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セレン=ルーティニー

 総監局の扉は無事に治った。古びた建材の中、真新しい蝶番のみが少し浮いて見える。


 やりきった表情でナターシャは額の汗を拭った。工具を置いて、休憩だと自分の席に腰を降ろす。


 向かいではヴェルムが黙々と伝書の処理を続けていた。先ほど世界各地から届けられたものだ。報告書を読み、整理して、記録簿に仕上げて局で保管する。事務作業はこうして中央の職員が集約している。


 ふと、ヴェルムの強面が緩んだ。目もらんらんと輝く。


「どうしたの」

「西北組……ああ、おまえ知らないか。竜の谷の調査に行ってる奴らだ。そいつらが、酒を送ってくれたらしい。『この伝書と同じくらいには着く』だってよ、気が利くぜ」

「酒、ねえ」

「おうよ。馬鹿にするんじゃねえぞ? こいつは竜の涙で作られててな、商人の間じゃ幻の酒って言われてるくらいなんだ。……あー、くそっ、俺も行きてえなあ竜の谷」

「ふーん」


 興味の沸かない話だった。竜の谷、聞くだに恐ろしそうな場所である。珍品があると言われても行きたくはない、その後、帰ってこれなくなりそうだから。


 では近場の町における任務なら帰還の保証があるか、いや、それも疑問だ。ナコラ港の殺人像、竜に引けを取らず危険な響きだ。ディニアスは大丈夫だと言い張るが、憂いを拭えない要因の方が多くある。異能が噛んでいそうな事件、同族が引き起こしている可能性、それに――


「新人の女の子、ねえ」


 口にすると不安がよぎって仕方がない。いくら局長の太鼓判があるとは言っても、言葉自体が持つ頼りなさそうなイメージは拭えようか。


 いろんな意味で、何がでるやら。ナターシャは物憂げに頬杖をついた。



 総監局に約束の訪問者が訪れたのは昼もとうに過ぎてからだった。南方総裁府からの要請で、二人して南方大陸での調査記録を漁っていたところ、突然ドアが開いた。ナターシャもヴェルムも手を止めてそちらを見やる。


 見えた姿は女だった。弱冠二十歳、それくらいの年頃合いだろう。大型の封筒を持っているあたり伝書部関係者か――いや胸章が無いし、見かけない顔だ。だとすると、これが例の「特使官」の子だろう。事前に話を聞いていたナターシャは、すんなりと受け入れた。


 しかしヴェルムはそうでなかったらしい。


「なんだあ、ありゃ。どこのどいつだ」


 ただでさえ怖い顔をさらに険しくして、物言いにも棘を含ませている。


 気持ちはナターシャにも理解できる。入口に無言で立っている新人は、少女きつい顔立ちをしているから。つり目がちなのに加えて表情も無い、良く言えば凛々しい、悪く言えば冷たく見える。うがった見方をすれば、怒っているのではと思えてしまうほどに。


 制服の型が軍関係者のそれに近いのも攻撃的な印象に一役買っている。ナターシャたち一般の政務官と色使いは同じだが、前の合わせが二重で、肩肘が厚手に補強されている特徴が目立つ。下は膝上丈のハーフパンツにロングブーツ、膝の可動性を確保し動きやすそうな装いだ。


 しかしまあ、端的に言ってかわいげが無い。今も表情一つ変えずに立ったまま、淡い茶色の目を向けて来るのみ。初対面の相手への態度としては無礼だ。特にヴェルムの眉間の皺がいっそう深くなる。


「おいナターシャ、知ってるやつか?」

「初めて会うけど、たぶん局長が言ってた子。『特使官』って、新しく作ったらしいわ」

「ハッ、あの野郎の差し金か。どうりで。かわいげのねえ部分は奴と同じだな」


 心証は最悪らしい。確かにディニアスは「赤肌殿とは相性が悪い」と言っていた、しかしこういう意味とは思いもしなかった。ナターシャが思い描いていたのは、ヴェルムの威圧感に萎縮してしまうような娘なのだ、と。


 そして困ったことに、この娘の扱いはナターシャ自身も見当がつかない。ひとまず、笑いかけてみた。


 すると、彫像のように立っていた女は、わずかに眉目を持ち上げ、ようやく口を開いた。


「ナターシャ様」

「え、ええ」


 顔の印象と寸分たがわない抑揚のない声音で名前を呼ばれる。どう反応してよいものか、戸惑わせてくれる。


 しかしナターシャが何をするまでもなく、その特使官の方からは強い歩調で目の前まで歩んできた。そこではじめて彼女は頭を下げた。首筋に流した短めのダークブロンドがかすかに跳ねた。


