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【第一部・完結】幽世庵モノガタリ ~化物絵師と鵺〜  作者: YU
第三幕・百々目鬼

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幕間 呪詛返し



 鵺代ぬえしろ神社の鳥居の先で、赤い筋の入った黒蝶が、竹藪の間をひらりひらりと舞っていた。


 百々目鬼の一件以来、時折、式神の蝶が飛んで来る。


 嗣巳が睨みを利かせれば、眼差し一つで蝶は紙に戻り、灰となって消えた。


 送り主は、あの男装の陰陽師だ。害はなくとも、視界を彷徨うろつかれるのはしゃくに障る。


 愁水が「鳳蝶あげはちょうか?」などと言って愛でるため、裏で密かに始末するのも面倒だった。


 陰陽師が相手では、常人ただびとである愁水は部が悪い。何か自衛手段を教えてやらなければ、嗣巳の気苦労は増える一方だろう。


 ふむ、と考え込んだ嗣巳は、思いつきのまま、日本橋界隈の裏路地に棲む、万屋よろずやへと足を向けた。

 

「――愁水、話がある。ここに座れ」


「何だよ、改まって。……お前、書なんか読むのか?」


 嗣巳が風呂敷をほどいて、庵の畳の上に数冊の書物を取り出してみせると、愁水はその書名を見て眉根を寄せた。


「退魔の術じゃねえか」


「この先、術師相手に立ち回るなら必要だろう。殺せとまでは言わないが、無機物の式神くらいは、己で対処してもらわねば困る」


 絵具作りに腐心していた愁水だが、その言葉を聞くと荒っぽく腰を下ろした。


「それで、何を教えてくれるんだ。先生?」


「何でも。陰陽術、修験道、密教に神道系列――何度も術を喰らったからな。術の精度と効果は、体感でわかる」


 かつては鵺を調伏ちょうぶくしようと、あらゆる術者が挑んできたものだ。


「体感って、お前に術をかけて練習しろってことか? 無抵抗の奴を痛め付ける趣味はねえんだが」


「私もない。心配しなくても、お前程度の術で傷など負うものか」


 嗣巳は鼻で笑ったが、愁水は不服そうだ。まったく先が思いやられると、溜め息が漏れる。


「私相手に術が通用すれば、式神に遅れを取ることはない。……とはいえ、まずは座学だ。陰陽師の戦い方を知っておけ」


 そう言いながら、最初に教えるのは陰陽道の〈思想〉からだ。


 言葉には、霊力が宿る。


 その言霊ことだま信仰にのっとり、陰陽師は声を発する儀礼――真言や祝詞の形式を借りた呪文を詠唱えいしょうすることで、霊的な力を呼び込む。


 その霊的な圧力で相手の身動きや術をじかに封じることもあるが、嗣巳の印象では、式神を操るか、あるいは呪いをかけることで間接的に、遠隔から攻撃することの方が多いようだ。


「後者の呪詛返しは、後で教えてやる。とにかく、言霊、結界、式神が基本の三つだ。最初は結界術だな。お前は体術が得手だから、初撃を結界で弾けば、近接戦に持ち込めるだろう。……不服か?」


「いや、武道と同じだろ。まずは徹底的に受け身――防御を覚える。攻撃を食らったら終わりだからな」


 愁水ならば派手な大技を求めるかと思ったのだが、こういう所は意外と冷静だ。


 結界を張る前に、呼吸法を体得しておく必要があるのだが――九字切りといった手印を結ぶ手の動きと、力のこもった発声を連動させるところに精度の違いが現れるものだ――愁水の剣術でつちかった経験を活かせば、思ったより上達は早いかもしれない。


