人を殺める人の形(4)
セレンは床を軽やかに蹴り、カウンター方向へと一気に踏み込んだ。同時に、幾本もの光線がほとばしる。宙を駆けた白き魔法弾は圧縮された高エネルギーを炸裂させ、あらゆる物品を滅茶苦茶に打ち砕く。棚が崩落し、酒樽が大破し、燭台が木端微塵になり、玄関近くに居た男の首が後ろに折れた。
三筋の閃光はナターシャの頭上をも掠めていった。それは鉄球男と有翼人を狙ったものであり、反攻しようとしていた彼らを再び打ちのめすに至る。狙いが外れた一本は、カーテンもろとも窓ガラスを吹き飛ばして外へと飛び去った。
さらに薄闇の中で閃いた眩い光は悪漢たちの視界を奪った。カウンター前の男に至っては、先ほどまでの威勢をすっかり失くし、両目を押さえて右往左往するざまである。
そんな彼の前にセレンが躍り出て、真っ直ぐに伸ばした手指で勢いよく喉を突いた。細い指先がめり込むと同時に、男は大口を開けたまま息を止め、ばたりと床に倒れた。着地するかしないかの際にみぞおちへの蹴りが容赦無く追撃する。それで男は完全にノックダウンされ、痙攣を繰り返すだけの無力なぼろきれと化した。
続けてセレンの熱くも冷たいまなざしが捕捉したのはカウンターの中で狼狽えていた店主だった。彼はナイフを構えて目一杯威嚇しているものの、肌色の頭は冷や汗でびっしょり濡れていた。「たかが女」と罵った相手に逆襲され、懸命に虚勢を張ってじりじりと後退する姿は、いっそ憐れみすら呼び込む。だがセレンの琴線には何も響かないようだ。
仲間であるナターシャすら、今のセレンの姿には慄くばかりで口出しできなかった。無感情に無慈悲に敵とみなしたものすべて討ち滅ぼす。命を奪うに一切のためらいも無く、逆に命を奪われるにもためらわない。自らを暴威の化身として調律されたがままに舞い踊る、そんな姿を言うなれば――殺人人形。ナターシャの頭にふっとそんな言葉が浮かんだ。
セレンは土足でカウンターを踏み越えて、店主に正面切って襲い掛かろうとした。しかし、横から飛んできた斬撃に反応し、足下を蹴って後方宙返り、後、着地する。
息つく暇も無く、更なる魔力の斬撃がセレンへ襲い来る。今度は三筋、放っているのは剣を持っていた男だ。彼と隣の火球の男は武闘派の異能使いらしい、余裕こそないが怯んでいる様子も見せない。
セレンは豪速で迫り来る斬撃に向かって真向から踏み込んだ。一瞬の間に見極めた隙間へと糸を通すように飛び込み、攻撃を避けつつ男たちとの間合いを詰める。完全にかわすことはできなかった、異能の刃の端が太ももをかすめて鮮血が散る。しかし、傷には一瞥すらくれることない。
セレンは再び魔法弾を巡らせて男たちの前に立つ。このまま至近距離で撃ちこめば、いかに頑丈な身体を有していても損傷必死だ。
しかし、火球使いの男に先手を取られた。彼は動きを読んでこの時を待ち構えていたのだ、間合いにセレンが立つと同時に、ずっと手に転がしていた火の玉を足下に投げ込んだのである。
静かに燃え盛る球が床に衝突した瞬間、大爆発を引き起こした。爆音と熱風が、瞬時にして狭い酒場に広がった。
床に膝を折ったまますっかり傍観者になっていたナターシャも、顔を焦がす熱波に対してとっさに守りの姿勢をとった。幸い炎に巻かれることはなかった。そして腕がナターシャの視界を遮っている間にも、斬撃音や打撃音がせめぎあっていた。セレンもまだ命の糸が切れていない。
だが、これ以上乱闘の傍観者のままでいる余裕はなくなってしまった。ナターシャの耳が鎖のこすれる音を捉えたがために。わざわざ振り返るまでも無い、鉄球男が再び起き上がり、憤怒をほとばしらせてこちらを狙っている。
――さて、どうする。
ナターシャは武器を携行していない、異能もない、凶暴なアビリスタと対決するにはあまりにも無力な状態だ。護身術の基礎こそ習っているものの、ここまで頑丈な相手では通用するかどうか。
何か利用できる物品はないか、そう探しても手近にろくなものが落ちていない。テーブルの残骸は盾にすらならない、そもそも作ったのが相手なのだ。布袋の中身はすべて薬物の類で武器にはならない。あるいは神の人形に祈り縋り助けを乞う? ばかばかしい。
結局、使えそうなものはこれしかない。そう判じたナターシャは、手元に転がっていた「人魚の夢」を一塊掴んだ。物理的な部分だけを見るなら手のひら大の石と等しい、握り込んで殴れば多少痛い思いをさせられる、丸腰より若干ましだろう。