「異能特使官のセレン=ルーティニーと申します。ディニアス様の命により、明日よりナターシャ様と行動を共にさせていただきます」

「あっ、うん。よ、よろしくね」


 堅苦しい言い回しにナターシャは気後れした。率直に言おう、この手合い、大の苦手だ。こと総監局に流されて以来は、態度や言葉遣いに気を使うこともやめていたため余計に拒否感がわく。


 類を見ない年下の女をどう扱っていいものか。そう悩んでいるナターシャに向かって、セレンは持っていた封筒をずいと差し出した。


「これを。ディニアス様より、ナターシャ様へお渡しするよう仰せつかっております」


 相変わらず淡々とした口調だ。いっそ薄ら寒さすら感じる。色々と聞きたいことはあったが、ナターシャはひとまず閉口して封筒を受け取った。


 ご丁寧に封蝋に刻印がしてある。おまけに「重要機密・漏洩禁止・紛失事故注意」と大きく書き連ねてあるのは局長なりの洒落のつもりだろうか、悪趣味極まりない。ナターシャは見なかったことにした。


 さて、中身は何だろう。軽くて平坦、任務に関わる詳細な指示書の類いか。確認のため封を開けようとした瞬間、セレンが静かに声を発した。 


「それでは失礼します」

「……えっ!?」


 ナターシャは耳を疑った。帰るだって? まだ何も話していないのに。冗談だろう。


 いや、冗談では無かった。ナターシャの返事すらも聞かず、セレンは踵を返してドアへと向かっている。


「ちょっ、まっ……待ちなさい!」


 慌てて叫んだらセレンはぴたりと足を止めた。そしてその場で回れ右してナターシャに向き直る。ぜんまい仕掛けみたいだ、とナターシャは思った。


「なにか」


 と口では言うものの、セレンの様子を見る限り、何ひとつ疑問を抱いているという風ではない。いよいよナターシャの心の余裕もなくなってきた。


 早足でセレンの真正面に向かうと、引きつった笑みをたたえてまくし立てる。


「あのね、あなた、明日何するかとか、わかってる?」

「はい。ディニアス様からは、すべてナターシャ様の指示に従うようにと」

「そうじゃない。どこ行くかとか、どういう任務だとか、具体的なこと。あいつ……局長からそれもちゃんと聞いてる? 全部、何もかも」

「承知しております」

「じゃあ、あなたは朝どこへ行くつもり。いつ、どこで、あたしと落ち合うのよ」


 詳細は何一つ打ち合わせられていない。一人で任地に赴くわけではないのだ、二人三脚で動く以上、意思疎通をし息を合わせ同じ方を向くことは必須であり最重要、基礎の基礎であり常識だ。


 嫌な先輩だと思われても構うものか。ナターシャはしかめ面で腕を組み、苛立たし気に足を鳴らして、セレンからの返答を待った。


 セレンは茶色の瞳を数瞬伏せ、わずかに首を傾げた。そうしてから顔を上げ、濁りない目でナターシャを見据えた。


 薄い唇を動かしてつむぐのはただ一言のみ。


「ご指示を」


 ナターシャはその場に崩れ落ちそうになったが、たたらを踏むのみでどうにかこらえた。


 間違ってはいない。わからなければ聞けばいいし、そもそも指示に従えと言われているのだから。なにも間違ってはいない、が、それしかできないのもまた困ったものである。


 セレンの目に真っ直ぐ射抜かれる中、ナターシャは苛立ちと不安とを増大させていた。今日は朝から頭が痛くて仕方がない。


 ナターシャは本日何度目かわからない、荒い溜息を吐き出したのだった。 



 明日、朝、港にて合流し乗船。時間厳守。それをナターシャが一方的に取り決め、三度言い含めた後で、セレンの退出を許した。最後まで無感情で自主性なしだったのは言うまでもない。


 わずかな顔合わせだけだったのに、どっと疲れた。ナターシャは思わず手近な資料棚にもたれかかってうなだれた。


 その肩に、ぽん、と大きな手が置かれる。いたわるような力加減、かえりみれば、ヴェルムが憐れみの眼差しを向けていた。


「ありゃあ間違いなく大変だぞ。頑張れよ、なにをやらされに行くか知らんが」

「まるで他人事ね……」

「その通りだからな。俺は、あの手合いは、嫌いだ。まったく、かわいげがねえ女だぜ」


 かわいげどころか、もはや人間味が無いと言った方が近い気がする。ナターシャはぼんやりと思った。



 そういえば、ディニアスからの封筒をまだ開けていなかった。封蝋をはがし、中身をわしづかみにして取り出す。が、入れた気持ちに反して出てきたのは書類がたった二枚のみ。逆さにしてもそれっきり。二枚とも重ねて手に取る。背後でヴェルムが覗きこんでいるが、まあよいだろう。同僚は機密流出の被疑者にならないだろうから。


