ミシャグジ様(3)
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「――法師様、本当に何も召し上がらなくてよろしいのですか?」
養学家の一人娘の佐奈が、社へと向かいながら、気遣わしげに嗣巳を見上げた。
村一番の器量良しで、近々近隣の名主との縁談が纏まりそうなのだと、宴の間、当主である彼女の兄からくどいほど自慢話を聞かされたが、嗣巳には人間の美醜がよくわからない。
愁水が庵の庭にくる猫を「美猫」と評することがあるが、ほとんど違いなどないではないか――と、思うのと同じことだ。
これならまだ、匂いのほうが記憶に残る。そう思うのは、本性が獣であるせいだろうか。
「ええ。こちらへ来る前に沢山食べてきましたから、お構いなく」
「では、お酒は足りましたか?」
「おかげさまで」
ふふ、と悪戯っぽく微笑む佐奈は、誰か心に決めた相手でもいるのか、さっぱりとした応対だ。
それと対照的なのが、佐奈の背後に付き従う男――弥助だった。宴の間、佐奈の隣に座っていた嗣巳を射殺すような目で睨めつけていた。
弥助は流れ者だが腕っ節が強く、刀祢家の長男に乱暴されかけた佐奈を偶然通りかかって守ったことから、養学家に身を置くようになったのだと、当主が語っていた。
寡黙な男で、他の者とは最低限の口しか利かないが、佐奈には用心棒として熱心に――熱心すぎるほど、仕えているそうだ。
暗い目は、感情の澱だ。佐奈に想われているのであれば、こんな目はしないだろう。
弥助には今に刃傷沙汰を起こしそうな危うさがあり、嗣巳としては、巻き込まれないうちに立ち去りたいところだ。
就寝の挨拶をして佐奈と別れ、やけに豪奢な造りの社を眺めていると、背後から大声が響いた。
「おいおい絵師さんよ、見かけに反して酒はからっきしだなあ。……おう、法師様かい。悪いが、酔っぱらいの面倒を見てやってくれねえかい?」
酔い潰れたらしい愁水が、熊のような男に肩を借りて、半ば引きずられるようにしてやって来た。
思わず手を伸ばすと、これ幸いと嗣巳の腕に愁水を預けて、男は去っていった。
「愁水、お前どれだけ飲んだ……」
愁水を抱えて歩きだすと、違和感があった。
社の引戸を後ろ手で閉めてから、嗣巳の肩に顔を埋めている愁水に問いかける。
「……本当に飲んだのか?」
「――飲むわけねえだろ。ふりだ、ふり。これで、俺が夜に出歩くとは思わねえだろ」
ぱっと体を離した愁水が、肩の骨を鳴らしながら応じた。
「なるほど、酒の匂いがしないわけだ」
「お前は、だいぶ飲んだだろ。いくら飯が美味かったからってな……」
「飯は食っていない」
「何でだよ。そっちも美味いもん食えただろ?」
愁水は怪訝そうな顔をしたが、嗣巳からすれば、よく無防備に食えるなと思う。
あるいは、嗣巳が黙していることを、愁水は本能的に悟っているのだろうか。
――愁水には、毒が効かない、ということを。
「……よく知らない人間の手料理は、食いたくない」
「何言ってんだ。普段、店であんだけ食っといて」
「不特定多数に向けて作られたものは、いいんだ。それより、何かわかったか?」
嗣巳が知り得たことと言えば、彼らの祀る〈社守様〉の、風変わりな祀り方くらいなものだが。
「おう。刀祢家が祀っているのは、射軍神って神なんだけどな――」
と、愁水の一連の説明を聞いて、嗣巳は頷いた。
「話を聞く限り、正体は〈ミシャグジのような神〉だな」
「ようなって、あれか。ミシャグジ由来だが、人間の願いに応じて、名前や性質が変わった神……ってことか。で、そのミシャグジってのは、どんな神なんだ」
「ミシャグジは、神話の神々よりも古来の――人間が古木や石を信仰していた頃の土着神だ。その頃は、御石神と呼ばれていたそうだが」
多くの名を持つ上に、由来も仮説が多すぎて、よくわからない謎の神なのだが、ざっとこんなところだろう。
「あー、石神から杓子か? 洒落だな」
愁水は苦笑したが、大昔から《《そういうもの》》だ。人間が咳を治す神だと言えば、こじつけだろうが何だろうが、そうなるのだ。
「杓子を借りて願をかけ、叶えば倍にして返すそうだな」
と、これは佐奈から聞いた話だが、昨今は様子が違うらしい。
