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【第一部・完結】幽世庵モノガタリ ~化物絵師と鵺~【幕末妖かしバディ】  作者: Yumiko
第四幕・ミシャクジ様

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幕間 化物草紙



 ――愁水の機嫌が悪い。


 嗣巳は茶を飲みながら、愁水の横顔にちらと目を向けた。


 山間の村から帰って数日経つが、平生より眉間に皺が寄っているように見える。


 もっとも今は、養学家から譲り受けた奉書紙の試し描きに集中しており、真剣そのものだ。


 純白の紙に、細緻さいちな牡丹が描かれていく。


「――描き心地はどうだ?」


 あえて声をかけてみると、愁水は身を起こして息をついた。呼吸すら忘れていたのではないかと、嗣巳は半ば本気で思う。


「やっぱし、絵の具の発色が良いな。紅が鮮やかで、豪奢ごうしゃに見える」


 集中していようが、質問には答える。絵を描いている時でも、嫌な顔をされたことはないのだが。


 機嫌が悪いというより、これは――。


「――愁水様は、おられますかっ?」


 庵の外から、童の声が愁水を呼んだ。


 またか、と思わず顔を見合わせたが、そこにいたのは人間の童だった。


 身なりが良く、裕福な商家の子だろうと当たりをつける。すると思った通り、日本橋の呉服屋のせがれだと名乗った。


 その童は大事そうに、ぐったりとした獣を腕に抱いていた。


「普通の狸に見えるが、化物か?」


「〈豆狸〉だ。家や酒蔵に憑く。悪戯はするが、福をもたらすモノだな」


 かつての己と愁水を見ているようで、嗣巳は顔をしかめて言った。愁水のほうも記憶はないはずだが、眉間の皺が増えたようだ。


 その何とも言えない表情をどう捉えたのか、童は瞳に涙を浮かべて、豆狸を愁水に押し付けた。


「助けてください……! こいつ、俺がちょっとでも望むと、何でもかんでも叶えてしまうんです。そのせいで、こんなに弱ってしまって……」


「――何だって、自分を犠牲にしちまうんだろうな」


 愁水の声に含まれていたのは、いきどおりだった。不機嫌の正体はこれかと、ふとに落ちる。


「いまちょうど、上質な紙があるからそいつに描いてやるよ。上がって待ってな。――嗣巳、落雁らくがんがまだあったろ。茶と一緒に出してやれ」


 平生通りの言動だが、愁水の表情には〈もどかしさ〉が如実に表れていた。


 所詮しょせん、絵に宿らせたところで、根本的なことは何も変わらないのだ。人間の望みに、化物は振り回され続ける。


 化物を視る力――見鬼けんきを持つ者は年々減っているが、人間は視えないままでも、使えるモノは使い尽くすだろう。


 豆狸を描き、その魂を絵に宿してやると、新たな器を得た豆狸は元気に童の周りを駆け出した。


「ありがとうございます、愁水様! うちの呉服屋に是非いらしてください。お礼は必ず――」


「んなもん、いらねえよ。ちょうど試し描きしていたところだったから、気にすんな」


 童に満面の笑みで礼を言われても、豆狸を救ったはずの愁水の顔は、どこか浮かない。


 ――傲慢ごうまんだな。


 嗣巳は心中であざったが、どうしたって視界に入るため、あまり辛気臭い顔をされるのもわずらわしい。


 庵を出た嗣巳は、舌打ち一つ残して、繁華な通りへと足を向けた。




「――見て、新しい着物をあつらえてもらったの」


 嗣巳のすぐそばを、妙齢の娘達が袖を揺らして、楽しげに通り過ぎていく。


 愁水も愛想は良いが、根は職人気質で気難しい一面もあり、童の頃は常に命を狙われていたこともあって、無邪気に喜ぶ姿というものを見たことがなかった。


 童や娘の喜びそうなものは嗣巳にも想像がつくが、大の男となると酒くらいしか思いつかない。それも、下戸げこである愁水には当てはまらない。


 ――絵に関する書物か?