 一枚目は見たことがある書式だった。氏名、出生年、出身地などの記入欄が設けられた、政府登用時に書かされる身分届である。細かく見なくても誰の物かは予想がつく――セレンのプロファイルだ。ただし跳ね払いの勢いが過剰に溢れるこの字体は、局長のものである。


 とりわけ面白いものではないし、彼女の人となりが丸わかりになるものでもない。強いて目についた部分を上げるなら、出身地が南方大陸であるとの部分だろうか。あちらは統一政府の統治を拒む国や地域が存在するし、独特の文化を持つ部族も多いと聞く。社会が違えば常識も違うから、あのような態度が許された……ということにすれば、どうにか彼女の存在を受け入れられる。いや、無理が大きいか。


 ナターシャは一枚目を軽く流し読みしてから、二枚目と交換した。そちらも同じ人物の字で書かれた物ではあったが、決まった書式の無い伝言文だ。


『先のものが政府に提出してあるセレンの情報です。しかし少々物足りないと思われるでしょう。ですので捕捉的に記します』


 そんな書き出しで始まる局長からのメッセージは、端的に言ってセレンの取り扱い説明書であった。


 忠誠心は非常に高い、命令遂行能力も高い。ただし柔軟性と応用性には著しく欠けるため、指示は細やかに出すべし――ディニアスにあえて言われずとも、あの様子を見ていればわかることだ。ナターシャは彼女の受け答えを思い出して、再度、頭を痛める。


 なおかつ特使官はヴィジラと同等のはたらきを期待される以上、当然のごとくセレンもアビリスタであるとのこと。能力は戦闘特化型、具体的には「魔法弾を撃つ」とのみかかれている。対エスドアで運用することを狙うのに相応の高水準な応用力と破壊力を兼ね備える、そうディニアスは評しているが、果たして正しいのかナターシャには評価不能だ。


 その他の特技として、顔の認識能力の高さと強い魔力感知能力が挙げられている。前者はともかく、後者は心強い。魔力は異能を使うためのエネルギーで、異能を持つ者なら肌身に感じられると言う。鋭い感覚があれば相手の力量を一目で判断したり個人を識別したりすらできるらしい。異能捜査には役立つが、あいにくナターシャには備わっていない。水すらまともに操れない人魚なのだから。


 しかし、さすがの局長だ。こういう面では素直に感心してしまう。新人指導だと言って適当な者をあてがうのではなく、きっちりナターシャに不足するものを補う人物をつけてくれた。この適材適所ができるのは人を使うものの才能次第、あの性格でも長官位に据えられているだけのことはある。


 うなりながらもナターシャは目で文章を追い続ける。


『あなたの指示には従順に従うようにしてあります。命令違反かつ暴走するようなことがあれば、私の名を使って停止命令を下すこと。それでも止まらなくなってしまった際には、気のすむまで暴れさせてください。魔力が尽きれば動かなくなります』


 ナターシャは絶句した。言うことを聞かず暴れることがあると認めているではないか。そんな問題児の手綱を無力なものに取らせるな、危険極まりない。


 なおかつ、この書き方にもひっかかりを覚える。


「まるで物扱いじゃない……やな感じ」


 操手の意のままに舞い踊る操り人形、印象としてはそれが一番近い。確かにセレンについては感情の無い人形みたいだったと思うが、それ以上に、あの男の他者の捉え方が透けて見える点で不愉快だ。


 セレンに関する情報はそれで終わりだった。後には、件の噂について先ほど話したのとほぼ同じことが、再確認としてしたためられ、末尾はこう閉じられていた。


『あなたの役割は観測者。主犯の確保に執心せず、混乱の全体を見通すことを期待しております。くれぐれもお間違えなく』


「わかってるわよ」


 呟きながら、ナターシャは紙面をたたんだ。とにかく事件を解決の方向に導け、目的はいたって単純だ。ただ、あのセレンを指導しながら捜査するとなると、なかなか骨が折れそうだが。


 後ろからヴェルムの吐息が響いた。


「おまえ本当に大丈夫か? あんな得体の知れんやつ押し付けられて」

「なんとかするわよ。してみせるから」

「おお、珍しくやる気じゃねえか」

「だって、やるしかないじゃない。そう、やるしかないのよ」


 後半は自分を奮い立たせるものだった。怖いだ不安だとかばかり言ってはいられない、関わる以上は、どんな馬鹿な噂話でも危険な案件でも見逃さずやりとげる。


 無事に解決して、五体満足で戻る。ナターシャは覚悟を決めた。


 


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