近くに居たナターシャですら理解が追い付かなかった。苦痛に目を細めていたら突然下手人の体が吹っ飛び、呼吸が楽になった。それだけの認識だ。


 誰もが絶句する中に、かすかな足音が鳴らされる。一歩、二歩、と静かに歩む姿には、無数の光弾が伴っていた。薄闇の中に浮かぶ彼女の表情には一切の慈悲の色は無い。


「セレン……!」


 無事であったことに安堵する。口端から血を滲ませているが、それ以外に大きな外傷はなさそうだ。

 

 ただし精神面は別だろう。彼女の中で何かがぷつりと切れた、闘志にぎらつく鋭い目だけでそれは明らかだ。現にナターシャの呼びかけにも一切反応せず、セレンはカウンター側に集まる男たちをにらんでいる。


「敵対する者はすべてこの世から排除する」


 ぼそりと宣言された言葉があたかも枷を解くための呪文であったように。その告知と共に、セレンが凄絶な気に満たされた。手綱はとうにナターシャの手から離れている、彼女はもう止まらない。


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