16:水鏡の塔の崩壊-04
「まずいな」
おもむろにラファエルさんが呟いたのは、里を出て三十分ばかりが経った時だ。
私もラファエルさんも、泉の場所そのものは教えられていない。王の居館前における会談でも、アルサアル王は一言も泉については触れなかった。エルフ達にすれば、既に私や他の誰かから聞き知っているかもしれないとしても、自らアシメニオスの騎士に対して泉の存在を明かす訳にはいかなかったのだろう。
そこで道案内の役に立つのが、あのラムール石の飾りだ。左腕に着けているバングルに用いた、ヴィゴさんの持つ片割れと引き合う欠片。
それは常に里の南西を指し続けており、すなわちその方角の先に飾りがある――高い確率でその持ち主がいるということを示している。石の動きに大きな変化がないということは、少なくとも移動と戦闘が同時並行に行われている訳ではないらしい。時間的なことを考えても、泉の近辺に到着して戦闘に入っている可能性が高そうだ。
そう判断して、ひたすらに森の中を石の示す方角へ向かって走り進んでいた。ラファエルさんが苦み走った声で言ったのは、ちょうどそんな折のことだった。
足を止めろとか、方向を変えろという指示までは出ていないから、戦場への接近が困難になったとかそういう異常事態が発生したのではない……と信じたい。ただ、ラファエルさんは眉間に深い皺を刻み、片目を閉じてこめかみに指先を添える仕草を見せていて、何とも頭の痛そうな――悩ましい表情を浮かべている。全く嬉しくないことに、何らかの不測の事態が発生したという点については間違いがなさそうだ。
現在の様子から推測するに、おそらくラファエルさんは片方の視界を遮断することで、そちら側の「目」を飛ばしている。探索の魔術の一種であり、俗にいう遠見だとか千里眼だとかいう遠隔透視の魔術だ。それで何か厄介なものでも発見してしまったに違いない。
「何が見えたんです?」
なので、そう訊ねた。
ラファエルさんは短い間を置いてから閉じていた右目を開くと、苦々しげな表情を取り繕いもせずに口を開く。
「既に戦いは始まっている。現場は、それはもうおぞましく血生臭い有り様だよ。破壊された人形が辺り一面に転がり、その上に殺し直された屍の残骸が――飛び散っている、とでも言うべきか。転がっている、では生温い」
頭を振りながら告げられた言葉に、ひくりと頬が震えるのを感じた。
要するに、恐ろしくグロテスクでスプラッタな現場になっているということか。……吐かずにいられるだろうか、割と真面目に心配になってきた。そんなことを気にしている場合じゃない、くらいの気持ちになってしまえば、逆に気にならなくなったりするのかもしれないけれど。それはそれでとんでもない窮地とかになっていそうで、恐ろしい気もする。
「……そんなに凄まじいんですか?」
問い掛ける声も、つい恐る恐るといった態になる。ラファエルさんはため息まじりに私を見下ろすと、至極生真面目な顔つきで言った。
「一人前の騎士でも怖気づくような光景だ、仮にここで退いたとしても臆病とは誹られまいよ」
「それはつまり、戻った方がいいと?」
「いや何、目の前の惨状に衝撃を受けて人事不省になられては困る、と気になっただけだとも」
「相っ変わらず、回りくどい喋り方をしますね」
限りなく真っ当な心配と懸念には、敢えて小生意気な物言いで返す。
そりゃあ、普通に考えれば里に戻るべきなのだろうし、戻った方がいいのだとも思う。けれど、その選択肢だけは無いのだから仕方がない。だから、今この時点で怖気づいてなんていたら、それこそ現場に立つどころか近付けやしないだろう。気を強く持って、腹を括って挑むしかないのだ。目的を果たす為には、それ以外に道がない。
「異論反論諸々あるのは理解しているつもりですが、ここまで来て今更引き返しやしませんよ。行って、すべきことをして、望む結果を得る。それだけです」
「……そう言うのだろうとは、思っていたがね」
ため息交じりに言って、ラファエルさんは肩をすくめる。