弾む心臓と荒ぶる呼吸を共にして、ナターシャは半歩分、右足を引いた。鎖男はセレンの動向にも警戒しながら時間をかけて、ナターシャへとにじり寄って来る。そんな男を真っ直ぐと見据え、動きを読む。
射程距離に入ると、男は雄叫びを上げた。ながらに剛腕で重い鎖を振る。腕の動きは上へ振りかぶり、一気に降ろすように。鉄球で叩きつぶすことを選んだようだ。命中すればひとたまりも無い。
だから鉄球が宙に浮いたと同時に、ナターシャは意を決して前へと飛び込んだ。前転して受け身をとった、その瞬間に背後で床が粉砕される音が響いた。
大きな得物を振り回した後は誰にでも隙が生まれる。力で劣る物が逆転を狙うなら、その一瞬が機。
ナターシャは石を握り込んだ拳を、全身全霊を込めて叩きこんだ。見据えた的はちょうど間近にあった一点、男の股間だ。躊躇いはなかった。
直後、きゃん、と仔犬の鳴き声に近い音をあげて、男が顔を真っ青にした。耐え難い痛みを必死で逃そうと、なりふり構わずあたりを跳ね回る。異能で創り出された鎖付鉄球は跡形も無く消え去って、今や彼の手は己の股間を握りしめるのみ。
――で、ここからどうしよう。
気絶させるなり拘束するなりして完全に無力化したいが、良い方法が見つからない。ナターシャは歯噛みした。
すると。橙色の光を纏った直刀が常識外の速度で横から飛んできて、男の首へと突き立った。あたかも昆虫標本のよう、刹那に男は体を硬直させて止まった。そして白目をむいて口から血を吹き出し、そのままこと切れて床に崩れた。あっという間の出来事だった、ナターシャは呆然と眺めていることしかできなかった。
「ナターシャ様、ご無事ですか」
声と同時に軽快な足音が背後から近づいて来る。抑揚のない喋りはもともとだ、現在彼女がどんな顔をしているのかわからない。振り返るのが少しだけ恐ろしかった。
いいや、きっと大丈夫だ。ナターシャは頷きながらセレンをかえりみた。そして、間髪入れずに苦々しくうめいた。
セレンは何事も無かったかのような顔つきで立っている。しかし、服はあちこちが焼け焦げているし、五体満足ではあるものの、浅い切り傷が足にも腕にもぱっくりと存在を主張している。顔を含めた上体が半分ほど血染めになっている、が、これに限っては彼女自身の怪我ではなく、返り血を浴びた結果のようだ。
そんな彼女の後方にあるカウンター周辺は、さらなる惨状を呈している。男三人、剣を持っていた者は焼け焦げた床の上で首から大量の血を垂れ流しており、スキンヘッドの店主はカウンターにひっかかるように仰向けになっている。こちらは辛うじて息はあるようだが、泡を吹いて白目をむいている。最後の一人、炎の男は、壁面に背を預けた格好で俯いていた。ただしその首は自力では不可能なほど急角度に曲がっている、腹部を注視しても呼吸動作が無い。
ナターシャは何も言えなかった。何から言うべきかわからなかった。これは明らかにやりすぎだ、しかし、こう徹底的に抵抗しなければ死んでいた。善悪是非が決められない。
そんな迷いの渦中に、再び動くものあり。ナターシャが慌てて振り向き、同時にセレンが殺気を放つ。
有翼人だ。初撃で気絶したまま嵐が過ぎ去ってようやく目が覚めたらしい。ある意味で彼は運が良かった、まさか信仰のなす業とは言わないだろうが。
しかし、その命を早速セレンが摘み取りにかかろうとしている。気づいたナターシャはとっさに前に立ちはだかって制した。
「やめてセレン、ちょっと待って。話を聞き出さなきゃいけないから、ね?」
セレンは一切の曇りない琥珀の目を二度、三度と瞬きさせてから、小さく頷いた。こうして意思疎通が取れるなら問題ない、制御できる。
さて、有翼人だ。意識不明から回復した者特有の胡乱さを表情に見せているが、周りの惨状で事態を大かた察したか、これ以上に暴れようとの素振りは無かった。起き上がったその場であぐらを組み、細めた目を観念したように宙に向けた。小さく口を動かして彼らの種族の言葉で唄い紡いでいるのは、神に祈りを捧げているのだろうか。
先日の苦い思い出がよみがえった。ナターシャは足を早めて詰め寄り、既に戦意喪失している胸倉を容赦なくつかんだ。ここでも真実を道連れに自死されてはたまらない。
祝詞を中途でやめさせて、さらに手に持っていた「夢」を見せつけるようにして突き出した。うっすらと青が差す石は、場違いに美しい輝きを持っている。
「これ、どこでどうやって手に入れた。海岸で拾ったわけじゃないでしょう」
