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青の羅針儀  作者: 奈木 一可
第一部
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16:水鏡の塔の崩壊-05

 魔術陣を敷く、という行為には、如実に術者の力量が現れる。広い範囲での布陣には相応の魔力を消費することになり、陣地を拡大すればする程に効力も薄れてしまう。実用に耐えうる効力を保ちながら、可能な限り作用範囲を広げる。それが魔術陣の運用における最大の要点であるとも言えた。

 その点において、ヴィゴの敷いた誘引の陣はお世辞にも上等であるとは評価しがたい。効力を保つ為に作用範囲は狭まり、迫りくる軍勢が濁流であるとすれば、その中に一つ混じった石と評しても過言ではなかった。しかし、泉めがけて進軍していた屍は陣の外縁に触れた途端、悉くが陣の中枢に立つヴィゴへと引き寄せられ始めた。続々と雪崩れ込んでくる大量の敵を、ヴィゴは鋭い眼差しをもって迎え撃つ。

 狙うのは、まず足だ。屍が胸部の核に封じられた死人の魂によって動いているのなら、首を落とすことも頭を潰すことも致命打には成り得ない。しかし、足を奪えば、確実に動きを鈍らせることはできる。背後から援護の攻撃が継続されている以上、それで十分だった。動きが鈍りさえすれば、背にした結界の内から飛来する矢や光弾が的確に核を破壊してくれる。

 ヴィゴの朱槍が唸りを上げ、間合いに飛び込んできた屍の脚を片端から払い、或いは胴を薙ぎ、突き倒す。隙を生じた屍は降り注ぐ矢雨によって止めを刺され、辺りにはうず高い山が築かれてゆく。そうでありながらも、敵の勢いが止まることはなかった。動かぬ屍の山を突き崩し、払い除けては、ひたすらにヴィゴへと挑みかかる。

「ったく、躊躇い知らずってなあ面倒臭えな」

 軽口を叩いて呆れた風を装って見せながらも、屍を翻弄する槍が止まることはない。

 先刻までの遊撃に比べると敵軍全てを相手取り、尚且つ四方全てを囲まれるに等しい状況で戦い続けなければならないという過酷さはあるが、ヴィゴの負担が増えているかと言えば、必ずしもそうではなかった。戦いに倒れてゆく味方を気にする必要もなく、仕留めきらずとも代わりに止めを刺してくれる誰かがいる。背後にはいざとなれば逃げ込める強固な防壁があり、何を果たせと強要されている訳でもない。

 ――なら、とヴィゴは口角を吊り上げる。

「ま、あん時に比べりゃ、どってことあんめえよ」

 何年前になるか、ヴィオレタとエブルの国境線でのことだ。泥沼の消耗戦の中でわずかにまで減ってしまった傭兵隊が一丸となって、敵方の守り堅固な砦への突破口を開かねばならなくなったことがあった。もちろん、正規軍が突入する為の布石――態のいい捨石である。

 その時を思えば、気分も雲泥の差だ。意に沿わぬ無理難題を押し付けられたのではなく、己の意志によって挑む自由が許されている。自爆に巻き込もうとしたところで爆炎を反撃に利用されるだけだと察したか、すっかり自爆も止んでいる。一昼夜持ちこたえろという話でなし、ただ有象無象が迫るのを捌き続けるのなら、どうということもない。

 屍の中には陣の作用範囲の外を迂回して直接結界に向かおうとする動きもないではなかったが、それらも狙撃隊の機敏な狙撃によって防がれ、目ぼしい成果を上げることはできないでいた。少なくとも状況の悪化については、現時点では押し止められたと言っていい。

「遊撃隊、負傷者の回収に注力せよ! 殿の心配は不要、決して突破はされぬ! 時が稼がれているこの好機に、一人残さず連れて戻るのだ!」

 更には、ヴィゴの説得を諦めたらしいあの若いエルフが、声を張り上げて味方に指示を飛ばすのも聞こえだした。彼は今は結界の内側で狙撃隊を指揮している、泉の周囲に集った防衛部隊を統率する指揮官がヴィゴの補佐にと寄越した人材だった。

