16:水鏡の塔の崩壊-03
王の館の巨木を後にして、一路里と外界とを結ぶ門へ急ぐ。会話はない。殊更相談しなければいけないようなことも思いつかなかったし、単純に気が急いてもいた。
勇み足で通りを進んでいくと、また恒例の広場に差し掛かった。何とはなしに無人の空間へ視線をぐるりと巡らせ、ふと思い立つことがあって足を止める。
この時間なら、まず彼の人物は眠っていることだろう。けれど、私はその無礼を冒してでも、今訪ねておかなければならない必要を感じていた。何か一つでも打てる手があるのなら、打っておいた方がいい。ここから先は、本当にどうなるか分からない。無謀を承知でここまで来てしまったからこそ、生き延びる為にできることは何だって試しておかないと。
それに、これまで想定していたのはあくまでも自動人形を相手にした場合の対策であって、死体傀儡へのものじゃない。今回必要なのは契約切りよりも、むしろ魔除けだとか浄化だとかの類だろう。その手の種類は手持ちにもない訳じゃないけれど、充分かと問われたら返答に困る。
……そして何より。事がここまで厄介になってきた以上、ここまで連れてきた責任として、せめて警告くらいはしておかないと不義理に過ぎる。本当なら、ケーブスンとか王都へ逃がしてあげるべきなのだろうけれど。その時間も技術もなくて、大変に申し訳ない。
「イジドールさん、起きてます!? ていうか、起きてなくても起きて下さい!」
これまで通り広場の隅に停まっていた馬車へ足早に駆け寄り、近所迷惑も考えず大声を張り上げる。
その甲斐あってか、短い間の後に「なんだよ、こんな暗い中……」と眠そうな声が聞こえてきた。がさがさと物音がしたかと思うと、幌のかかった荷台の中から身支度も満足に整っていないイジドールさんが眼を擦りながら下りてくる。
「一体全体、何事だってえ?」
「緊急事態です。もし転送魔術による移動が可能なら、早急にケーブスンへ脱出してください。それが無理なら、下手に里から出ようとはせず、身を守ることを第一に考えて戦闘に備えて。それから、魔除けや浄化の魔石を少しでもいいので譲ってもらえますか。余り数がないようなら、自分の身を守る為に取っておいてもらって構わないんですけど」
「代金については、ラファエル・デュランベルジェ宛で王都の屋敷に請求を回してくれ」
私が口早に言いたいことだけを言うと、間髪を容れずにラファエルさんが続けた。その内容は平時なら到底聞き流せるものではなかったけれど、今に限って言えば有難いことに間違いはないので、敢えて追及はしないでおく。
私達の只ならぬ空気を察したか、眠たげにしていたイジドールさんが目を見開き、ぱちぱちと瞬きをする。打って変わって表情を引き締めると、呆れたような顔をしてため息を吐いた。
「いよいよのっぴきならねえ大事になってきたってか? てーか、また連れの顔が変わってんじゃねえか、お前。全く、落ち着けねえ坊主だな。侯爵がどうのこうのって話があったかと思えば、今度はその三男殿ご本人ってか? どうなってんだ、本当に」
「偶然ですよ偶然。私が望んでそうしてる訳じゃありませんっつの」
肩をすくめてみせると、イジドールさんは信じたんだかそうでないんだか分からない風で「へーへー、そうですかい」などと嘯き、ラファエルさんへと向き直る。
「お初にお目に掛かります、ラファエル卿の勇名はかねがね。俺はイジドール・ジレ、しがない行商人のもんです。このライゼルとは長い付き合いでしてね。我ながら手広く品を扱ってると自負してますんで、物入りの際には、どうぞごひいきに」
「ああ、覚えておこう。ライゼルの懇意の商人とあれば、信用が置けそうだ」
「そいつは光栄です。――で、ライゼル? 魔除けと浄化の石だったか?」
「はい、在庫にあるだけ見せてもらえます?」
