第20話 『波紋』
令和9年8月4日 16時30分 東シナ海
佐世保を出港してから、まもなく24時間が経過しようとしていた。
教練合戦準備ではなく、合戦準備が下令されている。
第一機動護衛隊は第3戦速で東シナ海を南下し続けてきた。
飛龍の艦橋は長く続いた航行による倦怠感はなく、目的地が近づくにつれて高まる緊張感が張り詰めている。
「CIC――艦橋。目標海域まで、あと30分を切った」
航海長の報告が響く。
「総員、警戒を厳となせ」
対艦、対潜、対空すべてにおいて最大級の警戒をせよ、という意味だ。合戦準備が下令されているので、臨戦態勢である。該当の目標を発見、命令が下されたら、すぐに戦闘用意となるのだ。
CICの司令官席に座る山口多聞は、無言でうなずいた。
その視線は戦術情報ディスプレイに固定されている。
ディスプレイ上では、日本の領海線に沿うように展開する中国海警局の船団と、それを食い止める海上保安庁の巡視船隊が、一昼夜以上にわたり危険な睨み合いを続けている。
所属不明潜水艦もまた、海自潜水艦『蒼龍』との息詰まる神経戦を継続中だった。
山口は傍らに立つ司令部付きの通信参謀に、ディスプレイから目を離さずに告げた。
「海上保安庁各船、こちら護衛艦飛龍。海上警備行動により現場に到着。連携して対処にあたります」
■同日 17時00分 尖閣諸島沖
西に傾いた太陽が、方位285度の空から海面を白銀に焼き尽くしていた。
海保の巡視船『あさづき』を執拗に圧迫し続けている1万2千トン級の『海警2901』。その艦橋では、航海長がまぶしそうに西の空をにらんでいる。
「方位290、距離10海里。……何かいるな」
西北西10海里(約18キロ)付近。そこには、マストの先端からと思われる極めて微弱なエコーが、ノイズに紛れて断続的に映っていたのである。
士官は双眼鏡を再び西の水平線へ向けたが、すぐに目を背けた。
高度30度の西日が海面を焼き、白銀のサングリッターが境界線を完全にのみ込んでいる。
「10海里か。まだ水平線の向こう側だ。この逆光では船種すら判別できん……が」
航海長はあごに手をやって、ほんの少しだけ首をかしげて艦長の李に報告する。
「ふむ、おそらくは……海上自衛隊の船だろう。司令部から連絡はきているからな。ただ、海自の船を寄越してどうするつもりだ。どうせいつもの”遺憾砲”しか撃てんだろうに」
李はニヤリと笑って航海長を見返した。航海長もそれに応じて答える。
「まったくです。これまでわれわれがやってきたことに、日本は何もできておりません。数年を待たずして、釣魚群島(尖閣諸島の中国名)は名実ともに我が国の領土となりましょう」
事実、2010年の中国漁船衝突事件では政府の対応が弱腰と非難され、国内に議論を巻き起こした。
それ以降、国内では尖閣専従部隊の設立や国有化、24時間体制の監視や海保巡視船の大型高性能化が図られたのである。
しかし――。
それはあくまで国内向けであり、中国に対しては、俗に言う”遺憾砲”しか撃てないのかと、批判も高まっていたのだ。
「まあ、何が来ても変わらん。この海域は我々が支配している。海保や海自がどう騒ごうとも、釣魚群島は我が国の領土なのだ」
李は動じるな、と航海長に命じて椅子に座った。
■同時刻 飛龍艦橋
海面から30メートルの高みに君臨する『飛龍』の艦橋。
山口多聞はCICから艦橋にのぼっていたが、12センチ防振双眼鏡を水平線の海警船とおぼしき方角に固定したまま、微動だにしない。
「CIC――艦橋。目標、海警2901、方位100。距離ヒトマル(10海里)。船体エコー、極めて明瞭。個艦識別完了」
「うむ」
「司令!」
短く艦長からの報告に返事をした山口に、20代前半の若い士官(幹部であるが、本作では士官と呼ぶ場合もある)が話しかける。
「意見具申よろしいでしょうか!」
鼻息が荒い、というのとはまた違うが、緊張と興奮がまじりあった感情のようだ。
これは訓練ではなく、実戦である。
昭和29年から海上警備隊時代も含めると68年間。
初めての実戦なのだ。掃海業務を実戦とするならば、戦後も継続的に実戦を経験してきたが、他国の軍隊(準軍隊)に対する、紛れもない実戦である。
「何かね」
「なぜもっと近づかないのですか? プレゼンスとしては相手に我々の姿を見せて初めて、その意味があるのではないでしょうか」
「航海士!」
艦長であり大佐から一佐になった元飛龍艦長の加来止男がたしなめるが、山口は意に介さない。
「ふむ……まあ、空母は弱いからねえ」
弱い?
