第21話 『根回し』
令和9年8月4日 東シナ海尖閣諸島沖 17時00分 海警2901 艦橋
「艦長! 複数の電磁波を探知! ……ですが、判別できません!」
「何だと? 射管(射撃管制)レーダーか! ?」
中国艦船に向けて飛龍のCICから発せられた警告は数秒後には収束したが、海警2901の電子戦員が、あわてて周波数を照合した結果を叫んだのだ。
「……対水上捜索用レーダーです! 射撃管制波形ではありません!」
「なんだ、脅しか」
艦長の李は舌打ちしたが、内心では冷や汗をかいていた。判別できないという一瞬の空白こそが、山口の狙いだったからだ。
中国はなによりメンツを大事にする国である。もちろん、それ自体は悪いことではない。国を大事に思い、尊重し、主権を守ってそれが脅かされれば断固たる対応をする。
国際社会でも認められた権利だ。
しかし李の
”なんだ、脅しか”は、少しニュアンスが違う。
部下の手前虚勢を張ったのかもしれないが、それがいわゆる、わかりやすく言えば反◯◯◯勢力の団体がメンツを大事にするのと似ているのだ。部下の手前、内心を吐露するわけにはいかない。
もちろん、これは組織の長たる者の義務なのかもしれないが。
「貴国がこれまで行ってきたのと同等の監視手順」
——その一言に嘘はない。中国海警局もまた、日本の巡視船や漁船に対し、意図的に用途不明の電磁波を照射し、相手の対応を試すという手口を常用してきた。山口はそれをそっくり借りて返しただけである。
だが、借りて返すという行為そのものに、明確な意思が込められていたのだ。
(——やられれば、やり返す。それだけのことだ)
CICの席で、山口はそれ以上の感慨も見せず、次のディスプレイに視線を移した。
専守防衛。
専ら(もっぱら)守って防衛する。
旧帝国海軍軍人の山口からしてみれば、鼻で笑いたくなるようなロジックなんだろうが、それすらできない風潮ですらあったのだ。
■同日夜 防衛省A棟
尖閣の海が夕闇に沈む頃、市ヶ谷では別の海が荒れていた。
A棟は都内最大規模のヘリポートを持つ、官公庁最大規模の庁舎。防衛の中軸であり、大臣をはじめ内部部局、統合幕僚監部、陸・海・空各幕僚監部等の防衛の中枢機関が使用している。
防衛副大臣・榊原和之は、統合幕僚監部から上がってきた報告書を前に、眉間のシワを深くしていた。
「レーダー照射ですか。しかも“捜索用”とはいえ、相手には判別させない形で……」
「山口司令の独断ではありません」
答えたのは統合幕僚長付の一佐、宮下だった。宮下は淡々と続ける。
「事前に日米間ですり合わせ済みの対応です。海上警備行動発令の段階で、想定される相手の挑発レベルごとに対応の選択肢を3段階に分け、在日米軍司令部・インド太平洋軍司令部の双方に共有していました。今回は第2段階——『相手に判断の負荷を与える非致死的措置』の範囲内です」
「つまり、あらかじめワシントンの了承は取ってあると」
「はい。むしろ向こうから“もっとやっていい”という空気すら感じられました」
——なるほど。
榊原は椅子の背にもたれ、天井を見上げた。
柳井政権時代であれば、この一報だけで閣議は紛糾し、翌朝の新聞は「暴走」の2文字を躍らせていただろう。だが橘政権の下では違う。
「総理には?」
「すでにご報告済みです。総理は一言、こうおっしゃいました」
宮下は手元のメモを見ずに、そのまま口にする。
「——『毅然とした対応の結果、相手が驚いた。それだけのことだ。謝る理由がどこにある』と」
■同時刻 アメリカ・在日米軍司令部
横田基地の一室では、日本側とは別の会話が交わされていた。
「TOKYOの連中、思ったよりやるじゃないか」
インド太平洋軍連絡幹部のマイヤーズ大佐が、モニター越しの部下にそう漏らして続ける。
「指揮官は誰だ? ここにいる連中の誰かは知っているだろう? 合同演習だってやっているし、駐米武官や留学もあるからな」
「確認します」
部下は端末に向き直ってキーを叩いた。数秒後、眉間にシワを寄せる。
「名前は——ヤマグチです。階級は海将補」
「ヤマグチ? 少将か」
マイヤーズは記憶をたどるように視線を宙に浮かせたが、すぐに首を振った。
「聞いたことがないな。まあいい、誰か知っている者を探せ。第一護衛艦隊にも第一機動護衛隊にも、うちの人間と面識のある将官は少なくないはずだ」
「はい」
部下は幕僚室の別のデスクを回り、数人に声をかけていった。太平洋艦隊司令部との合同演習に参加した士官、防衛駐在官として東京に赴任した経験のある士官、幹部候補生時代に交換留学で来日した士官——順に尋ねたが、返ってくる答えはどれも同じだった。
「知りません」
「聞いたこともないですね」
「該当者、いません」
数分後、部下がマイヤーズの元に戻ってきた。
「大佐、誰も知りませんでした。人事交流の記録にもその名前は出てきません」
マイヤーズはしばらく無言だった。
主力部隊の指揮官ともなれば、幹部候補生学校や防衛大学校の時代から、何らかの形でアメリカ側と接点があるのが通例だ。それが、まったくのゼロ。
「……妙だな」
マイヤーズはつぶやいた。単なる偶然か、あるいは——。
その先を考えかけて、彼は一度その思考を打ち切った。
考えても仕方がない。
たまたま接点のなかった人物が、何かの拍子に抜擢でもされていたのだろう。相応の経験がなければ無理な話だが、山口の情報がない限り、憶測で考えを進めても意味がない。
「引き続き監視は継続しろ。ヤマグチという男については、記録に残しておけ」
「了解しました」
部下は敬礼して踵を返し、退室した。
一人残されたマイヤーズは、モニターに映る東シナ海の情勢図に視線を戻す。「飛龍」を示す青い光点は、なおも「海警2901」に張り付くように位置を保っていた。
ヤマグチ。聞き慣れない名前を、彼は端末のメモ欄に打ち込んだ。
次回予告 第22話『臨界点』
令和9年8月4日夕刻、尖閣諸島沖。飛龍が放った意図的な電磁波照射に、海警2901艦長の李は表向き平静を装いながらも、内心では冷汗をかいていた。
同日夜、防衛省A棟では榊原副大臣が、日米間ですでに合意済みだったレーダー照射の運用実態を統幕から知らされ、橘政権の「毅然とした対応」が政治・軍事の両面で着実に実行されている現実を突きつけられる。
一方在日米軍横田基地では、インド太平洋軍連絡幹部マイヤーズ大佐が指揮官ヤマグチの的確な判断力に目を留めるが、経歴照会をかけても該当者が一切見つからないという不自然な空白に気づき、監視の継続を命じる。
次回、余裕を見せていた海警2901に、想定外の変化が生じる。