「そりゃ構わねえが、どんだけあったかねえ……」
ブツブツ呟きながら、イジドールさんは再び荷台に上がっていく。その背中に向かって、言い忘れていた注文を付け足した。
「できれば、カタルテ石が欲しいんですけど」
魔除けは読んで字の如く魔なるものを追い払うことを言い、浄化は本来あるべき姿から歪んだものを元に戻すことを総括して言う。解毒や解呪の異常回復系から、死にきれず彷徨うアンデッドへの対処まで含まれるピンキリ具合だ。
よって、浄化の石と呼ばれるものもかなり種類があるのだけれど、カタルテ石はその中でも特にアンデッドへの浄化性能が高い。多少の悪霊なら、投げつけるだけで祓ってくれるとかいう話だから、今この時こそ持っておきたい代物なのだ。
「カタルテ石い? 在庫は一袋っきりだな。後はヴルダ石に孔雀石、緑陽石、黒瑪瑙ってとこか」
両腕に五つの革袋を抱えて、イジドールさんが荷台から下りてくる。革袋の大きさは大小まちまち、大きいもので子供の頭ほど、小さくて私の拳大。少ないとは言い切れないけれど、豊富とも言い難い。全部を貰い受ける訳にもいかないのだから、数の問題は更にシビアになってしまう。
「半分、譲ってもらっても?」
「ああ? いいよ、全部持ってけ」
あっけらかんと、イジドールさんは言った。思わず、ギョッとしてその顔を見返す。
「ちょっ、いや、それじゃあ自分の備えが」
「何を馬鹿言ってんだ。俺が逃げ隠れしなけりゃいけなくなる時は、つまりお前らがやられた後だ。そうなりゃ、身を守るも何もあるもんか。ありったけ渡してやるから、何とか踏ん張って追い返してこい」
そう言って、イジドールさんが革袋を私に押し付ける。ぐいぐいと押されては、受け取るしかない。ずしりとした重みを抱え、今一度明るい色合いの眼を見上げた。
「……いいんですか、本当に」
「同じことを何度も言わせるなよ。第一、使い道をよく知ってる奴の方が上手く使えるだろ。そいつでどうにか敵を追っ払ってくれ。――で、ちゃんと帰ってこい。ひどい怪我とかしないでな」
噛んで含めるような物言いに、つい苦笑が浮かぶ。了解です、と頷いてみせながら、革袋の口を締める紐同士を結んでひとまとめに括った。これでいくらか持ち運びもしやすくなる。
「では、ありがたく頂きます。意地でも累が及ばないようには頑張ってきますので」
「おう、死ぬ気になるくらいならまだしも、実際に死んだりすんなよ」
「肝に銘じておきます。――ラファエルさん、お待たせしました。行きましょう」
ああ、と相槌を打つ声を聞きながら、踵を返す。再び向かうのは広場の出口、目指す門へと続く道だ。ラファエルさんと並んでまだ薄暗い中を歩き出しながら、そう言えば、とまた今更なことに思い至る。
イジドールさんにとって、今回の一連の事態に巻き込まれてしまったのはとんだ災難だろう。無理矢理にこんなところに連れてこられたばかりか、今度は戦火を警戒しなければならないときた。状況は、当初の見立てを超えてどんどん悪化している。
「イジドールさん」
歩きながら、衝動的に声が出た。呼びながら、足を止めて肩越しに振り返る。何だ、と答える人の姿は、早くも淡い闇に紛れて黒い影になりかかっていた。
「後悔――」
していますか、と訊きかけて、寸前で止まる。正面から問うのは、卑怯過ぎる気がした。
無理を言って連れてきたのは確かだけれど、一応は取引という体裁だった。余計なことを言っては、商人として取引に乗ったプライドを傷つけるかもしれないし、そうでもなくとも単純に気を遣わせてしまうだろう。ここで問い掛けて答えをもらったところで、良きにしろ悪きにしろ私の気が晴れるだけだ。
何も今、こんなところでみみっちい小狡さを披露することもない。
「させないようにやってみるつもりではありますんで、まあ、あれです。今回の騒ぎは、うちの家族には内緒にしておいてもらえません?」