佐奈は村の童の間で、お粗末だが残酷な噂が広がっているのを耳にしている。
曰く、社守様に人を捧げれば、もっと強い力で大きな願いを叶えてくれる、ただし願いが叶ったときは、倍の人間をお礼に捧げなければならない――と。
誰が言い出したのかと問いただせば、童らは揃って、刀祢家の清一郎だと答えた。激怒したのは、佐奈の兄――養学家の当主だ。
これはまた別の話になるのだろうが、その少し前から、社に泊まったよそ者が挨拶もなく消えるということが続いており、神隠しの噂が近隣にも広がりつつあったという。
そうした日の翌日は決まって、清一郎が怪我をしたそうだ。
兄の目つきが鋭くなったのもその頃だと、佐奈は出会ったばかりの嗣巳に吐露していた。おそらく、法衣姿に気が緩んだのだろう。
「そいつは、養学家の当主が清一郎を呪っていたってことなんだろうな。形だけでも、説教してやったか?」
「まさか。――さて、この話が正しければ、そろそろ《《来客》》があるだろうな。どうする、愁水?」
「……養学家に地下牢はあると思うか?」
「音を頼りに探ってみたが、ないだろうな。刀祢家を探るか?」
愁水は考え込む素振りを見せた後、「崖だ」と答えた。
「清一郎が落ちた崖ってのが気になる。血痕に着物の切れ端だぜ? 芝居がかってねえか」
凄惨なことが起これば、人払いになる。
清一郎の件が養学家の仕業であれば、単に邪魔者の排除と見るが、己の敷地内というのが余計だろう。
「清一郎の自演であれば、己の死を偽装できる……か」
「養学家の当主がしていたことに、清一郎が気づいて吹聴したわけだろ。呪殺の恐れがあるから死を偽装した……いや、それだけじゃ何か足りねえな」
清一郎は何故、養学家当主の行いに気づいたのか。
養学家に間者でも忍び込ませているのではないか、と嗣巳は思いついたが、口にはしなかった。そこまで拘う気はない。
座敷牢に囚われた土地神さえ解放すれば、それで終いだ。
「どちらの仕業にせよ、だな。よそ者の失踪に一族ぐるみで関わってねえなら、屋敷の近くに座敷牢があっちゃ都合が悪いだろ」
愁水が脇差に手を伸ばしたとき、嗣巳はぴくりと肩を揺らした。
「――来たぞ」
気配は一人。鵺の耳を持ってしても、足音や呼吸音がほとんど聞き取れなかった。
ただし、匂いは誤魔化せない。
「愁水、ここは私が――」
と、言いかけて、嗣巳は床に膝をついていた。
全身の痺れ。何の前触れもなく、力が抜けた。
隣では鈍い音がして、愁水の手から脇差が滑り落ちていた。
「何だ……毒かっ?」
「違う。――土地神の呪いだ」
やられた、と思う。その辺の武器で殺される体ではないが、愁水を抱えながらでは分が悪い。
愁水、と多少焦りの滲む声で呼び掛けたが、当の愁水は既に脇差を拾って抜刀しており、その鞘を嗣巳に押し付けてきた。
「それ抱えて、じっとしてろ」
そう言って刀の切っ先を低く下げ、剣身を隠して引戸の傍に立った。
音もなく戸が開き、黒衣の男が身を滑り込ませる。すかさず愁水が男の短刀を切り上げ、返す刀で弾き飛ばした。
男は二本目の短刀を手にしたが、愁水の廻し打ち――左右の連続斬りに翻弄され、防戦一方となる。
手足の痺れを感じさせない、流れるような所作だった。
束の間切り結び、剣花を散らしたが、側面からの打撃で男の短刀が折れた。愁水がその隙に、男の腹に膝を入れる。
男は――弥助は腹を抱えて、床に伏した。
何故、そこまで動けるのか。嗣巳は瞠目したが、唐突に気がついた。
――愁水は既に、《《呪われている》》。
この地の神よりも、ずっと強力な呪いだ。皮肉な話だが、その呪いを上回らない限り、他の呪いは塗り潰されるということなのだろう。
弥助の顔を覆っていた布で猿轡を噛ませ、体を外にあった縄で縛り上げた愁水が、大股で近づいてくる。
「しっかりしろ、立てるか?」
ぱん、と背中を叩かれ、身が少し軽くなる。腕を掴まれて引き上げられると、体が動いた。
「……何、笑ってやがんだよ」
「いや、丈夫な奴だと思ってな」
そう嘯いて、嗣巳は答えなかった。
お前に助けられるのは、二度目だ――などと、不名誉なことをわざわざ教えてやる必要は、ないだろう。




