第38話 『後見』
王国暦1048年1月15日(火)01:18:00=地球暦2025年09月08日(月)18:00:00 <田中健太>
日が沈みきった空を背に、トイレのドアがひとりでに小さく軋んだ。
「——行くぞ」
短くそう告げて、オレは家族と仲間を見回す。
レイナがトムとアンの手を握り直し、マルクスとルナ、エリカも荷物を担ぎ直した。地球で買い集めたベアリングやモーター、山城から譲り受けた医薬品と携帯機器。荷物は行きの倍以上に膨れ上がっている。
大人5人と子ども2人が精一杯運べる量だ。台車や専用の運搬具も手配した。
ドアを開けると、いつもの薄暗い洞窟の空気が押し寄せてくる。
「ふう……。なんかこう……やっぱりこの瞬間だけは慣れないな」
マルクスがぼやきながら最初に足を踏み入れた。
一行が全員くぐり終えると、ドアはまた静かに閉じた。ランタンを頼りに洞窟を抜け、工房へと向かう。
出迎える声はない。松明も灯っていない。当然だ——この拠点を切り盛りしているのは、地球へ渡ったこの7人だけなのだから。
誰もいない工房は出ていったときのまま時が止まっていた。翠石けんの試作品も、増築中の倉庫の資材も、半日前に置いたそのままの位置にある。
「……なんか、静かだね」
アンが小さな声でつぶやいた。誰かが迎えてくれるものだと、どこかで思っていたのかもしれない。
「誰もいないんだから当たり前だろ」
マルクスが軽く笑い飛ばす。だが目だけは、工房の暗がりを油断なく確かめていた。
「……そうよね。でも、それって裏を返せば」
レイナが言葉を濁す。留守の間、この拠点を守る者は誰もいなかった。今日まで何事もなかったのは、ただ運が良かっただけだ。
「エリカ、山城から預かった機器、今夜のうちに点検しておいてくれ」
「分かってる。ポータブルの超音波診断機に、簡易的な検査キットまで……こっちの世界じゃとんでもない代物よ」
エリカは早速荷を解きながら目を輝かせた。無料治療の評判はさらに跳ね上がるだろう。命を救う武器がまた一つ増えたようなものだ。
「このベアリング、早く旋盤に組み込んでやりたいぜ」
マルクスは荷袋からベアリングの詰まった木箱を取り出して愛おしそうに撫でた。
「明日から本格的に組み立てだ。3か月、いや、この分だと2か月半で終わらせられるかもしれん」
「頼りにしてる」
「ケント、日向さんの話、聞いたわ。1か月後に警備の機材とノウハウが届くのよね」
レイナが少し安堵した様子で言う。
「ああ。侵入検知と非殺傷装備、両方揃うはずだ。それまではオレたちで気を張っておくしかないけどな」
「大丈夫。今までだって、みんなで乗り越えてきたじゃない」
レイナの言葉に、オレは小さくうなずいた。
久しぶりの我が家——もう地球のマンションよりこっちの拠点の方が、我が家と呼ぶにふさわしい気がしてきた。トムとアンがはしゃぎながら寝室へ駆けていく後ろ姿を見送り、オレは今日一日の疲れを噛みしめる。
だが、のんびりできたのはそこまでだった。
■王国暦1048年1月15日(火)09:00:00=地球暦2025年09月08日(月)18:30:00
翌朝——と言ってもこっちの時間感覚では、ほんの数時間の眠りを挟んだだけだ。
オレは石工ギルドへ地ならしと基礎工事の人足を、大工ギルドへ資材と大工の手配を、それぞれ進めようとしていた。『科学防衛都市』建設費として金貨7,000枚のうち4,000枚を充てる計画は決めていたが、実際に動き出すのはこれからだった。
「ケント様!」
工房の使用人が慌てた様子で駆け込んできた。
「王宮から使者がお越しです。宮内府のバルトロ書記官というお方が、建設許可の件でお話があると」
宮内府? 建設の話はアルにも内々に通していたはずだが。
「……何の用だ」
胸の奥にかすかな違和感が広がる。
大抵、こういう嫌ーな感っていうのは当たるんだよな。
応接に使っている一室に通すと、恰幅のいい初老の文官が待ち構えていた。
「お初にお目にかかります、ケント・ターナー殿。宮内府書記官、バルトロと申します」
礼をしながらも、目だけは値踏みするようにオレを見ている。
ああ、まさにこれが『慇懃無礼』というやつなんだろうか。
まあ、建前上は低姿勢に見えるが。
「ご用件を伺えますか」
「単刀直入に申し上げます。この規模の恒久施設は、王国法上、後見となる貴族家の管理下に置かれるのが慣例でございます。……アスカノミヤ家より、その任を担いたいとの申し出がございました」
——出たな。
やっぱり親王殿下か。
「後見人というのは、名義だけをお借りするということでしょうか。それとも、実権を握られるということですか」
バルトロは口の端をわずかに持ち上げた。