 撤退の進言を受けた時には慎重すぎるようにも思えたが、この切り替えの速さには感謝しなければならなさそうだ。攻撃にしろ撤退にしろ、音頭を取る人間はいるに越したことはない。彼が指揮を引き継いでくれるのなら、背後の憂いは完全に無くなったと見て良いだろう。

 視界の端で、また一つ両足を横一文字に断ち斬った屍が地面に倒れ、背中から突きたった矢に核を貫かれて動かなくなる様が見えた。

 ハ、とヴィゴは短く呼気を吐き出すようにして笑う。獰猛に、さながら獣のように。

「おら、すっかり手駒共は進めなくなってきたぞ。さっきの大口はどうしたよ? 押し潰せだ何だ、偉そうに騒いでたじゃねえか。それとも、思うようにいかねえで怖気づいたか? でなけりゃ、そろそろ隠れるのは止めててめえで出てきたらどうだ!」

 最初に号令を掛けたきり、屍の軍勢を指揮する声は途絶えていた。それを揶揄するように言ってみせながら、ヴィゴは勢いよく目の前の屍へ向かって槍を繰り出した。ヴァトラ石がぬらりと煌めき、紅蓮の炎が迸る。立ち塞がる屍を根こそぎ呑み込み、漆黒の消し炭へと変えてゆく様は、さながら叩きつけられる破城鎚にも似ていた。

 まっすぐ軍勢を両断するかのように蹂躙した炎は、ごく短い間、その最奥までの道を開いた。押し寄せる屍によってすぐさま閉ざされてはしまったが、ヴィゴの眼が「それ」を捉えるには十分な猶予だった。

「ようやく見つけたぜ」

 ヴィゴの面差しに、好戦的な昂揚が浮かび上がる。

 それは、これまで二度ほど刃を交えた黒騎士によく似た佇まいをしていた。彼の騎士のように、頭から爪先までの全てを鈍色の装甲で覆った巨躯。その傍らには、一回り小柄な人影が控えている。

 鈍色の鎧騎士は苛立たしげに傍らに顔を向けたかと思うと、顎をしゃくるような素振りを見せた。

「ロヴァン、出ろ! 我らの軍勢に加わった以上、それなりの働きはしてもらう。――奴を仕留めろ」

「……ああ」

 重苦しく応じる声は低く小さく、ヴィゴにまでは届かない。しかし、鎧騎士の叩き斬るような鋭い声音が告げた名前は、しかとその耳に届いてしまった。

「おいおい、まさかてめえかよ」

 その途端、零れたのはぼやくような呟きで、頬に浮かんだのは苦笑だった。

 アンテロ・ロヴァン。ケーブスン傭兵ギルドから派遣された傭兵の一人で、ギルド長からの信頼も篤い。四十を超えた今も第一線で戦い続けられているだけあって腕も立ち、尚且つ人望もある。傭兵たちの実質的なまとめ役の一人として、先立っての第一結界防衛線で奮闘していた様子を、ヴィゴ自身目の当たりにしていた。ギルド長による篤実という評価にも頷ける、傭兵にしては珍しいほどの真面目で穏やかな人物だと思っていた。

 信じられない、と呟くのは容易い。されど、突如進軍を止めた屍たちが左右に分かれて作り出した道を歩いてくる姿を前にしては、かつての味方も今や敵であると認めざるを得なかった。既にヴィゴの陣に足を踏み入れてしまったものを除いて、屍の群れは潮が引くように後退していく。まるで二人で殺し合えとでも言うかのように。