 《《素養》》があるのは、わかっているのだ。


 呪詛返しは必須ひっすとして、密教の仏神を呼び込むところまでいけば、あるいは〈派手な攻撃〉も――。


 と、そこまで考えたのだが、結界術は持ち前の器用さで難なく習得したものの、攻撃となるとからきし駄目だった。式神の召喚など、到底望めないほどの。


「おい、やる気はあるのか――」


 と、罵ろうとしたところで、庭に化物の気配を察知した。


 結界を張っているわけではないが、大概の化物は、鵺の気配に怯えて近寄らないはずなのだが。


 嗣巳が柴戸しばとを開け放つと、黒い狩衣かりぎぬ姿の禿かむろが、体を引き摺るようにして近づいてきた。


 愁水の姿を認めて手を伸ばすが、そこで力尽きて、倒れた。


 ――魂が、抜けかけている。


 言葉を発する気力もないらしく、ぐったりとして動かない。


 愁水が大股で近づき、小さな体を抱き起こした。


 もっと警戒心を持てと言いたかったが、どうせ聞き分けないだろうと、愁水の好きにさせることにする。


「ほら、しっかりしろ。……お前、家守やもりか?」


 愁水がそう呟いて、禿を腕に抱いて戻ってきた。


 嗣巳も、顔を覗き込んでみる。確かに、目蓋まぶたのない、黒々とした大きな目が特徴的だった。極めつけは、長い舌だ。時折ときおり舌を伸ばして、乾燥しないように眼球を舐めている。


 ふと、嗣巳は家守の魂が安定していることに気がついた。


「――〈身固みがため〉か。お前、知っていたのか?」


 嗣巳が尋ねると、愁水は怪訝けげんそうな顔をした。


「いや。め技か?」


「違う。身固めというのは、陰陽師の術だ。……お前はいま、絞め技をかけたのか?」


「そんなわけないだろ。何となく、だ」


 嗣巳は思わず笑っていた。


「本能か。本当に獣みたいなやつだな、お前は」


「……喧嘩なら買うぞ」


「褒めているんだ、喜んでおけ」


 愁水はなおも続けようとしたが、腕の中で困惑している家守に気づき、言葉を呑み込んだ。


 愁水の腕から下りた家守は、二人の前に改まって正座し、深く礼をした。


わたくしは、この地に住まう家の家守です。此度こたびは危ういところをお救いいただき、誠に有り難うございました」


 家守(いわ)く、文字通り家の者を守るため、軒下に放り込まれた呪物を呑み込んだが消化しきれず、幽世庵かくりよあんに助けを求めに来たのだ――というが。


 愁水の顔を見ると、こちらも困惑した視線が返ってきた。


 近隣住民が神社に化物除けの札を求めて来ることはあったが、化物が救いを求めに来たのは初めてだ。


 ちなみに、適当な文言を書いただけの札だが、嗣巳の匂いや気配は感じ取れるようで、一応、化物除けの効力はあるらしい。

 

「ここは、いつから駆け込み寺になったんだ?」


「愁水様は《《お噂》》通りの、化物贔屓(びいき)でございますね」


 と、家守は目を潤ませて応えた。人間の皮肉が、化物には救いの意味で浸透しつつあるらしい。


 家守は後日礼をすると言い置いて、帰って行った。


「軒下に呪物か。どっちが化物か、って話だな」


 と、愁水も慣れたものだが、術者は今頃、重症だろう。


 身固めというのは端的に言えば、対象を強く抱き締めてやることで、体から離れようとする魂を肉体に留める術――だが、より詳しく言うなら、命を狙われた者を守る〈呪詛返し〉だ。


 送り主に跳ね返る呪詛の威力は、呪詛を破った時点で倍返しとなる。


 しかも、愁水がやったのは、対象の正体を言い当て、その魂を掌握した上での身固めだ。


 教えてもいない基礎から応用までを、最も簡単な方法でやってのけている。


 家守にまとわりついていたけがれの残滓ざんしも、すっかり祓われていた。


 それを、可能にしたのは――。


 嗣巳はしばし考えてから、己の血を混ぜた呪符をいくらか愁水に持たせた。


「何だ、これ?」


「人間には、向き不向きというものがあるんだろう。どうしても攻撃する必要があるときは、これを使え。……結界術だけは、会得しておけよ」


 愁水は札を受け取りながら、にやりと笑った。


「罵る気満々みてえだったのに、えらい変わりようだな」


「ああ。お前はそのままでいい」


「……それも、褒めてんのか」


「褒めているとも」


「おい――」


 文句を背中で受け流しながら、嗣巳は幼い頃の愁水の眼差しを思い出して、密かに笑いを噛み殺した。




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