「とんでもない。名義のみでございますよ、もちろん」
そう言いつつ、彼は懐から一枚の書付を取り出し、卓上に滑らせる。
「対外窓口はアスカノミヤ家を通していただく。王家への上申も同様に。役職任命の際には、家からの同意をいただく。それと……技術を外部へ公開なさる際は、事前にご一報いただければ、それで結構でございます」
——うーん、これのどこが「名義のみ」だ。
対外窓口も、上申も、人事も、技術公開も。全部向こうの承認なしには一歩も動けなくなるということじゃないか。
思えば、この土地を選んだのも、目立たず静かに研究を進めるためだった。祠—要するにゲートまでの移動距離を考えれば、王都から2~3キロ離れたこの場所がちょうどよかった。雇われの身だった頃は王都のギルド街に工房があったが、独立してからは目につかないここに新しく構えたのだ。
まさか、それが仇となって『後見』などという名目で狙われることになるとはな。
「ご提案、重く受け止めます。ですが、これほど重要な話をこの場でお答えするわけにはまいりません。関係者とも相談の上、追ってご返答いたします」
バルトロは意外そうに片眉を上げたが、すぐに慇懃な笑みを取り戻した。
「ええ、ええ、もちろんですとも。急かすつもりはございません。……ただ、あまりお時間をかけられるのも、我々としては困りものでしてな」
そう言い残し、バルトロは一礼して部屋を後にした。
書記官の足音が遠ざかるのを確認してから、オレはすぐにアルの元へ使いを走らせた。内密に、直接会って話したい——と。
その日の午後、アルフレッドが工房を訪れた。
「すまない、待たせたか」
珍しく取り繕う余裕もない様子で、アルは足早に部屋へ入ってくるなり切り出した。
「バルトロが来たと聞いた。……父上が、動いたんだな」
「知らなかったのか?」
オレの問いに、アルは苦い顔で首を振った。
「情けない話だが……父上はオレにも何も相談してくださらない。バルトロが動いたと知ったのも、たった今、使いから聞いてだ」
その表情には、憤りよりも困惑の色が濃かった。実の父親の考えが息子である自分にも読めない——そのことに戸惑っているように見えた。
アルとモロタダ親王の間柄は、決して不仲というわけではない。
少なくとも疎遠であったり、喧嘩をしていたりという話は聞いたことがなかった。
かといって、心から慕っているとも言い難い。父と息子というより、どこか遠い親戚のような、そんな距離感だった。
「父上のことは、嫌いというわけじゃない。ただ……何を考えているのか、正直よく分からないところがある」
アルは自嘲気味に笑った。
「野心家と言われればそうなのかもしれない。でも、あの人が欲しがっているのは、権力そのものじゃないんだ。ただ、傾いた家門をもう一度立て直したい、それだけのためにこんな手を使ってくるのかと思うと……何なんだ? と言いたくなる」
アルは王家の血を引く身とはいえ、末の王子であり、アスカノミヤ家の当主でもない。家門の行く末を左右する決定権は、あくまで父モロタダの手にある。
「さて……あとは、どうするか」
アルが呟くように言った。
「僕がもう一度、父上に会って——」
「待った」
オレはそれを遮った。
「お前が間に入ると、お前と親父さんの関係に変な溝ができるかもしれない。それは避けたい。オレが直接、モロタダ親王殿下に会って話がしたい」
「……分かった。けど……」
「ああ、まだ何も答えは出してない。受けるかどうかは、詳しい話を聞いてから判断する。だから今は、会う段取りだけをつけてもらえないか」
「……分かった。父上には、僕から話を通しておく」
アルは小さく息を吐き、いつもの調子を取り戻そうとするように、無理に口角を上げた。
「たぶん、数日のうちに知らせが行くはずだ。……すまないな、こんな面倒に巻き込んで」
「お前が謝ることじゃない」
オレはそう返しながら、内心では別のことを考えていた。バルトロが動いたということは、モロタダ親王もそう遠くないうちに直接出てくるということだ。
次回予告 第39話 『再会』
宮内府書記官バルトロの来訪を受け、ケントは即答を避けてアルフレッドに内密の面会を申し入れた。アルは父モロタダの動きを知らず、親子間の温度差が浮き彫りになる。
それでも父を悪しざまには言わないアルの態度から、ケントは二人が不仲ではないことを改めて感じ取った。
ケントは、アルを間に立たせず自らモロタダ親王と直接話をしたいと申し出て、面会の段取りを頼む。
次回、ケントはついにモロタダ親王本人との対面を果たす。だが厄介なのは親王本人よりも、その周りに群がる取り巻きたちだった。どこの世界でも変わらない人の欲深さに、ケントはうんざりしながらも対応を迫られる——。