 屍の軍勢の真っ只中を歩んできたロヴァンが陣に足を踏み入れたのは、ちょうどヴィゴが退き損ねた最後の一体の屍の核を穿ち抜いた時だった。奇しくも、それは退きに退いた屍たちが狙撃隊の手の届かぬところにまで逃げ延びたのと、ほとんど同刻でもある。

「レインナード、君も退け。そ奴は我らに味方する傭兵の一人であったはず。裏切りを許す訳にはゆかん。我々の手で撃ち抜いてくれる」

「遊撃隊の退避も完了しております。お戻りを!」

 結界の内側から、口々に呼ぶ声がする。ヴィゴは何とも言えない表情で頭を掻くと、振り向かぬままにそれらに答えてみせた。

「この状況で余計な話を持ち込むんじゃねえよ。裏切りだ何だを云々するよか、コトを上手く進める方が大事だろ。矢と魔力だって無限じゃねえしな」

 ですが、と食い下がったのは、ヴィゴの補佐をしていたエルフだ。ヴィゴは煩わしそうに頭を振り、

「うるせえなあ、使えるもんは大人しく使っとけよ。――それに、わざわざご指名ときてらあ。ここで尻尾巻いて逃げる訳にゃいかねえぜ」

 なあ、とヴィゴはロヴァンに水を向ける。決して長くはない間合いを挟んで対峙する、青い眼の理知的な傭兵の面差しには濃い疲労が窺えたが、答える声音は意外なほどしっかりしていた。

「そうだな。私が目的を果たすには、彼らが望みを叶えなければならない。その為には、君に倒れてもらうよりない。逃げられては困る」

「そいつは分かり易くていいこった。てめえは退路がなくて、俺にも退く気はねえ。となりゃあ、後はやり合うだけだ。とっとと始めようぜ」

 くるりと手の中で槍を回したヴィゴが、軽く腰を落として槍を構えてみせる。ロヴァンは一瞬だけ、苦笑にも似た表情を浮かべた。

「潔いな。君ほどに割り切ることができれば、もう少し格好もついたのだろうが」

「あん? 言い訳でも聞いて欲しかったってか? 悪いが、お喋りにゃ付き合ってやんねえぞ。てめえは敵について、俺の前に立った。俺とやり合うことに決めた。状況確認なら、それで充分だろ。どうしても喋りてえってんならなら、一人で喋れや」

「いや、結構だ。弁解する気もない」

「そうかよ、なら始めるとしよう――ぜ!」

 言い終えるよりも早く、ヴィゴが地面を蹴る。一足飛びに詰められる間合い。赤い燐光めいた炎を纏って突き出される槍は、ロヴァンが腰に携えた長剣を抜ききるよりも一拍速い。顔をしかめた剣士は、辛うじて抜きかけた剣の鍔元を合わせ、穂先を逸らした。――が、剣はまだ鞘から抜けきっていない。ヴィゴは更に一歩踏み込んだ。

「抜かせるか!」

 槍を引き戻し、即座に剣を握る手へと狙いを付ける。腕ごと削ぎ落とすような勢いの一突きは、しかし、甲高い金属音に阻まれた。

 かすかにヴィゴは目を見開く。ロヴァルのもう一方の手には、長剣よりもいくぶん短い剣が握られていた。炎を帯びる穂先を受け止めた肉厚の刃は、怯むことなく押し返してくる。

「チ、双剣使いかよ」

 舌打ちも隠さず、ヴィゴは再び槍を叩きつけた。対するロヴァンはいよいよ両手に剣を握り、短剣で槍を受け流しながら懐に飛び込んでくる。至近距離で逆袈裟に振り抜かれる長剣は、槍を引き戻す動きで手元の柄を盾にして防ぎ、そのまま弾き返した。弾いた剣がわずかに浮いた隙を狙って槍が三度突くも、また巧みに短剣が捌ききってみせる。