『人殺し多聞丸』とあだ名された山口の”弱い”発言に航海士は少し驚いたが、当然理由はあった。
空母……ヘリ搭載護衛艦でもなく、多目的護衛艦でもなく、山口はあえて空母と言ったのだ。
「……弱い、ですか。3万6千トンの威容を誇るこの『飛龍』が」
意外な言葉に、航海士は毒気を抜かれたような顔をした。山口は双眼鏡を首に戻すと、正面(東南東)の海警船方向から視線をそらさずに続ける。
「航空母艦という艦種は、その巨大な図体に似合わず繊細なのだよ。一発の被弾が飛行甲板を沈黙させれば、この巨体はただの浮き箱に成り下がる。ましてや今は、政治と軍事が入り混じったグレーゾーンだ。相手に肉薄して『どうぞ撃ってください』と喉元を晒すのは、勇気ではなく蛮勇というものだ」
航空母艦。
かつて山口は飛龍に座乗しミッドウェーを戦った。
いかに空母が脆弱なのかを身をもって知っているのだ。攻撃は最大の防御がそのまま当てはまる、航空機を用いた機動戦略は空母の弱さと表裏一体なのである。
若い士官も無能ではない。
経験はないが、現代戦のなんたるかは学んでいる。ただ、眼前にいる敵(敵性国家の軍艦)に対して遠巻きに見ているように見えたのだ。
「では司令、次はどのような……」
飛龍乗員はそのすべてが空母飛龍の乗組員ではない。
ミッドウェー海戦から時空を超えてやってきた山口をはじめとした470名の乗員だけではないのだ。むしろ、それ以外の人員のほうが多い。その全員が飛龍乗艦にあたり、守秘義務の厳重履行の契約書にサインをしていたのである。
彼らの間には当初純然たる世代間の隔絶があったが、厳しい訓練を経て、古い言い方をすれば、同じ釜の飯を食う仲間となっていた。
実戦経験のない海上自衛隊員が、実戦をくぐり抜けてきた山口の指揮の、一挙手一投足を注視していたのである。
「なに、特段変わったことはせんよ。向こうも、いまのところは驚かんだろうな」
山口はフッと笑みを浮かべて指令を出す。
――こちら、海上自衛隊第一機動護衛隊、護衛艦『飛龍』。中国海警局2901、および随伴船団に告げる――。
通信参謀の声は、あえて抑揚を抑え、事務作業のように冷ややかにスピーカーから響きわたる。
――貴船団の現在の行動は、我が国の主権および領海に対する明白な挑発行為である。現在、我が国は自衛隊法第82条に基づき、海上警備行動を発令中である――。
一息置いて、山口がわずかにアゴを引くのを確認して、通信参謀はさらに言葉を重ねた。
――繰り返す。これより本艦隊は、我が国の主権を守るため、国際法および国内法に基づき、必要な措置に移行する。貴船団は直ちに回頭し、速やかに我が国の領海から退去せよ。さもなくば、発生するあらゆる事態の責任は貴殿らが負うこととなる――。
こちらに正義があるときは、奇をてらった行為も、強い実力行為もいらない。
当たり前のことを、当たり前に行うだけである。
■海警2901 艦上
「……ふん、代わり映えせんな」
海警2901の艦橋で通信を傍受した艦長の李は、吐き捨てるように言った。無線の内容は、これまでの海上保安庁の警告を焼き直したような、事務的で退屈な最後通牒に聞こえたからだ。
「海上自衛隊だろうが、海上保安庁だろうが、やることは同じではありませんか。まあもっとも、ここで自衛隊を出してきたことは褒めるべきでしょうな。少しは進歩したと」
航海長が李の顔を伺いながら、嘲笑を浮かべて応じる。
彼らにとって日本の「海上警備行動」など、法的制約に縛られた空虚な宣言に過ぎない。一線を越えれば撃つという覚悟など、戦後80年以上も平和を享受してきた日本人に持てるはずがない。
そう確信していた。
「無視しろ。……まあ、それも失礼だな。保安庁と変わらん内容の無線を流せ。保安庁の船も海自の船も、我が国の領海を犯している、とな。ああそうだ、面倒だからふたついっぺんに流せ」
ああ言えばこう言う……。
何度となく無線の応酬が続いた。
■飛龍 艦上
山口は、無線機を構える通信参謀に、極めて短い文言を命じた。
――中国海警局2901。貴船団は現在、我が国の領海を脅かす極めて危険な航行を継続している――。
山口はディスプレイ上の照射開始を告げるインジケーターを横目で確認し、冷徹に言葉を継がせた。
――これより、我が艦隊は『貴国がこれまで行ってきたのと同等の監視手順』に基づき、貴船団への警戒監視を強化する――。
通信を切ると同時に、山口は加来に短くうなずいた。
■海警2901 艦橋
「……なんだ、今の無線は」
李がいぶかしげに眉をひそめた瞬間、コンソールから不規則な警告音が鳴り響いた。
「艦長! 複数の電磁波を探知! ……ですが、判別できません!」
「何だと? 射管(射撃管制)レーダーか! ?」
「分かりません!」
次回予告 第21話 『根回し』
令和9年8月4日、尖閣沖。
山口多聞率いる『飛龍』は、領海侵犯を続ける海警2901に対し、無線で最後通牒を突きつける。山口は中国の過去の詭弁を逆手に取り、「監視の強化」を名目に、射管か捜索用か判別不能なレーダー照射を先行して実行。
しかしその『殺意』は、日米合意の既定路線。
暴走する山口多聞を、ワシントンが『正義』と認める舞台裏――。