どうにも妙な言い回しになってしまったけれど、誤魔化しにはなってくれただろうか。辛うじて呑み込んだ、初めの衝動的な問い掛けが、察されていないといいのだけれど。
半ば祈るように答えを待っていると、しばらくして小さく笑う声が聞こえた。
「そりゃあ、結果次第だな。……ま、いいから余計なことは気にしないで行ってこいよ。それでヘマしたら元も子もねえだろ?」
「……ですね、ちょっと気が早すぎました。それじゃあ、今度こそ行ってきます」
ひらひら手を振っているのは、この暗い中でも薄ら見て取れた。追い払うように背中を押す人に応え、今度こそ振り向かせていた顔を正面に向ける。律儀に隣の人も止まって待っていてくれたので、
「度々すみません、お待たせして」
「何、構わんさ。それで君の心残りが減るというのなら」
軽い謝罪には、屈託のない返事。さすがは国一番の騎士、余裕が違うという訳か。
「まあ、一つ減りはしましたね。たった一つですけど」
「たかが一つ、されど一つだ。結構なことだとも。戦場に赴くからには、迷いは少ない方がいい。気を散じさせるものがあれば、その分隙も増える」
「また耳に痛いお言葉で」
そんな話をしながら、歩みは進んでいく。
御印を見せて門を開けてもらい、里の外に出る頃には、ようやっと薄らながらも空が明るみ始めようとしていた。
* * *
ソノルン樹海に張られた結界の通過を許すメダルには、実は二種類ある。
一つが大多数の傭兵やエルフの兵に配布されているもので、第一及び第二の結界の行き来が可能になり、人間であれば里への出入りも最低限であれば許される。二つ目がライゼルやヴィゴ、立場あるエルフなど限られたものにのみ与えられている特別製で、こちらは全ての結界の通過して侵入することができる。要するに、後者のメダルをを与えられるのは、それすなわち「命溢るる逆月の泉」に近付くことを認められた人物であるという証なのだ。
泉の存在が公には秘されたものである以上、こちらのメダルを持つものの数は決して多くない。第二の結界の内側――泉まで一直線に侵攻が可能となる場所に敵の侵入があったと発覚した後、エルフ里では泉の周囲に立ち入って防衛にあたることのできる人員が動かせる限り掻き集められたが、それですら百人には届かなかった。
もっとも総勢でわずか八十名余りいえど、泉への立ち入りを許されるという特権を与えられるほどには、武力知力共に優れた逸材揃いである。侵入者有りとの知らせが届いてすぐに先遣隊が里を出立し、後発する手はずの本隊の進軍経路を確保しつつ、泉を守る結界の内側に陣を敷いた。
多少情報が流れているとはいえ、地の利はエルフの側にあり、何よりも彼らは樹獣に騎乗することで機動力の有利を得ることができる。敵方に利用されたメダルも泉の結界を突破できるものではなく、結界を盾にした防衛線という構図を崩されるにまでは至らなかった事も幸いした。それらの甲斐あって、後発隊が泉に到着する頃には、考え得る限り最も堅固な防衛体制を築くことができていた。
――そこまでは、良かったのだ。
「狙撃兵第一隊、下がれ! 第二隊、前へ!」
弓や魔術での遠隔攻撃の可能な人員を三部隊に選り分けて編成し、順に補給と攻撃を繰り返させることで間断なく結界の外へ射掛けさせる。それらの攻撃をも抜けて接近してくるものは、近接戦闘に特化した者に打ち取らせる。その方策は、少なくとも今までのところ有効に機能していた。
だが、開戦から二時間ばかりが経った辺りで、雲行きが怪しくなってきた。
そもそも泉の防衛隊と、攻めかける敵とでは数が違い過ぎる。二桁も異なる大差を個人の資質と指揮の的確さで凌いできたが、根本的な体力と疲労の問題は無視しきれない。疲労が重なれば精度が落ち、精度が落ちれば結界に迫る兵が増える。いくらアルサアル王の手による強固な結界と言えど、万に迫る数に立て続けに攻められては危うい。