 前後左右に入れ代わり立ち代わり、交わる刃が火花を散らす。眉間、喉元、心臓、鳩尾。ヴィゴは目にも止まらぬ速さで急所を攻め立てるが、対するロヴァンの守りも堅い。表情は苦しげで、攻められるまま穂先が四肢を掠めることも二度や三度ではなかったが、それでも致命傷をもらうことはない。

 短剣を盾として受け、長剣で反撃する。ロヴァンの戦い方は、まさに「堅実な立ち回りをする剣士」という噂そのものだった。一撃の鋭さにおいてはさほどでないが、如何せん攻めにくい。これが今少し余裕のある戦況であれば、その守りを崩す過程を楽しむこともできたのやも知れないが、この逼迫した中では苛立たしい以外の何物でもなかった。

 胸を過る苛立ちを押し殺し、ヴィゴは細く息を吐く。意外に手強いことは認めなければならないが、そう時間を掛けてもいられない。わざわざ軍勢を引かせた敵方が何を企み、仕出かすやら分かったものではないのだ。

 第一結界の防備にあたっていた、エルフと傭兵の連合本隊が森に残っているのは周知の事実。であれば、敵の指揮官とて背後から挟撃される可能性は想定していることだろう。それに、件の黒騎士の姿が未だ見えていないことも気に掛かる。味方の合流まで時間を稼ぐのはやぶさかではないが、無暗に敵に時間を与えてしまう格好になるのも避けたい。

 ――ならば。

 ぎろりとヴィゴは橙の双眸を底光らせ、槍を突き出す。光条が走るにも似た一撃は恐ろしく速いが、その分直線的でもあった。ロヴァンは息を荒くさせながらも、短剣で穂先を弾き逸らす。

 ヴィゴは敢えて、その動きに逆らわなかった。槍が受け流される勢いのまま身体を捻り、一回転。ぐるりと大きく弧を描いた槍が荷重を増して上段から振り下ろされれば、ついにロヴァンが攻撃を捨て、剣を交差させた守りに入る。

 その動きを見て取ったヴィゴの目が、すいと細められた。

urz(ウルズ)

 低く唱えるは力の象徴、雄牛のルーン。迸る魔力がヴィゴの肉体を覆い、瞬間的な強化が施される。その果てに激突した槍と剣は、鍔迫り合いさえも演じることはなかった。悲鳴のような音を立てて二本の剣が諸共砕け、ロヴァンが目を見開く。

「じゃあな。てめえの剣に手こずったことは、覚えとく」

 ざん、と重苦しい音が響いた。

鋼の剣を砕き負った朱い槍は、軽装の鎧をも容易に斬り断ってしまう。上がるは血飛沫、散るは剣の残骸、鎧の破片。もがくように動いた足は歩みの態を成さず、ふらついて倒れたロヴァンは虚ろに宙を見上げたきり、ぴくりとも動かなくなった。

 肩から腹までを袈裟懸けに深く抉られ、溢れる血で全身を朱に染めた、かつての味方を見下ろしていたのもわずかのこと。ヴィゴは槍を大きく振り、まとわりついた血脂を払い落とすと、落ち切らない血糊で黒々とした槍を構え直しては、ひたと屍の軍勢を見据えて言い放った。

「そら、仕切り直しだぜ。今度はどうする? また次の手駒を使うか?」

 煽り立てるような、挑みかかるような声音は朗々と。しかし、それに応じる声は即座には返らず、ひりつくような沈黙が落ち、

「……ふん。情に流される半端ものなど、初めから期待しておらん。些少な戦果を精々誇るがいい」

 さも不愉快そうな声が言った。出所は当然、人形のように並んで控える屍の軍勢の最奥である。

「あ? 負け惜しみか、てめえ」

「それはじきに貴様が口にするものだ。――時間稼ぎをするだと? 愚か者め、時を利用していたのは己だけだとでも思ったか」

 嘲る声。何だと、とヴィゴが食って掛かる。

「オイ、そりゃあどういう意味――」

 その瞬間、怒鳴り声に皆まで言わせることなく、轟音が上がった。

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