 そう思い、京助の地本問屋の前で立ち止まったものの、嗣巳にはどれを選んでいいかわからない。


 ――馬鹿馬鹿しい。放っておいても、己の機嫌くらい、己で取るだろう。


 諦めてきびすを返そうとしたところで、奥から出て来た京助に呼び止められた。


「よお、嗣巳じゃねえか。珍しいな、今日は一人か?」


 最初こそ控えめだった京助だが、庵や軒先で何度か顔を合わせるうち、すぐに嗣巳にも気兼ねなく話しかけてくるようになった。


 特に詮索するでもなし、ただ困ったことがあればいつでも言ってくれと豪語する、気風きっぷの良さ。


 この類いの人間であれば、己の願いで周囲を振り回すこともないのだろう。


「――愁水の気晴らしになるようなものはないか、と探しておりまして」


 何も考えずに、嗣巳はついそうこぼしていた。


 京助が意外そうに目をみはったが、己のげんに一番驚いたのは、嗣巳自身だ。


「あんた、良い奴だな! そうだよな、心配になるよなあ。あいつ、人助けに奔走するくせに、てめえのことには無頓着だもんな。……製作に息詰まってんのか? そうだなあ、そうしたら――」


 心配などしていない、と反論したかったが、むきになって言えば童のようだと思い、ぐっと呑み込んだ。


「これなんかどうだ? うちから出たばかりの戯作げさく(*)だが、結構売れてるんだ」


 京助に手渡され、頁をめくってみると真っ先に化物の挿し絵が目に入った。


「化物の話ですか」


「おうよ、化物尽くしだ。化物を描いてもいいと、お許しも出たことだしな。化物退治の話じゃねえから、愁水も気に入るんじゃねえかな」


 化物騒動で知り合っただけあって、愁水の好みをよく分かっている。


 ――滝亭右橘りゅうていうきつ


 著者の名をちらと見て、嗣巳は頷いた。


「では、こちらを頂いていきましょうか」


「まいどっ! 愁水のやつ、喜ぶといいな」


 愁水の喜ぶ顔、というものが想像できず、嗣巳は言葉に詰まる。挑発するような不敵な笑みだったり、悪童のような企み顔ならすぐに浮かぶのだが。


 言った本人も思い浮かばなかったのか、沈黙が流れた。




「京助んとこの戯作? 俺に買ってきたのか?」


 夕餉ゆうげの後に手渡すと、愁水が礼を言いながらも、怪訝けげんそうな目を向けてくる。


 嗣巳自身、性に合わないことをしたという自覚があるため、どうにも決まりが悪い。


「――眉間に皺が寄ってるぞ」


 仕方なくそう指摘すれば、やはり、「にやり」としか言いようのない笑みが返ってきた。


「なんだ、心配してくれたのか」


「気色の悪いことを言うな」


 大体、それはお前のほうだろうと言いかけて、また言葉を呑み込んだ。


 撃たれた場所はとっくにふさがっており、あとすら残っていないというのに、ここ数日は愁水の疑い深く、探るような視線に辟易へきえきさせられたものだ。


「ま、ありがたく読ませてもらうぜ」


 ――と、軽い調子で戯作を振ってみせた愁水の元へ、夜更けに用があって訪ねると、愁水は枕を下敷きに、うつ伏せになって戯作を読んでいた。


「愁水?」


 呼び掛けてみたが、返事がない。斜めから顔を覗き込んでみれば、愁水は真剣な顔だった。


 童のように高揚して、目を輝かせているように見えるのは気のせいだろうか。


 嗣巳は己が微笑していることに気付き、密かに狼狽うろたえた。心の底に沈めたはずのものが浮上しかけたような気がして、すかさずふたをする。


 それにしても凄まじい集中力だと、嗣巳は無防備な体勢でいる愁水をつくづくと眺めた。


 野生動物並みに警戒心の強い愁水が、こんなに接近しても気付きもしないとは。


 笑いを含んだ息を一つ溢して、嗣巳はそっと庵の戸を閉めた。



――――

*戯作:江戸時代中期から明治初期に書かれた町人文学/通俗小説。






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