そして、そこで止めのような変化が降って沸いたのだった。
初めに異変に気がついたのは、ヴィゴだった。狙撃の雨を潜り抜ける人形を片端から刈り取っていく傭兵が、鼻につく異臭を感じ取ったのだ。
「おい、何かおかしな臭いしねえか?」
「おかしな臭い……? そう言えば、確かに」
雲霞のように押し寄せる人形の、その向こう。そこから鼻の曲がるような腐臭と血臭が漂いだしていた。次第に強まっていくそれは瞬く間にエルフ達の間でも知れるところとなり、不可解な疑念が彼らの内に芽生え始める。刻一刻と濃くなる腐臭に誰もが顔をしかめ、口元を覆うようになると、それらは人形の群れの奥から這うようにして姿を現した。
その瞬間、ざわりと毛羽立つような空気が流れたものの、誰一人として恐慌に陥らなかったのは、さすがは選び抜かれた精鋭というところか。それでも、猛烈にして圧倒的な嫌悪感、忌避感ばかりはどうしようもなかった。
「なんと罪深い……」
呻くように零れた呟きが、その場全員の総意を代弁していた。
――それは、死体だった。膨大な数の人間の亡骸。
肉が腐り落ちて骨の露出しているもの、まだ生々しく赤い血に汚れているもの、手足の欠けているもの、顔の半分潰れているもの……。死因だけでなく、年齢性別も様々だった。骨と皮だけになった老爺のものもあれば、鎧を身に着けた青年のものもある。若い娘はおろか、幼い子供までもが含まれていた。
さながら死に様の博覧会が如き多様さと異様さでもって軍勢を成す、数多の死体。勿論、その濁った眼に生気と呼べるものは、塵ほども宿ってはいない。胸に埋め込まれた魔石だけが、脈打つようにぬらぬらと煌めいていた。
元からして泉を死守すべく、多勢に無勢を承知で剣を取り立ち上がった兵達である。今更敵がどのような異形に変わろうとも、臆病風に吹かれ惑乱するような者はいない。しかし、言いようののない躊躇と嫌悪が、刹那の間彼らの手を鈍らせた。
そのわずかな隙が、攻め手にとって絶好の好機となった。
「屍ども、進め! 寡兵など押し潰し、磨り潰し、結界を叩き割れ!」
並み居る死体の軍勢の奥深く、見通すことの敵わない闇の中から轟くような声が飛ぶ。
その号令を皮切りに、緩慢な動きの屍がゆたりと足を踏み出した。一歩、二歩と歩き出し、たたらを踏むように走り始める。当初は鈍重にも程があると思わせたその動きも、大群が一斉に動き始めることで勢いがつくと、一気呵成とばかりに雪崩かかってきた。
死体の群れが、視界全てを圧するように流れ込んでくる。衝撃的などという言葉では生温い、非現実的に過ぎる光景。竦んだのでも、気圧されたのでもない。しかし、泉を守る兵は一瞬、確実に圧倒され、硬直していた。
「おら、野郎共! ぼさっとしてんじゃねえ、腹くくれ! 気張んねえと、てめえらが連中の仲間入りさせられんぞ!」
「全隊集中! 狙撃兵、構え!」
石のように固まっていた兵を我に返らせたのは、時同じくして張り上げられた大音声だった。
結界前面での遊撃を担っていた兵の先陣を切って、ヴィゴが屍の群れへと突っ込んでいく。その槍には赤々とした炎が灯されており、軍勢の最前を走る屍へ向かって横一文字に振り抜かれるや、藁のように燃え上がらせた。紅蓮の炎は野火のように燃え広がり、局所的に進軍の勢いが鈍る。
そこへ指揮官の一喝によって蘇った狙撃隊の矢や魔術が降り注ぎ、遅れて他の遊撃兵が屍に挑みかかっていくと、防衛線は一気に混沌の様相を呈してきた。死者と生者が入り乱れて武器を拳を振るい、血と臓物が飛び散り、千切れた手足が飛び交う。
かくして、未だかつてなく血生臭い戦の火蓋は切られた。
ライゼルが里を出立する――実に、二時間も前のことであった。