「……知らない」
「じゃあ、あんたたちはなんでこんなにたくさん持ってるわけ? もう一度聞く、どこで手に入れた」
「カマコリーにあった、ただ売り歩いていただけだ。政府がカマコリーを調べに来るっていうから、代わりにこっちに来たのに」
拗ねたように男は言い捨てた。瞳をきろりと動かして、武闘派の二人の方へと向ける。
「あっちの二人が、カマコリーのギルドを仕切っていた。その石だけじゃない、我らバダ・クライカ・イオニアンのためにいろんなものを隠して蓄えていた。でも、向こうが危ないと言われたから、全部こっちに運んで来たのだ」
「……危ないっていうのは、誰かが調べに来たから?」
「そうだ。エスドア様の使いが、その啓示を下さったのだ。だから我ら従った。すべてはエスドア様のために」
「嘘は言っていないわね」
「我らが真なる神に誓って。不実はエスドア様の厭うもの」
有翼人の目に曇りは無い。これ以上のことは叩いても出てこないと判断し、ナターシャは深い息を吐いた。どうやらハズレを引いた。芋づる式に締め上げようにも、すでに関係者の大半が死んでいる、これでは黒幕には辿りつけまい。
そして有翼人の言うカマコリー――この島にある別の港町だ――を調べに来た者たちについて、これも見当がついていた。ディニアスとヴェルムだ。火球の男が総監の語に反応していた、それに局長が「別件がある」として動いていた事実とも符合する。
それにしても、ひどい尻ぬぐいをさせられたものだ。苛立ちがナターシャの中に募りだした。が、返ったら言う嫌味を考えるより先に横槍が入った。有翼人が静かに口を開いたのである。
「なぜだ、海底の同胞よ。なぜ亜人のくせに偽りの民に味方するのだ。どうして我らの邪魔をするのだ」
「あたしは政府の一人だ。あんたたちが神なんてもんに従うなら、あたしは法に従って動くのが使命よ」
「だが――」
彼はまだなにかを言いかけていた。しかし、その小さな声をかき消す、威勢のいい女の声が外より割り込んできた。
「総員、突入!」
玄関が跳ね開けられ、あるいは割れた窓をものともせず、大勢の人々が一気に流れ込んできた。彼らはナコラを守る治安維持軍の精鋭たち、先頭に立っているのはもちろん司令マグナポーラ=グリーシーである。すでに魔法剣に水を巡らせていてこの上ない張り切りよう。
「全員動くなよ! 動いた奴から、叩っ斬る、ぞ……なあおい、なんだい、こりゃ」
「司令……人が、死んでますっ!」
「馬鹿ッ、見りゃわかる!」
「司令! 総監の――」
「わかるって言ってんだろうが! 見てあからさまなことを一々言うな! 時間の無駄だ!」
一喝され、てんでに騒ぎだしかけていた彼女の部下たちは一斉に口を閉ざす。ただし、うろたえている心までは隠しきれず、集団から一体の空気となって立ち昇っている。
マグナポーラの鬼のような形相がナターシャに向けられた。
「おいこら、てめえら今度はどういうつもりだ。ここでなにしやがった、なーに殺しやってんだ」
「見りゃわかるでしょ!? 薬物の密売、裏商人、有翼人、バダ・クライカ!」
いずれの単語も重大な事件の示唆。聞いた隊員達は当然どよめくし、肝っ玉マグナポーラですら一瞬とは言え目を泳がせた。
彼女はむしゃくしゃした風に短い銀髪を掻きむしった。それから、背後に向いて一人を指さした。
「アーズ、先に戻ってギベルへ伝書送れ。『ナコラで有翼人が捕まった』それだけであいつにゃわかるだろう。急ぎだ、急ぎ」
「はっ。司令は?」
「こいつらを『全部』引っ張っていかなきゃならん。死体も、生きてんのも、生物じゃねぇのも、とにかく『全部』片付けだ。わかったな? ほら、全員さっさと動くぞ!」
短い返事の合唱と共に、隊員たちは一斉に動き出した。悪漢の死体を運び出し、辛うじて生きている二人の様子を伺い、床の散乱物を拾い集め。店の奥へと捜査を広げる者も居た。
ナターシャには嫌な予感がしていた。マグナポーラの指す「全部」の片付けには、自分とセレンも含まれているのではないか、と。
そして、冷たい氷塊がこめかみに触った瞬間、その予想が正しかったと悟った。後方に居るマグナポーラを顧みることもせず、ナターシャはその場で手を挙げ目を閉じた。
「……セレン、あなたも大人しくしときなさい」
さすがに身内と揉める気力までは残っていなかった。頬に刺さる冷気は、脳で猛っていた気をもみるみる沈めたのだった。




