第34話 オールド・ワン
小鳥遊めると影山忍がもたらした「敵の監視網」の報告は、すぐさま街の中枢へと共有された。
防壁の内側に設けられた作戦会議室。そこには、大量の自作の地図と、恐竜の生態データを書き込んだノートの山に埋もれるようにして座る少女がいた。オーバーサイズのパーカーを深く被った学生プロゲーマー、七海千秋である。
「千秋ちゃん。丹花さんが持ち帰った移動データと、忍さんたちの監視ポイントを合わせた結果は出たっすか?」
桜豪千蓮が重々しい口調で尋ねると、千秋はクマの目立つ瞳を細め、手元の手書きのマップを指差した。
「……最悪だね。完全に『詰み』の一歩手前まで来てる」
千秋のペン先が、街を取り囲む深い森の数カ所をトントンと叩く。
「丹花お姉さんが確認した中型恐竜の不自然な移動経路と、めるお姉さんの映像に映っていた監視ポイント。これを繋ぎ合わせると、雑魚敵のランダムな動きじゃないことがはっきりする。敵は、街の周囲を包囲するように一定の距離を保ちながら、特定の座標に少しずつ兵を集めてるんだよ」
千秋はノートをめくり、冷徹なゲーマーとしての視点で分析結果を告げた。
「これは、かつての『ファンキー・ラプトル』みたいな小規模なゲリラ戦術じゃない。間違いなく、より巨大で強力な『レイドボス(ネームド)』が取り巻きの群れを完全に統率し、私たちを一気にすり潰すための総攻撃の準備に入ってる」
その言葉に、同席していた防衛・狩猟局長の立花凛が息を呑んだ。
「一斉攻撃の準備……! だが、恐竜がそこまで高度な連携を取れるというのか?」
「……ええ、あり得ます」
静かな声で会議室に入ってきたのは、法医学者の氷室涼子だった。彼女は白衣のポケットから、一枚のスケッチを取り出して机に広げた。
「最近、狩猟部隊が持ち帰った巨大な足跡の石膏型と、森に残された爪痕の深さから、敵の総大将の姿を推測しました。ティラノサウルスの老齢個体……それも、通常より遥かに巨大で、行動分析から知能の異常発達が見られる特異な個体です」
涼子の推測と千秋の分析が合致し、敵の全貌が浮かび上がった。
「名前は……【深緑の智将】オールド・ワン、としよう」
千秋がパーカーのフードを直し、静かに告げた。
「我々の偵察写真を見るに、種別はティラノサウルスの老個体。規模は、大小合わせて総勢300頭を超える恐竜軍団の総帥。過去の戦闘を生き抜いた証である無数の古傷が体中にあり、片目が潰れている。奴は前線には出ず、後方から咆哮一つで全軍の士気と陣形をコントロールする、まさに恐竜の知将だ」
三百頭。その圧倒的な数と、ティラノサウルス級の暴力が知能を持って襲いかかってくるという事実に、会議室の空気は氷のように凍りついた。
「三百頭の統率された群れ……正面からぶつかれば、いくら石の防壁でも保ちません」
内政局長の如月冴子が、眼鏡のブリッジを押し上げながらギリッと歯ぎしりをした。
「なら、防壁に近づけさせる前に、物理で削るしかないね!」
インフラ局長の熊谷カンナと、鍛冶班長の堂島鉄子がバンッと机を叩いた。
「重機くんの魔法で、防壁の前に深さ十メートルの巨大な『落とし穴』のトラップを無数に掘る! そこに、私たちが作った恐竜の筋線維の張力を利用した『炸裂槍』を仕込んでおくんだ。いくら知能があっても、足元が崩れれば動きは止まる!」
「そうだ。その隙に、防壁の上から巨大バリスタを一斉射撃して、火力を叩き込むんだよ!」
鉄子が煤で汚れた腕を組み、力強く頷く。
「……了解っす。俺の魔力は、壁の補強と、いざという時の迎撃に温存しながら、トラップの構築に全力を注ぐっすよ」
蓮が力強く宣言し、戦術会議はすぐさま実行段階へと移された。
+++
数日後。
十七万人の巨大都市は、これまでにないほどの張り詰めた緊張感に包まれていた。防壁の外では、蓮の魔法によって無数の巨大な落とし穴が掘られ、鉄子たちが徹夜で作り上げた鋭い槍が仕掛けられていく。女性たちは武器を手に、あるいは物資の運搬に奔走し、決戦に向けた準備を繰り返していた。
そんな嵐の前の静けさの中、夕暮れの広場で蓮はふと足を止めた。
休憩用の長屋の周囲から、甘く優しい匂いと、楽しげな笑い声が聞こえてきたからだ。
丹花が持ち帰った恐竜の卵と、養蜂家の田中梨花が採取した蜂蜜でパティシエの野々村柚葉が作った「特製プリン」が、労働を終えた女性たちに配給されていたのだ。
「美味しい……! こんな時に、甘いものが食べられるなんて……っ」
「柚葉ちゃん、梨花ちゃん、丹花ちゃん本当にありがとう!」
泥だらけの女性たちが、小さな木のスプーンでプリンを口に運び、この絶望的な世界で最高の笑顔を咲かせている。その中には、膨らみ始めたお腹を優しく撫でながら、微笑むナナの姿もあった。
蓮は、その光景を眩しそうに見つめた。
三十年の異世界修行を終え、のんびりスローライフを送るはずだった自分が、なぜか恐竜時代で十七万人の命と、産まれてくる子供の未来を背負っている。
理不尽で、過酷で、ドロドロの愛憎にまみれた世界。
だが、彼女たちのこの笑顔を守れるのは、自分しかいない。
「……絶対に通さないっすよ。俺の街には、指一本触れさせないっす」
蓮は拳を強く握り締め、茜色に染まる白亜紀の空と、その向こうで不気味な静寂を保つ巨大な森を睨みつけた。
【深緑の智将】オールド・ワン率いる三百の恐竜軍団の総攻撃まで、残りわずか。
人間たちの知恵と魔法、そして恐竜たちの圧倒的な暴力が激突する、運命の決戦の足音がすぐそこまで迫っていた。




