⑥
「……璃華。俺は、必ず強くなる。誰よりも強くなって、お前を迎えに行く」
まるで、求婚のような言葉だった。
けれど――さすがにそれは、早合点だろう。
璃華は意味がよくわからず、小さく首を傾げる。
すると黎煌は、さらに続けた。
「今の俺には、璃華を璟嘉国に呼び寄せることも、湛州国に残ることもできない。それが、たまらなく悔しい。何もできない自分が、不甲斐なくて仕方ない。だから、誰にも文句を言わせないくらいの力を手に入れる。大切なものを、この手で守れるくらい強くなる。……いや、なる。必ず、近いうちに。だから、もう少しだけ待っていてくれ」
その瞳には、まっすぐな闘志が宿っていた。
黎煌の覚悟は、心から応援したい。
でも――その決意が、今は「別れ」を意味していることに、璃華は気づいてしまう。
いつか、きっとまた会える。
それが再会の約束だとわかっていても、胸の奥にぽっかりと寂しさが広がっていった。
「……うん。わかった」
今は、それしか言えなかった。
まだ幼いふたりには、共に歩むための土台がない。
国も違えば、立場も違う。
この神域の森を出れば、大人たちの世界に戻る。
そして、きっと――もう離れ離れになる。
璃華にも、黎煌にも、それがわかっていた。
それでもふたりは、いつかまた会えると信じていた。
そう信じたかったのだ。
そっと手を取り合い、微笑み合う。
別れの時が迫っていることを知りながらも。
――だが、それから七年もの間、ふたりが再び顔を合わせることはなかった。
璃華は予想通り、宮廷へ送られた。
しかし、待っていたのは、下女よりもなお酷い仕打ちだった。
祭祀が崩れ、霊獣が暴走したのは、明霞が巫女として未熟だったから。
大人たちは皆、そう決めつけた。
あの出来事のすべてが母のせいにされ、娘である璃華もまた、宮廷の中で冷たい目に晒された。
中でも義母からの虐待は苛烈で、璃華は心身を蝕まれ、やがて吃音を抱えるようになった。
(天真爛漫で、明るく元気だった私なんて……もう、どこにもいない)
七年という歳月は、人を変えるには十分だった。
今の璃華は猫の姿で、屋根の上から昇りゆく朝日を見つめている。
猫に姿を変えた理由――それは、おそらく七年前、神域の森で黎煌を助けるために霊獣から授かった加護によるもの。
あの日以来、璃華の中には霊獣の力が眠っていたのだ。
今回は、命の危機に晒されたことで、その力が表に現れただけのこと。
璃華がこの力を制御できるようになれば、きっと人の姿に戻れる。
けれど、人間に戻るということは、吃音で思うように話せず、物事をすぐ悲観的に考えてしまう、あの璃華に戻るということでもある。
(変わってしまった私を……黎煌様は、受け入れてくださるだろうか)
猫となった今、黎煌の本音を何度も耳にしてきた。
璃華を大切に思ってくれていることも、愛しさを口にしてくれたことも、全部知っている。
でも、それは、昔の璃華に向けられた想いだ。
今の自分――変わり果てた自分を知っても、黎煌は変わらず好きでいてくれるだろうか。
そう思うたびに、不安が胸をしめつける。
(きっと……人の姿に戻れないのは、この気持ちのせい。本当はまだ、戻りたいと思いきれていない。私はずっと……逃げていたんだわ)
覚悟さえ決まれば、きっと戻れる。
その方法がわかった今もなお、璃華の心は晴れなかった。
(たとえ失望されてもいい。私は――黎煌様を、守りたい)
その想いだけは、まっすぐだった。
迷いも、恐れも、少しずつ消えていく。
璃華は覚悟を胸に、宮廷へと駆け出した。
昇りはじめた朝日が、猫の毛並みに柔らかな光を落としていた。




