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【第一部・完結】幽世庵モノガタリ ~化物絵師と鵺~【幕末妖かしバディ】  作者: Yumiko
第二幕・時花神

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幕間 御神菓子



「――上手く渡せたか?」


 社務所の前を熊のようにうろついていた愁水が、嗣巳に気づいて振り返った。


 平生へいぜいの威勢に、少し欠けたような――愁水にしては、珍しく曖昧な声音だった。


 彼の妹の姿でいるというのに、小言一つ言わないのも気味が悪い。

 

「なんだ、わざわざ待っていたのか? 犬神の絵なら、菓子屋の娘に問題なく渡してきた。そもそも、この姿ではわからんだろう」


「まあ、そうなんだけどよ……」


 と、愁水が何か言いかけたが、呑み込むことにしたらしい。


 警戒心の表れだろうかと、嗣巳は考えた。たがいに最低限の情報共有しかしないのが常であるから、何を隠そうと構わないのだが。


 遠巻きにするようなその態度には、つい笑みが零れた。


 ――それでいい。


 そうやってしっかりと、化物を警戒しておくべきなのだ。


 化物とは、人が見出だし、原因不明、対処不能と判じた事象のこと――あるいは、災害と言い換えてもいい。


 ただそこに〈在る〉モノと、一時心を通わせたとしても、所詮しょせんは人間側の思い込みに過ぎない。


 そこのところを――〈化物の本質〉を分かっていない愁水は、力なきモノと見れば、見境なく手を差しのべてしまう。


 一蓮托生いちれんたくしょうであるいま、つまらないことで致命傷など負われてはたまったものではない。そう苦々しく思っていたところで、今回の犬神の件だ。


 丁度いい、と嗣巳が目論んだ通り、人間の娘を犠牲にしかけたことは、愁水を激怒させた。


 ――さすがに、今度の一件でりたか。


 何やら考え事をしている愁水の横を通り過ぎながら、嗣巳は良い兆候だと、心中で頷いていた。


 


「……何をしている?」


 市中で耳にした〈噂〉の件で庵を覗くと、愁水が菓子の生地をね回していた。


「見りゃわかんだろ、練り切りを作ってんだよ。白あんに求肥ぎゅうひを加えて、練り上げたやつな」


「いや、練り切りなのはわかるが……まさか、私に食わせる気ではないだろうな」


「お前が食うに決まってんだろ」


 遠慮しておく、と言いかけたが、ほんのりと薄紅色に染まったあんに、竹べらの角を差し込み、器用に花弁を描いていく様を見ているうちに、気が変わった。


 化物は総じて、菓子に目がない。神への供物――神饌しんせんにも選ばれる菓子、いわゆる御神菓子ごしんがしは、妖にも力を与えてくれる。


 人間がある形を模すとき、そこには相応の力が宿るものだ。


 仕方がないと腰をえれば、梅の形を模した菓子が目の前に突き出された。茶もないが、懐紙に乗せただけ、進歩と言えるかもしれない。


「それにしても、なぜ――」


 わざわざ菓子作りなんか、と言いかけて、嗣巳は嫌な予感がした。


 遠巻きに見るような愁水の目が、警戒心ではなく、気遣いの表れだとしたら。


 その想像に吐き気がしたが、嗣巳の予感は当たってしまった。


「まあ元気出せよ、嗣巳。馴染みの店に行けなくなっちまったのは、俺にとっても痛手なんだぜ。あそこの菓子だけは、偏食のお前が文句も言わずに食ってたんだからな」


「お前、私に怒っていたんじゃなかったのか」


「そりゃ、あの時は怒ったぜ。だがあの娘は死ななかったし、お前は天秤にかけただけだろ」


「天秤? 何と何をだ」


「一人を犠牲にして、他を助けるかどうか。俺だって、全部救おうなんて考えるほど、傲慢でもお人好しでもねえ。だから、お前を裁く気はない」


 愁水は余った菓子の材料を見ながら、さらりと言った。


「――お前が人を喰わずに済んでよかった。俺の感想は、それだけだ」


 意表を突かれた嗣巳は、声をあげて笑っていた。


「本当に馬鹿だなあ、お前は」


「てめえ、喧嘩売ってんのか」


 すぐさま腰を浮かせようとする愁水に、嗣巳は半ば感心する。相変わらず、思慮深いのか短気なのか、よくわからない人間だ。


 気迫はなかなかのものだが、愁水は眩暈めまいを感じたように、きつく目を閉じた。


 疲労を顔に出さない男だが、さすがに体にきたかと、嗣巳は文机に置かれたものに目をやった。


 犬神の牙に、柊が描かれたくし。どちらも時花神が宿っていた器物であり、時花神が完全に消滅するまえにと、愁水が回収していたものだった。


 犬神の魂は絵に宿らせたため、牙のほうはすでに〈空〉だ。


「犬神は簡単だったんだぜ。犬の牙はもともと、魂の形を表す勾玉の原型だしな。牙玉きばたま、だったか? 動物の霊力を身につけるために、作られたもんだろ」


 古来より、人間は魂を別の〈器〉に分割し、保存できると考えてきた。そのため魂が消えたとしても、器物に残った残滓を掬い取り、絵に宿すことはさほど難しくはない。


 化物は、誰かが覚えている限り、存在できる。愁水が思い出しながら描くことで、化物は絵という形を与えられ、紙に宿る。


 ただし、描き手の体力をひどく消耗させる行為ではある。最初のうちは負荷が強く、愁水も頻繁に頭痛を起こしていた。


 化物と長く共にいれば、いずれ必ず、人間の脆弱ぜいじゃくな体には深刻な影響がでる。


 鵺である嗣巳など、人間の器に封じられていなければ、その穢れに耐え切れず、とっくに陰陽の比重を崩して倒れているだろう。


「こっちの櫛のほうが、まだ上手くいかねえんだ」


 愁水がこめかみを揉みながら、呻くように言った。


 櫛もまた、持ち主の髪や肌に触れるため、魂が宿りやすいモノなのだが――何かが足りないらしい。


 この江戸に来て、愁水が絵師として初めて描いた狐の絵だが、未だに魂が定着させられずにいる。


 愁水の作った菓子を口に運びかけて、嗣巳はふと思いついた。


 菓子もまた、初めは魂の形を表すものだったはずだ。


「その時花神にも、菓子を作ってやったらどうだ」


 平生ならばおのれの頭で考えさせるところだが、愁水の頭痛が悪化すれば、困るのは嗣巳のほうだ。


 ――忌々しい共生関係。


 封印さえ解ければ、この兄妹が《《どうなろうと》》、すぐさま見捨ててやれるのだが。


「ああ、なるほどな。柊様と呼ばれた時花神なんだから、やっぱし柊だよな。葉は抹茶で、実は紫蘇で色づけするか――」


 愁水が再び菓子を作り始めると、櫛から白銀の狐が現れた。


 前足をそろりと愁水の膝に乗せて、手元を覗きこむ。その姿は、愁水の目には、まだ映っていない。


 ――相変わらずの、化物贔屓(びいき)

 

 嗣巳は深々と溜め息をついて、愁水の菓子を口に入れた。


 あの娘とは反対に、精巧な見た目の菓子は甘すぎて――やはり、不味まずかった。


 


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