百々目鬼(7)
赤黒い鵺の瞳が、真澄をひたと見据えている。
震える手を気取られないように、真澄は回収した吸葛――鵺の一部である、双頭の蛇を突き出した。
「――何の真似だ?」
鵺が、口を利いた。
面白がるような声音だが、獣の瞳は瞳孔が開き、切りつけるような妖気が迸っている。
真澄は乾いた唇を舌で湿らせ、慎重に話し始めた。
「優しいんだね? 愁水を連れて来なかったんだ」
「勘違いするな。私は――」
「わかっているよ。自分の体を取り戻しに来たんでしょう。さあ、どうぞ? もう用済みだから、返してあげる」
真澄は吸葛を投げ渡した。それを受け取りはしたものの、鵺の表情は読めない。当たり前だ。理性を持ち得た獣が何を考えるかなど、わかるはずもない。
けれど、交渉の余地はある。愁水が八つ裂きにされていないのが、良い例だ。それどころか、この鵺は愁水を守っている。
言葉が通じるのであれば、大切なのは、会話の主導権を握ることだが――。
「今日のところは、その吸葛に免じて……」
「いまは無性に気が立っていてなあ」
鵺のその一言に、背中を冷たい汗が伝った。
「遊んでやるのも一興かと思ったが……暇潰しにもならんようだ。末端を嬲ったところで、面白くもない」
鵺の目が、真澄の袖の辺りを見やる。そこに隠れた、真澄の手を。
化物に虚勢が通じないことなど、わかっていた。何せ、人の恐怖を糧とするモノだ。
悔しかったが、真澄は刺激するなと、未だ立ち上がれずにいる配下の筆頭に目で合図を送っていた。
ここで鵺が暴れれば、この場にいる全員――せっかく駒にした火盗改たちまで、失うことになる。
「お前たちの〈飼い主〉に伝えておけ。私の体をどう使おうと、お前の期待する結果にはならんだろう――とな。あまり目に余るようなら……」
妖気が濃度を増し、呼吸が苦しくなる。配下が印を結ぼうとするが、詠唱もままならない。
「――お前たちが《《試す》》前に、私が愁水を喰い殺してやる」
真澄が無様によろめく前に、唐突に重圧から解放された。
鵺の姿もない。真澄が浅い呼吸を繰り返していると、宙で火柱が上がった。
炎の中に、壮年の男の顔が浮かぶ。真澄とその配下は、即座に膝をついて頭を垂れ、恭順の姿勢を見せた。
『――ご苦労。鵺は、ずいぶんと苛立っていたね』
真澄が恐る恐る顔を上げると、土御門家の現当主――朧は、ふふ、と柔和に微笑んでいた。
華のある整った顔立ちは、一見すると優しげだが、怒鳴り散らすよりも、常に笑みを浮かべているほうが恐ろしいのだと、真澄は朧を見ていて思う。
鷹揚な男ではあるが、必要とあらば微塵も躊躇わずに、人間を駒のように使い捨てる。
捨てられた者の今際の呪詛も、呪詛返しを得意とするこの男には、届かない。
そういった場面を幾度も目の当たりにしてきた真澄は、己を救ってくれた朧を崇拝すると同時に、恐れてもいた。
朧に格別に引き立てられている、という事実があっても、だ。
「朧様、罰は如何様にも……」
真澄は耐えきれずに、そう口走っていた。
化物となった人間は、不死を得るか――という此度の〈試み〉は、失敗に終わった。
加えて、朧が「捨て置く」とした対象の――愁水の介入を許したばかりか、彼の筆の効力を確認できずに、終わってしまったのだ。
前者に関しては、盗人宿に忍び込んだとき、真澄が愁水の顔を知らなかったという言い訳が立つが――。
『良い。仕事はまだ残っているんだ、真澄。――仕上げだ。〈鵺の酒〉で《《奴》》に箔をつけてやろう。……ああ、そうだ』
ふと興が乗ったように、朧が問いかけてきた。
『愁水に手心を加えてやりたくならなかったか? あの子は人たらしだ。化物ですら懐柔する』
真澄は、弱々しく笑った。そうならなかった自分は、化物以上の〈何か〉だということになる。
愁水が鵺から得た筆は、消え行く魂を引き留め、絵に宿すという代物だ。
今はまだ化物に限定されるが、力をつけた先で、死者をも留めることが出来るようになれば――。
真澄の代わりに命を落とした双子の兄と、再び相まみえることも、可能ではないか。
「いいえ、ご当主様。かえって、火がつきました。失ったモノを取り戻すためならば、私は鬼となる所存です」
『頼もしいことだ。――心して励むように』
朧はゆったりと、満足げに微笑んだ。
美しい、毒花のように。
*
地本問屋の店先で、愁水は意外な相手と出くわした。
京助が客と話し込んでいるのを見て通り過ぎようとしたのだが、その客が振り向き、愁水は片眉を上げて反応した。