「ならば、死に物狂いでついて来たまえ。最早、さほどの猶予もないと見える。我々だけでは泉の防衛部隊と連携しての挟撃も難しい。距離は伸びるが、敵軍を迂回する格好で先に泉の守備結界を超え、防衛隊の背後から合流するしかない。その道行に遅れるようであれば、君の意思がどうであれエルフの里に戻ってもらおう。――ああ、悪いが反論も交渉も今回は受け付けるつもりはないのでね。その判断とて、立派に君を守っていることになる。制約の縛りは受けまいさ」
ともすれば淡々として聞こえる声で告げられたのは、最後通牒以外の何物でもなかった。
一人分くらいなら転送することができるのか、それとも何らかの手段を用意してあるのか。実際のところは分からないけれど、どうやらラファエルさんは私一人くらいなら里へ送還する術を持っているらしい。反論も交渉も受け付けない、と前置きもされている以上、ここは大人しく頷いておくほかなさそうだ。
「もちろん、それで問題ありません。私がきちんとついていけばいいだけの話でしょう」
そう返して、走る足を速める。
震えが走りそうな背筋も、カラカラに渇いた口も、今は全て無視することにして。
* * *
「怪我人は邪魔んなんねえように動けるうちに下がれよ! 動けねえ奴は蹴っ飛ばしてでも結界ん中に押し込め! 動ける奴あ気合入れやがれ、ここで崩れても後詰めはねえんだからな!」
怒号が響き、爆発音が轟く。十重二十重に布陣した軍勢の進攻を跳ね返し続けること、およそ二時間。
「命溢るる逆月の泉」防衛線は、今や凄惨としか言いようのない様相を呈していた。手足や骨肉、内臓どころか、生首やその残骸が血でぬかるむ地面を覆い尽くさんばかりに溢れ返っている。
当然のこととして、防衛線を敷く戦士たちの疲弊も激しいものとなっていた。立ちこめる腐臭と血臭で早々に嗅覚は麻痺し、そうでなくともおぞましい見掛けの屍を相手に武器を振るわねばならない。どれほど卓越した戦士であろうと消耗するのも無理はなく、むしろ二時間もの間耐え続けてきたことを称えるべきなのだろう。しかし、その為に払った代償もまた、少なくはなかった。少しずつながら確実に、削り取るかのように結界の外で遊撃を担う戦士たちは数を減らしていた。
元より多勢に無勢の凄まじい劣勢である。屍と戦う中で傷を負い、戦闘の続行が難しくなった者は、当然のこととして出てくる。だが、最大の理由は屍の軍勢を指揮する何者かが防衛線を敷く戦士たちを寡兵と見てとり、己が陣営の最大の利点を最悪の形で押し出す策を取り始めたからだった。
すなわち――自爆、である。
泉を守る結界の外で戦う遊撃の戦士たちは、背後からの援護を受けて巧みに屍を退けた。素直に戦っていては、長引くほどに損害が大きくなる。ならば、戦わせなければいい。それが屍の軍勢を指揮する者の判断だった。
一人の戦士に対し、常に複数の屍を差し向ける。そうして動きを止めさせたところで、その内の一体を自爆させる。選りすぐりの戦士たちとは言え、誰もが至近距離での爆発を無傷で凌げる猛者ではない。特に短剣などの間合いの短い武器で戦う戦士が狙われてしまえば、苦戦は必至だった。
「ヴィゴ殿、今や我ら遊撃部隊も半数と残っておりませぬ! このままでは戦線の維持も叶わぬかと!」
不意にそう叫んだのは、遊撃隊の先頭に立って槍を振るい続けるヴィゴの背後を守るようにして戦い続けてきた、一人のエルフだ。ヴィゴは声の主を一顧だにもしなかったが、苦々しげな表情を浮かべて目の前の屍を薙ぎ払う。
「raido!」
その瞬間、胴体を両断された屍の核を起点として発生しかけていた炎熱が、流れ込むように槍へと吸い寄せられた。
ヴィゴの槍には、別名を炎喰らいの石という魔石――ヴァトラ石が組み込まれている。元々はヴィゴが槍を媒介に火魔術を行使する際の補助として用いられたものだが、本来の「炎を吸収し蓄積する」という効果自体に変化はない。その指向性を担い手から外部に変更してやれば、即席の炎除けとして機能させることができた。
「つっても、退いてどうするってんだよ!? ――そら、燃やし尽くせ、kenaz!」
