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【第一部・完結】幽世庵モノガタリ ~化物絵師と鵺~【幕末妖かしバディ】  作者: Yumiko
第三幕・百々目鬼

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百々目鬼(6)



 苔生こけむした石段を上りきると、鬱蒼うっそうとした木々の陰につたの這う古寺が見えた。


 辺り一帯は膝の高さまで伸びた雑草に覆われ、砕けたいらかが辺りに散らばっている。


 盗賊の根城になっている、という真澄の言葉通り、近寄る者もいない廃寺のようだ。


 愁水が框戸かまちどに手をかけようとすると、嗣巳に片手で制された。


「愁水、調べもせずに入るな。何度言えば覚えるんだ、お前は」


「覚えた上でやってんだ。俺は、術のことはわからねえからな。入口でぐずぐずしている方が、間抜けだろうが」


 そう切り返すと、嗣巳は少し考える素振りを見せたが、愁水が動く前に戸を開けて中に踏み込んだ。


「何だ? ずいぶん、あっさり――」


 愁水も嗣巳の後について入ろうとすると、戸がひとりでに閉じかけた。


「……っと、危ねえな。どうなってんだ?」


 寸前で戸を押さえて、愁水は隙間に体を滑りこませた。愁水の背後で、勢いよく戸が閉まる。


 それを見た嗣巳が戸に手を伸ばしたが、火花が散って、嗣巳を拒絶した。

 