怒鳴りながら、ヴィゴは返す刀で鋭く槍を前方へと突き出す。その途端、槍に埋め込まれたヴァトラ石が閃光を放ち、これまでに喰らい続けた炎が放出された。
槍の穂先が伸長するに似て紅蓮の炎が迸り、その軌道上に位置する屍をことごとく焼き尽くしていく。軍勢の真っ只中を駆け抜けた炎の駆けた後には、ただ黒々とした消し炭が残るばかり。さながら海が割れるにも似た亀裂が、ぱっくりと口を開けていた。
――だというのに、それですら大勢を覆すまでには至らない。大軍を裂いた一条の亀裂は、すぐに後から後から押し寄せる後続によって埋められてしまう。文字通り、戦力の桁が違うのだ。
「この状況では、どうともできませぬ。結界の内に潜んで時間を稼げば、いずれ第一結界の外縁にまで出向いていた本隊が合流するはず。この大軍を壊滅せしめるには、それを待つより他に手立てがありますまい」
「要するに、敗走ってことじゃねえかよ……!」
ヴィゴは忌々しげに吐き捨てるが、自身の苦戦と疲労もまた明らかだった。頭から被ったように全身が返り血で汚れ、頬に手足にと細かな手傷が見て取れる。それでも後一時間や二時間ならば、おそらく持ちこたえて見せるだろう。だが、それで敵の壊滅が果たせるかと言えば、また別の話だ。
「いいえ、敗走にあらず仕切り直しを図る為の布石とご理解を。狙撃隊は未だ全隊十全に機能しております。彼らに時を稼いでもらう間、我々は少しでも回復を図るのです。まだ貴殿と、我ら幾許かの戦士が残っております。少しでも休めば、また敵を押し返すことも出来ましょう。ですが、ここで我らがすり潰されては、それも叶いませぬ!」
ヴィゴの説得を続けるエルフの戦士もまた、負傷ばかりでなく疲労の色が濃い。ヴィゴとそう変わらないと見える年頃の面差しには、あるかなきかの懇願が滲んでいた。
再び迫ってきた屍を蹴り倒し、槍で核を突き通しながら、ヴィゴは半顔を向けて背後を振り返る。それにエルフの青年は、まっすぐに新緑に似た色合いの眼で見返してきた。ほんの一瞬、橙と緑の視線が交錯し――ヴィゴは低く唸るように呟いた。
分かったよ、と。観念したかのように、どこか悔しげに。
とは言え、軽く溜息を吐いて背後を守る青年から視線を外した時には、いくらかその面差しにも常の明朗さが戻りつつあった。……別に、己を見据える緑色に誰かを重ねた訳ではない。だが、いくらか頭が冷えたような気がしたのも確かだった。
「ったく、つまんねえことになったもんだぜ。――おら、野郎共全員退却だ! ついでに成る丈怪我人の回収も忘れんな!」
ヴィゴが大音声を張り上げると、あちこちから了解の声が上がる。それに呼応して結界の内側からは遊撃隊の退却を援護する旨の指示が飛び、一際密度高く矢が、魔術が幕を張るかのように放たれ始めた。一連の状況を視野に収めるや、ヴィゴは何を言うでもなく一人敵勢に向かって向き直る。その姿を目の当たりにして驚愕の声を上げたのは、他でもない寸前まで退却を進言していたエルフだ。
「ヴィゴ殿、何を――退却せよと指示を出したのは貴殿ではありませぬか!」
「あーもう、細けえ奴だな。撤退しろって言っちまったんだから、そりゃ大人しく退いてやるさ。つっても、誰かが殿を守らなけりゃなんねえだろうが?」
答えながら軽やかな手つきで槍を握り直し、ヴィゴは石突で己の周辺を三度叩いた。迫りくる屍は狙撃隊の猛攻の前に、わずかながらも足取りが緩んでいた。その隙を見て唱えるは、三言。
「thurisaz、nauthiz、teiwaz――」
発想は、かつて事の始まりとなった島で目の当たりにした罠である。
敵を捕らえ、閉じ込める檻を作り出す魔術陣。その時仕掛けを施した少女ほどには、ヴィゴは魔術に長けてはいない。完璧な成果など望むべくもないが、今求めているのは多少なりとも時間を稼ぐことであり、それを果たすことができるのならば精度は二の次で構わなかった。
思い描くのは進軍を阻む門。戦わずしての通過を許さぬ呪い。
「悪いが、味方が逃げ切るまで付き合ってもらうぜ。こっから先に進みたけりゃあ、俺に勝ってからにすんだな」