「なるほど。人除けと、化物封じの術が二重にかかっているな。お前だけなら出られるぞ。帰るか?」


 軽い火傷を負った手を見て、嗣巳が底意地悪く笑いかけてくる。


「馬鹿野郎。その体を傷つけるなって、お前こそ何度言わせりゃ気が済むんだ。大体、いつまでその姿でいやがるんだよ」


 思えば、今日はずっと妹の姿でいる。嗣巳は面倒そうに、肩をすぼめた。


「女と鵺の姿にしか化けられない――と、思わせておきたいだけだ。手の内は、なるべく隠したほうがいいだろう?」


「ああ? 何の話だ」


「わからないのなら、いい。それより、こんな所で長話をするのは〈間抜け〉ではないのか?」


「……混ぜっ返すんじゃねえよ」


 こうなれば、口を割らせるのは難しい。愁水は舌打ちして、先へと進んだ。


 物音一つなく、人間の気配も感じられない。調度品のない荒れた本堂に、女が一人(うずくま)っているだけだった。


「百々目鬼どどめき?」


 愁水が声をかけると、驚いて顔を上げた女が、ふっと笑みを浮かべた。


「ああ……来てくれたの、愁水」


 弱々しい声音に、生気のない瞳、石化した指先――愁水は、拳を握りしめた。


 百々目鬼は、化物として消滅しかけている。


 消える寸前の化物を何度も見てきたのだから、一目でわかった。


「俺に、あんたの絵を描かせてくれ。そうすれば、魂は消えずに済む」


 あの時は失敗したが、化物の妖力を吸い、力を増した今の筆ならば、やれるかもしれない。


 愁水が傍に膝をつくと、百々目鬼は体を起こして、両手で愁水の手を包みこんだ。


「おやめ、愁水。――あんたの筆は、綺麗なものを描くためにあるんだよ」


「……あんただって、最初は、大事なもんを守りたかっただけなんだろ?」


 ――同意のないモノは、描かない。


 人の身に余る魔の筆を手にしたときに、愁水が己で決めたことだ。


 その制約が、今はうとましくてならなかった。


「そう。その時から、こんな終わりを覚悟してたんだ。あたしは、一人で虚しく消えていくんだって。愁水に看取ってもらえるなら、上等だよ」


 ――どいつもこいつも、強情だ。


 人のことを言えない、と自覚のある愁水は、説得の無意味さも知っている。


 生き方を曲げられないのが、強さではないことも。


「誰が、あんたをここに閉じ込めたんだ。〈商人〉か? 一体、どんなやつが――」


 せめて、と尋ねたが、百々目鬼は愁水の言葉をさえぎった。


「さあね。あたしも、顔なんざ見ちゃいないから。それより、最後に頼みを聞いておくれな」


「……何だよ」


「大悪党の百々目鬼は、火盗改に捕らえられたと、証言してほしい」


「あんた、真澄の正体を知ってたのか?」


 百々目鬼は小さく笑った。


「わかるさ。あの子はずっと、思い詰めた目で……。可哀想なことをした。きっと、真澄は苦しんでいるね。あたしの生はとうに終わっていたのだから、気にするんじゃないよ――と、真澄には伝えとくれ」


 百々目鬼の片手が伸びて、愁水の頬に触れる。


「そんな顔をするんじゃないよ、愁水。あんたたちといた時間は……まるで、成長した息子たちと過ごしたみたいだった。あたしの魂は、充分、救われたんだよ……」


 するりと腕が落ち、指先から石化が進む。瞬く間に全身に広がり、灰となって崩れた。


 百々目鬼の頬を伝った、雫と共に。


 浅葱あさぎ色の着物だけが、愁水の腕に残った。


「――〈商人〉は、俺が斬ってやる」


 愁水のうなりに、背後に立つ嗣巳が鼻で笑った。


「お前に人が殺せるかな。――まあ、いい。術も解けたようだ。私は先に帰るからな」


 衣のすそひるがえす音。嗣巳は、その場を立ち去った。




「やはり、ここにいたか。真澄」


 高台の廃寺を見上げていた真澄の元に、久蔵が近づいてきた。


 真澄は静かに微笑んだ。


「ええ。見届けるのが、私のお役目ですから」


「――お前が、〈商人〉なんだろう」


 久蔵が確信を持って告げた言葉に、真澄は表情を変えなかった。


 この鋭さゆえに、〈ご当主様〉は真澄をあの場に向かわせたのだ。


 火盗改であった双子の兄を持ち、その死を偽装して兄と成り代わった真澄に、うってつけのお役目であった。


 兄は武士に、妹である真澄は死んだ者として、野に捨てられた。


 凍え死にかけた幼い真澄を救い、養子として迎えてくれたのが、陰陽師の頂点に立つ土御門家の、現当主だ。


「商人の捕縛のとき、俺を気絶させたのは化物ではなく、お前だったんだろう。吸葛すいかずらの株をどこに隠した?」


 真澄は久蔵から視線を外さず、周囲の草木に身を隠す者たちの気配を読み取っていた。


「――株は、こちらに」


 真澄が袖に手を入れると、双頭の蛇が飛び出し、久蔵の首に巻きついた。


 久蔵が蛇を引きがそうともがきだしたのを見て、隠れていた火盗改たちが飛び出してくる。


 しかし抜刀する間もなく、四方から黒装束の者たちが現れ、呪符じゅふことごとく拘束した。


 瞬きの間に終わったことであったから、気絶した火盗改たちには、何が起こったかわからなかっただろう。


「真澄様。――我らが、土御門つちみかどの若様。ご指示を給わりたく」


 黒装束の――真澄に仕える陰陽師たちが、地に膝をついて、頭をれる。


「この者どもを傀儡かいらいに。洗脳して、意思を奪え」


 真澄は淡々と応じた。


 これで、邪魔者は消えた。これからは、土御門家のために役立ってくれることだろう。


 散開、と真澄が命じかけたところで、背後から足音が近づいてきた。


「貴方は……?」


 振り返った先に、神主姿の男がいた。覚えのある顔ではない。人間離れした美しい見目は、一度見れば忘れるほうが難しいだろう。


「神主様ですか。騒がしくして、申し訳――」


 真澄がにこりと笑って近づいた途端、全身が重圧できしんだ。


「若様……!」


 真澄は持ちこたえたが、配下は倒れたまま起き上がれずにいる。

 

 ――油断した。


「お前は……鵺?」


 歯を食い縛って問いかけると、瞳孔が縦長になり――獣の目になった。



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